挙動不審
肩にお兄さまの手が置かれたタイミングで、思い切ってわたくしは口を開く。
「お兄さま……何かあったのですか?」
「……っ、」
わたくしの言葉に、お兄さまは弾かれたように手を離した。
……多分、図星。
「い、いや。何も無い……」
「……」
そう言うお兄さまの目は、視点が定まらず、空を彷徨う。
俺は目を細めた。
いや……おかしい。
絶対に、おかしい。
フィデルがこんなにも動揺するなんて、今までになかった。何かあるはずだ。
俺は静かにフィデルを見る。
フィデルはフィデルで、『まずった』とでもいうように、自分の口に手を当て、そっぽを向いた。
「動揺……しただけだ。婚約が、……解約されなかったから……」
「……」
動揺の理由として、少し弱い感じもするけれど、理解出来ないこともない。……わたくしは、そっと溜め息つく。
心の中は、見ることが出来ませんもの。
《何かを隠しているでしょう?》《いや隠してない》……の言い合いは無駄なこと。様子を見て、ボロが出るのを待ってる方が早い。
お兄さまが、ボロを出すかは別として……。
「分かりましたわ。そういう事にしておきます。けれど既に、ラディリアスさまにも招待状をお送りした後ですので、もう、どうしようもないのです」
「フィア……」
まぁ、止めようと思うならまだ間に合うと思いますけれど、ラディリアスさまがいない場で、謝罪の会など開こうものなら、また良からぬ噂の種になりかねないませんもの。
お兄さまは顔をしかめる。……けれど、しょうがないのです。
わたくしはそっとお兄さまの様子をうかがう。
お兄さまは最初、不愉快だ! と言わんばかりに顔をしかめたのですが、何やら静かに考え事をされ、不意に薄く目を細めた。口角が少し上がる。
……え? なに。
今、……笑った……?
俺がフィデルの様子に眉をしかめると、フィデルは嬉しそうに俺を見た。
「そうだ。フィア……!」
「は……い?」
妙な違和感を覚えつつ、俺は返事する。
「フィアは俺の事を『お兄さま』と言うだろ? だけど本当は『フィデル』と呼ぶのが、本来のおまえだろ」
「は? ……あ、あぁ、まぁ、そうだけど?」
要は男のフィリシアが名前で呼んでると言いたいのだろう。
「だったら、フィアもそう呼んで。」
「……。は?」
「だから、『お兄さま』ではなくて、全部『フィデル』にして」
俺は目を見張る。
「いえいえいえ。お兄さま、それは出来ません。お兄さまは、このゾフィアルノ侯爵家の次期当主となられる方。わたくしとは例え兄弟姉妹と言えども、礼儀をわきまえなければなりませんもの」
ほほほと、俺は笑う。
何を言い出すんだ……!
そんな事したら、今度は一族から睨まれる。
苦笑いを浮かべながら、俺はあとずさる。けれどそれをフィデルが追いかけて来る。
……いや、なんなの? 来ないでくれる?
「フィア、それは年の離れた兄妹の場合だけだ。双子には適用されない」
適用されない……って、そもそも双子なんてそうそういないだろ?
俺は知ってるんだぞ! この異世界に二卵性双生児は存在しない。一卵性双生児だけだ。
ここの医学がそこまで発達していないから、双子は一括りで双子だけど、ただでさえ子どもが出来ない貴族社会において、二卵性は無理なんだよ。絶対に一卵性のみ。
そうなると、もともと生まれる確率の低い双子は、更に生まれてこない。
平民だといるかもしれないけど、貴族じゃ俺たちくらいしか双子はいない。
そんな状況で『双子には適用されない』とか、ありえないし。俺の事バカだと思って、そんな風に言うんだろ。絶対、騙されるもんか……!
「そ、そんな話は存じ上げませんわ。第一、双子などそうそういるものではありませんし……」
にこやかに、そうかわした。
するとフィデルは、ふっと笑う。
「あぁ、フィアは知らないのだろう? 俺は宮殿の禁忌書籍も見ることが出来るんだけど、その中に双子の事例は多く書かれていてね、そこには当然、俺たちみたいな境遇の人物もいたんだよ? そりゃそうだよね。こんな治世だからね……」
ニヤリと目を細める。
え? ……俺たちと同じ境遇?
それって、女装して生きてた奴がいたってこと?
わたくしは目を丸くする。
「全く一緒。弟が妹として暮らした事例。……当然見つかって、一族みんな処刑されたけれどね」
フィデルの緑色の目が光る。
「……っ、」
わたくしはゾクッとして、震え上がる。
「しょ、処刑……」
それは自分の身に、いつ降り掛かってもおかしくはない出来事。
性別を偽って報告すれば、それは虚偽罪と不敬罪にあたる。その罪は重い。それに加え、俺はラディリアスとの婚約がまだ辛うじて生きている。まだ結婚はしていないけれど、もしそうなって事実が判明したら……!
真っ青になってフィデルを見る。
お兄さまは、そんなわたくしの心配を理解してくれたのに違いなく、そっとわたくしを抱き寄せる。
優しい、お兄さまの匂い……。
双子だからか、わたくしに似たその匂いは、無条件にわたくしを安堵させる。
わたくしは何かに縋りたいほど不安になっていたものだから、思わずその胸に擦り寄る。
「……!」
お兄さまは少し驚いたけれど、すぐに小さく笑って、わたくしを抱きしめてくれた。
「フィア、大丈夫。俺がフィアを必ず守るから」
「……はい」
「内容が内容だから、閲覧禁止書籍なんだけれどね、そこには二人の日記も記載されていて、二人は当然のように名前で呼びあっていた。だから、俺たちも名前で呼びあっても問題ない。むしろそうでなければ、不自然なんだよ?」
「そ、そうでしょうか……?」
わたくしは分からなくなる。
次期当主として敬意を込め、『お兄さま』と呼んでいたのが間違いだったなんて……。
「そうだよ」
お兄さま……いえ、フィデルはわたくしの額に軽くキスをする。
「それからフィア……」
「はい?」
言ってフィデルは、わたくしから体を離す。
「これからは、ラディリアスを名前で呼んではいけないよ?」
「え……?」
わたくしは目を見張る。
確かにラディリアスさまは、この国の皇子。
本来であるならば、名前で呼ぶなど不敬にあたる。けれどわたくしたちは幼なじみで、幼い頃から名前で呼びあっていた。
当然、フィデルも名前で呼んでいる。状況に応じて《殿下》とは言っているけれど、本来は名前呼び。
だからわたくしは、少し動揺を見せる。
そんなわたくしに、フィデルは困ったように溜め息をついた。
「フィア。君はもう大人だ。子どもではない。……それにラディリアスとは婚約を破棄したいと思っている……」
わたくしはフィデルのその言葉に頷く。
「だったら、名前で読んではいけない。きちんと《殿下》もしくは《皇太子さま》とお呼びしなくてはいけないよ……?」
「……はい」
フィデルの言い分は最もで、わたくしは素直に頭を縦に振る。
するとフィデルは優しく微笑み、再びわたくしの髪を撫でた。
「ふふ。フィアは素直でいい……」
そう優しく呟いた。




