叱責
「……っ、」
風をまとった私は、風のように走る……ことは出来ない。このケガはけして軽いものではないし、第一今は、フィリシアさまがいる。
体調が思わしくないフィリシアさまを安全に運ぶには、できる限り揺すらない方がいいに決まっている。
慎重に運ぶとなると、その分速度は落ちた。
「……っ、」
私はもどかしくて、歯ぎしりする。
あぁ、忌々しいあの赤毛の女!
あの女が余計なことをしなければ、今頃楽に逃げれていたのに……!
思い出すだけで、イライラが募る。
何をどうやったのか、血のように真っ赤な髪を持ったその女は、私の体を使って私の爪を剥いだ。
しかも綺麗に!
やったのは私だけど、操ったのは、あの女だ。
足の小指の、爪の欠片すら残っていない。
あの時の恐怖と言ったら──!
「……っ」
思い出すだけで身震いする。
けれど負けられない……! 私の手には、フィアさまの命が掛かっている。手足の爪がなんだと言うの? フィアさまの命を考えれば、そんな拷問ただの忌々しい足枷ぐらいにしか思えない。
この手足が存分に使えたら──!
……確かに、あの状況はこたえた。
フィリシアさまの事がなくて、自分一人だったら耐えれなかった。
自分の手が自分の意志と反して、自分を傷つける。
足掻きもできないあの恐怖。
……けれどお陰で、頭も冷えた。
あれも、拷問のひとつだったと考えると、ここまで私を追い詰めたあの女も、賞賛に値する。
あの女がゾフィアルノ侯爵家の一員と思えば心強くもあった。けれど釈然としない。するわけがない。
──自分の手を汚さず、相手を操る力。
他人に拷問を受けるより、自身を傷つけるその行為が、更なる恐怖を塗り重ねた。
自分の体は、相手の思いのままなのだと言うその諦めと恐怖が、今も頭の中にこびり付いて離れない。
逃げようと必死になっている今も、もしかしたら敵の手の内で、走るその先に、あの女がいるかも知れない。そんな恐怖がつきまとう。
忘れようにも忘れられない、あの赤い髪と瞳。
けれど私は、あの女を知っている。
どうしてそう思うのか……。
「……」
私は唇を噛んで考える。
そう。……どこかで……どこかで聞いた。
私が受けた、あの拷問と同じような状況の話を、私は以前何処かで聞いたことがある。
あれはいつだったかしら?
血のように赤い髪と、瞳を持った者。
「……あ」
私は微かな記憶を辿って、軽く言葉を発した。
……そう、そうだわ。あれは十年ほど前になるかしら? 確かある伯爵家の者たちが惨殺された。
殺され方が異常だったから、その話はよく覚えている。まだあの頃私は、フィデルさまの乳母もしていて、フィシリアさまもフィデルさまもまだ幼くあられて、私は用心しなくては……と思ったの。
幼い二人を守るために。
確かあれは、
──全ての者たちが自らを拷問し、《自殺》した。
「……」
ゾクッと背筋が凍る。
思わず肩を抱いた。
そう。確かあの子は、ゾフィアルノ侯爵家で引き取った。
しばらくの間、フィリシアさまやフィデルさまと共に、過ごした事だってある。
私は本当なら嫌だった。
大切な子どもたちを傷つけられたら、正気でいる自信はなかったし、とにかく薄気味悪い子だった。
舐め回すように、当時フィアさまを見ていたあの目を思い出して、再びゾッとする。なぜ、すぐに思い出せなかったんだろう?
