焦げたクッキーとバルシク。
わたくしは慌てて、オーブンの中を覗く。
「ひっ……」
覗いた途端に、喉から悲鳴が上がった。
…………。
本当にショックな事が起こると、人は『ひっ』って言うんだな……とか、俺はわけの分からないことを、不思議と冷静に考える……。
「……」
いやいやいやいや、そうじゃない。
そうじゃないだろ! 違うだろ!?
焦げたんだよ! クッキーが、絞り出しクッキーがっっっ!
ああっ! もう! そうだよ! 俺が甘めにすっから、こーなったんだよ!
いやだって、昨日の今日だろ?
俺もフィデルも疲れたんだよ、精神的に! 身体的に! せめて今日くらいは、ゆっくり過ごしたいと思ったんだよ!
甘めのクッキーに、少し渋めのアップルティー。
涼しさが増した秋の木陰でホッと一息……入れたかったんだよおぉぉおぉぉ……。それなのにそれなのに、何なの? これは。
見れば絞り出しクッキーの無惨な姿。
スプーンでつんつんして、わざわざ立てた《つの》は、真っ黒のカサカサになっている。
確かに、全てが真っ黒なんじゃない。ひどいのは、その《つの》だけで、他のところは、まぁまぁいけるよ? だけど、焦げてるじゃん? 見た目凄いよね? 黒い角生やしたクッキー。なんなの? 悪魔なの?
こんなんじゃ、甘めにした意味ないじゃんか?
いや、甘めにする為に、砂糖を多めに入れたから、焦げやすくなってたに違いない。
確かにラディリアスに絡まれて、戻る時間が遅かったけれど、時間的には余裕だったはず。こんなに黒くなるはずもない。
「……」
俺はいたたまれなくなって、床に這いつくばる……。
「最悪だ……」
思わず呟いた。
…………。
いや、負けるな俺。頑張れ! 俺っ!
そうだ! また、作れば良いんだよ!
お茶の時間にはまだ早い。
今から作り直せば、余裕で間に合う。
「っし、リベンジだ……」
俺はどうにか気を持ち直し、立ち上がる。
焦げはしたものの、食べられなくもない。
これはこれで出して、新たに絞り出しクッキーを追加して作ろう!
ちょうどラディリアスも来ている事だし、アイツの好きなバニラ味のを多めに作って……。
……そこで俺は、はたと気づく。
あ。バニラビーンズ切れてたんだった……。
「……」
ここでひとまず説明しておこう。
この異世界。前にも言ったけど、前世でのありふれた食材は、魔物はこびる《西の森》でしか手に入らない。
逆に、この世界でありふれた食材は、前世には存在せず、前世の物と比べると、少し味が落ちる。要は《味が薄い》。
辛いとか甘いとか、そんなんじゃなくて、風味が全然違う。
まぁ、味が多少悪くても、その他に楽しむのが、香りや見た目。そこが良ければどうにかなる。
……けれど、今世での食材は、色、味、共に薄くて、香りすらほとんどない……。
日本人が好むうま味成分なんて《何それ?》の域なのだ。そんなモノは存在しない。
……いや、存在しないというか、薄すぎてよく分からない。
いやいや、よくこれで生きてこられたもんだよな? と俺は思う。
何が楽しくて生きているんだ? ここのやつら。
食は命だろ?
人生、美味しく食べてナンボだと俺は思うのだ。
ずっとこの地で生活して来た奴らは、これが普通だと思っているに違いないが、俺は違う。
曲がりなりにも《食》で食っていこうと思っていたこの俺に、この状況は辛い。どうにか打開出来ないものかと、知恵を振り絞った。
そこで思いついたのが、《食材探し》!!
ないなら自分で探せばいいじゃん! というわけで、俺は食材を探しに探した。
侯爵家という身分がここでは凄く役に立った。
で、分かったのが……。
──市場に売られるもの全て《ダメ》!
という事実。
……ダメじゃん。この世界。
「……」
もう、放心状態とはこのこと。
本当にダメ。全てがダメ。
凄くお金を出して手に入れた高級食材も、普通の食材よりかは幾分マシではあったものの、前世の物に比べたら、お話にならない代物だった。
なんでこんな所に生まれてきたんだ……と世を儚んでいた時に、宵闇国から使者が来た。
なんでも俺の祖母……俺の父のお母さんが、この国の第八王女だったらしく、大物の魔物が討伐された時など、その毛皮などをたまに持って来てくれてたそうだ。
……実は俺、そのこと知らなかったんだよね。だって早くから離れの屋敷に引っ込んじゃったから。だからこれ、ホント最近になって知ったんだ。
早く知りたかったよね、それ。
で、その宵闇国出身の祖母なんだけど、俺たち双子が産まれる前に亡くなってしまっていたから、俺たちは顔すら覚えていない。
じゃあ、誰が毛皮なんか送って来てるのか……だって? それは、宵闇の国王だよ、国王。
本当なら、この宵闇国との交流が途切れても不思議ではない状況だったけれど、どうやらこの国の国王……言うなれば、父の従兄弟にあたる宵闇国国王と、うちの父が《狩仲間》だった。
まさかの《狩り》……!?
