天変地異
「た、大変でございます……っ」
本邸に手紙を出しに行ったメリサが、転げるように戻って来た。
あまりのメリサの慌てように、朝ごはんのシチューをフィデルと楽しんでいた俺は、思わずスプーンを取り落とす。
一方フィデルは、さすが騎士。
顔色ひとつ変えず、傍に置いていた剣を握ると、素早く俺の傍に控えた。
……。
あー。いや、フィデル?
俺男ですしね? 戦えますよ? 瞬発力なら、お前より強いから……。
俺は頭を抱える。
ここは先ず、俺じゃなくてメリサを助けるべきなんじゃないかな?
ボクは引きつりつつ、フィデルの肩に手をそっと置く。
「お兄さま。……おどき下さい」
言ってフィデルを押しのけ、メリサの側へと急いだ。
後ろから、哀れに俺の名を呼ぶフィデルの声が聞こえたけれど、知ったことか。
俺は自分よりも騎士資格もってるお前よりも、子どもの頃から育ててくれたメリサの方が大切なの。
分かったなら、邪魔しないでね。
「メリサ、どうしたの? なにごとですの? メリサは大丈夫なの? 怪我などしていない?」
「あぁ……フィアさま、メリサは大丈夫。大丈夫なのですが……大変なのでございます……」
ひどく不安げな顔で、メリサが言う。
「大変……?」
わたくしの質問に、メリサは頷く。
「か、川が……川の水が、消えたのでございます……!」
川──!
わたくしはお兄さまを振り返る。
お兄さまはすぐさま反応し、裏口から飛び出して行きました。
このゾフィアルノ家の庭にも川が流れています。
おそらくお兄さまは、その川を見に行ったのに違いありません。
……川? 川の水が消える? そんな事、今まであったかしら……。
ゾフィアルノ家のにある川の中には、人工の川とそうでないものがあるのです。
わたくしの過ごすこの館の近くにも川はありますが、これは人工のもの。
太く大きな本流から、流れを引いたものに過ぎません。
お兄さまは、その本流を見に行ったのでしょう。
わたくしは考える。
経験上、川の水が干上がり、井戸が枯れた経験はある。
けれどそれは、ここヴァルキルア帝国の事ではなくて、宵闇国での事。
色々な魔獣がはこびる宵闇国では、その魔獣たちが魔法で悪さをして、人々の生活を脅かす事もあるのです。
けれどこのヴァルキルア帝国では、そのような天変地異は、経験したことがありません。
え? まさか、地震の前触れとか!?
前世で日本人をやってた俺は、咄嗟にそんな事を思う。
ヴァルキルア帝国で地震……?
この異世界で生まれてこの方、地面が動く……地震と言うものを体験したことはない。けれどそれは、経験しなかったことが不思議なのであって、地殻変動が起こるのであれば、それはごく普通に起こり得るものだ。
……でも俺は、ここに生まれてからのこの十六年、ぐらり……とも体験したことがない。
考えてみれば、それはおかしなことだ。
もしかしたら今まで来なかった分、ものすごいヤツが来るんじゃないだろうか……?
俺は慄く。
え? どうしよう? 滅茶苦茶怖いんだけど……!
「……」
「フィ、フィアさま? どうなされました……?」
青くなった俺を心配して、メリサが覗き込む。
いや、そんな場合じゃないぞ! メリサ!
