ヨーチ
私は、緑がいっぱいの草原を歩いていた。見渡す限り草っぱらだ。所々に見える黒い点々は、牛だろうか、それとも馬だろうか。もしかすると私の知らない動物かもしれない。
卵色の空の下、こちらに向かって走ってくる人達がいた。遠くに見える大都市に(そのシルエットはニューヨークだった)たどり着かないといけないのだが、私があまりにも遅いので迎えに来たのだ。
私は少し手を振ると、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。視界が未だ豆粒のような大きさでこちらに走ってくる二人組にズームインした。揺られているように上下にぶれる視界の中、拡大を続ける私の目は二人の顔を捉えた。ロクロとアルモンドだった。
ドット絵で表現された二人の顔を見ていると、彼らは私に向けて笑いかけてきた。 あんなに遠くにいるのに、どうしてこちらが見えるのだろう?と訝しむと、彼らの声をすぐ近くに感じた。(私の夢は音声を伴わない。通常音で伝わる内容は、彼ら(もしくはそれら。夢の中では無機物どころか場所や空気、時間さえ感情を持ち合わせている)の思念を通じて伝わる)
驚いて双眼鏡を手から離すと、彼ら二人は私の横を歩いていた。馬に揺られながら、遅かったじゃない、と話しかけると、彼らはごめんごめんと笑いながら謝った。
馬に乗っている私は、自然とロクロ達を見下ろす事になる。貼り付けられたドット絵の顔と、三次元の現実の頭との境目がよく見えた。彼らが揺れるたび、そこから緑色の爪楊枝が次々とこぼれ落ちていた。
じっと見つめると、それは松の葉だった。私は松の葉を拾い上げ、しゃがみこんだロクロの頭に詰めて戻してあげることにした。
顔と頭の境界に松の葉を押し詰める。ドット絵の顔の裏に触ってみると、それは堅い木でできていた。塗装されていない所は茶色く、荒削りのためあちこちの繊維がはね返っていた。これなら松の葉が溢れても無理はない。
木で作られた仮面を見ていると、私は突然夢特有の焦燥感に襲われる。何者かに狙われているような。
顔を上げ、まわりを見渡しても人影は見えない。薄緑色の空は草原と同化して、地平線がどこにあるのかも怪しいくらい。そよそよとほんのり暖かい風が吹いて、一面に生えている背の低い雑草が揺れている。
まさか、と思ってロクロの顔を覗くとそこにドット絵は無く、おそらく自然由来の絵の具で毒々しく彩色された仮面があった。目と口だけが真っ黒な丸で表現されている。
シャーマンだ‼︎
私はすぐさま跳びのき、杖を構える。
ひょっとすると戦闘になるかもしれない。ううん、もう始まってる。私は杖をぎゅっと握りしめ……
ぴくりと動いた左手に布の感触。
リアルな感覚だった。
やばい、良いとこなのに目が覚めてしまう。私は覚醒していることを脳に意識させずに体を脱力させ、夢を安定させる。こっちはもう15年間夢で遊んでるのだ、プロドリーマーならではの特技である。
さてと……目の前にはシャーマン。この世界の元ネタ?のゲームの敵モブだ。出現範囲がかなり広く、北方を除いた全ての森で系列キャラが出てきた思い出がある。耐久、攻撃性能は共に高め。広い射程から≪コメット≫を撃ってくるので結構うっとうしい。
私は?といえば、まず着ているのは間違いなく着物。紫色に、橙と赤で鞠の模様。ただし下半身はスカート状。今風ってやつ?着物を着るキャラ……ミカちゃんだ。手に持っている杖にも記憶がある。
ミカちゃんはカテゴリ的にはシャーマンと同じで、職業魔法使い。味方魔法使い4種の中では1番使いやすくて、何しても強いからロクロと並ぶウィキ評価星5つを保持している。
特に私が好きなのは加護を左下に集めた耐久型だ。
薄紫色の空の下、草原で向かい合うシャーマンと私。草原はもう、大都市のシルエットに囲まれてだだっ広いとは言えなくなってしまったけれど、あまり訂正するわけにはいかない。夢の管理が私の意識に移った瞬間、この夢はただの妄想になってしまう。
いつ振りかの夢の戦い。燃えてきた。
シャーマンに向け、杖を構えて、まず最初に≪魂寄せ≫を発動。そして次に≪霊撃≫。
私の杖が示す方に、不気味な音と共にどくろのエフェクトが飛んでいく。ひとまず成功したみたい。
でも、シャーマンには雨の魄の加護がある。私の≪霊撃≫を、体をねじって難なく躱し……そこにもう一撃。≪魂寄せ≫のおかげで、今の私は二回攻撃だ。
確かシャーマン(一般)の体力は52。あと3回当てれば倒せるってとこかな?
私は防御の構えを取りながら考える。ここからは≪霊撃≫と≪ドレイン≫を併用してひたすら耐久。シャーマンの≪コメット≫は、霜の魄の加護があればそこそこ避けられるのであんまり気にしない。
(魔法使い同士の削り合いってさ、だいたい泥仕合になるよね)
攻撃に使用できる魄が少ないからね。基本≪コメット≫と≪霊撃≫の殴り合いになっちゃうし。どっちも似たような加護だから、お互い躱しやすいし。
(エネミーの仕様上加護が使用不能にならないシャーマンが有利か、装備スキルので回避率を上げてる私が有利かって感じ?)
