女装
《女装》
…………。
俺の場合は女装じゃない……。
と言いたいところだけれど、やっぱり女装だよね、これって。
うん。そりゃ、分かってるよ?
趣味で女装する奴とか、俺みたいに仕方なし生活のために女装する奴とか、はたまた小さい頃のラディリアスみたいに、おまじない的要素をもつ女装とか、面白半分とか理由は色々あるんだけれど、どれもこれも《女装》に過ぎない。
実のところ、この女装って、貴族社会の中ではあまり珍しいものでもない。
過度のストレスで、女装する人や、男性より女性の方が着飾る為に、富の象徴として女装する人、もちろん趣味でする人なんかいろいろいて、その数はけして少なくはない。
けれどその人たちは、単に『逃げ』と『演技』。それから『見せる』事が重要なんであって、本当に擬態のためにするわけじゃない。だから、しっかり見れば、すぐバレてしまう。
どことなく違和感が出るからだ。
けれど俺の場合は違う。
物心ついた時から、心の奥底から自分すら騙して、女になって生きてきた。
今更バレるわけがない……いやバレてはならない。
ほんの少しの心の動揺で、いつなんどき《素の俺》が垣間見えるか分からない。
そしてそれは、たとえ一瞬の出来事だったとしても、相手に違和感を与えてしまった時点で終わりなんだ。
そうなれば俺は男だとバレて、ゾフィアルノ侯爵家は終わる……。
だから、何としてもバレる訳にはいかない。
しっかり気を引き締め直さないと……!
幸い、魔力量に関して言えば、この国で僕たち兄弟の右に出るものはいない。
……多分。
だから、簡単にはボロは出さない。
「……!」
俺はラディリアスから目をそらし、大きく息をつきながら落ち着くようにと、自分に言い聞かせ、心を立て直す。
大丈夫だ。俺の変装は完璧なはず。バレるわけはない。
そう言い聞かせ、自信を取り戻す。
けれど体は素直だ。
バクバクと、はち切れそうに心臓が鳴る。
あぁ……、耳の裏に心臓があるみたいにうるさい。
こんなにも動揺していて、はたして落ち着けるのだろうか?
微かな不安感と、自分に対する不信感が再び芽生える。
落ち着け。
落ち着け……。
わたくしは侯爵令嬢。
……わたくしは侯爵令嬢……。
何度も何度も繰り返してきた、この、呪文のような言葉。
いつになったら、この呪いの言葉とおさらば出来るのでしょう?
……早く、……早く自由になりたい……。
泣きそうになりながら、諦めにも似た深呼吸を繰り返し、わたくしは周りを見回す。
するとそこに、先程のキラキラと光る、金の粒子が見えたのです。
その粒子はわたくしを支えるだけでなく、徐々に上へと立ち上り、優しくわたくしを包み込む。
ほんのりと暖かいそれに、わたくしは心を奪われる。
まるで、慰められているような、そんな気がしたのです……。
わたくしはそっと、その金の魔法に触れる。
「なんて、……なんて綺麗……なの……」
思わず口をついて、言葉が出てしまう。
昨日、ラディリアスさまの誕生日を祝う夜会の席で見た、あの金の魔法。
お兄さまが『知ってても良かったんだけどね……』と、苦笑いをした、ラディリアスさまの魔法。
イチョウの木の根っこに引っかかって、コケそうになったわたくしは、この金色の粒子の魔法……ラディリアスさまの放った魔法に守られた。
金の粒子は儚く繊細で、その存在を主張しているわけではないのに、わたくしを支えるその力はしっかりとしていて、まるで柔らかいソファに包まれているような、そんな安心感がある。
あぁ、こんな魔法もあるのか……。
俺は感心して、体を支えてくれているその魔法を、そっと撫でる。
「ふふ。……ありがとう。フィアに褒められるとは、光栄だな」
「!」
ラディリアスさまの声に、肩が跳ねる。
ドキリとした。
また、素の自分が出てた──。
俺は慌てて再び心を立て直す。
とんだ失態だ。
本当に今のは無意識だった……。
ゴクリと唾を飲み込む俺の動揺を知ってか知らずか、ラディリアスは当たり前のように膝を折って座り、目線を合わせ俺の手を取った。
心なしか、うっとりとしたその表情に、思わず息を呑む。
「……ふぐ……っ」
変な声が出た。
男前過ぎる……。
前世にもいたけどな。いやらしいほどに男前なやつ。
女に媚びるような、嫌な感じの……。
でも……ラディリアスのそれは、別物だった。
いやらしさなど微塵もない。
あえて言うならあれだ。
レストランのウエイターが注文を取りに来て、膝をつく感じ。
安っぽいとか、そんな意味じゃない。
それは決められた所作であって、下心なんて微塵もない……と言う意味だ。むしろ俺は、女に媚びる方が安っぽいと思っている。
ラディリアスもウエイター同様、幼い頃から……もしくはマニュアル通りに躾られた《所作》を、当たり前のようにしているだけなんだろう……。
それが驚くほど様になっていて、動揺が隠せない。
そう、俺も……俺も《当たり前の所作》……侯爵令嬢にならなければならないっ。
侯爵令嬢……侯爵令嬢……。
……って、出来るかあぁぁあぁぁーーー!!!
