状況
「それで、どうだったのですか?」
わたくしはお兄さまに、そう尋ねました。
「ん? なにが?」
お兄さまは何事もなかったように、嬉しそうにシチューを口へと運ぶ。
おいおい。何がって……今、何を見に行ったんだよ……っ!
そりゃもちろん、川の様子についてだよ……と、俺は呆れた。メリサからの報告を受けた時には、真っ青な顔して飛び出して行ったのに、帰ってきてみれば、この様子。
心配の《し》の字どころか、焦って飛び出した事すら嘘だったかのように、フィデルは食事をする。
「……」
わたくしは静かに、そんなお兄さまを見ました。
するとお兄さまは、その事に気づいたようで、少しバツが悪そうに、コホン……と小さく咳をされる。
名残惜しそうに、そっとテーブルにスプーンを置いて、わたくしを見ました。
……よほど、腹が空いてたのか?
俺は一瞬、そんな風にも思いもしたけれど、それどころじゃない。フィデルの食欲なんて、どうでもいいんだ。だって気になるんだよ。川の水。
地震の前触れとかだったら、どうするんだよ……。
フィデルはこくり……とグラスの水を飲んでから、口を開いた。
「あぁ、屋敷の川も枯れていたよ……」
「!」
わたくしはお兄さまのその言葉に、目を見開く。だって屋敷を流れている川は、そんなに小さなものではないのです。
もちろん、わたくしの住んでいるこの建物の近くを流れる支流は、細く可愛らしいものなのですが、本流となると、その規模は比べ物にはならない。
それなりの大きさの船を優雅に浮かべられるような、そんな大きな川なのです。
それが《枯れている》……ともなると、ことは一大事ではないのではないでしょうか?
けれどお兄さまは、わたくしに困ったような微笑みを投げ掛け、ナプキンでそっと自分の口元を拭くと、落ち着きを払ってこう仰るのです。
「何も、心配する必要はないよ」
と。
お兄さまはそうおっしゃって、ニコリと微笑む。
「心配ないって……。も、もし、地面の中で何かしらの悪いことが起こっていて、その前触れとかでしたら、どうしますの? なにか……何か、対策を練らなくては……!」
わたくしの言葉に、お兄さまは顔をあげる。
「……何をそんなに心配している? 俺が大丈夫だと言ってるだろ……? フィアはそんなに、心配症だった?」
不安の為に少し荒い口調になってしまったわたくしを諭すように、お兄さまはわたくしを見つめ返す。
──何でもない、ただ川が干上がっただけ……。
けれど、そう言うお兄さまも、わたくしと同様、ここでの地震の経験は、ないのではなくて?
《心配し過ぎだ》とは言うけれど、前世の記憶があるわたくしには、そんな悠長に構えていることは出来ないのです。
何故お兄さまは、そんなに簡単に考えていられるのでしょう? 何を根拠に大丈夫だと? 生まれてこの方、川が干上がった経験など、お兄さまにはないハズですのに……!
「はぁ……」
わたくしには、前世の記憶がある。
なんの根拠も証拠もなく、ただ口から《大丈夫だ》とだけ言うお兄さまを、心の底から信じることなど出来ません。
わたくしは溜め息をついて、顔をしかめました。
「お兄さま……。そんな適当なことをおっしゃらないで……! わたくしは、心配なのですから……」
無意識に、俺は震えた。
軽く考えていて、もし何かあったらどうする? あの惨状を、ここでまた、目の当たりにするのか?
「……」
だってそうだろ? 機材や知識の豊富な前世ならまだしも、この異世界は前世と違い、いろんな物が足りない。
天災が起こったとして、まず最初に助けられるのは、恐らくは貴族。
その次に貴族に関わる人々……大多数の平民は状況によって、ずっと捨て置かれる可能性だってある。それほど、ここでの上下関係は厳しい。
俺は眉を寄せる。
災害後の対応次第では、その二次災害でえらい目みんだよ……。
確かに貴族は、強い魔力を持ち合わせてはいる。だけどそれが、天災の前にどこまで通用するかは、また別の話だ。
それに、自分や自分の家族の生き死にが関わってきた時、《人》って言うものはひどく無力で、そして貪欲になる。
それは貴族も平民も関係ない。みんな等しく《ただの人間》に成り下がる。力があるとかないとか、そんなものは、なんの意味も成さなくなる。
理不尽な対応をされたら、誰だってキレる。
国民みんなにキレられたら、貴族なんて終わりだ。
どんなに魔力が大きい貴族だろうと、数の力には到底叶うわけはない。不満が募り、内乱にでもなれば、俺たち貴族は一発で死に絶える。
そうならないためにも、内乱に発展するようなことは、しない方がいい。
そこのところの危機感が、この国の貴族たちには、あるんだろうか?
