ねじり揚げパン
私の生活は基本的に快適だ。
ご飯は美味しいし、そんなにたくさんの人と会うわけでもない。やるべき事もない。外に出る用事もぜんぜんない。家事もしなくていい。
(4連続で否定が出るあたり、私の人格の底が見えてると思う)
うるさい。
何が言いたいのかというと、別に文句はないのだ。寧ろ、
(愚かで性根がねじ曲がったクズみたいな人格の私をここまで大切にしてくれて、ありがとうございます)
そこまでは言ってないやい。
(あれだよね、自分でもびっくりしてるもんね)
それは確かではある。いつまでたっても私が見放される事はなく、注がれる愛情は日ごとに増えていくように感じる。毎日が驚きの連続だ。
彼らは私に対して、ほんの少しの努力も要求しないのだ。
だから、今みたいな事態は起こりうるものであって、現に週一であるのだけれど。
(慣れないねー)
焼きあがったばかりのぶどうパンに、白砂糖をこれでもかとまぶしたねじり揚げパン。給食を思い出しそうな夕食の向かい側に、私のこの世で最も苦手とする人物が座っていた。
「本当に可愛いな、私の天使は。どうだ、美味しいか?最近評判の店だと言うんでな、一緒に食べたくて、呼びつけてみたんだ。甘いものが好きなのだろう?いっぱい食べなさい」
真っ黒な髪の毛は、少し捻れながら肩まで伸びている。立派な髭を顎に生やして、意志の強そうな青い瞳はまっすぐこちらを向いている。引き締まった、獣を連想させるはずの口元はだらしなく緩み、4人の子どもを持つ父だというのにまだまだ肌には若さが感じられる。
肌触りの良さそうな、分厚い緑の衣。それに頭にかぶった王冠が示す通り、今世での私のお父さんである国王陛下だった。
一気にまくしたてられ、何を言われたのか理解できなかった私は、とりあえずにっこり笑ってみる。
(ナマの言葉聞くと、いつものメイドさんがゆっくり喋ってくれてるのが分かるよね)
ほんとにね。
笑顔の維持だけが上達していく。
「そうか、美味しいか。良かった良かった。やっぱり私の天使と食べる夕飯は美味しいな。お父さんは幸せだ」
(この人私が食べ始める前に美味しいとかなんとか言い始めてない?病気?)
いつものことじゃん。
私は笑みをキープしたままパンに手を伸ばす。
ふむ、ぶどうパンは思ったより固め。あとレーズンが異常に大きい。一体どんなぶどう使ってんだろ?一粒一粒がみかん大のぶどうが木にぶら下がっているイメージが頭の中に飛来して、ちょっと笑いそうになる。
絶対自重で落ちちゃうよね。
なんかマナーがあったはずだけど、いつものごとく思い出すのを放棄してかぶりつく。パンは温かいうちに食べるのがおいしいのだ。
いつもはもっと菓子パンしてるやつしか食べないから、かなり新鮮に感じる。
私が一心不乱にぶどうパンにかじりついていると、机の向こう側からお父さんが手を伸ばしてきた。私の頭を撫でようというのだ。
私の部屋にある白い机は小さく、大柄なお父さんはなんの苦もなく反対側に座る私の頭に手をとどかせることができる。彼は私の頭を撫でながら、優しい声で話しかけてくる。
「お前は私の可愛い娘だ、困らせるやつがいたらすぐお父さんに言うんだぞ。そんなやつお父さんがやっつけてやるからな」
ほら来た。
私は目を伏せ、返事もせずパンを食べる。もちもちしていて、とてもおいしい。たまにはいいかもしれない。
顔を上げなくとも、お父さんがこちらをじっと見つめているのが分かる。考えを読み取ろうとでも思ったのか、頭に置かれた手に力が入る。
私はパンを食べ続ける。次はねじり揚げパンだ。
(あれ?ツイストパンって言わなかったっけ?)
いや、あれは揚げられてないやつだから……多分。
(じゃあ揚げパンは?)
あのほら、きな粉だのココアパウダーだのがかかってたやつ。よくじゃんけんになってたじゃん。
(ひょっとして私、ねじった揚げパンを食べたことがなかったりするかな)
気づいてしまったか。でもねじりドーナツなら食べた事あるし、セーフ判定で。
しばらく無言の食事が続く。
私がねじり揚げパンを半分ほど食べた頃、ようやくお父さんは私の頭から手を離した。辺りにほっとした空気が流れる。
私も肩の力を抜いて、ねじり揚げパンをゆっくり味わう。とりあえず今週は助かったのだ。
お父さんは少しつまらなそうに、ふんと鼻をならして言った。
「いいな、お前は私の大事な天使だ。本当に小さなことでも、お前が関われば私にとっては一大事なのだから。何かあったら絶対に私を呼びなさい。みんな処刑してあげよう」
その言葉を聞いて、壁際に控えていた人達がびくりと震える。いつものことだから慣れればいいのに。
(いやいや無理があるって。さっきのタイミングで私がそっち向いたら、あの人ら死刑だったんだよ?)
まあね?
実はその事に気付いたのは割と最近だったりする。なかなか話さない私の意思をわずかな仕草からでも読み取ろうとするお父さんは、頭の上に手を置いている間の私の一挙一動を愛娘からの無言のメッセージとして解釈するのだ。
道理で私の周りの人の入れ替わりが激しいわけ。全く、酷いお父さんだ。どうも極端に過保護な気がする。
(まあその過保護に関しては私が悪いんだけどね)
……反論はしないでおく。それに関しては否定できない。
(だってねー、始めて生まれた女の子でしょ?その子が何にも喋らないんだよ?言葉を全然覚えないし、活発に動く様子もない。そりゃ心配になるってもんじゃん)
いや、でも!普通赤ん坊の頃の意識がそのまま残るとは思わないでしょ⁉︎
(そうなんだよね。私、小さい子が不思議な事するのはこれが原因か!って納得してたもんね)
大きくなる頃には私の意識は薄れていくものだと思ってたのだ。周りを期待させすぎてもこの体本来の持ち主に可哀想だから……って食っちゃねしてたらこのザマである。未だに異世界語は怪しいところがあって、ゆっくりでないと聞き取れない。
(多分!異検4級は取れる、はず!)
中学生英語レベルか……。
(ま、しょうがないよね。私英語嫌いだったし)
ぐるぐる考えてたら、いつの間にか揚げパンはお腹の中。いっつも少なめなのに、よく二つも入ったと思う。満腹。
とりあえずお父さんの顔を見てにこにこ笑っていると(改めて考えると馬鹿みたいだよね)、メイドさんがプリンを運んできてくれる。いつもより緊張しているように見えるのは気のせいではなかろう。確か前任者はここでミスって処刑だったはず。文字通り命がけの任務である。
私は逸る気持ちを抑えようともせず、スプーンで大きくすくって口に運ぶ。最後に食べたのは何週間前だっけ?異世界の料理にしては前世と近い味で、割とお気に入りなのだ。
食べながら、壁際の人達にごめんねと心の中で謝る。
こんなわけの分からん国王一家が好き勝手するのも、あと数年の事だから。今だけ許してください。
透明なグラスに入って、さくらんぼまでついたプリンは、とってもとっても甘かった。