ニアの提案
「え……? ……な、なにを……」
私は自分の耳を疑った。
今までのニアと様子が違う。私は戸惑う。
ニアが、そんなことを言うはずがない。
今まで散々反対してきたフィアとの婚約なのに、ここに来て《手に入れろ》だと──?
私は驚いて顔を上げる。
ニアが、何を考えているのか、さっぱり分からなかった。
訝しむ私に、ニアは微笑み掛けてくる。なんの迷いもない、少しホッとしたような、穏やかな笑みだった。私は目を見張る。
そんな私に対して、ニアはお構いなしに口を開く。
「聞いておりますよ? 殿下。陛下にラディリアスさまの秘密を伝えたのでございましょう?」
その言葉に、私はグッと息を呑む。
「……あぁ、そうだ。しかしあれは仕方がなかった。もう、黙ってはいられなかった……」
唸るようにそう答えた。
「それでも、婚約解消にはならなかったのでございましょう……?」
ニアが更に笑みを深める。
悪魔のような微笑みだった。私は少しゾッとする。
「……っ、」
「ならば、手に入れれば良いのです。何を悩む事がありましょうや?」
「……だ、だが、……フィアは……」
ニアは軽く頭を振る。
「陛下が良いと仰せなのです。悩む必要などありません。きっと陛下には、何かお考えがあるのでしょう」
「……」
私は頭を抱える。
そんな風に、私も思った。……いや、そう思いたかった。
だからこそ、今日会いに行ったのだ。けれど心は揺れる。
秘密を隠しているという罪悪感も、フィアが私を恋愛対象者として見ていないことも、そしてその全てが拭い切れず、心が定まらない。
「……フィアは、貴族ではいたくないのだそうだ」
私は振り絞るように、フィデルが言ったその言葉を、ニアにも伝える。
結局のところ、私は決心がつかないのだ。
フィアを諦めるか、手に入れるか……。諦めることも出来ないくせに、フィアを傷つけたくもない……。
結局私は狡いヤツなのだ。
「貴族が嫌? それはどう言う事ですか……?」
私の言い訳に、ニアが不思議そうに首を傾げた。
私は溜め息をついて、事の経緯を伝えた。
「フィアは貴族社会から出て、平民として菓子屋を営みたいのだそうだ」
その夢は幼い頃からずっと言っていた。だから知ってい……
「……ふふ。……ふふふふふ……」
私は目を見張る。ニアが急に笑い出したのだ。
「ニア……? 何を笑う?」
一瞬、ニアがおかしくなったのかと、肝が冷える。
「ふふふふ。あぁ、申し訳ございません。けれど、お菓子屋さんとは……ふふ、ふふふふふ……」
私はムッとする。
フィアがバカにされたように思った。
「何を笑う! フィアの腕前は確かだ! お前だってそう言っていたではないか……!」
フィアの料理の腕は、ここ宮廷の料理人すら唸らせる。
見た目は……ともかくとして、味は折り紙つきだ。
それは侯爵令嬢に対するお世辞でも何でもなく、純粋に本音であり、フィアの料理を食べた事のある他の貴族たちの意見も同様だ。
ニアはそれでも、可笑しくて堪らないと言ったように肩を揺らし、目の端に涙をためつつ、私へ向き直る。
「あぁ、苦しい。ええ、フィリシアさまの腕前は存じておりますよ? ……ふふっ、それでは尚のことラディリアスさまは、フィリシアさまを手に入れて差し上げなければなりませんね」
ふふっと笑いつつ、ニアが言う。
私は眉を寄せる。
意味がわからない。
不可解な表情をする私に気づき、ニアは大袈裟に驚いた。
「まあ! ラディリアスさまとあろう者が、この意味が分からないとは……! ニアは悲しゅうございます。まだまだ学習が足りませんわね」
ニアは爽やかな笑みだけをその顔に貼り付け、上品にこちらへ歩み寄る。
「確かにこのヴァルキルア王国は、昔と比べずいぶんと豊かになりました。けれどそれは貴族社会に限ってのこと。平民が簡単にお菓子を食せるほど、豊かになったわけではありません」
「!」
言われて私はハッとする。
私のその表情を見て、ニアは嬉しそうに目を細めた。
「ふふ。もう、お気づきで御座いましょう? フィリシアさまは侯爵家。……貴族の頂点にいらっしゃるご令嬢が、下々の治世など知る由もございません。ですから、そのような夢物語を語られるのでしょう」
ニアはそう言って、私を見る。
「確かにフィリシアさまは、愚か者ではございません。けれど最低限度の社交のみで、その限られた世界からは出たことがおありではない様子。……いいえ、責めているのではありませんわ。むしろ屋敷に篭っている割にはご友人方も多く、周りが良く見えていらっしゃいます。でもそれは貴族社会でのみ。平民になりたいと言うのであれば、平民の生活を見なければなりません。……そのような機会が、侯爵家令嬢のフィリシアさまにあるのでしょうか……?」
「……侯爵令嬢では、……多分……無理だ……」
私は首を振る。
男のフィデルであれば、下町にも出ているだろうが、女性の身であるフィアが行くには、治安が悪い。本人が行きたがったとしても、周りが許さないだろう。
「ふふ。そうでございましょう? ですからフィリシアさまは、現状をご存知ない。……けれどそれこそが、殿下の腕の見せどころでもありますわ」
言ってニアは私を覗き込む。
「ラディリアスさまはこれから政務をしっかりなさり、平民であっても菓子を食せるほどの経済を作り上げれば良いのです。そうすればフィリシアさまの心も射止められましょう……」
……そんな甘言をニアは私に吹き込む。
言われて私は何をすべきか考える。が、事はそう簡単なことじゃない。私は怯んだ。
「し、しかし……そう簡単に流通は……」
「ですから、」
ニアは私の言葉を遮る。
「お菓子を作り続けたいのであれば、皇太子殿下に嫁ぐほかないのでございます……」
「……ニア」
私はゴクリと喉を鳴らす。
「菓子を作るにも、食材が必要。フィリシアさまは侯爵家としてのご身分ゆえ、今は簡単に手に入れることが出来ますが、貧しい平民ではそれは無理。……いいえ、たとえ伯爵家であっても財政困難な家門であれば、それすら難しいという家はありますわ……? ですからここは、対応を変えましょう。フィリシアさまを娶りなさいませ」
ニッコリと笑い、ニアはさらりと言った。
「……」
私は考える。
ニアが言うことも最もだ。
けれど今まで否定的だったニアが、手のひらを返したように認めてくるなど、少し気持ちが悪い。私は焦る。
「しかし……私には秘密が……っ」
必死になって、自分の不備をさらけ出した。けれどニアは、花のようにふわりと笑って私の言葉を封じる。
「フィリシアさまは、お菓子作りのために、貴族の身分を捨てても良いのでございましょう? ならば、何不自由なくお菓子が作れ、流通を手助けしてくれる配偶者がいてくれるのであれば、相手のそのような秘密の一つや二つ、認めてくれるのではありませんか……? 平民であろうと貴族であろうと、配偶者に秘密を持つなど、当たり前でございますよ?」
ニアは意地悪く笑う。
「……っ、」
ニアの甘い言葉に、私の心は揺れた。
× × × つづく× × ×




