フィリシアの秘密
帰りの馬車の中で、わたくしはぼんやりと外を眺める。
窓から見える王城は、とても煌びやかで、夜だと言うのに光り輝いていた。
クリーム色の王城には、兵士たちが交代で見守る櫓が四方にいくつもあって、白を基調としたその櫓は王城と共に美しく輝いている。
それらは城を取り囲み、常に外敵から城を厳重に守っているのです。
櫓ごとに松明は炊かれ、王城を幻想的に浮かび上がらせていました。
今日はラディリアスさまのお誕生日なのですもの。いつもより煌びやかに、王城を照らしているのに違いありませんわ……。
わたくしはそう思いながら、くすりと笑う。
ラディリアスさまは、わたくし達よりも四つ年上の十九歳。……いえ、お誕生日が来たのですもの。もう、二十歳におなりになられる。
この歳になって、ここまで盛大に誕生を祝うなど、この世界の貴族くらいのものでしょうね。
そんな事を思いながら、再びぼんやりと外を見る。
王城の光は時間を追うごとに、遠のいていく。
わたくし……いや、俺は目を閉じた。
俺には、前世の記憶がある。
前世の自分は、女じゃなかった。男だ。
いや、……前世のみならず、今世でも俺は女じゃない。男だ。
……………………。
……あぁ、いやもう、……ホントごめん……。
俺の事を本気で《侯爵令嬢》……とか思って期待……(なんの期待かは知らないけども……)してたのなら、ホントごめん!
でもさ、俺も好きでこんな事やってるわけじゃないんだ。趣味でも、遊びでもなく、ましてや男が嫌だから……という理由でもない。もちろん、男が恋愛対象として好き……だというわけでもない。
こう言ってはなんだけど、俺は男の方よりも女の方が好きだ。
……ただ、今は恋愛には興味がない。
興味がないのが幸いして、俺は男なのに女の格好をしている事を、あまり不便だとは思っていない。
……恋愛関係においてはね。
ラディリアス皇太子との関係も、今夜無事に婚約解消が成立したわけだし、後はこの貴族社会から抜け出して、一般市民の、ただの男として生きていけばいい。
……まぁ、今はこの状況を甘んじて受けるしかないんだけれども、多少のイライラを我慢しさえすれば、やっていけないこともない。
これはこれで仕方がないことだから……。
うーん……なんて言うのかな……ゾフィアルノ家に生まれた宿命?
……と言うのは少し大袈裟かも知れないけれど、色々な要因が重なって、気づけばこの境遇に陥ってしまっていたんだよね……。
物心ついた時には、自分は《女》だと思っていたから、抗う術すらなくて、途中前世の記憶が蘇った後もおかしいとは思ってはいても、正直性別なんて気にしていなかった。
俺にとって性別なんて、男だろうが女だろうがどうでもいい事だったんだ。
まぁ、あれだ。
現代日本社会における常識──性差が完全になくなりつつある社会──がほどほど身についてて、その常識が異世界では通用しないって事に気づいてなかったってやつ。
正直、男だろうが女だろうが、そう変わらないと思ってた。
前世の記憶が戻ったのって俺、三歳の頃だったし。分かるわけないだろ? そんなの。前世とか現世とか、男だとか女だとか……。
だから適当に《うんうん》と了承しちゃったのが、そもそもの間違いだったんだよね。……今ならそう、言えるんだけど……。
だけど両親に《女の子になって生活してくれ》と泣きつかれた当時の俺は、まだほんの小さな子どもで、『前世の記憶があるから賢かったはずだ!』……なんてことはなく、年齢相応の三歳の頭脳で『うん! いいよ!』的に軽く、ホイホイと了承してしまった。
当時唯一覚えていたのは、前世でなりたかった将来の夢。
その夢が叶うのなら、男であろうが女であろうがどっちでもいいやって思っていたものだから、《女でいることの見返りに、どんな夢でも叶えてやる!》と貴族社会の頂点にいる両親から言われれば、二つ返事で了承したのも頷ける。
……いやそもそも、うちの両親も三歳児相手に、なんて大人気ない……。
……まぁ、そんなモノに釣られた俺も俺なんどけど、その願いを叶えることが出来れば、このがんじがらめの貴族社会からも、自然抜け出せるってことでもあったから、特に気にも止めてなかった。
全ての自由が詰まった、魅力あるその提案に、俺は逆らえなかった。むしろ、今でもその夢に酔っていると言っていい。
ただ、この中世期じみた異世界の貴族社会は、思っていた以上に過酷で、この将来の夢は《夢に酔う》と言うよりも、むしろ《唯一の逃げ場》となりつつあるって事は、この際置いておこう……。
そんなわけで、とにかく今は、俺が男だという事がバレる訳にはいかない。
帝国にも、俺は《女》として届け出ている。そう届け出たからには、バレれば一家のみならず、侯爵家の使用人や関係する貴族たちにも迷惑が掛かる。
真面目な話、今俺のいる世界では、現皇派と皇弟派の二つに派閥が分かれている。
情勢はひどく不安定で、貴族社会の上辺を預かるゾフィアルノ侯爵家の汚点……(俺は実は男だった)がバレれば、下手をすると、内戦になりかねない。
これって、ホント……冗談抜きに……。
だって、政敵相手からすれば、格好のエサになるわけだから……。
……要はさ。
関係ないと思われる人間の、命と生活が掛かってるんだよ。この俺の肩に……。ホント冗談じゃないよ。
どれだけこの俺が気合い入れて、女に化けてるか分かる?