「……」
俺は知ってる。
あの現代の震災で、俺は避難所にも行った。
プライベートを保てる場所が、十分に確保できなかったあの状況の中で、みんな変なテンションで、必要以上に攻撃的になった。普段言わないような愚痴が、簡単に口から溢れ出た。
今まで耐えていたはずのものが、我慢できなくなる。
……それが天災だ。
「……」
俺は無意識に、ガジガジと指を噛む。
するとそれに気づいたフィデルが静かに立ち上がって、俺の側へ来た。
俺の視界が少しかげり、俺はハッとする。
「お兄さま……!?」
わたくしは慌てて噛んでいた指を口から外し、跳ねるように椅子から立ち上がりました。
まさか、食事の途中で、お兄さまが立ち上がるとは思ってもみず、わたくしは驚く。なに? 何か失礼なことでも言ってしまったかしら?
わたくしは自分の言動を振り返る。
ドキドキと胸の鼓動が、うるさく響きました。
「……《お兄さま》じゃない」
ムッとして、お兄……いえ、フィデルはわたくしの手を取りました。
無意識に強い力で噛んでしまったわたくしの指からは、真っ赤な血が溢れ、見た目的に痛々しい……。
その事に気づいて、わたくしは、青くなる。
指の傷が《痛い》……という感覚よりも、怒りの表情で、わたくしの傷を見ているお兄さまの存在に、ひどい不安を覚えたのです。
「あ……」
思わず、口から声がついて出る。
手を取られるまで、その傷に気づかなかった。
俺は人知れず、動揺する。
けれど、それほど激しくは切れていないハズだった。
……というか、怪我するほど、噛んでるつもりはなかった。けれど指からは、ぽたぽたと赤い雫が滴り落ちる。
うわぁ。何やってんの、俺。よほど動揺してたんだな……。
フィデルはそれを見咎めて、俺を睨んだ。
……いや、睨むなよ。
俺の指をどう扱おうが、俺の勝手だろ?
ムッとして俺はフィデルを睨み返し、その手から逃れようと、自分の手を引いた。
早く治療したかったし、ぶっちゃけこのくらいの傷なら、舐めとけば治る。
けれど、《令嬢》としての俺は、フィデルとメリサの目の前と言えども、怪我した指を舐めるとか、そんな醜態を晒す訳にもいかない。別室にでも行って、洗ってくるか……。
そう思って、俺は抗うように手を捻った。
……だけど、フィデルの手がはずれない。
おいおい……。
「! お兄、さま……っ、」
非難の声を上げ、俺はもう一方の手で、フィデルの手を引き抜こうとした。
「!?」
手を引いたけれど、わたくしの手は、ビクともしない。
それどころか、わたくしを掴むお兄さまの手の力が、信じられないほど強くなり、わたくしは戸惑う。
ちょ、なに?
「は、離して下さいっ、」
わたくしは抗いつつ、後ろへ下がる。
「……っ、」
そんなわたくしの行動に気づき、お兄さまも手を伸ばす。
「!」
……腰を抱き寄せられ、俺はなすすべもなく捕まってしまう。
おわっ……ちょ、なに!?
わたくしは慌てる。
「お、お兄……では、なくて、……フィデルなにをするの……!」
必死になって叫んだのです。
「そう《フィデル》。……早く慣れて」
「!」
フィデルはそう言って、わたくしの指を口に含む。
「フィ、フィデル!?」
何を……っ! 俺は必死になって抗ったけれど、逃れられない……っ。
くそっ、この馬鹿力……!
ぺろりと傷口を舐められるフィデルの舌の感覚に、俺は鳥肌が立った。
…………っ。
「やめ……っ、」
いや、舐めないだろ? 普通。
バタバタと暴れたいのをグッと堪え、わたくしは目の端に涙をためながら、メリサを見る。
何が起こったのか、理解ができない。
こんな時って、意外に動けない。頭の中が真っ白になって、恐ろしくて、考えることを放棄する。
こういう時って、どうしたらいいのか……?
「……メリサっ、」
けれどメリサなら、きっと適切な判断が出来る。
そう信じて、わたくしは咄嗟に、メリサの判断に任せることにしました。
フィアの乳母は『メリサ』でした。
書き換えました。R4.1.30




