俺は悪役である
俺は悪役である。
魔王の命令で、人の住む世界を訪れ、戦いを仕掛けて、帰る。
部下はいない。そもそも、魔族に指揮系統など存在しない。
強いほうだろう。今まで、何百回と戦ってきた。勇者に挑まれたことだってある。まだ、未熟な彼は死んでしまった。俺が殺した。
今、戦場にいる。戦場になっているのは、人間の街だった。
周囲に広がるのは、地獄絵図。家々は燃え盛り、人々は恐怖に咽び泣き、蹲り、逃走し、喰われている。
魔族の中にも、色々いる。俺自身に喰人趣味はない。嗜虐趣味もないから、ただ、殺す。それだけだった。
茫洋とした瞳で、街を見る。俺の周りにあるのは、死体であった。屍山血河の傍らに佇んでいた。
俺の隣にあった家の扉が開く。
出て来なければ、助かったかもしれないのに。
事実としてそんな感想を抱いた。別に、情があったわけじゃない。
「あの……」
震える声で、女性が声を掛けてくる。俺の容姿は、人間とそこまで変わらない。それでも、俺の殺しの様子は見ていたはずだ。
女性は、美しい部類だった。俺の元を離れれば、他の魔族に犯されるのではないだろうか。そして、喰われる。いつものことだ。俺に向かってくるなら、殺すだけだ。
「あの……」
その女性は、俺の間合いに入って来なかった。今までの様子で察したのだろうか。その上で、対話を求めている。生存の可能性ではなく、確実なほうを選んだのか。
どういった考えをしたのか。確かに、ただ、隠れているだけでは、俺がここを離れれば、他の魔族がやってきて喰われただろう。そう思ったから、取り敢えず、俺の側にいようとしているのか。
身に纏うのは、ボロ切れ同然の衣服だ。彼女は、裕福ではないだろう。国に保護されるのだろうか。今、襲っているこの街の国は確か、階級差別の激しい国だ。野垂れ死ぬ可能性の方が高い。
「あの……」
俺は再三の呼びかけにようやく、瞳の焦点を合わせた。
彼女は、意を決するように、唾を飲む。
「子供だけでも、助けてください」
震える手で、差し出されたのは、今まで、女性がかき抱いていた赤子だ。穏やかに眠っている。
俺は今まで、抜身だった剣を鞘に戻した。
彼女は怯えたように、ビクッと反応した。それだけだった。後は、俺次第。
「こっちに来い」
声を発した。平坦な、何の感慨もないような声だ。
彼女は、恐る恐る俺に近づく。三歩ほどの距離。そこが限界らしい。
「……」
目を合わせる。彼女は逸らさない。周囲の魔族はこちらに来ない。俺が今回の生き残りで一番強いのだから、この女から俺の興味が外れるまで襲ったりしないだろう。魔族とて、命が惜しい。上位者を不愉快にしようとはしない。
「……扱いは、戦利品だ」
「はい……」
それだけだった。
帰還の魔法陣を浮かべ、発動する。
……。
「あら、お帰り。そちらは?」
「戦利品だ」
「そう、いらっしゃい。じゃあ、まずはお風呂に入らないとね?ほらこっちよ」
「え?あの、え?」
「ほらほら、早く。大丈夫よ、あなたみたいに拾われるのは、ウチにはいっぱいいるわ」
「はぁ」
そんな様子で、奥に連れて行かれる女性。連れて行ったのも人間だ。彼女も、俺の間合いを把握して、助けを求めた存在だった。
「あー、お父さんだ!」「ホントだ!」「お帰りー」「お帰りー」「お帰りー」
「……ただいま」
俺の子ではない。が、まぁ、拾ってきてしまったため、呼称は仕方のないことだった。
「師匠ー!また、拾って来たって聞きましたよー」
そう言って、無断で家に上がってくる少年。
「うおっ!?」
斬りかかったのだが、躱されてしまった。
「鍛錬は怠っていないようだな」
「いや、今のは、そんな生優しい確認で!は!ほっ!」
「ふむ、それで、何しにきた?」
「別にー、暇になったので、来てみただけてすよー」
「では、帰れ」
「ひどいっすねー、師匠が人間たちの間でなんて呼ばれているか知ってますかー」
こいつは確か、諜報の真似事をしているんだったな。魔族はあまり、情報を重視しないので、あまり意味がないのだが。
「なんだ?」
「殺戮の天使ですよ、おかしいですねぇ。あんた、魔族なんですよー」
「殺戮とついてるんだから、問題ないだろ」
「天使は、どういう意味でしょうねぇ」
何が言いたいんだか。
俺は悪役だ。たくさん殺した。勇者も殺した。俺は、あくまで魔族の勢力の一員だ。
……。
その者は、殺戮者だった。
一太刀が、百を殺した。
二太刀が、千を殺した。
三太刀が、万を殺した。
その者は、天使だった。
美しき容貌。鍛えられた美丈夫。
その顔は、無表情。その声は、無感動。
間合いに入れば、剣を振るう。
間合いの外から、声を掛ければ、応えてくれる。
その者が救ったのは、たった数人。されど、人々は希望を抱く。
運が良ければ、天使が救ってくれるだろう。
運が悪ければ、殺戮者が一思いに殺してくれるだろう。
この世界に、神がなくとも、天使はいるよ。
そう言って、弱った心を慰める。
それは、救世の勇者の現れるその時まで、ずっと噂されたことだった。