46 戯れる男
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参道から少し外れた死角から先を見る。気配を消すというよりは存在を周囲の景色に同化させるようにして潜む。皐月は桃花を支援する為の位置に着いた。
その場所で皐月は、懐から取り出した人型の白い紙に呪を込め息を吹きかける。
息に吹かれ宙に舞ったその紙は木の葉が空を舞うようにして木々の間を漂い、現場のすぐ脇の木の枝に貼り付いた。視覚と聴覚のみを与えられた式神は、これから皐月の目となり耳となって戦況を見つめ状況をつぶさに伝える。
上手くいった。敵には気取られていない。
皐月の放った式がそこに集う桃花の家族らを見る。状況は到着前に大岩の下で見ていた時とさして変わりがなかった。
気絶している者が三名、加茂家、猿楽家、白雉家の家督が三名、朱鬼である加茂玄眞と一般人の男。
玄眞は既に鬼の本性を現している。皐月は憎々しく笑う朱鬼に目を向けた。再びザラリとした感触が肌を舐める。気を押さえる朱鬼を見ても皐月の頬は強張る。過度の気負いを感じていた。
白い息を小さく吐いて緊迫する場面を注視する。朱鬼の前で桃花の家族らの命は風前の灯のように弱々しい。
皐月は息を潜めた。この時、見ている光景の中に解せない事象が一つ混ざりこんでいることに気が付いた。
――なんだあの男? そういえばあの男……岩井何某とかいったか……確か、警察官だとかなんとか……。
皐月は稽古場での出来事と桃花達の会話を思い出した。
皐月は疑問を抱く。ごく普通の人間が本性を見せた朱鬼の面前で正気を保ち話をしているのはどういうわけか。
岩井の職業が日頃鍛錬を課せられているものだったとしても、それは人の営みの中においての話だ。化け物相手に、ましてや朱鬼を眼前にして通じる道理は無い。
仮に武術に長ずる者であったとしても、一般人が稀にでも日々の生活の中で人外の者に通用する力を身に付けることなど決して無い。
だがあの男はそれを成している。力を持たぬ者ならば朱鬼の目を見ただけで鬼気にあてられて気を失うはず。あのように朱鬼の目の前で正気を保つことなどあり得ない。あの男は一体何者なのか。どう見ても一般人なのだが……。
訝りながら皐月は状況を眺める。
その内に状況に変化が見られた。岩井は意を決するようにして朱鬼に向けて銃を構え発砲する。皐月は項垂れた。そのような鉛玉如きの攻撃が神格の鬼に届くはずもない。当然、その攻撃は易々と朱鬼に防がれた。
突如として岩井の動きが固まった。気丈に振る舞っていた岩井であったが、どうやら朱鬼に縛られたようである。焦りに顔を歪める岩井を見て朱鬼が愉快に笑っていた。
朱鬼は、何を企むのか。皐月は息を呑んで見守った。
身体の自由を奪われた岩井が再び銃を構えた。目に浮かべる強い意志と小刻みに震える動きから、岩井が朱鬼の呪縛をなんとか打破しようとして抗っていることが分かった。
岩井が手にする拳銃が火を噴く。銃声が三つ鳴り響くと、加茂康則、猿楽十和子、白雉恵子の三人が倒れた。
岩井は震えていた。歯を食いしばる岩井のその目に慙愧の念が浮かんでいるのが見えた。
どうやら、朱鬼は岩井を使って加茂康則ら三人を撃ったようだ。岩井の視覚を封じなかったのはその光景をわざと彼に見せる為であろう。
朱鬼の卑劣を見て皐月の頬を汗が滑り落ちる。拳を握りしめた。たとえ家督の者が倒れたとて、そのような些末な事に囚われている場合でないことは分かり切ったことだった。皐月は目を閉じた。心を落ち着かせるようにして我に自重を言い聞かせた。その様な時に皐月の直ぐ隣で葉擦れの音がする。すぐさま脳裏に油断の一字が浮かんだ。――不味い。