あの温和そうに見える父が?
氷の国の宵闇で、狩り……!?
知った時は、ホント目ん玉が飛び出るかと思った。
自慢じゃないが、うちの父上はモブキャラだ。
……自慢には、ならないか。
とにかくその、虫も殺せそうにない上に、いつもニコニコと、毒にも薬にもならないそんな何処にでもいそうなのが、うちの父上が、魔物討伐を趣味としていた。
父上が、魔物討伐……!?
ヴァルキルア帝国では、西の森にすら近づかないのに!?
……人は本当に、見かけに寄らないものだと思う。
調べてみると、ゾフィアルノ侯爵家は奥が深かった。
見かけは温和で、どちらかと言うと文官を得意としそうなゾフィアルノ家だが、その実、戦闘能力に長けた一族だった。
祖父が宵闇国の第八王女だった祖母のハートを射止めたのも、宵闇国に訪れた際に、魔獣に襲われていた祖母を助けたからだと言われている。
……要はあれだ。ギャップ萌え?
インテリ気取ってたのが、実は戦闘特化してたとかのあれだよアレ。
そりゃそうだよね、自分のために命張って戦ってくれれば、そりゃコロリと落ちたかも知れない。
だって氷の国の魔獣……めちゃくちゃ強いんだもんな。きっとじいちゃんも、ばあちゃんに惚れ込んでたに違いない。
じゃなきゃ、あんなのに立ち向かうなんて、到底出来やしない。
何が違うって、アイツら魔法を繰り出すんだよ……。
「……」
本来魔獣は、魔法を繰り出さない。
魔法が使えないわけじゃない。繰り出す脳みそがないだけだ。
要は西の森に生息する魔獣は知能が低く、宵闇国の魔獣は知能が高い。だから相手する人間も、それなりの知能と洞察力が必要だ。
そんな魔獣を一人で倒したと言うから、祖父の能力も相当なものだったはず。
はぁ。そりゃそうだよな。小国と言えども、他の侵略を許さない国の王女と、魔物討伐を趣味とするゾフィアルノ家。
その息子である父上が、弱いわけがない。
実はモブキャラではなかったという事だ。……見くびってごめん。父上。
そんなこんなで、宵闇国の国王と、うちの父は時々狩りを楽しむ間柄になっていた。
で、俺は見てしまった。
宵闇国から送られた、バルシクと言う猫型の巨大な魔物の生首を……!
いやいや《生首》じゃなかった、ちゃんと剥製になってたよ?
なってたけど、そのデカさたるや、学校の教室に入りきれるか? と言うほどにデカい。
……誰だよ、こんなの送り付けるのは。
半ば呆れはしたものの父は喜び、急遽長期の休みを取って、宵闇国へと旅立った。あの剥製は、『こんなのいるから、狩りにおいで♡』のメッセージなのだそうだ。
悪趣味なのにもほどがある。
けれどそれで飛んで行ったからね。うちの親父……。
……。
あの行動力には、ホント恐れ入った……。
いやいや、本題はそこじゃない。
本題は、その《バルシク》の首! そう! その《首》なんだ!!
バルシクの首は、とてもいい匂いがする。
《魔物のデカい首》……と言うと、ちょっと引くが、バルシクは猫型の魔獣。良い香りがする上に、めちゃくちゃ可愛いのだ。
(顔はまぁ、加工されたヤツだった……と後で知ったけど……)
だからバルシクは、金持ちの間では高額取り引き対象素材……となるらしい。
……こんなの、誰が買うんだよ。嵩張るし……。
バルシクの見た目は可愛いが、かなり凶暴で《魔湖》と言う魔物を生み出す湖から現れたら、すぐに狩りとらないと発生した国は滅びるとさえ言われている。
滅多に出ては来ないけどね。
で、そのバルシク……。
いや、バルシクのその《ヒゲ》!
そのヒゲが、この世界でのバニラビーンズだったんだよ!!
なんなの? この過酷な食材……。
送られて来たバルシクの首の匂いを嗅いで、俺はそのことに気づいた。
試しにこっそりヒゲを失敬してみたら、割るとそこから種が出てきた。
……植えてもみたよ? 生えなかったけど。バニラ。
……てか、間違えてバルシクが生えてきたら、大事だったんだけどね。良かったよ。生えてこなくて。
当然、安全性も確かめた。
物がなにかを伝えずに、ただ食材とだけ言って調べさせたけれど、人体に無害だということが分かった。
もともと魔獣は、食料ともなるから、心配はしてなかったけど、凄いはっけんだった。《剥製の首》……ってのが、ちょっと引くけれど、食べ物としては人畜無害。
……まぁ、生きてなければだけど。
試しにそれで、お菓子に使ってみたけど、なんの不備もなく、美味しいお菓子になってくれた。
この発見は俺にとって、最大の幸運となり今に至る。
ホント、魔物様々だよ!!
× × × つづく× × ×




