ラディリアスの絶望
「……ラディリアスさま? いい加減、昼食を召し上がって下さいませ……」
乳母のニアが私を覗き込む。
「……」
私は執務机に突っ伏して、返事をしない。
先程行ったゾフィアルノ家での出来事を思い出しては、大きな溜め息をついた。
あの二人の間に、私の入る隙間はないように見えた。
それがとても辛かった……。
「殿下? 執務は午後もあるのですよ? ……だいたい、ラディリアスさまが急に『フィアに会いたい』などと言われなければ、既に終わっていたハズのお仕事なのですからね? きちんと食事をされ、しっかり頑張って頂かなければ、今日中には終わりませんよ?」
淡々と私に言葉を投げかける。
……ニア。冷たい。
こんなにも私が落ち込んでいるというのに、励ましの言葉一つないのか……?
今の私は、胸が締め付けられ、とても食事が出来るような状態ではない。私は力なく口を開く。
「はぁ……ニア。昼食はいらない。食べられそうにない……」
それだけ言うと、机に突っ伏したまま、私はニアに手を振った。
「しばらく一人になりたい。悪いけどニア? どこかへ行ってくれ……」
「殿下……」
正直、泣きたかった。
あんな二人の姿を見て、私の心はズタボロだった。
傷ついたような声を上げた私に、ニアは一瞬同情の色を見せたが、この乳母が私に同情するなんて有り得ない。
たった一人しか生まれなかった皇帝の跡継ぎ……。しかも私が皇太子としてのその責務を果たせなければ、次に控え待つのがあの叔父上なのだ。
甘えなど、とてもじゃないが、許してくれない。
ニアが私を大切に思っているということは知っている。
時々、甘い言葉を投げかけそうになるから。
けれど私が、この国を背負わなければならない唯一の人物だと言うことを、ニアは痛いほどに理解している。
そんなニアだからこそ、いつも私には厳しく接してくる。
今回もニアは、これではいけないと、思い直したのだろう。
突如息を大きく吸い込んだかと思うと、まるで私に喝を入れるかの如く、大声で私の名を呼わばった。
「ラディリアスさま……っ!」
叱責にも似た声で、ニアが叫ぶ。
ビクッ!
私は驚いて、思わず肩が跳ねた。
……けれど今回は、そんな叱責で立ち直れるような事柄じゃない。
私は突っ伏したまま目を見開きはしたものの、更に自分の殻へと入り込んだ。
……もう、しょうがないじゃないか……今更、どうする事も出来ない。
私は静かに目を閉じる。
「……。そんなに怒るなよ。……私は失恋したんだぞ?」
そう呟くのが、精一杯だった。
自分で言って認めてしまうと、どうしようもないほどの脱力感に苛また。あぁ、このまま死んでしまい……。
何故フィアは、私の事を見てくれないのだろう? 何がいけない? 何が私に足りないのだ?
こんなにも……、こんなにも好きなのに……。
何故フィアは、兄であるフィデルを選ぶのだろう? わざわざ法を犯すような、そんな相手を選ばなくてもいいじゃないか。あぁ……いや、皇族以外であれば、兄妹でも婚姻が結べたか……。
「はぁ……」
自分が皇帝になったら、真っ先にこの悪習を洗い流さなければ……。
そんな不毛な事を考える。
私が皇帝になる時には、既に二人は夫婦かも知れない……。
「……」
いやいや、今は保留となりはしたが、私はれっきとした婚約者であるはずだ。これは皇帝の命でもある。
この婚約が消えて無くならない限りは、フィアは私の元に来るより他ない。
けれどそうなったら、フィアは泣くのだろうか?
……それを思うと、心が痛い。
私で手を打つことは出来ないのか? 私のどこがそんなにダメなんだ? あのように身を捩るほど、私では嫌なのだろうか……?
「……ラディリアスさま」
叱責にもめげず落ち込む私に、ニアの声がほんの少し柔らかくなる。
「失恋……で、ございますか……? それは、フィリシアさまとの事でしょうか……? 何かあったのでございますか?」
ニアが気遣わしげに、私を覗き込む気配がする。
けれど今の私にとって、それは余計な行動でしかない。
もう、放っておいて欲しい……。
私は顔を背けた。
ニアは乳母だ。
私が生まれた時からずっと傍にいる。
だから私が、子どもの頃からフィアの事が好きなのだと言う事を知っている。
今回だって、私がフィアに会いに行った後に落ち込んでいるのだから、何に対して私が落ち込んでいるのか……なんて、予測はついていそうなものなのに、ニアは今気づいた……とばかりに話を進める。
……ニアのいつもの手だ。
あわよくば、私の中からフィアの存在を、かき消そうとでもしているに違いない。
私がフィアには似つかわしくないのだと、改めて思い知らせるためだ。
フィアが私のことなど見ていないのだと、何度も何度もしつこく反復させ、私が諦めるように仕向けてくる……。
……それが私に、追い討ちをかける。
ニアは私の秘密を知っている。
秘密を知る者は、そう多くはない。
先日父上に知られはしたが、そもそもこの秘密を知るものは、母上と乳母のニアくらいだ。
だからニアは、最初からフィアとの婚約には反対していた。
私では、フィアの夫にはなり得ないのだと、そう判断したのだろう。
……確かにそれは、そうだと思う。
私だって、このままじゃいけないと思って、婚約解消に踏み切ったのだ。……貴族院には、報告しなかった……いや、出来なかったけれど……。
結局私は、心の奥底でフィアを縛り付けている。
手放す気など、更々ないのだ……。
「はぁ……」
私は溜め息を大袈裟につく。
どの道今日だって、ニアは婚約解消の流れに持っていく気なんだろう? そんなの分かりきっている。
「……っ、」
私は唇を噛む。
だから、どっか行けって言ってるんだ。
出来るものならとっくに解約してるんだよ! 出来なかったから、今こうして苦しんでるんだろ!?