何者かが直ぐ傍らに立っている事に気付いた。気配など一切感じなかった。一瞬、どこに油断があったのだと疑念を抱くが、そのような事を考えている状況ではない。皐月は未熟を悔いた。参道の動向に目を奪われたばかりに接近を許してしまった。皐月は覚悟をした。
「……何者だ」
気配の方へ視線を向けることもせず後ろに立つ者に問いかけた。
「案ずることはない」
聞こえる声色は、太く落ち着いたものだった。歳はそれなりに経ている者のようだ。
「無念だが、これは私の未熟が招いたこと。さぁ一思いに」
皐月は犬死にを悔やみながら佇む男に言った。
「ん? これこれ、儂は先に案ずるなと申したのであろう」
「……」
「――しかしまぁ情けないことよのう……。あの男、こうも易々と朱鬼めに縛られるとは、もうちょっと気骨を見せるものと思うたがの……」
呆れるように話す男の話を静かに聞き流す。皐月は屈んだままゆっくりと向きを変えた。
何とか正対することは出来た。男の佇まいに変化は無いが油断はならぬ。不利な体勢であることにも変わりは無い。
目線を低いところから徐々に上向ける。皐月は足元から男のことを伺った。
草鞋履きの足が見えた。少し目線を上げると袴をはいているのが分かった。なんだこいつは、と思いながらゆっくりと見上げていくと、腰には大と小の太刀を携えていた。そこまで見てもどこか不思議な感を拭えぬまま顔を上げれば、そこに長い髪を後ろで一つに纏め無精ひげを生やした精悍な顔があった。
――なんだこいつは?
男を見て皐月は直ぐに江戸時代の浪人を思い浮かべた。
腕を組み呆れる様子をみせる男は参道の方から向き直し皐月と対面した。目を合わせると男は白い歯を見せて嬉しそうにニッと笑った。童のように輝かせた瞳が印象的であった。
「お主、上狛の陰陽師であろう」
「……は、はい」反射的に返事をしてしまった。焦る皐月は場を取り繕うように言葉を続けた。「あ、あなた様は?」
「おお、儂か、儂はの、儂は……」
「はい、あなた様は?」
「それは今はまだ内緒じゃ! ほほほ」
男の戯れた返答に皐月は肩をずるりと落とした。
「まぁ、良いではないか」
「は、はぁ」
「であるが一つ、お前さんの名誉のために教えておいてやろう」
「名誉? それは」
「お前さん、お名前は?」
「はぁ?」
「名前はと聞いておるのじゃ」
男が渋い顔を見せる。
「私は、上狛五神官の一人、皐月と申します」
自分が名乗らないのに人には名を訪ねるのかと思ったが皐月は答えた。
「上狛五神官の皐月か。うむうむ。して皐月、お前さん、先程、儂に気付くことが出来なくて慌てていたであろう?」
「……はい」
図星を突かれて窮する。
「それは皐月のせいではない。故に気にするな」
「は、はぁ……」
「なんじゃその頼りない返事は。せっかくこの儂がお前さんを傷つけぬようにと配慮しておるというのに」
「あ、いや、そう言われましても……」
「煮え切らんのう。みなまで言わねば分からぬか? 困ったものじゃ、良いかよく聞け。儂の気配はな、朱鬼にも、そしてお前の主の犬童澪様にも気取られぬこと。故、お前が気付かぬとしてもそれは仕方のない事であると言うておる」
「澪、さま?」
「そうじゃ、澪様じゃ」
「我が主を様として呼ぶ、澪様を御存じなのですか? あ、あなた様は一体……」
再び尋ねたが男はさっと片手を前に出して首を横に振った。
「まったく、儂は、内緒じゃと言ったはずじゃがの。しかしまぁ強いて例えるならば、儂はここの気みたいなものじゃ。元よりこの社の気が儂で出来ているといっても過言ではない。であるからして言うなれば、今起こっていることは儂の気の中で起こっているということになるのじゃ。それ故に誰にも儂の存在には気が付かぬということになるのじゃ、分かるかの?」