そりゃ私でしょ、一対一で雑魚に勝てないようならゲームバランスおかしいって。
シャーマンは、大きな仮面の奥から不気味な笑い声を響かせて、杖を高く差し上げる。ゲームのモーションと大して変わってなくても、視点が違うだけで全然違う動きに見える。
≪コメット≫。上空から、バスケットボールほどの大きさの何か、色とりどりの発光体が降り注ぐ。
(毎回思うんだけどさ、これって一体何を降らせてるんだろ?)
エフェクトを見る限り、明らかに隕石とか、そういう石系統ではないんだよね。
(ま、私が覚えてないことを夢の中で再現できる訳もないか)
…………はい馬鹿!
一瞬、一瞬だけ目が開いて、目の前に薄暗い部屋が映る。小さな暖色系の照明が、私の視界を暗いオレンジ色でいっぱいにする。
慌てて閉じて、なんとか夢の世界に帰還。
(あちゃー、『夢』って言葉に反応しちゃったか)
ううん、多分限界を示したからだと思う。
(シャーマンはどう?まだ動きそう?)
見ると、そこにはシャーマンも何もなくて、草原はいつのまにか暗闇に飲まれていた。私の眼球は熱でも持ったようにがんがん痛んでいる。
(こりゃ駄目だね。次はもうちょっと遊びたいけど、いつになることやら)
それより目が痛い。これさ、寝すぎの時のやつだよね?
(私そんな寝てたっけ?)
分かんない。とにかく、起きるしか、ない……よ。うん。
(えー?最近起きるって行為が苦痛になって来てるんだけど)
じゃあお父さんに頼むか何かして、永眠させてもらえば?
(殺すな殺すな)
一応あと数年は楽園が続くっていうのが私の見立てなのだ。もうちょい限界まで楽しみたい。
(でも、起きるのが憂鬱だっていうのは本当でしょ?)
うん。
(最近あいつがいるものね)
ただ……さすがにもう眠れそうにないし。
起床。
意識が覚めても、身体への命令が上手くいかなかったり。手足が動かなかったり、目が開かなかったり。
そういうアクシデントに見舞われると二度寝に陥るのが私の常なので、今日もそれを期待してたんだけど、
「あ、姫さま。おはようございます。よく寝てましたね」
「お、姫さまが起きたか。おはよーございます」
私の体は、私の意識よりも活動を欲していたらしい。すんなり起き上がれてしまった。
ばしゃばしゃばしゃー。
朝起きて(ひょっとすると朝じゃないけど)、お風呂に入って、私は完全に覚醒した。いつものクッションに座りこみ、朝食(暫定)のヨーチを食べる。
色付きの砂糖がべったり塗られた、動物の形のビスケット。前世でも小さい頃から大好きだった。
(普段はあんまり硬いものは食べないんだけど、ヨーチがあるなら話は別だよね)
アイシングしたやつとは違って、分厚くべったりってとこが重要だよね。砂糖も硬いし、ビスケットも硬い。でもまあ、甘いし、小麦だし、よし!
ちなみに、他のふた皿はチョコマシュマロとプリンアラモード。
あれほど安易にチョコを混ぜるなと言ったのに。
料理人さんは、これがご飯だということをもう少し認識した方がいいと思う。
(それでも鈴カステラとかドーナツが好きなんでしょ?)
そりゃそうだよ、主食なんだから。
(……そう)
チョコマシュマロとは明確な差異がある。
懐かしのヨーチはとっても美味しくて、脳に砂糖が行き渡ったところで、今日の本題。
昨日(もしかすると一昨日かもしれない)寝る前に、やらないといけない事を1つ見つけたのだ。
ロクロの年齢確認である。
この部屋にいる限り、私の元に外界の情報はほとんど入ってこない。それは私が望んだ事だし別にいいんだけど、せめていつ反乱が起きるのかくらいは知っておきたい。
反乱軍に加盟した時点で、ゲーム内のロクロの年齢は22歳。私と何歳差かーって、ゲームつけるたびに考えてた。
……あーほんと主人公ちゃんが恨めしい。
私もそっち転生したかった‼︎
イベント全部回収して、前衛でバーサーカーして、みんなにちやほやされたかった‼︎
三次元で動くゲームキャラの皆様と、温泉行ったりバーベキューしたり、楽しくお話ししたかった‼︎
あと……あと、ちやほやされたかった‼︎
わー、主人公サマ強いですー。さすが王家と聖女のハイブリッドー。人格者ー。
って褒められたかった‼︎
そうだよ、私だって主人公ちゃんに転生してればもうちょい頑張ったよ。意識がどうとかそういう小難しいやつを全部すっ飛ばして、イベントどころかイベントの先まで体験したかったというのに……!
はぁ。
内心のぐるぐるに任せてヨーチ食べ終わって、クッションの上で一息。
しばらくは眠れないしね。
(頑張れば眠れるでしょ?)
うん。頑張れば。
(頑張らなくても?)
多分、布団で熱したらこてんって眠れるんじゃない?
オーバーヒート睡眠法ってほんとに便利。
と、一人でごろごろしてると。片付けを終えたメイドさんが話しかけてきた。
「姫さま、なにか嫌な事でもありましたか?お顔が優れないようですが」
こやつ私の内面を透視してきやがった。
(まあ、それができるから何年も私のメイドさんやれてんだけど)
最低限目線でベットに輸送するくらいはしてもらわないと困るからね。
さて、どーしよ。機嫌が悪い原因なら、私の視界外のどっかの壁に寄っかかってつっ立ってんだろうけど。
さっき夢見てからずっと気になってたし、先にプチ疑問を解決しよっか。
「ねえ、空の色って何色?」