第0話『遠い世界の最前線にて』
本作品はMMORPGと呼ばれるジャンルのゲームを舞台としています。それに関する用語が度々出ますがMMORPGをプレイしたことがない人でも理解できるようには書いているつもりです。ご都合主義な展開も見られるとは思いますが温かい目で本作品を見守っていただければ幸いです。
――砂塵渓谷。推奨レベル855。
画面右上に現在いるエリアの名前とその推奨レベルが黄色の文字で表示される。自分のレベルより5高いことを表すその文字色を見てマウスを握る力が強まる。
「今日で三度目の挑戦だ。今度こそ勝とうっ!」
カタカタとキーボードを叩き、タンッ、とエンターキーを押して送信する。左下のメッセージ欄に表示される。そのメッセージ欄の上には『ギルド:4IIIW』と書かれている。
「おう!」「もちろんだ!」「やってやろうぜ!」とすぐにメッセージが返ってくる。
サービス開始から六年経った今でも人気のMMORPG『/AlterOnline』。スラアル、スラルなどとよく略されている。
砂を巻き込んで吹き荒れる風、砂に足を取られながらも必死に歩く、そして先頭を歩く自分について来てくれる何十人という仲間たち。これがゲームであり体験しているのは全てプレイヤーである自分が作った黒髪のキャラクター、オルトだ。そうだとわかっていてもマウスで、キーボードで自分が操作しているキャラクターが見ている景色を、オルトが体験している景色を、まるで自分も一緒に体験しているかのように感じてしまうのだ。
想像で補完するMMORPG。送られてくるチャットも文字だけのはずだが目を閉じれば自ずとその人の声で再生される。
このエリアに入って三分、砂を被ったサソリが渓谷を塞ぐほどの巨体で行く手を阻む。画面中央上にその名前が表示される。砂被りの番人。レベルは860。それらの情報の右に『BOSS』と書かれている。このサソリは普段生息しているモンスターとは違うボスモンスターであることを示している。推奨レベルに達した者が何十人というパーティーを組んでようやく勝てる相手だ。しかし、自分も含めこの場にいる誰もがその推奨レベルに達していない。
足りないレベルは連携と技量で補う。敵の予備動作から次の攻撃を予測、その全パターンを記憶し、行動する。それがサービス開始から六年間、最前線ギルドの一つに留まり続けた『4IIIW』の心得だ。
「部隊の指揮は任せたよ、レイツェル」
「もちろんです、オルト様」
彼女はうちのサブギルドマスターだ。ギルドマスターである自分の補佐、戦闘では部隊指揮と支援の役割を担っている。今は顔が見えないが、きっとこの大部隊の最後列で準備をしているのだろう。だから安心して戦うことができる。
「支援職は各自、味方全体に強化魔法の詠唱を開始! 壁役は全ての強化効果がかかったことを確認したらローランを筆頭に攻撃の準備を!」
レイツェルが指示を出し、支援職が詠唱を開始する。
「今まで二度もこのサソリにやられてきましたからな……。今度こそ痛い目を見せてやりましょうぞ、ギルマス!」
太陽に照らされて輝く金属の兜と鎧を着こんだ大柄の男、ローラン。こちらはかなりの重装備で文字通り顔が見えない。
ローランは俺の横に立ち、拳を突き出す。俺は笑って頷き、同じように拳を突き出して応える。籠手と籠手がぶつかり合ってガシャンと大きな音が鳴る。
後方部隊から受ける強化効果の効果時間は使用者のレベルにもよるが大体九分から十分だ。ボスモンスター級の戦闘にもなれば戦闘時間がニ十分を越えることもある。よって、戦闘中に強化効果をかけ直す回数を少しでも減らすため最前列にいる壁役、主にローランがサソリの注意を引いて攻撃を受ける。他の壁役は万が一ローランが敵の攻撃を引きつけられなかった、もしくはローランが攻撃に耐えきれず倒れてしまった場合に備えて同じように注意を引きつける。そして、俺を含む残りのメンバーで攻撃し、敵を倒すという基本的な作戦だ。
左上に表示されている自身のプレイヤー名、レベル、HP、MPなどの情報。さらにその下に自身にかけられた強化効果を表すマークがいくつも表示されている。
「攻撃力増加、防御力増加、魔法防御力増加……よし、全てかかったな。では、参るっ! うおおおおっ! 『騎士の矜持』っ!」
指示通りローランが盾と剣を構えて突進する。その後、天高く剣を掲げてモンスターの注意を引きつける。騎士道スキルの『騎士の矜持』だ。それを合図に攻撃役は各々攻撃を始める。
俺もモンスターの攻撃に巻き込まれないよう背後に回り込み、紅い甲殻を叩き割る勢いで剣を振りかざした。
「――ふう、ついにやりましたなっ!」
額の汗を拭い、ローランが空に向かって拳を突き出す。
十七分の戦いの末、ようやくあのサソリを倒すことができた。皆、歓喜の声をあげている。
「よし、じゃあ次のエリアも見てみようか」
