竜胆の花と、りんごの木。
今日は思いのほか天気がよくて、お茶会をするにはちょうどいい。
テーブルに少し飾ろうと思って摘んでいるのは、庭に咲いた竜胆の花。川岸にたくさん咲いていたのを見つけたのです。
花言葉は《あなたの悲しみに寄り添う》? ふふ。今のわたくし達にピッタリかも知れません。
庭には林檎の木がいくつもあって、たわわに実っておりました。
それをいくつかもぎ取ってカゴへと入れると、りんごの甘い香りが立ち上る。
そのまま食べるのも美味しいけれど、アップルパイを作るのもいいし、林檎ジャムもいい。焼きリンゴ……という手もあるし、サラダに忍ばせて爽やかな酸味を楽しむのも良さそう。
わたくしは、何に林檎を使おうかしらと頭を捻りながら、家路を急ぐ。
もうすぐクッキーが焼ける頃合いかも知れない。
この世界のオーブンは、いわゆる窯で焼き上げる。
最初に薪で火を入れて、炭を掻き出す。
そして、その余熱で食べ物を焼き上げるのですが、前世のオーブンと違って、勝手に電源が落ちるわけでもチーンと鳴るわけでもない。引き上げ時を間違えると、すぐに焦げてしまうのです。
あまり長く入れておくと焼きすぎてしまうこともあるから、出来るだけ早く帰って、焼き上がりの様子を見ないといけないのです……!
いつもは一緒に、お菓子作りを手伝ってくれるメリサが、今日はいない。昨日の後始末のために、本家へと呼ばれているのですから。ですから、全ての段取りをわたくし一人でする必要がありました。
「なにもメリサが、奔走する必要はないのに……」
そう呟いてしまう。
確かにそうは思うけれど、ああ見えてメリサは他家へと顔が効く。
それ故、伝令的なお仕事も時としてしなければなりません。メリサは、色々と秘密を抱えるわたくし達には、なくてはならない存在なのです。
……迷惑ばかり掛けているわたくしとしては、本当に頭の上がらない存在なのです。
藤の蔓で編んだカゴに、林檎と竜胆の花を忍ばせて、わたくしは慌てて立ち上がる。クッキーの出来栄えが、とても気になったのです。
帰る途中、屋敷の近くに生えている大きなイチョウの木には、小さな銀杏の実が見えました。
「ふふ。まるで金色の鈴みたい……」
これぞ、鈴なり……とかバカみたいに考えながら、わたくしは一人微笑む。
熟れて黄色くなったそれはすごく臭いのだけれども、わたくしはその種子が大好きなの! 落ち葉をかき集めて焚き火をして、その中に銀杏の種子を放り込む。
しばらくするとそれは弾けて、透き通るような緑色が顔を覗かせる。
「ふふ」
まだイチョウの木は、その葉すら紅葉していない。だからその種子を食べれるのはまだまだ先なのだけれど、その日が待ち遠しくて、わたくしは思わず微笑んでしまう。
一度などは《臭いから切ってしまおう!》と言われたお父さまでしたけれど、わたくしが止めてくれと泣いて頼むものですから、この一本だけを残してくれました。
大きなこのイチョウの木は、その一本だけでも十分な種子を落としてくれますから、わたくしはとても満足なのです。
そしてその木のある角を曲がれば、屋敷はもう目の前!
すでにクッキーの焼ける、良い匂いがしています。その匂いを嗅いで、わたくしは少し焦る。
けれど匂いからして、まだ焦げてはいないみたい。わたくしはホッと胸を撫で下ろしました。
お菓子の焼ける、ほんのりと甘いその香りは、前世の記憶を蘇らせ、わたくしは少し悲しくなる。
わたくしが死んでしまったあの時作ったのは、シフォンケーキだったけれど、焼き加減がとても気になって、こうやって急いで帰っていたんだっけ……。そう思うといたたまれなくなってしまうのです。
もう少し、落ち着いて過ごしていればよかった。焦る必要などどこにもない。時間はたっぷりあったのだから……。
「……?」
角を曲がったところでわたくしは、ふと顔をあげた。不意に辺りが暗くなったように思ったから。
……途端、息が止まるかと思うほど驚く。
「!」
持っていたカゴを、思わず取り落とした。
……やっぱり、お菓子を焼いている時に出かけてはダメだ。心臓に悪い……。
せっかく摘んだ花と林檎が、ゴトゴトと散らばっていく。
「あ、……。ど、うして……?」
わたくしは真っ青になって、ただそれだけをどうにか呟く。
「えっと……あの、フィア? 昨日はごめん。今日はその……少し、話がしたくて……」
目の前の人物は遠慮がちに、そう呟いた。
わたくしは目を見張る。
だって目の前に、あのラディリアスさまが、……いるはずのないラディリアスさまがいたのですから……。
× × × つづく× × ×