マシュマロ
虹。
(虹?)
そう、虹。虹ってさ、虫偏じゃん?
(そーなの?知らん)
私はね、空に浮かぶ虹、あれは残像だと思うの。でっかくて、グロテスクで、眼球がいくつもあって、表皮が泡立ってて、皮膚のあらゆる隙間から触肢が
うごめいてるような、そのくせ色だけはレインボーに綺麗な、そんなミラクル生物の残像。
(……それほんとに虫?)
きっと。自分の姿があんまりにも醜いから、彼は残像しか見せてくれないのだ。
「……くふふっ」
あ、しまった。
私の笑い声に反応したメイドさんがこちらを向いた。彼女は私の部屋を掃除しているところだ。黒いショートの髪がふわりと揺れる。
だだっ広い部屋の中は薄暗く、窓は閉じられていた。薄ぼんやりとしたオレンジの灯りが、天井に一つ付いているだけだ。
「どうかなさいましたか、姫さま」
なんでもないと首を振って、ベッドに潜りこむ。お気に入りの毛布の、優しいパステルカラーが視界を包み込んでくれる。ピンク、卵色、水色にすみれ色。マーブル模様の毛布は、いつ見ても私に虹を連想させる。
私は毛布から顔が出ないように注意しながら、ゆっくりと全身を伸ばす。肌が毛布に擦れる感覚が心地いい。
(お昼ってあと何分後だっけ?)
知るわけないじゃん、どうせ起こしてくれるんだし、寝てよ?
(同意)
目を瞑り、私はそのまま意識を手放していく。今日のお昼はマシュマロか、それともドーナツか。
……楽しみが止まらない。
「姫さま、姫さま。お昼の時間です。起きて下さい」
「うー…………はい、らい」
頭がぐわんぐわんする。さすがに毛布3枚は暑すぎたのか、喉がからから。無理な体勢で寝ていたせいで少し足が痺れている。
返事をしたきり動かない私を見て、ため息をつくと、メイドさんは私を抱え上げた。
急な上下運動に、こめかみの脈動が加速する。起きたばかりでまだ起動しきっていない目がちかちかして、頭蓋の天井あたりがつられているようにずきずき痛む。
目眩と頭痛でうまく考えられない。私は大した抵抗もせずそのまま運ばれ、大きな丸いクッションの上にのせられた。メイドさんに恨みがましい視線を送るけれど、いつもの事だからか彼女が気にする様子はない。
私ももう10歳にはなってたと思うし、持ち上げるのは大変だと思うんだけど、メイドさんは全く疲れた素振りを見せない。昼食を台車から下ろし、クッションの前の机に置いていく。
(そりゃだって、私を運べるっていうのが世話係の最低条件だものね)
筋肉質なおじさんとかだと怯えるし、わがままが全部通った結果だから文句は無いけど。
(お陰でこの人ずっと私の担当だよね。もう何年だっけ?4年?)
まだ2年も経ってないと思う……けど……
分からん。
どちらにせよ、多少の揺れは我慢。髭面のおっさんを追い払うのと引き換えに、利便性は犠牲になったのだ。
諦めてクッションに座り直す。白く塗られ、角を丸く削ってある、安心仕様の机の上にはピンク色の薄い皿が置かれていた。皿の上には何種類かのマシュマロ。少し大きめ……と思うのは、私が小さい体に慣れてないだけのいつものこと。
(っていうか、メイドさん目の前にいるんだから聞けば済む話じゃないの、これ)
それはそうだけどー。
(そうだけど?)
面倒。
(……納得)
まだ破壊的脈拍を続ける頭をなんとか持ち上げ、皿に手を伸ばしていくつかのマシュマロを掴む。いつ掴んでも、マシュマロには夢がある。白くて、ふわふわして、しかも軽いのだ。この軽いっていうのが重要で、なんだか食用って感じがしないところが良い。実際何でできてるんだろね?これ。
(確かでんぷんじゃなかったっけ?)
でんぷんってなんだっけ?
(…………。何でできてるんだろね?これ)
ふしぎふしぎー。(ふしぎー)
マシュマロ改めふしぎ食品を掴んだ手をそのまま口元に持っていき、さあ食べるぞと口を開けて、
「姫さま。いただきます、は?」
メイドさんに注意される。
「……ぃただきます」
(あいかわらずちっさい声だよね)
分かってるなら発声練習でもすればいいじゃん。
(馬鹿、また発狂したと思われたらどーすんの)
それもそっか、じゃ現状維持で。
(こんな事ばっかし考えてるから進歩が無い……)
分かっちゃいるけどしょうがない。
今度こそマシュマロを口に放り込む。なんの味なのかはさっぱり分からないけど、やっぱり甘い。中に何も入ってないのも、私的に高得点。きゅむ、きゅむと音が聞こえてきそう。この間一本乳歯が抜けたばかりだけど、特に不便は感じない。一度噛むと溶け出すのだ。
うまー。
食べ始めたら、もう止まらない。なんだって手は二つあるのだ、つまり両手でマシュマロをつかめるのだ。少し粉っぽい、あの独特の質感を両手に感じて、私はそれだけで幸せ気分。
いつかマシュマロ風呂とかやってみたいなー。
まだ飲み込めていない口に無理やり次弾を詰め込み、さらなるマシュマロを掴もうと皿に手を伸ばした時、私は気がついた。
(これさ、光の加減とかじゃなくて、多分ほんのり色ついてるよね)
ふむ、言われてみれば。黄色と桃色と、あと緑?
(うん。まあ味の違いは全く分からないけどね)
じゃあどうでもいっか。
ほんとにどうでもいい。薄暗い部屋の中、見た目にはあんまり注意が向かないのだ。とりあえず食べて美味しいからよし!
(作りがいなさすぎでしょ。料理人が泣いて……あ?お菓子作る人って料理人でいいんだっけ?ほら、あの、シェフじゃなくて)
パテシエ?
(そう、それ!そいつが泣いてるよ)
そんなさっき思い出したばっかの人が泣いてるとか言われても困るし。
(じゃあ?)
どうでもいっか。
私の食べるのが早いのか、それとも私の胃袋が小さいのか、どちらかは分からないけれど食事の時間はすぐに終わった。空っぽになった皿をメイドさんが回収して、台車を押して部屋から出て行く。私は部屋に一人残された。
部屋を見回しても、嫌になるほどいつも通り。いくつかのクッション、棚に飾られたぬいぐるみ、幼児向けの絵本。机と同じく、白い棚の上に飾られたぬいぐるみはどれも生きているかのようで、寄り添い合って座ってたり、壁を支えに背をぴんとのばしていたりとショーウィンドウに入ってるみたいなクオリティ。
(何が恐ろしいって、このぬいぐるみが置かれたって感じじゃないとこだよね。完全に飾られてる)
そうでもなきゃちょっとくらい触ってみたいんだけどね。
あー、だめだ。動くのが面倒になってきた。ごちそうさまでした、のタイミングで立ち上がれなかったのが痛い。
満腹になると、次は眠気がやってくる。瞼が重くなってきて、頭がゆらゆらし始める。ええい、こうなったら自分から意識を手放してしまえ。
(確かにそれなら睡魔に屈したとは言わないだろうけど……まぁしょうがない)
眠いものは眠いのだ。
クッションからだらしなくずり落ちて、両手と頭を乗せてばんざいの格好になる。こうするとよく眠れるのだ。床までふかふかの絨毯が合って、大変都合がいい。
おやすみー。
次に起こされるのは、多分夕ご飯の時。私は転生して、夢にまでみた食っちゃ寝生活を満喫していた。