「おう」「よっしゃ」と渓谷を進む。未だ見たことのない大地。次のエリアはどうなっているのだろうか。期待を胸に坂を上る。
「これは……」
渓谷を越えた先にある高台から辺りを見下ろす。そこに広がっていたのは砂漠。目を凝らして見れば右奥に火山のようなものが見えるがその距離は遠い。永遠の観測場、推奨レベル――875。あまりのレベル差だが他のプレイヤーに先んじて新エリアに足を踏み入れているのだ。このようなことは日常茶飯事。ふう、と息をついてキーボードに手を置く。
「今日はここまでにしよう。次の新エリア攻略はみんなのレベルが850になったらね。じゃあ、解散!」
パーティーのメッセージ欄にパーティーを抜けましたという表示が何行も表示される。
俺はこの広大な景色を眺めながら右下のメニューをクリックし、その中からランキングを開く。
戦闘技能ランキング。金色の1という文字の右にレベル850、オルトと表示されている。ホイールを動かせばその下に何人もの名前とレベルが表示されている。
このゲームはサービス開始と同時に始めた。MMORPGは好きでこのゲームのβテストにももちろん参加した。新しい景色が見たい、この世界で自分だけの物語を紡ぎたい。最初は何の役職も持たないギルドの一員だったが、人に恵まれ、気が付けば最前線ギルドのギルドマスターになっていた。
「また、例のランキングですか、オルト様」
「あ、ああ、よくわかったねレイツェル」
何十人といたパーティーメンバーは今や自分とレイツェルの二人だけになっていた。ベージュ色のロングヘア―、髪色よりやや明るい澄んだ瞳に自分の姿が映る。
人が開いているメニューは見えないはずだが彼女には俺が何をしているかはお見通しのようだ。例のランキングというのは自分の名前が一位に載っている戦闘技能ランキングではない。
「生活技能ランキングに入っているということは『アイン・マイスターズ』の一人なのでしょうか」
「俺もあのギルドのメンバー全員を覚えているわけではないからわからないな。結成当時から二年半が経っているようだし彼らに憧れて生活技能レベルを上げ始めたっていう可能性もある」
今から二年半前に結成されたギルド『アイン・マイスターズ』。全十五ある生活技能それぞれのスペシャリストが集まった十五人のギルドだ。最近始めた初心者や初期に始めてすぐ辞めたプレイヤーを除いてこのゲームをやっていてそのギルドを知らない者はいない。
「まあ、どうであれランキングから現在地が見えない以上、この広い世界で会うことなんてまずできませんよ」
「……ああ、わかってる。けど、この人と俺は似ている気がするんだ」
「似ている、ですか。戦闘に関する一位であるあなたとその全く真逆の生活に関する一位であるその方が似ているとは私にはとても思えませんが」
「いや、きっとこの人は……」
ただこの広い世界を見たい。俺と同じ目的を持ってこのゲームを楽しんでいるんだ。それを見る手段が戦闘と非戦闘であるかの違いだけ。
ずっとランキングを見て固まるオルトを見てレイツェルはため息をつく。
「はあ……私には見えない何かがあなたには見えているんでしょうね。では、私はこれで失礼します。オルト様はこれからどうなさるおつもりですか?」
ランキングを閉じ、火山がある方向とは逆の方向を見る。
「そうだね……。もう三つがレベルマックスになったし遅れている残り一つのレベル上げも兼ねて最初の街から西に行ってみようと思う」
「あの街から西……ということは幻獣ユニコーンが狙いですか。確かあの幻獣は体力以外のステータスは低いですが、異常な回復能力を持っていたと聞きます。もし、討伐に行かれるのなら私も行きましょうか?」
「いや、大丈夫。討伐する気はないさ。ただ、幻獣をこの目で見てみたいだけだからね」
生活技能ランキング一位のレベルは999。戦闘技能と生活技能は全く別物であるためもしかすると自分とレベルの上がりやすさは違うのかもしれない。だが、今だ誰も到達したことのないレベルカンストに最も近いプレイヤーだ。真逆の世界で輝くそのプレイヤーの名前を呟き、ランキングを閉じる。
「ノア……か」
暖かな風で草花が揺れる。明るい赤の日差しが色とりどりの花を、ずっと続く青い海を照らす。一匹の大きな鳥が遥か彼方の空を舞い、その下に映る黒い影が家を飲みこんでいるようだ。
風鳴きの丘、推奨レベル30。右上に白い文字で表示される。赤い屋根、木で作られた家。それは屋敷と呼べるほど大きく、柵で囲まれた庭には鳥、豚、牛などの動物が日の光を浴びてのびのびと暮らしている。家のドアが開かれる。そこから出てきたのは太陽に照らされて輝く鮮やかな銀の髪に左右で色の違う青と赤の眼をした少年だった。頭には髪色と同じ猫のような銀色の耳が、腰からは細い尻尾が生えている。
「――よし、冒険を始めようかっ!」
左上に表示される名前、レベルなどのプレイヤー情報。そこには白の文字でこう表示されていた。
――ノア、レベル35。