私はヤケになって、叩きつけるように言葉を吐く。
「……。だから、ずっと言ってるだろ? 私が好きなのは、子どもの頃から変わらない。フィアだけだ。だから私が失恋する相手なんて、フィア以外に有り得ない……」
言って目をつぶる。
「ニアが言いたいことも分かる。分かっているけれど、どうしようもない。自分で自分の心が消化出来ないんだ。お前がいたからって、……状況を改めて説明してくれたからって、その気持ちは変わらない。逆に煽られて、気持ちだけが独り歩きしている……。だからもう、どっかに行け……!」
「……」
命令口調でニアに伝えたが、ニアは行くどころか、私の傍へと近づいた。
……もう放っておいて欲しい。
ニアは、膝をつきながら言う。
「……何を仰せになるのです。フィリシアさまとは、婚約解消出来なかったではありませんか。あんなにもこの私が諦めるように諫言したにも関わらず……! それがまさかの《失恋》!? 失恋など出来るわけがございません! 将来的に手に入れられるつもりでございましょう? 殿下は、フィリシアさまのお気持ちなど、どうでも良いのでしょうから……!」
ニアの責めるような、イヤミのようなその言葉に、私はカッとなる。
ガバッと起きると、私はそのままの勢いでまくし立てた。
「あぁ、そうだよ! 私はフィアの心を握りつぶすつもりなんだよ! 婚約も解約すら出来ずに保留となった! だから今日会いに行ったんだ! フィアがどう思うのか知りたかった。この目で反応をみたかったから。……でも」
言いつつ窓の外を見る。
「フィアは私のことなど、初めから恋愛対象としては、見てくれてはいない……」
ツーと頬を何かが伝う。
私は驚いて、それに触れた。
ニアには、見られたくて慌てて拭き取る。
「ラディさま……」
「……っ」
けれどニアは、その流した涙を見られていたのだろう。幼い頃そう呼んでいたように、ニアは私を愛称で呼ぶ。
「その名で呼ぶな……!」
私は怒鳴る。
私には愛称が二つある。ひとつはラディ。乳母のニアだけが使った。ハッキリ言って好きではない。
ニアはこの名前を連呼し、私にフィアを諦めるように諭してきた。まるで女の名前のようなその愛称を、私は嫌った。
昔は平気だった。むしろ可愛げのあるその愛称が好きだった。
けれど今は違う。
フィアを好きになって、女性的なその愛称を私は嫌った。
乳母のみならず、そう呼んでくれていたフィデルにさえも、やめてくれ! と拒絶を示した。もう私は子どもではない。
フィアには男らしい自分を見て欲しかった。
そうすれば好きになってくれるかも知れないと、必死だった。
それなのに──。
「フィリシアさまを、手放されるのですか……?」
ニアが尋ねる。
「……」
「手放すことは出来るのですか? ……ニアは、フィリシアさまを思えば、……いえ、フィリシアさまを想っていらっしゃるのであれば、当然そうするべきだとニアは今でもそう思っています……」
「……」
ニアは囁くように言った。《またか!》と私は思う。
「苦しむのであれば、今のうちに。……もう、手放されませ……」
「……っ」
「フィリシアさまを自由に……」
「嫌だ!」
わたしは叫ぶ。
「嫌だ。無理だ……絶対に無理だ。今まで散々、諦めようとしたんだぞ? それでも出来なかった。……そんな私に、諦めろというのか? 諦めろと言うのなら、いっその事、その手で私を殺せ……!」
震える手で、顔を覆った。
もう、隠すことが出来ない。ポロポロと涙が溢れた。
……っ、こんな姿、フィアが見たら幻滅するに違いない……。情けなくなって、私は唸る。
「だから、出ていけ……! 一人にさせてくれ……」
苦しくて、仕方がない。
諦めようとすると心が痛い。
いっそ手に入れようともがけばもがくほど、良心が痛む。
どうすればいい? 私には、答えを出すことが出来ない。
一人静かに考えたかった。
けれどニアは出ていかない。
……っ、なんて忌々しいんだ……!
ニアは小さく溜め息をついて立ち上がると、ゆっくり歩き出す。そして窓辺へ近づくと、そこの花瓶に挿してある花を優しく整えた。
「ならばもう……いっその事、手に入れてしまいますか……?」
ぽつりとそう言った。
「……え?」
私は、ニアの言葉が、信じられなかった。
× × × つづく× × ×