フィリシアさまの持ち物を大量に保管していたその子は、当然、フィリシアさまたちの遊び相手から外された。そこで私はホッとして、記憶から抹消したのかも知れない。
確かに不愉快な状況だった。
私は、あの子がフィリシアさまとフィデルさまの遊び相手となったその時から、旦那さまへ不審に思っているこの気持ちを、逐一申し上げていた。
その度に侯爵さまは苦笑いをなさっていたけれど、実際フィリシアさまに手を出されたのを知って、烈火のごとくお怒りになられていましたから、結局追い出したものとばかり思っていました。
まだ、このゾフィアルノ侯爵家にいたとは……。
「……」
私は唇を噛む。
よく考えてみれば、追い出すなんて事、出来るわけないのに……。
あの子の使った魔力の質や、惨殺の方法は公表されなかった。だから知るものは少ない。
何故なら、その引き取り手が、このゾフィアルノ侯爵家だから。
彼女は、いずれ諜報部として働く可能性を秘めていたのだろう。
そんな彼女の素性を露わにすることは、引いてはゾフィアルノ侯爵家の手の内を明かすようなものだから……。だから詳しい素性や状況は、公表されなかった。
そう、そうだ。そうだった。
絶対に忘れてはいけない存在。
その魔力の高さから、『侯爵家でしか面倒を見切れないのだ。我慢してくれ』と、侯爵さまはあんなに仰っていたではないの……。
「……」
私は目を伏せる。
赤い目と髪を持つ少女が、その魔力を暴発させ、家人全てを襲った。
少女と関わる全ての者たちの自由を奪われ、武器を手に持たせられ自傷し、最後にその命を自ら絶つように命令を下された。
伯爵家令嬢としての持てる力全てを使って。
名前は確か……。
「リ、ゼ……」
「!」
私はハッとする。
思わず足を止めた。
「フィ、フィアさま? ……フィアさま!?」
私はフィリシアさまを覗き込む。
フィリシアさまは少し苦しげに呻いて、私を見た後、いたずらっぽく笑った。
「こら。……メリサ。俺は今、《六月》……だろ?」
薄く笑いながら、フィアさま……いえ、《六月》さまが唸る。
「も、申しわけございません。六月さま。不覚ながら、心を……奪われておりました。もう、大丈夫でございます」
「ここ、ろ……?」
私は頷く。けれど今は、詳しく話をしている場合ではない。
敵が分かったのだから、一刻も早く、ここを立ち去った方がいい。
「六月さま。今、私たちはフィデルさまより逃げている途中なのでございます。余計な会話は命取りになりかねません!」
言って再びフィリシアさまを抱えあげた。
フィリシアさまの肩が跳ねる。
「待っ、メリサ! やめろ……!」
フィリシアさまはそう言って、抗って暴れた。
私は怪訝な表情を思わず浮かべる。
フィリシアさまだって、分かっているはずだ、今はひたすら逃げなくてはならないということを……!
「フィ、フィアさま!? 暴れると抱けません……!」
「いや、……いや下ろせよ!! 何のために剣を作ったと思ってるんだ? お前だけで逃げるためだろ……!?」
言ってフィアさまは手を突っぱねる。
思わず取り落としそうになって、私は焦る。
「な、何を言って……っ」
そこで私は理解する。
何故、フィリシアさまがこの剣を作ったのか。
もしかして、私を……私だけを逃がすため……?
「早く逃げろ……っ、フィデルが来れば、今度は絶対に許して貰えない」
呻くように言って、フィリシアさまは先を続ける。
「いいかメリサ。相手がフィデルなら、躊躇なんてするな……っ、殺すつもりで全力で斬れ……っ!」
ガハッと再び血を吐く。
「フィ、フィリシアさま……っ!」
「早く……っ」
苦しげにそれだけを伝え、フィリシアさまは再び意識を手放される。
「……フィリシアさまっ!」
私は歯噛みした。
有り得ない。
そんな事、絶対に有り得ない!!
どんな状況下であっても、フィリシアさまを置いてなど行けるわけがないのに!
それなのにこの仕打ち!?
悔しくて涙が出た。
あの女。……そう、今フィリシアさまが呟いたあの女……リゼの拷問よりも、遥かにひどい拷問をフィリシアさまから受けた気がした。
「……っ、」
私は歯ぎしりする。絶対にお助けせねば……!
そう心に誓った。