見た目や仕草、口調だけじゃなくて、ものの考え方や考えてる時の言葉遣いにも気をつけた。
そこまでしないと、ボロが出る。
ボロが出たら、その時俺たちの命はない。下手すればこの国は終わる……。
「……っ、」
ゾクッと背筋に悪寒が走る。
気づかれないように自分を抱きしめ震えたつもりだったが、勘のいいフィデルが俺を見た。
「フィア……?」
心配気なその顔は、先程皇帝と対峙した時と打って変わって、ひどく幼い。……元々フィデルは気が弱い。むしろ俺よりも、フィデルの方が無理しているのかも知れない。
「……ううん。なんでもない」
言って窓の外を見る。
俺が女じゃなく、その振りをしているだけだということが、ゾフィアルノ家以外の者にバレてはいけない。
その事は、フィデルも十分に理解していて、常に協力してくれている。
特に皇弟派の一族には絶対に知られてはダメだ……!
もちろん、幼なじみであるラディリアスにも……。ヤツは皇族だから、知られれば面倒なことになる。
だから急に婚約を命じられた時には、家族総出で血の気が引いた。
どんなにうちが由緒正しい侯爵家であったとしても、男の身であるこの俺が、皇太子の妃にはなれない。
バレれば不敬罪……もしくは替え玉を置いた……と思われるかも知れない。まぁ、……いずれにせよ、首と胴がサヨナラしてしまう可能性が高くなる。
俺一人じゃなくて、一家総出で。
「……はぁ」
俺は溜め息をつく。
本当なら、こんなまどろっこしいことなんてしなくて良かったんだ。
俺は俺で、屋敷の中で一人籠って、過ごすことになろうとも、全く平気だったし、相続争いに参加するつもりもなかった。
いっそ下男として、そのまま屋敷に閉じ込めてくれてたら良かったのに……。
いやいっそ、知らない人の命までも背負う羽目になる位なら、どこぞの町に捨ててくれても良かった……そんな風にも思う。
(そもそも俺、男なんだよ……)
俺は頭を抱える。
初めの頃は違和感などなかった。
けれどだんだん成長するに従って、貴族社会での女性の位置が凄く微妙な事に気づく。女性はほとんど自由がきかない。
《か弱いから守らねば》……なんて、男の体のいい言い訳に過ぎなくて、《守る》ってのも、度が越せば余裕で《束縛》となった。
前世での記憶がなまじあるものだから、その事実が、今の状況を受け入れがたくもしていた。
何も知らなければ、違和感なんてなかったのかも知れない。
けれど前世で、《男》として生きた記憶がある俺は、女の姿をして生きていくことに妙なところで嫌悪感を抱く。
でもこれは自分だけの問題じゃないんだ。バラせば、何が起こるか分からない……! そんな重圧が、俺の肩に重くのしかかる。
あぁ、早く自由になりたい。
好き勝手なことの出来る、この異世界の貴族という位置づけは美味しいが、それはあくまで《自由な貴族》であった場合のみだ。
自分を偽って生きなければならない……となると話は別だった。
ましてや、現代日本のように、性差がなくなりつつある現代社会とは違う。社会的地位の重圧がある上に、皇族の婚約者として縛られるのなど、本当にごめんこうむりたい。
「前世は、良かったなぁ……」
思わずポツリと呟いた。
「ん? フィリシア? どうかした?」
フィデルが尋ねる。
「ううん。なんでもない……」
言って目を閉じる。
目を閉じれば夢の中。
夢の中では時々、前世の夢を見た。
夢の中での俺はパティシエで、ケーキを作っている。
……実際、パティシエにはなれなかった。なる前に俺は死んでしまったから。
けれど夢の中でくらい、好きなことに夢中になっても良いだろう? だから自宅へ戻る馬車の中で、俺は大好きなお菓子を作る。
なんでパティシエになりたかったんだっけ?
そうそう、そうだ。
大好きな母さんが、俺がケーキを食べると嬉しそうな顔をしてくれたからだ。だから俺も、何かを作ってあげたくなった。
それをそのまま言ってしまうと、ただのマザコンだけどな。だけど、その顔に喜んだ俺は、まだちっちゃな子どもで、その後作ったのは、ただのパンケーキで、中はすごくぐちゃぐちゃだったのに、母さんは『美味しい』って食べてくれたんだ。
そのことがすごくすごく嬉しくて、そんなみんなを嬉しくさせるような、そんなお菓子をたくさん作りたいな……と思ったのが、パティシエを目指すきっかけだ。
……結局、なれなかったけれど。
結局、悲しませてしまったんだろうな。母さんも。父さんも。それから、姉ちゃんも。
……俺は、死んでしまったから。
ごめん。……ごめんなさい……。
俺は少し涙ぐみながら、眠りにつく。
ポロリと涙が溢れた。
それを誰かが、そっと掬ってくれる。
それはとても暖かで、母さんの手みたいだなって、俺は思った……。
× × × つづく× × ×