動揺に動揺を重ねた俺は、既に限界だった。
思わずバッとその手を払い除け、顔を背けた。
「……」
うわぁ……やば。
落ち着け俺……落ち着け、落ち着け……。
額に手を当て、横を向き、ひたすら呪いの呪文を唱える。
わたくしは侯爵令嬢。わたくしは公爵令嬢。わたくしは侯爵令嬢……。
どうにか落ち着きを取り戻したわたくしは、咄嗟にとってしまったわたくしのその行動に、青くなる。
あ、……。
わたくし今、ラディリアスさまを跳ね除けました、わよね……?
そう自覚した時にはもう遅い。ラディリアスさまの気配が、少し怒りを帯びたように感じたのです。
う……、怖い……。
顔を上げられない……。
けれど、ずっとそっぽを向いているわけにも参りません。そちらの方が、とても失礼であると思ったの。
冷や汗をかきながら、わたくしは微笑みを顔に貼りつける。
突然の事に、動揺が隠せない。
ラディリアスさまとは、幼い頃から気心が知れた仲。
そんな仲なのもいけないのでしょう……つい地が出てしまうのです。
長年培ってきたこの女装テク。
……現代日本で言う男の娘? いえいえ、そんな生易しいものではありません。
人の人生……そう、それはわたくしだけでなく、多くの人の人生がこの女装には掛かっているのです。
それ故、死に物狂いで体得したこの姿。
今更、見破られるわけには参りません。
「……」
他の誰の前でも、動揺せずに貫き通せますのに、こと相手がラディリアスさまとなると、たまに難しくなる。
いったい全体、これはどういうことなのでしょう……?
でも、……今回は仕方ありませんわ。
状況が状況でしたもの。
わたくしは震えるように、目を伏せる。
伏せながら、溜め息をついた。
「……」
だって、本当に素晴らしいのです。
ラディリアスさまの魔法が……。
思わず我を忘れて、見入ってしまいました。
魔法とは、そのほとんどが攻撃に使われる。
もちろん、手の届かない場所の物を取ったり置いたり……それに何かを作り上げる時の補助をしたり、といろいろと役に立つものでもあります。
けれどそんな攻撃的な使い方しか知らなかったわたくしにとって、今ラディリアスさまが行使されたその魔法は、未知なるものだったのです。
前世のゲームや二次元世界において、回復魔法や防御魔法などありましたが、この異世界において、その魔法はとても稀有な存在で、実際に目にする機会などありません。
魔力は本来なら反発しあうモノ。
回復魔法や防御魔法は、その定義に反している。
要は馴染みやすい魔力の持ち主……という事になるのかしら……?
そのような存在をわたくしは聞いた事もありませんし、もちろん見た事もありませんでした。
……いえ、本来なら魔物討伐や他国への侵略など、わたくしが本来の姿……《男》として生活していたのならば、見る機会も多少はあったのかも知れませんが、侯爵令嬢として過ごすわたくしは、外には出られない身。
女である前に、隠れて過ごさなければならないこの状況下では、どのような種類の魔法があるかなど、知る由もないのです……。
攻撃的な力強い魔法ばかり見てきたわたくしにとって、ラディリアスさまの人を守る魔法は、とても新鮮に映る。
人を守れる魔法を素晴らしい思う反面、ひどく羨ましくもあり、そして、少し……悲しくもあるのです。
幼い頃から共に過ごしたというのに、そんな事も知らなかったなんて……。
お兄さまが呆れていたのが、頷けました。
本当にわたくしは、何も知らないのですね。
……自由にならないこの身が、本当に恨めしい……。
× × × つづく× × ×