「はぁ、なんとなく、ではありますが……で、それではあなた様は?」
「おう、儂の名はの……。おっとこれは危ない」
男が腕で額の汗をぬぐう仕草を見せる。皐月はその様子を細い眼で伺うようにして見た。
「ちっ!」
「――お前さん、中々に抜け目のないお嬢さんよな。危うく口を滑らせるところであった」
いって男はまたニヤと笑った。
「そうじゃ、そのようなことよりも、今宵、桃花の時渡りがあろう」
「……」
「そう警戒するな。まったく、用心深いお嬢さんじゃ」
「――はい。確かに、澪様はそのように言っておられましたが」
「儂は、助太刀に参った。然らばまぁ味方であるといってよい」
「助太刀……お味方……」
「そう助太刀じゃ」
「……」
「なんじゃ、その怪しいものを見るような細い目は」
「助太刀ならば、何故この様な所に現れるのですか? 澪様のお知り合いならば直接お目見えすれば宜しかろう?」
「い、いやなに。儂はの、もうちと良い場面で颯爽と登場したいと思うての。それにほれ、そのような場面で澪様に儂の格好の良いところをお見せ出来れば、儂の株もそれはもうグンと上がるというものじゃと思うての。あははは」
「……」
「いやいや、儂とて澪様にお会いするのは久方ぶりであるからして、それはほれ、まぁ出て参る――」
「出て参る? それに先程あなた様はこの社の気であるとも申されました。ならばあなた様は、この社の御神体様でございますか?」
「うむ、それはちと大仰であるの」
「それでは、霊か何かで?」
「……霊。それが幽霊というものを指して言うておるなら、それもちと違うの。肉体を持たぬ魂は人を現世に留める事が出来ぬ。残留思念なるものもあるにはあるが、そんな安物では現世の事象に干渉など出来ぬしの。それに儂はもう千二百年の齢を重ねておる。そのような時間を経ることが出来る思念はない」
「せ、千二百年!」
皐月が驚くと、男は得意げに鼻を持ち上げた。
「そのような長き時を超えられるなど……もはや付喪神といったものではございますまいか!」
「付喪神のう……それもちと違うのじゃがの……」
事態は危急の時を告げているというのに男は益体もない話を続ける。怪しい奴だとは思う。思うがしかし皐月はこの男の勿体付けた言い回しをする言動にどこか見覚えがあった。似ている。そう、この男の話し方はどこか主の犬童澪に似ていた。
「ま、強いて言うならば、儂は『鬼』といったところかの」
素性を鬼と名乗り、男は屈託のない笑みを浮かべて皐月の瞳を覗いてきた。
聞いて皐月は片膝を地に付けたまま素早く太刀の柄に手を掛けた。
「やれやれ、血気盛んなお嬢さんだ。まぁ待て、慌てるでない。助太刀に来たとさっき申したであろう」
「確証はない。私は鬼と名乗る者に誑かされたりなどしない」
「うむ……。言うておることは分かるがのぉ。うむ、まぁそれも仕方のない事であるか……」
男は少しだけ困った表情を顔に浮かべた。その後、もう一度皐月の顔色を見て肩を落とした。
「さて、皐月よ」
「……」
「うむむ……まぁよいか」
無言のまま、事あれば斬るといった態勢の皐月を見て男は溜め息を一つ溢す。
「皐月よ、一つ頼みがあるのじゃが」
「……頼み?」
「そう、頼みじゃ。それはの、儂が澪様の前に出る時までは、儂のことは内密にしておいて欲しいのじゃ」
「それは出来ません。ましてや怪しい輩を澪様に近付けることなど――」
「おいおい、儂は助太刀に来たというたであろう」
「信じられませぬ」
「――困った。これはちと出てくる場所とタイミングを間違えてしまったかの?」
「タイミング?」
