八話
「もう一人の異世界転生者の存在を想像した時から、不思議に思っていたことがある。何故この一週間、その人物は目撃されていないのかという点だ。現状、有力な目撃証言は警備していた地方警士の怪談話のみ。これは移動型異世界転生者としてはあまり見られない特徴だ」
ライトが声も出せなくなっていることに気づいているのかいないのか、鏖殺人は説明をしてくれる。
その様子からは、自分たちが死体の近くにいることに対して何の感情も覚えていないことが伺えた。
無感情な様子で、その口は動き続ける。
「君も昨日言ってくれたが、移動型異世界転生者は転生者の中ではかなり見つけやすい方だ。服装が明らかにおかしいし、この世界における常識に疎いからな。当たり前のことだが転生者法の存在を知らないから、国の人間に普通に話しかけてくることもある」
「それにもかかわらずこの一週間、付近の街でもう一人の異世界転生者の目撃証言はない。これは何を意味するのか?」
「もう一つ、おかしい点がある。地方警士の噂話に出てきた、地方警士を観察する影……これはまず間違いなく、逃亡中の異世界転生者だろうが、なぜその人物は地方警士を見ているだけにとどまり、話しかけてこなかったのか?」
「時期的に、転生してから二日が経過している。地球から食べ物や水を持ち込んでいたにしても、もう尽きている頃だろう。道具もないのに狩りに励むことが出来たとも思えない。本来なら、その人物は飢え死に寸前のはずなんだ」
「加えて、この森には水源がない。人間が水を飲まずに生きていられるのはせいぜい三日。転生二日目であれば、喉の渇きに耐えられなくなってくる頃だろう」
「だから異世界転生者の立場からすれば、周囲の状況が分からなかったとしても、人影を見ればとりあえず話しかけるのが普通だ。助けてもらえなければ死んでしまうからな」
「しかし、転生者は冷静に地方警士を観察していた。これは何故か?」
「……転生者が、転生者法の存在を聞いていたから。見つかれば死んでしまうと、分かっていたから。だからこそ、話しかけなかった」
気が付けば、ライトの口からは一つの推論が飛び出ていた。
感情よりも理性の方が立ち直りは早いようだ。
一度口にしてしまえば、新たな推測は芋蔓式に湧き出てくる。
「そうやって、転生者法について教えた存在こそが……行方不明になっている猟師だということですか?異世界転生者はこの世界の常識について彼から聞いて、用が済んだ後は、猟師は転生者に殺されたと?」
「そうだ。だからこそ異世界転生者は未だに見つかっていない。恐らくその人物は……」
そこまで口にしたところで、ライトたちの元に地方警士の一人が駆け寄ってきた。
「ティタン局長!掘るように指示された地点から、死体が出てきました!そ、それに、土に中からこれも……」
死体を見ることに慣れていないのか、地方警士の声は震えていた。
しかし声と同じく震えた手で、二枚のカードらしきものを突き出す。
鏖殺人はそのカードを受け取ると、ほお、と感心したような声をあげた。
「社員証と免許証か。財布の中に無かったから正直諦めていたんだが、別々に埋めていたんだな。おかげで楽になった」
マスク越しにでも、鏖殺人の口元が緩んだことがライトにも見てとれた。
「名前は池内大我……トラックの運転手か。風野凛花の転生してきた年が確か西暦二千十五年だから、二十八歳ということになるな」
土を拭いつつ、転生者の詳細を鏖殺人が確認していく。
その様子を見たライトは、このカードを見なくてもおおよその見当はついていたんだろう、と感じた。
「よし、死体を見せてくれ。どうせ、全裸死体に近い状態だろうがな」
動揺も見せずにカードをしまった鏖殺人はスタスタと死体に近づき、ライトもそれに同行する。
目に入った死体は、例の変色した土の中心部に埋められていた。
ライトとしては原形が分からない程に腐乱した死体を想像していたのだが、実際に見た猟師の死体は意外にも人の形を保っていた。
──多分、土の中に埋められていたことがよかったんだろうな。前に大学校で習ったけど……。
死体が腐るのは主として微生物の働きによるものであり、その微生物たちは空気が豊富な時の方がよく働く。
彼の死体は土に埋められたことで殆ど空気に触れなくなり、結果として腐敗の進行が大幅に遅らされたのだろう。
だからこそ、一週間経過した今でも原形を保っているのだ。
そこまで考えたライトは、より詳しく観察するために死体に近づく。
