乱入
ニヤニヤとほくそ笑む男爵の問いに、殿下は言葉を詰まらせる。
《追及は認めない》とはおっしゃられても、それが自分の我儘なのだと、ラディリアスさまはちゃんと、ご理解なされているのでしょう。
「……はぁ」
ラディリアスさまは、けして愚鈍なわけではないと知り、わたくしは少しホッとして、溜め息をつく。
男爵は、いわゆる皇弟派の者。
それだけではありません。
彼は確か、盲目的な皇弟崇拝者で、よりにもよって、わたくしの兄フィデルを買収しようとした経緯があるのです。けれどそれを見つけたわたくし達の父に負い落とされ、もともと伯爵の地位についていた彼は、男爵へと降格したのです。
そのせいなのか、ことある事にわたくし達を、目の敵にし、あることない事吹聴するのです。
……まぁ、今回の件に関しましては、とても頼りになる助っ人……となるようですが……。
名前は、なんといったかしら? ガデル……そう。ガデル=ガジール男爵。
《男爵》というけして高くはない地位ではあるものの、《皇弟派》という事もあり、その存在を軽んずるわけには参りません。
その為、ラディリアスさまは、掛ける言葉を選んでいるのか、少し目を細め黙りこまれました。
その間ガジール男爵は、蛇のようないやらしい目をわたくしに向け、舐め回すように……値踏みするようにわたくしを見るのです。
それに気づいて、わたくしの喉がひゅっと鳴る。
「い、いや……」
小さく悲鳴をあげると、お兄さまがわたくしを庇って下さる。
「フィア……。俺から離れてはいけないよ……?」
その言葉にホッとして、わたくしは頷く。
わたくしは少し涙目になりながら、殿下の言葉を待った。
見上げるわたくしと、殿下の目が重なる。
途端、殿下の空のように深い蒼がギリッと細まり、わたくしを睨む……!
わたくしは睨まれたそのショックで、涙が溢れた。
「……っ、ガジール!!」
わたくしから目を逸らさずに、殿下は声を荒らげた。
いつも穏和な殿下の怒りの声に、誰もが慄き、その場に膝をつく。
当然わたくしも、ガクガクと震えながら、その場にしゃがみ込んだのです。
だってそうでしょう? 怒鳴られた者の名前は違うけれど、わたくしの方を見ながら大声を上げたのですもの。恐ろしくなるのも当然ではないでしょうか?
わたくしは、膝をつく……と言うより、むしろ怖くて立っていられなかったのです。
「フィア……!」
お兄さまはそんなわたくしを気遣い、支えながら、共に膝をつく。
「……は!」
名指しされた男爵は、そんなわたくしよりも明らかに震え、その場にひれ伏した。
ラディリアスさまは苛立たしげに、言葉を繋ぐ。
「私は、『追及は認めない』と言ったはずだ! 婚約解消……今回の報告はそれ以上でもなければ、それ以下でもない。理由があるとすれば。それは私とフィリシアとの問題で、他の者には関係ない。今は『解消』という形を取るが、今後どうなるかは分からない」
言葉は有無を言わさない強さを秘め、誰もそれに逆らえない。
「し、しかし──」
男爵は譲らない。
必死に否定の言葉を紡ぎはしたけれど、その先は続けられず、下を向いてしまわれました。悔しげに唇を噛む気配がする。
皇弟派の男爵としては、現皇派のわたくしたちゾフィアルノ侯爵家が目の上のコブである事は確か。
そのゾフィアルノ侯爵家に非があるとするならば、ここで殿下の口自らその事を公表し、断罪する事こそが真の狙いであるのだと思うのです。
現皇派のゾフィアルノ侯爵家がその皇太子に見捨てられ、はたまた皇弟派からも弾き出される……。それはこのヴァルキルア帝国の貴族社会に置いて、ゾフィアルノ侯爵家が抹殺されることを意味する。
お兄さまは震えている。
わたくしも、震える。
わたくしの我儘で、下手をすれば家が殺される──。
殿下は大丈夫だと、心配するなとおっしゃってくれたけれど、それがどこまでそうなのか、どこまでわたくし達を守って下さるのか、それが今揺らいでいることを感じ、先程まで自由になると喜んでいたわたくしは、それが甘かったのだと青くなる。
ゴクリと唾を飲み込んだ。
ラディリアス殿下がゆっくり口を開く。
その先の言葉は、男爵を陥れるものなのか、それとも……。
わたくしは覚悟を決め震えるように、目を閉じる。
その瞬間──!!
