ラディリアスの怒り
私は咄嗟にフィアを抱き上げ、先程馬に乗って来たフィデルの方を向いた。
……出来る限り余裕を見せようと、微笑んでいたつもりだったが、私を見たフィデルの顔はひどく引きつっていたから、きっと凄い顔だったんだろうと思う。
当たり前だ……。
こんな状況で、平常心なんかではいられない。私の心の中は、嫉妬で渦巻き、どう処理すればいいのか、自分の事なのに分からなかった。
馬から降りたフィデルは、すぐに私へと膝を折る。
「殿下。申し訳ございません。我が妹が不敬を働いているようにお見受けしましたので……」
その対応は間違っていない。
現にフィアを襲っていた自覚が私にはあるが、フィデルの身分として私に非があるように言うことは出来ない。
いやむしろ、私としては、見たまま非難してくれさえすれば、それを不敬としてフィデルを処罰出来た。
見透かされたような気持ちになって、私はカチンとくる。
……不敬? 不敬はお前だろ!? 今ものすごく良いところだっただろ? 見てて分かるよな!?
そう叫びたいのを必死に堪える。
隙がないように対応するのだったら、私とフィアの事など見て見ぬふりをすればいい。フィアは私の婚約者なのだから、どの道私の元へと来る。それが今か後かの違いだ。
……けれど、それはさすがに言えない。そのまま言えば品格に劣る。私は出来るだけ落ち着きを払い、言葉を返した。
顔には、笑いたくもない笑みを貼り付ける。
「いや。そんな事はない。……お前の方にも使いが行っただろ? 説明が重複すると思うが、私とフィアの婚約は復活する。今日は私の大切な婚約者に逢いに来ただけだ。ただの痴話喧嘩だよ……気にする事はない」
私はフィデルを見た。反応が知りたかった。
フィデルは少なくとも驚いたようで、目を見張った。
けれどそれは一瞬のことで、すぐにその整った顔に笑みを浮かべる。
……私よりも四歳も下だと言うのに、貼り付けた笑みではなく、本当に微笑んでいるように見えた。
私は眉をしかめる。こういう細かいところで、無性に腹が立つ。
私は、フィアの方には直接話したかったから、こちらへは自ら出向いた。が、フィデルの方には使者を立てた。私が会いに行く必要もないと判断したからだ。
今、フィデルは馬に乗っていたから、下手をすれば使者には会わなかったかも知れない。
けれど、フィデルは笑う。
「ええ、会いましたよ。けれど使者は《婚約の保留》と言っただけで、《復活》……とまでは言ってはおらず、殿下の話と少し食い違いがございます」
言って、目を細める。牽制しているようにも見えた。
……こいつっ。
私は溜め息をつくと、フィデルに向き直る。
「……そうだ。使者の言葉が正しい。お前が使者に無事に会えたのか、確認しただけだ」
するとフィデルは安心したように息を吐いた。
「そう……でしたか」
言って立ち上がる。
「でしたら、フィアをお返し下さい。婚約者でないのならば、触れることはかないませんよ……? フィア。いつまでも殿下にすがりついていては、不敬にあたります。降りなさい」
「……」
フィアを受け取ろうと、フィデルが近づく。
「はい。お兄さま」
フィアもホッとした様子で、フィデルの方へと体重が移動した。……それを感じ、私はフィデルからフィアを遠ざける。
「ラ、ラディリアスさま……!?」
非難の声を上げたのは、フィアだった。
小さなフィアは微かに震えて、私を見上げる。
その仕草が可愛くて、ずっと見ていたい。
叶うことなら、フィアが求めて手を伸ばすのがフィデルではなく、この私だったらいいのに。……そう思うと、可愛いと思うフィアのその仕草ですら、私は苛立ちを覚える。
いったい全体フィデルのどこがいいんだ?
あの冷血漢で、体ばかりデカくて威圧的なフィデルのどこが!? 私は苛立ちを隠せなくなり、口調が厳しくなる。
「フィア。さっきも言っただろ? 私は君を手放すつもりはないし、譲るつもりもない」
イライラが募り、フィアですら責め立てたい気持ちに駆られ、どうしようもない。そんな私をフィアは見上げ、すがりつくように諭すように言葉を紡いだ。
「ラディリアスさま。わたくし……その、……そう! わたくしとフィデルは……」
「フィア!」
フィアが何かを言いかけたが、フィデルがその先を咎めた。
私は心の中で舌打ちする。
たとえフィアがフィデルを好きだとしても、この際認めよう。しかし認めた時が最後だ。もうここにフィアを置いておくことは出来ない。
引っ掴んでも、私の城へ連れて行く……!