正直気分が悪くなっていない訳ではないのだが、研修生とはいえ転生局にいる以上、目を逸らすのは許されないように思われた。
「臨時報告書に記載。午前七時三十八分、転生者によって殺害されたと思われる人物の遺体を発見。身長、百八十センチ前後。体格は極めて大柄。下半身の下着以外は、衣服を着用していない。また、本来所有していたはずの狩猟のための道具、非常食、水筒などは持っていない。加えて首筋に付着している土のみ赤黒く、湿っている。恐らくここに裂傷が存在し、それが死因であると思われる。傷の範囲から言って、凶器は大振りのナイフ。もしくは……」
隣からは、鏖殺人が死体検案をしている声が聞こえてくる。
その内容を速記しているのは、鏖殺人に死体発見を報告してきた地方警士だった。
彼も今日は厄日である。
「……異世界転生者はこの人物を殺害後、服を奪い、現地住民に化けることで逃亡している。その変装が上手く行っているため、目撃証言がない。そういうことでしょうか」
報告がある程度終わったのを見計らって、ライトは鏖殺人に声をかけた。
間髪入れずに、落ち着いた声で推理の続きが返ってくる。
「そうだ。だからこそ食料や水にも多少の余裕が……警備を落ち着いて観察できる程度の余裕があったんだ。いくらこの猟師がいい加減な人間だったとしても、猟に行く以上、ある程度の水や弁当は持っていただろうしな」
「しかし……何故この人物は転生者法のことを転生者に教えたのでしょう?」
ここで、ライトは鏖殺人の推理の中で最も気になった点について尋ねた。
異世界転生者に遭遇した時の対応については、前々から転生局が広めているのだが、内容的には「危険だからとにかく逃げろ」の一つだけである。
わざわざ転生者法について教えて注意を促し、その挙句に転生者に殺される人間など聞いたこともない。
基本、異世界転生者と一般市民が接触することは忌避されているのだ……話しかけてはいけないし、勝手に捕まえようとするのもご法度である。
これについては、転生局職員以外の人間が異世界転生者を害することが、グリス王国において重罪であることも関係している。
自然とライトは、かつて呼んだテキストの内容を思い起こしていた。
────転生者法制定直後、転生局の前には多くの異世界転生者が引きずり出された。
こいつは異世界転生者です、どうか殺してください。
こいつも魔法を使いました、危ないので対処を……そんな風にして、次々と捕獲された異世界転生者が並べられたそうだ。
これ自体は、当時は普通の光景だった。
異世界転生者を殺すことを合法としたのだから、それに従うのは当然である。
しかし、やがて不思議なことが起きた。
異世界転生者の数が、多すぎるのだ。
<門>の発生頻度から考えると、そんなに潜伏しているはずがないのに、明らかに過剰な数の人間が異世界転生者として捕らえられていた。
転生者法が制定されてすぐに、転生局は多すぎる殺害対象を前にてんてこ舞いになったのである。
何故、ここまで多くの異世界転生者が捕らえられたのか?
この理由は、単純と言えば単純なものだった。
捕らえられた人物の殆どは、異世界転生者などではなかった。
彼らは本当にただの人間であり、冤罪だったのだ。
しかし何らかの理由で異世界転生者だと疑われた彼らは、苛烈な拷問によって虚偽の自白をさせられ、転生局にまで連れてきたのだ……端的に言えば、誤認逮捕だったのである。
酷い場合だと相手がただの人間だと分かっていながら、意図的に「こいつは異世界転生者だ」と偽証して転生局に連れてきている場合もあった。
転生局が異世界転生者を殺す分には合法なので、嫌いな人間を排除する上手いやり方として悪用されていたのである。
終いには、殺したい人間のことをとりあえず「あいつは異世界転生者に違いない」と通報するのが悪人たちの間で流行り始めた程だ。
転生局は厳正な捜査の元、異世界転生者ではないと判断できた人物たちを釈放していった。
しかし本当に異世界転生者である者たちも一定数いた上に、相手が異世界転生者でないことを証明するのは案外難しい。
再誕型の異世界転生者がしらばっくれている場合もあるからだ。
このために、設立当初の転生局は仕事に忙殺され、まともに機能しなくなってしまった。
冤罪かどうかを取り調べをしている間にも、異世界転生者だと疑いをかけられた一般人は次々と運び込まれてくる。
とても、転生局だけでは人手が足りない。
ここまできて、初代転生局局長────初代ティタンが解決に乗り出した。