およそ時代劇に出てくる浪人の語る言葉としては違和感のある横文字に思わず聞き返してしまった。
「おおそうじゃ、タイミングじゃ。いやの、千二百年ぶりに知己に思わず出会う、これは儂のサプライズだったのじゃがの……」
「サプライズ?」
時代の錯誤も甚だしいと思った。
「ん? 如何した皐月」
「タイミング? サプライズ?」
カタカナ言葉を口にしながら皐月は男の格好をジッと見つめた。
「ん? おお、そうか、儂が横文字を使うのがおかしいと思うたか」
「……」
「儂とて千二百年ずっと眠って追った訳ではない。学んでもおる」
「は、はぁ……」
段々と男との会話が馬鹿らしく思えてきた。おかしな男だと思う。いきなり目の前に現れて助太刀だのタイミングだのサプライズだのというその男の姿と口調に違和感がある。助っ人を宣言していながら、危急の事態に危機感もなければ憂いもない。
「ん?」
惚けた眼が皐月を見る。男は愛想を浮かべて首を傾げた。
「百歩譲って、あなた様が澪様の知己だとしよう。千二百年の齢を重ねられてきた者でもあるとしよう。だとしても、その出達には少々無理はないだろうか?」
「ほう」
男は嬉しそうに顎を一つ撫でた。
「その格好は千二百年前、奈良時代の古の武士の姿ではない。むしろ近年、江戸時代の風俗に近しいように思うが」
「おお、皐月! ナイスなツッコミじゃ!」
「ナイスって……」
「いやな、姿などどうにでもなるのじゃがの。あまりに現在とかけ離れた姿で出て理解もされずにスベってしまってはなんであろう。ならば、今の時代でも想像できる範疇にあり、かつ昔むかしの世界から訪れた者として見ても、ああなるほどと腑に落ちなければならん。つまりはじゃ、リアリティというものが必要ではないかと思うての。そこでほれ、このギリギリの線を選んでみたのじゃ。如何なものかの、皐月」
「……リ、リアリティ、でございますか」
「うむ、じゃがの、皐月がこの格好を変だというのならば、変えることも出来るぞ」
言うと男は途端にその姿を三つ揃えのスーツ姿の紳士に変えた。
「な、な、な……」
皐月の驚く顔に男の顔がほころんだ。
「どうであろう? 皐月よ、澪様との再会にはやはりこちらの方が良いであろうか?」
「…………」
自身のスーツ姿にご満悦の男を見て皐月は頭を抱えた。
「好きにしろ! もう知らぬ!」
「そんなぁ。そんなこと言わずにアドバイスしておくれよぉ、皐月ぃ」
「うるさい! 私は今、大事を抱えている。戯れ事なら他所でやれ。これ以上は斬るぞ!」
「つれないのう、皐月ぃ。せっかく現世のうら若き乙女の前にこのようにして――」
「もう喋るな! これ以上は我慢がならぬ! それに消えろ! もしも澪様に近づくことあればその時はこの私が貴様を滅する! 貴様が霊であろうと、鬼であろうと――」
「しっ!」
突然、男が口に人差し指を当てて軽口で綴る会話の流れを遮った。
「な!」
「どうやら、動きがあるようじゃ。間もなく桃花がやってくる」
男が不敵に笑う。その男に釣られるようにして皐月が参道を見た。
「さて、儂には儂のやるべきことがある。まずはあの岩井という男のところへと参ろうかの。皐月よ、後はしっかりやれよ」
勝手に言って男は皐月の前から煙のように消えた。
「なんだったのだ……あれは」
目の前に突如として現れた男。その男は自分のことを助太刀だといった。
男に危険は感じなかった。しかし、ただでも複雑な様相を呈している状況に正体の分からぬ存在が一枚加わることで更に状況がややこしくなったように思えた。
強く首を振る。皐月は自分の行う事には変わりがないのだと頭の中を整理させて再び参道へと意識を集中させた。