けれど名前を呼ばれ、フィアはハッとして口をつぐみ、フィデルを見た。
「お、お兄さま……?」
「フィア、ダメだ。その先は言うな。ラディリアス……何か企んでるんだろ……!」
臣下から幼なじみの顔となり、フィデルは私を威嚇する。
「……っ」
正直、この幼なじみのフィデルは私にとっては目の上のコブ。
父上もその事を十分に理解していて、フィデルには次期宰相としての経験を積ませている。皇帝や皇族に対して、当たり前のように意見できるものは少ない。
たとえ意見出来たとしても、それが私欲ではなく国のための言葉を吐ける者はほとんどいない。
フィデルは、その限られた稀な存在なのだと、父上はおっしゃった。
……けれど、本当に癇に障るっ。
「企み? 企みなどありはしない。深読みし過ぎではないか? フィデル。深読みは時として不敬にあたるぞ……?」
威嚇の意味を含ませ、私はフィデルを睨む。
私も愚かではない。
フィデルがこの国になくてはならない存在だということも、重々承知している。
けれどフィアは、私になくてはならない存在なのだ。譲るわけにはいかない。
フィデルは溜め息をついて、目を伏せた。
「そうでしたか。早とちりであるのなら安心致しました。殿下、ご無礼をお許しください」
「……」
膝をついたフィデルを、私は静かに見下ろす。
しかしこれで終わりではない。黙っている私に、フィデルはニヤッと笑みを向け、口を開いた。
「私はてっきり《婚約破棄に向けて良からぬ企みをすれば、有無を言わさず皇宮へ連れて行く》……などと言われるのではないかと、内心ハラハラしたのですよ? ……フィア、妙な企てをすると逃れられなくなりますよ。本心を……誠意を込めて想いを伝えるのが一番でしょう……」
「フィア!!」
フィデルの言葉に、私は焦る。
確かに嫌われても構わないとは言った。
けれどそれは、確実にフィアを手に入れてからの話だ。今のフィアの立つ位置は不安定で、どちらにも転ぶ可能性がある。
案の定、腕の中のフィアは、何かの思案に暮れているようで、爪を噛んでいる。少し伸ばされたフィアの爪は、装飾を施さなくとも、薄い桃色に輝き繊細さを際立たせた。
抱き上げた時にも思ったが、その身長のせいだろうか? フィアは驚くほど軽い。
先程抱き寄せたから気づいたが、フィアは女性にしては筋肉質だった。
フィデルと西の森へ行き、実際に戦っているというが、あながち嘘ではないのだろう。
常識から考えれば、令嬢……しかも侯爵にあたるほどの上級貴族の令嬢が、西の森で魔物の討伐……などと信じられない事なのだが、この軽さと筋肉を掛け合わせれば、フィアはかなり跳ぶことが出来るのではないだろうか?
魔物を退治……とまではいかないにしても、その身軽さで余裕で逃げることは可能だろう……それはそれで、少し羨ましい。
私にはその身軽さはない。
フィデルほど大きくもないが、飛び回るほどの身軽さはない。
考えてみれば、この双子は互いの欠点を補い合い、戦闘に特化しているのかも知れない。
……私はふと、そう思った。
身軽なフィアと、ドッシリと構え力強いフィデル。
私はどちらかと言うと、その中間に位置する。
フィアの欠点を補えるほど、力強くはない……。
…………。
いやいやいや。フィアは曲がりなりにも令嬢だ。
フィデルと対等に、渡り合えるほどの技術を持っているようには思えない。
それよりも今は、この状況。
間違ってもフィアに、私を拒絶するような言葉を吐かせるわけにはいかない。
仮にも私は皇太子で、臣下の希望を聞くのも仕事の一つだ。
今、フィアは、不敬にあたらない断り方を考えているのに違いなかった。
「フィア」
私はフィアの思考が乱れるように、その名を呼ぶ。
「……はい。殿下」
不意に名を呼ばれ、無防備なフィアは思考の中に溺れつつ私を見る。
言ってはなんだが、フィアはフィデルほど頭が回らない。時折見せるその粗が、可愛くもあるし私の付け入る隙を与えてくれる。
そのまま私に、従順なフィアであればいいのに……。
「フィア? 何も悩む必要はないよ? 私にキスをしてくれたら、すぐにはなしてやろう……」
出来るだけ甘く伝える。
さすがにフィアは、目を丸くする。
「え? 殿下?」
「ほらほら、早くしないと。お菓子を作っていたの? 少し芳ばしい匂いがし始めたけど、大丈夫?」
その言葉に、腕の中のフィアは、明らかに動揺を見せた。
「あ。……そうでしたわ。クッキー……が……!」
夢の中から目覚めるように、私に抱きつく。
……いや、分かってる。
フィアは、別に私に抱きついてきたわけじゃない。
私が建物を背にして立っているから抱きつかなければ見えないのだ。その奥にあるオーブンが。
まぁ、抱きついて私越しに覗いても、見えはしないんだけどね。オーブン。建物の中だしね。
私はくすりと笑う。
「ほらほら、キスは? すぐに下ろしてあげるよ?」
「う……」
微かにフィアは唸る。
唸るけれど、きっと誘惑には勝てない。
フィアはことの他、お菓子作りが大好きなのだということを、私は知っているから。
フィアがキスしやすいように、私は顔を近づける。
視線の端で、フィデルが呆れたように溜め息をついたのが見えた。
フィアは一瞬だけ私の唇へ近づき、少し躊躇って口の端の頬に軽く口づけた。
「……。まぁ、いいか」
一瞬だけのそのキスは、とても柔らかくて可愛らしい音を立てた。
今は……今はこれで精一杯かな。
私は苦笑する。
少し残念だけれど、約束だから仕方がない。
そのままフィアを手放した。
「殿下、ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をすると、フィアは慌てたように建物の中へと消えて行った。
私はフィアが取り落とした藤籠と林檎、それから竜胆の花を拾った。
フィデルもそれに倣う。
「ラディリアス……」
フィデルが呟く。
「フィアは、見た目ほど幸福じゃない。だから俺は幸せにしたいんだ」
そうポツリと言った。
全てを拾い終わり、フィデルは私を睨む。
そして冷たく言い放った。
──そしてそれは、お前では無理だ。
と。
× × × つづく× × ×