「事実誤認ならともかく、わざと異世界転生者ではない人物を異世界転生者だと偽って転生局に送ってくることは、我々を経由しているだけで殺人と同義である。従ってこれらの件については、加害者たちに通常の殺人罪が適用されることになる」
「また異世界転生者だと思われる人物たちに一般市民が私刑を加えることも、今後は一切禁止する。その対象が偽証ではなく本当に異世界転生者だったとしても、加害者は罰せられる。害しようとしたこと自体が罪なのだ。一般市民の協力は、通報と証言のみとする」
「一般市民が異世界転生者を捕まえることを良しとすれば、前述のように普通の人間を異世界転生者だと偽証して捕まえる人間が必ず出てくる。異世界転生者を判断力もない一般市民が捕まえようとすること自体が、冤罪の元なのだ……なればこそ、異世界転生者を捜査、逮捕できるのは転生局職員及びその協力をする警士のみとする」
「これ以降異世界転生者の処遇について、転生局を介さずに何らかの決定を行った者は、広義での転生者法違反として死刑もしくは終身刑とさせていただく」
彼の演説の後、異世界転生者と疑われた人物に私刑を加えた者たちは斬首刑となり、その首はしばらく内務省の敷地内で晒し首とされた。
ここまでしてようやく、転生局は正常に機能し始めたと言われる。
以上が、現代の歴史の教本に必ず載っている建国直後の歴史的大事件「ティタンの粛清劇」である。
……これを知っているからこそ、ライトにはこの人物が何故、異世界転生者と会話までしたのか不思議でならなかった。
猟師であるならば、体は鍛えられていたはずだ。
まだ魔法も使えない、混乱した異世界転生者から逃げることくらいはできたと思うのだが。
「これがどうしてか……分かりますか、局長?」
改めて問い直してみる。
すると、鏖殺人は何でもないことのように答えた。
「そんなのは簡単だろう。いくら禁じても犯罪がなくならないのと同様に、異世界転生者相手なら何をしてもいいと思い込んでいる人間はいつの時代もいる。恐らくこの猟師は、遭遇した異世界転生者を殺しにかかったんだ。金目的でな」
流石に驚いて、ライトは顔を上げる。
その様子を横目で見た鏖殺人は、死体発見により中断された推理の続きを口にした。
「異世界転生者とこの猟師が、ここで出会ったことまでは説明したな?その続きから言っておこう」
「まず異世界転生者の動向だが、ここまで来た辺りで一度休憩したんだと思う。この辺りまで来ればもう歩きにくくはない。ワナの木が多くなっているから、雑草さえ気にしなければ横になって寝るぐらいのことはできる」
「恐怖の対象である風野凛花から離れたことで、安心感から寝たんだろうな」
「そうやって寝ている間に、転生してきた場所では俺が風野凛花を殺していた。流石にその音を聞いていれば戻ってきただろうが、俺が死体を運んでいる間に姿を見なかったということは、その時点ではまだ寝ていたんだと思う」
「恐らく、一日か一日半ぐらいはここの近くにいたんだろう。現実を否定して駄々をこねていたか、それとも夢だと思ってもう一度眠ろうとしたのか……」
「彼にとって幸運だったのは、俺が急用でここを離れてしまったことと、地方警士は現場の近くを警備する程度のことしかやっていなかったこと。加えて警備の影響で、他の人間がこの森に立ち寄らなかったことだ」
「これらの要因が重なったお陰で、しばらくは見つからずに過ごせた。しかしいい加減空腹が限界になったあたりで、彼はこの猟師と出会った。人気がないのを良いことに、転生現場の近くで狩りをしようとしていた猟師に」
「異世界転生者────池内大我からしたら、風野凛花以外に初めて見た人間だ。とにかく話しかけてみたんだろう。せめて水でも分けてもらわなければ命にかかわるからな。だがこの猟師の対応は、彼が望むものではなかった」
「先程の話にもあったが、この猟師は極めていい加減な人間だ。封鎖解除までは近寄らないことが原則の転生現場の近くでこっそり猟をする程度に、礼儀の欠けた行動もとる。だから彼が転生者に遭遇した時、最初こそ驚いただろうが……次に考えたのは、相手を襲うことだった」
「殺そうとまでしていたのかは分からない。ただ、所持品を奪おうとしただけかもしれない。異世界転生者の所有物を裏の世界で上手く売りさばけば、一財産築けるはずと期待したのか……とにかく法律を守らず、彼は池内大我に襲い掛かったんだ」
