焦げたお茶会
「フィア。多分ラディリアスは、勘違いをしている……」
焦げたクッキーを食べつつ、お兄さまがポツリ……と、そうおっしゃいました。わたくしはメリサに、おかわりの紅茶を淹れてもらいながら、首を傾げる。
「勘違い……ですか?」
お兄さまは静かに頷かれる。
勘違いされるような事柄なんて、あったかしら……?
わたくしは今日のことを思い返してみながら、再び首を傾げました。そのような事は、なかったと思うのですが……。
秋が深まりつつあると言っても、まだまだ暖かいお昼前のひととき。
お茶には少し早いけれど、昨日の事もありましたし、謹慎中でなにもする事がないので、わたくし達は二階のテラスへと移動し、三人でお茶を楽しむことに致しました。
爽やかな風が吹き、とても良いお茶会日和になりました。
まだ午前中ではありましたが、もしかすると午後には日差しが強くなるかも知れません。
かえって早めのお茶にしたのは、正解だったかも……とわたくしは微笑みながら、クッキーをかじる。
焦げてしまったけれど、食べれないわけではない。
むしろ香ばしくなって、たまにはこんな失敗も、いいかも知れない……などとほくそ笑む。
今日はメリサもお客さま。
ふふ。メリサったら、本邸での仕事を済ませ急いで駆けつけてくれたみたいで、少し髪が乱れてましたのよ?
メリサも、慌てることがあるのね……。
なんて思いながら、わたくしは目を伏せつつ、少しホッとする。
完璧なのもいいけれど、時には失敗もして欲しい。
だってそうでしょう?
人って、きっちり真面目なそんな人が垣間見せる、『少しの隙』に妙な安らぎを感じるもの。
ずっと完璧であり続けるのは、本人もそうだけれど、近くにいる者も安らげないと思うのです。
肩の力を抜いて過ごすのも、時には大切。
心安らかな時間を楽しまなくっちゃ、勿体ない。
わたくしは持っていたピンで、メリサのその髪をまとめて、ふふふと笑う。
「メリサの髪は、サラサラで気持ちがいい……。どうしたら、こんなにサラサラになるのかしら?」
言いつつわたくしは、メリサの髪を撫でる。
そうするとメリサは困った顔でお礼を言って、小さく微笑むのです。
「ありがとうございます。けれど、何をおっしゃられますのやら……。フィアさまの髪の毛の方が、何倍もお美しいというのに……」
そう言って、くすぐったそうに笑う。
優しいメリサのその笑顔が、わたくしは一番大好き。
「それにしても、とんだ醜態をお見せしてしまいました……。私とした事が……」
などと言いながらメリサは照れくさそうに、わたくしのカップにお茶を淹れてくれた。
ほんわかと立ち上るその湯気に、わたくしは思わず微笑んでしまう。
何故、メリサが淹れると、こんなにも美味しそうに見えるのかしら?
メリサは自分のコップにも、同じようにお茶を注ぎ入れ、優雅に椅子へと座った。
ふわり……と舞うそのドレスはお仕着せなのだけれど、メリサが纏うと、どんなドレスも霞んで見えるから不思議。元々メリサは品が良いのかも知れない。
メリサは平民の出ではあるものの、貴族と言っても差し支えないほど、マナーを心得ているのです。
長年、この侯爵家に仕えているのですから、それはけして付け焼き刃……などではありません。わたくしに指導が出来るほどに洗練されたその立ち振る舞いは、下手な貴族よりよほど美しい所作なのです。
もしも貴族として生まれていなのならば、どのような生活を送っていたのかしら?
「……」
わたくしはいつも、そんなことを思う。
きっと優しい旦那さまの元で、優しく穏やかに過ごせたのに違いない。
それなのに、わたくしが生まれたことで、この屋敷に縛り付けてしまった。わたくしがこの世に生まれたことで、優しいメリサの幸せを奪ってしまったことに違いないのです。
なのでわたくしは、《わたくしさえいなければ》、……と思うことがよくあります。
《不幸だ》……と思っているかしら?
聞けば教えてくれるのでしょうが、わたくしはその答えが恐ろしくて、聞くことが出来ないでいる。
ここにいれて《幸せだ》……と思っていて欲しい。そう願わずにはいられない。
アップルティーを一口飲み、メリサとわたくしは、ホッと溜め息をつく。
メリサのその笑顔を見ると、きっとそう思っていてくれる……とわたくしは少し安心するのです。
あぁ、なんて美味しいんでしょう……。
ホッと一息つくと、先程のお兄さまの言葉が気になったようで、メリサが顔をあげました。
「ところでフィデルさま? 殿下が勘違いをされている……とのことでございますが……」
メリサは少し、不安気な顔をする。
それを見て、私も顔を強ばらせる。
そうですわよね?