実は俺、実際に大地震を経験したことがある。もちろん前世で。
俺は自分の肩を抱いた。
あの恐怖が、じわり……と襲い来る。
大地震。
一度経験すると、少しの揺れでも身を強ばらせるようになる、あの忌まわしい記憶。
あの時の大地震は、なんの前触れもなく、急に俺たちを襲った。
……いや、前触れはあったのかもしれない。
だけど俺は、そのことに気付けなかった。
変わらない日々が、ずっと続くだけだと思っていた俺に、そんな観察力があるわけもなく、俺は……いや俺たちは、あの日を迎えた。
あの時俺は二階にいた。
初めは、いつもの地震だと思った。グラグラと揺れる自宅。少し身を強ばらせた。
最初は『あ、コレは大きいな』くらいに思ってた。すぐ収まるだろうって。だけど地震の揺れは、なかなか収まらない。
収まるどころか、ひどくなるばかりの揺れの中で、階下から父さんが『逃げるぞ!』って叫んだのを、俺は今でも覚えている。俺は慌てて返事をして、必死になって下へ降りると、一階は凄いことになってた。
当時のウチは、地震対策のため、家具には突っ張り棒をあてがって、動かないようにしていた。他の地域で、大地震があったから、それなりに備えていた。
でも、動かないようにしていたのは家具だけで、家具の中のお皿とか調度品とかは、何もしてない。
……まぁ、対策はしてても、心の奥底では、そんな大地震、来ないって思ってたから。だから何もしていない棚の中身は外に飛び出し、床に散乱し、割れていた。
俺は絶句する。
二階にはお皿も……まぁ俺、勉強しないんで、本棚もなかったから、物が落ちるとか飛び出すとかなかったんだけど、……まさか、こんな惨状にウチがなるとか、思ってもみなかった。
ボクたちは、慌てて外へ出た。もちろん、出る時にブレーカーを落とすのも忘れなかった。
……出入口にブレーカーあって、ホント良かった。目に止まって、咄嗟に父さんが下ろしてたから。
辺りは真っ暗で、土埃が舞った。
時々、家の屋根から、ガチャンガチャン……と瓦が落ちた。
恐ろしくて、体が震えた。
止めようと思っても、なかなか止まらないガクガクとした体の震えを押さえようと、必死になって自分を抱きしめる。
地面の揺れなのか、自分の震えなのか分からなくなった頃、ゴーと言う音と共に、何かが飛来した。
後で知ったんだけど、被害状況を確認するために飛ばした戦闘機だったらしい。
……見えないでしょ。
と後で突っ込んだけどね。心の中で。地震は真夜中だったから。
だけど、『見えなかった』も大切な報告のひとつ。
地震の二次災害では、火災発生はよく聞く。
火災が発生すれば、目も当てられない。
だって、液状化し崩れた道路。ライフラインは当然ストップ。消防車なんてあんなでっかい車が通れる道なんて、国道しかなかった。
家の近くの道なんて、軽自動車すら通れなかったよ? 石塀が崩壊してて。
知り合いの市役所職員なんか、原付動かしてどうにか出勤したって、笑って言ってた。起きたら顔の横の床に、家の梁が刺さってた……とか言ってたから、ウチよりひどいはずなんだけど、こんな時、役所の人間は家ほっぽいて仕事に出なくちゃいけない。
事後、戦争のようだった……と振り返る者がいたほど、多くの建物が崩壊した。……まぁ、そこには戦争経験者などいなかったけどね……。
冗談めかして笑うしかない。笑いながら、目は笑ってなかった。
……そんな状況だったんだ。
天災の前に、人はただただ無力──。
「……ィア、フィア!!」
「!」
名を呼ばれて、ハッとする。
「……あ、お兄さま」
いつの間にか、お兄さまが帰って来ていらして、わたくしを抱き締めていた。
わたくしが気づくと、お兄さまはホッと安堵の溜め息を付かれ、するりとわたくしの顎を撫でた。
お兄さまとわたくしの視線がぶつかる。
え? なに?
俺は焦る。フィデルが近い……。
「え、えっと。お兄さま……?」
心なし仰け反る。
え? ちょ、近っ……。って、フィデル……なんか怒ってる……?
「フィア……」
ギリッと俺を睨みながら、囁くようにフィデルが呟く。
「は、はい……」
俺は慄く。
思わず目を逸らす。
「……っ、」
フィデルは舌打ちして、そんな俺の視線に割り込む。
「お、お兄さま……っ」
な、なに。なに、怒ってるの……?
フィデルはムッとした顔で俺を睨みながら、ゆっくり口を開いた。
……なんなの。凄く怖いんだけど。
「……、呼び方。『お兄さま』じゃない。何だった……?」
「……。え。あ、フィ……フィデル……?」
そうだった……と、俺は呟く。
呟くとフィデルは嬉しそうに、ふわりと微笑んだ。
「そう。忘れないで……」
言って俺の頬にキスをする。
……。
いやそこ、そんなに、こだわるところ?
てか、ここの世界のことある事にキスするのって、どうにかなんないの? 未だに慣れないんだけど。
俺はムッとして眉を寄せ、近くにいたメリサを見た。
「……。」
メリサは、俺を見ていなかった。
……いや、なんでメリサも怒ってる?
先ほどのフィデルよりも、もっと凄い鬼の形相で、メリサはフィデルを見ている。フィデルはフィデルで、そんなメリサの存在に気づいて、勝ち誇った顔をしている。
なんなのー……。
無言の戦い……。こっちはこっちで、また怖いんですけど。何なんですかね。
「……」
何が起こったのか理解出来ず、わたくしはただ、黙り込むしかなかった。
……てか、川。
どうだったの……?
フィアの乳母は、『メリサ』でした。
書き換えてます。R4.1.30