「だが、池内大我だって成人男性だ。それなりの抵抗はしただろう。その中で、この猟師に問いかけたんだと思う。『どうして俺を襲うんだ』とか、『お前にどんな利益があるんだ』と」
「油断していた猟師は、転生者法のことを会話の流れで口にした。詳しい内容は言ってないだろうが、この国の人間に見つかれば殺されてしまう、ということが把握された可能性は高い」
「そして、悲劇は起こる。火事場の馬鹿力とかいう奴かな?池内大我は猟師から武器を奪い、相手を殺してしまった。ほとんど事故のような形だったと思うがね」
「殺人の後は……しばらくは混乱していたんだろう。だが一先ずは、喉の渇きや空腹を癒す必要がある。そこで彼は猟師の死体を漁り、非常食や水に手を付けた。服を剥いだのはこの時だろう」
「既にこの時点では、自分が地球とは違う世界に来たことは理解していただろう。猟師の言葉を信じたにせよ、信じなかったにせよ、地球での服装のままではまずいことは分かったはずだ」
「そこで死体を埋めるついでに猟師の服に着替え、自分が異世界転生者だと分かってしまう物……財布や免許証も一緒に埋めた。元々着ていたであろう服はまだ見つかっていないが、もう少し掘ればどこかにあると思う」
「ここからの池内大我の行動だが……一度は、自分が転生した現場に戻ろうとしたんだと思う。もしかしたら元の世界に帰れるかもしれない、という期待があっただろうからな。先に言った通り、枝の折れた後が一直線に並んでいて他には痕跡が見られないことから、律儀に同じ道を逆走したんだ」
「しかし彼は、すぐに足を止めたはずだ。俺たちは木の状態を細かく調べながら歩いたから、封鎖区画を出てここに来るまで少し時間がかかったが、何もせずに歩けばすぐに封鎖区画にぶつかるからな。そこで警備している地方警士を見つけて、先程の二の舞を防ぐために隠れて観察したんだろう」
「やがて地方警士同士の会話などから、彼は『異世界転生者は見つかると殺される』ということを改めて理解した。だからそのまま引き返し、猟師の振りをしたままバイツ方面へ逃げたんだ」
「この時に観察されていた警士というのが、俺たちに証言してくれた警士が言うところの『怖がりな同僚』だ。彼は恐らく、猟師と池内大我が争っていた際の物音を聞いていると思う。だが怖がりな彼は、それを異世界転生者だと思わず、怪奇現象だと考えたんじゃないだろうか」
「かなり想像で補完したが、今回の件の全容はこんなところだろう」
鏖殺人の長い推理が終わった。
想像と口にしていたが、彼の様子を伺うに、これが正解だと自信を持っているのだろう。
実際ライトが聞いた限りは、大きな矛盾はないように思われた。
こうして、ライトは池内大我という異世界転生者の身に起こったことを把握し────同時に、心の中である感情が沸き起こる。
どうしようもない、同情が。
駄目だと分かっていても、止められない。
ライトには、この池内大我なる異世界転生者が哀れな存在に思えて仕方がなかった。
望まぬうちに異世界に連れてこられて。
自分が死なせたはずの少女が生きている、という怪奇現象に遭遇し。
恐怖のあまり逃げ出して現実逃避すれば、飢え死に寸前になった。
その後に、ようやく見つけた人間には襲い掛かられ。
必死に抵抗していたら、成り行きで殺人を犯してしまう。
元の世界に戻る手段もなく、死体から服を剥ぎ取って逃走を選んだ彼の気持ちは、ライトには想像することもできない。
……今まで、仕方がないことだと思っていた。
仕事だから、法律で決まっているから。
昔、悪辣な異世界転生者がいたから。
だから異世界転生者は、殺されることも仕方ないのだと。
魔法を使うような危険な存在を取り締まることは、当然の流れだと。
一等国家試験でも、二等国家試験でも、問いかけられた時はそう書いてきた。
しかし今のライトの目の前には、試験の答案では表現出来ない程の不幸に遭遇した異世界転生者の痕跡がある。
本人はただ自然現象である<門>に巻き込まれただけなのに、転生者法によって追い詰められている異世界転生者がいる。
そして自分は、間違いなくそんな彼を追い詰めることに加担している。
何せ今、ライトは鏖殺人から、その不幸な人物の殺し方を教わっているのだから。
転生局で研修するとは、そういうことなのだから。
少し前、鏖殺人の能力の高さを目の当たりにした時に感じた興奮が、一気に風化していく。
自分が今まで正しいと思ってきたものたち……いや、これまで深くは考えてこなかったものたちが、一気に崩れ去ろうとしていることがはっきりと感じられた。