何を勘違いなさるような事が、あると言うのでしょう?
そもそもラディリアスさまとは、なかなかお会い出来ないのです。
子どもの頃ならいざ知らず、婚約が決まった一年前から今までの間、ほとんど会うこともなくって、このようなお茶会やパーティでしかお会いしません。
……ですから、勘違いするような事柄……なんて、そうそうあるわけはない、と思うのですが……。
ラディリアスさまは、このところ政務にも積極的に関わり始めている……と、以前お兄さまが仰っておられましたから、ここに来れなくなったのもそのせいかも知れません。
まぁ、わたくしがそれで寂しい思いをする……なんてことはありませんけれど。けれど足が遠のいたのは事実で、それが少し前から、わたくしも気にしているところではありました。
……とそこまで、わたくしは冷静に考えていたのですけれど……。
「……」
思わずムッとする。
いや、だってさ、いつもはほとんど顔を見せなかったヤツが、たまにやって来たんだよ?
だったらせめて、お茶でも飲んでいけばいいのにって思うんだ。
「……ったく。せっかくクッキーが焼けたのに」
俺は思わず文句を言う。
「……フィアさま。《地》、……地が出ております」
メリサが淡々とお茶を飲みつつ注意を促す。
う。分かってる。分かってるよ!
鼻にシワを寄せながら、俺はさっきの出来事を思い返した。
……でも俺、怒らせるようなことしたか?
むしろ、あっちがしただろ?
その上、なに? 勘違い? なに勘違いするってんだ?
考えれば考えるほど、イライラが募る。
モヤモヤとした気持ちが溢れ返り、妙な不安感が俺を襲った。
「……」
俺は顔をしかめる。
……いやいやいや、分かってる。
ちゃんと分かってる。
俺は、あっちが悪いって思いたいだけなんだ。人を悪く言って、自分を正当化したいだけなんだ。
ボロくそ文句言いながら、だけど心の奥底じゃ、何でか知らないけど、反省している自分がいる……。
「……」
いや実際、勝手に勘違いするあいつが悪いんだけど、あいつが悪いはずなのに、反省している自分にもイラってきてんだよ!
なんで俺、こんなに落ち込んでんの……!?
落ち込む必要なんてあるか?
イライラしつつ、俺は自分の親指の爪を噛む。
……ラディリアスが、黙って帰って行ってしまったのには、何かしらの理由がある。……そしてそれは、多分、俺のせい。それは確かだ。
「……」
何がいけなかった? 途中で話をよく聞いていなかったこと?
ハイハイって、半ば適当にキスしたこと?
……いや、アレだってかなりの勇気がいったんだぞ?
どうにか離してもらおうと妥協案で、ほっぺにキスをしたけれど、アレじゃダメだったとか? いや、そもそも出来るわけないじゃん? 口? 口にしろって……?
冗談じゃない!
それともフィデルの言う、その《勘違い》のせい?
「……」
……分かってる。
本人がいないのに、いくら考えてもムダだってことも。
答えなんて出るはずがない……。
答えを知っているのはラディリアスだけで、いくら俺が予想をつけて考えたとしても、それはやっぱり予想であって、答えにはなり得ない。
いやいやいや、俺、悪くないし。あいつが悪いんだし……!
コトリ……。
「……」
わたくしは黙って、カップを覗く。
琥珀色の液体が、陽の光を反射して、キラキラと輝いた。
淹れたての紅茶は、香りがいい。
わたくしは再びカップを傾けると、口をつける。
ふわりと甘いリンゴの香りが鼻腔をくすぐった。
落ち着け……落ち着くのよフィア。
相手が皇太子だからって、気にする必要はないのです。明らかにあの時のラディリアスさまは、おかしかったもの。わたくしが全力で抗ったとしても、それは当たり前の事ではありませんか?
何も気にする必要など、ありませんわ……。
わたくしはそう自分に言い聞かせ、紅茶に目を落としつつ溜め息をつく。
けれど──。
「はあ」
わたくしは溜め息をつく。
そう。
わたくし達は、どんなに自分を正当化したとしても、所詮、臣下であることには変わりはない。
身分が上であるラディリアスさまが不快だと言えば、下である私たちはそれを払拭すべく動くのみ。
わたくし達は結局のところ弱い立場なのだと、自覚しなくてはいけないのです……。
× × × つづく× × ×