保留の理由
「フィア!!」
ラディリアスの歯ぎしりと共に、俺は腰を抱き上げられた。
ひいぃぃいぃぃ……! 今度は何!?
両腕で、必死にラディリアスとの間に空間を作る。
「や、やめてください……!」
男だろうが、女だろうが、この際もう関係ないっ! 確実に身の危険を感じ、俺は身を捩った。
これは、逃げなきゃダメなやつだ! 大人しく捕まっているわけにはいかない。将来自由を手に入れたければ、ラディリアスには捕まってはいけない。
「フィア! ……なぜ逃げるの……っ」
ラディリアスはそう言うが、いやいや、逃げるだろ? 普通。
好きな相手ならまだしも、相手は男なんだぞ? 何をされるか分からないこの状況で、抗わないのがおかしい……!
俺は、本気で逃げようと頑張った。
今更もう、侯爵令嬢だからはしたない……などと考えている余裕なんてない。男の身としては、信じられない状況だが、貞操の危機なのだ。どんな事をしてでも、逃げてやる……!
地が出まくっていたが、もうそんなの、どうだっていい。だってコイツとはもう婚約者じゃない。《会いたくない》と言って、屋敷に籠るのも、今なら許される。
「離して……、離してください……っ」
俺は力の限り、抗った!
……しかし、後で冷静になった頃に思い返してみたんだけど、この時の俺って、やっちゃいけない事をしてたんだよね……?
後から考えて、俺は深く反省した。
だってそうだろ……?
相手が必死になればなるほど、自分だって本気を出す。
負けてなるものかと、余計に力が入るものだ。だから競走なんかすると、普段よりも力が出たりする……。
俺とラディリアスの今の状況は、正にそれだ。
俺が必死に抗うと、ラディリアスも逃がしてなるものかと、ヤケになる。
ラディリアスがヤケになると、俺だって本気を出す。
その状況は既に《相乗効果》……と言ってもいいくらいの勢いで、ヤケになったラディリアスは、本気で俺を囲みに来た。
……言うなれば俺は、ラディリアスの《理性のタガ》を外してしまったかも知れない。
そりゃそうだよね。自分より小さな……しかも女の子。ラディリアスだって普段は手加減してたはずなんだ。それなのに、俺ときたら……。
ラディリアスは背が高い。……いや、正確に言うと、俺よりかは背が高い。
どちらかと言うと女性的で、線の細いラディリアスは、驚くほど背が高いわけじゃない。だけど、身長百六十センチに満たない俺とは、断然その違いは明らかだ。
その上、普段女として過ごしている俺とは違って、騎士の資格を持っているラディリアスは、日常的にフィデルクラスの騎士と訓練を行っている。
要は鍛え抜かれていて、力も強い。
だからどう考えてみても、俺に勝てる見込みがあるはずもなく、……俺は呆気なく、ラディリアスに抱き込まれてしまった。
「フィア……フィア……っ」
ガッチリと関節を抑え込まれ、俺は逃げ場を失う。
「……っ、ラ、ラディリアスさま……!」
悲痛な声で叫ぶが、ラディリアスが離してくれる気配は、微塵もない。
ラディリアスの俺の名を呼ぶ声は、怒ってはいなくて、むしろ喜んでいるようなその声色に、逆に俺の恐怖は募る。
半泣きになりながら、はぁはぁ……と荒い息を繰り返す俺をなだめようとしているのか、腰に回したラディリアスの手が、俺を優しく撫でた。
うわあぁぁあぁぁ……やめろ! やめてくれぇ……っ。
よりにもよって、今日はコルセットをしていない。
無防備な腰を撫で回されて、俺は思わずラディリアスにしがみついた。
「フィア……!」
何を勘違いしたのか、ラディリアスは明らかに喜びの声を上げて、俺の頭に頬擦りする。
違っ、そうじゃない!
そーじゃなあぁぁあぁぁいぃぃっっ!!
どうしたらこの牢獄から逃げ出せるか、必死に考えていると、ラディリアスの静かな声が、俺の頭上から降ってきた。
「ん? フィア……? 今日はコルセット……していないの?」
「! ……」
その一言で、完全に逆らえなくなった。
俺は黙って、ラディリアスの胸に収まることにした……。
……いやだって、恥ずかしいだろ? 普通言うか?
俺がそのまま男として育っていたら、そりゃ何とも思わないよ?
だけど《侯爵令嬢》として、物心ついた時から教育を受けた身で、仮にも皇太子にコルセットつけてない腰を撫で回されるとか、有り得ないだろ? 普通は。
これが本物の侯爵令嬢なら『もうお嫁に行けない』くらいになっても、不思議じゃない。
それをコイツは口に出した。
もしかしたら、それは計算づくだったかも知れない。
……いやいや……と言うか、腰に触れる時点でアウトだろ?
それはもう、皇太子としては有るまじき行為と発言だと思うぞ? 俺はっ。
黙り込んだのをいい事に、ラディリアスはくすりと笑うと、再び腰を撫でる。
ひぃっ。
セ、セクハラだ! パワハラだぁ!!
うわあぁぁん。フィデルぅ……助けてぇ……。
……っ、クソ! 大人しくなったからって、いい気になりやがって……!
けれどそんなに都合よくフィデルが来るわけもなく、ラディリアスは更に言葉を続ける。
「フィア……女性にしては、結構筋肉質? 何かしてるの?」
その言葉に、俺の肩が跳ねる。
やばい。
これは下手をしたら、全てがバレる。
そう、思った。
× × × つづく× × ×