──バーン……!!
突如大広間の扉が開いた。
重いハズのその扉は、おそらく魔法でこじ開けられたのでしょう。
開くと同時に貴族たちの頭上に吹っ飛び、誰もが身を強ばらせた……!
扉は驚く程に飛び上がり、広間の中央まで押し迫る!
まるでスローモーションのように、ゆっくりと流れる情景に、わたくしはハッとする。
あの扉が落ちてくれば、大惨事!
わたくしは咄嗟に立ち上がる……!
こう見えても、魔力量には自信がある! コントロールがいまいちで、多少の怪我人は出るかも知れないけれど、扉がそのまま落ちてしまうよりも、被害は少なくて済むはずだった。
「フィア、待って……!」
けれど、それをお兄さまが押しとどめる。
(お兄さま……!?)
ハッとしてお兄さまを見れば、お兄さまはひどく落ち着いておられ、軽く頭を振った。
押しとどめるわたくしの方は見ずに、何やら辺りを警戒しているご様子。……いやいやいや、今は周りではなく、飛んできたあの扉を警戒すべきなのでは?
飛んできたと言うのなら、むしろあの扉の向こうに、賊はいるはずなのですから……!
けれどお兄さまは、元々あった扉の向こうや、飛んできた扉には目もくれず、お客さまとして来られている貴族のご子息やご令嬢の方を見て、何やら考え込んでいるご様子でした。
「お兄さま……!」
わたくしは悲痛な声をあげ、扉を見る。
それよりも何よりも優先すべきは、お客さま方の安全の方ではなくって!?
落ちゆく扉の下で、貴族たちが真っ青になって魔法を展開するのが見えた。
でも! それでは間に合わない……!
魔力量の多いわたくしたちならばいざ知らず、他の皆さまたちはそれほど魔力を有してはいない。ましてや突然の出来事。
急に起こったこの状況に、貴族の方々はひどく驚いておられ、本来の力の半分も出せてはいない……!
わたくしは悲鳴をあげる。
このままでは、扉に押しつぶされてしまう……!
「っ!」
わたくしは目を閉じ、見ないように顔を背けた。
──ぱりん……っ。
「!」
見ていなくても分かる。
何かの魔法が行使された。空気の《色》が変わる。
優しい……そう、それはあたかも水の中に包まれたかのような、そんなホっとするような感覚。
軽く涼やかな音ともに、重く硬いはずの扉が霧散する。
「え……?」
わたくしは目を見張る。
この様な魔法は見たことがない。
この世界に魔法というものが存在するが、それは得てして攻撃的で力強く、今、扉を霧散させたような優しい魔法を、わたくしは見たことがありませんでした。
誰が発したのだろうと見回せば、そんなわたくしを見てお兄さまがくすりと笑う。
「あぁ……フィア。お前は何も知らなかったのだな。ラディリアスとは、幼い頃から一緒にいただろう? 幼なじみで元婚約者の魔法の使い方も知らなかったのかい? 興味がなくとも、これは知っておいても良かったと思うのだけれど……?」
そんな言葉がわたくしを捉える。
「……え?」
わたくしは耳でそれを聞きながら、目は魔法を行使したその人を見る。
魔法を行使した人……。
それは見れば一目瞭然。
なぜなら魔法の残滓である金色の粒子をその身に立ち上らせているから……。
「殿、下……」
わたくしは、小さくそう呟いた。
× × × つづく× × ×