七話
最初に鏖殺人がしたことは、ライトにメモを取るよう指示することだった。
ライトは指示のままに手帳を取り出し、辛うじて忘れずに持ってきていたペンを構える。
すると鏖殺人から、メモの最初に「転生局内臨時報告書」と記載するように言われた。
どうやら地方警士の応援は呼ばず、この場で簡易捜査を澄ましてしまうらしい。
そう察した時には、鏖殺人はもう折れた枝について報告を始めていた。
「観察できる木はカギの木。折られた場所は地面から百五十センチ程度の高さの枝。断面が比較的新しいため、この一週間で折られたと考えて矛盾はない」
「もう一本の木では二本、枝が折られた痕跡がある。こちらは先ほどの物より少し高い位置だ。両方とも百六十センチ前後。断面については一つ目の物とほぼ同一」
「これらの枝が歩行の際に邪魔になったということは、異世界転生者は男性、もしくはかなり高身長の女性。このどちらかの可能性が高く……」
矢継ぎ早に繰り出される報告を、ランタンの明かりの下で必死に速記する。
何とか書き終えたと思った時には、鏖殺人は木の根元の観察を始めていた。
「異世界転生者が通ったと思われる地面について報告。転生から時間が経過しているため、顕著な特徴は認められず。ただし複数の植物において、葉が途中から折られたような痕跡あり。異世界転生者がここを通った時、踏みつけた可能性あり」
「もっとも、これは野生動物や虫によるものである可能性もある。ただし比較的広範囲にわたって存在するため、仮にこれが異世界転生者によるものであれば、対象はかなり大股で歩いている。体格も考慮すると、男性の可能性がやや高い」
「ただし転生直後の異世界転生者は強く混乱しているため、でたらめな走行をしばしば示すことにも留意する必要がある。続いて……」
報告書というよりは、鏖殺人が考えをまとめるための走り書きを代筆させられているような状態だったが、なんとかライトは速記をやり終えた。
親指の付け根がじんわりと痛くなってくるが、そんなライトの様子は気にせずに、鏖殺人はさらに森の奥に入っていく。
半ば諦めの心境で、ライトもまた──石の上で寝ているハウを置いて──森へと一歩踏み出した。
「……ここまでだな」
そんな言葉が鏖殺人から発せられたのは、封鎖区画の外に出て十五分経った頃。
丁度、手帳の三十枚目が消費されたところだった。
しばらく手帳と地面の二つしか見ていなかったライトは、そこでようやく顔を上げる。
見渡してみると、いつの間にか森の様子が大きく変わっていた。
最初の頃は樹皮が黒っぽく、かなり地表に近いところにも枝を出すカギの木が多かったのだが、気が付けばカギの木の姿が消えている。
代わりに、白っぽい高木であるワナの木が多くなっていた。
森の中でも、場所ごとに植生が大きく異なるようだ。
俯きがちになっていた首を上に向けつつ、森の奥までランタンで照らしてみる。
相変わらず暗いために断定はできないが、どうやらここから先はワナの木しかないように思われた。
カギの木とは違い、ワナの木は枝をかなり高い位置からしか伸ばさない。
従ってここから先の森は、相変わらず雑草は繁茂しているものの、枝が進路を邪魔しない歩きやすい道になっていた。
歩きやすいということは、異世界転生者の痕跡もほぼないということである。
雑草を踏んだ跡から異世界転生者の足取りを追うことは、二人では不可能に近い。
──だから、「ここまで」か。
鏖殺人の意図が分かり、ライトの肩の力がふっと抜ける。
どうやら今日の仕事は終わりに出来そうだ、という期待も込めて。
……鏖殺人が「ん?」と声を発したのは、その時だった。
鏖殺人のいる方向にライトは首を向ける。
気が付けば鏖殺人は、とあるワナの木の根元に蹲ってしきりに土を摘まんでいた。
──何をしているんだ?
疑問符を浮かべつつ、ライトもその木に近づく。
その瞬間、ライトもすぐに異常に気付いた。
──ここだけ、雑草が生えてない?
多少歩きやすくなったとはいえ、この森には木の幹と幹の間を埋めるように小さな植物が大量に生えている。
地表にも苔のような植物が存在するため、草に覆われていない地面を見つけること自体が難しい。
だが鏖殺人が触れている部分だけ、ランタンの光だけでも十分に分かる程に土が露出していた。
周囲も照らしてみると、丁度鏖殺人がいる場所を中心に、半径約一メートル程度の円状に土しかない領域が広がっていることが分かる。
──なんでここだけ、土しかないんだ?
誰かが除草剤でも落としたんだろうかと考えつつ、より顔を土に近づけてみる。
そこで、ライトはもう一つの特徴に気付いた。
よくよく見てみると、雑草が無いわけではないのだ。
土の中に埋め込まれるようにして、いくつか存在している。
より正確に言うと、刻まれた植物の破片みたいな物が多数埋まっていた。
「ここだけ植物が生えていないんじゃない。元々植物が生えていたこの領域を、誰かが掘り起こした上でもう一度埋め立てたんだろう。そのせいで地中から出てきた土ばかりが目立って、植物が無いように見える」
鏖殺人の推理が耳元に降ってくる。
少し驚きつつも、確かにそれが妥当だなと納得した。
──だけど……誰が、何のために?
かなり綺麗に土を均してあるところを見るに、動物が獲物を埋めた訳ではないだろう。
間違いなく人間が行ったのだろうが、既に封鎖区画の外に出ているため、誰がやったかは分からない……異世界転生者かもしれないし、山に立ち入った猟師かもしれない。
他の植物が新しく生えてきていないことからすると、ここ最近掘り起こされたことに間違いはないと思うが。
「四宮君」
「……は、はい」
またしても鏖殺人の声が降ってきた。
思考に没頭していたため、少し返事が遅れる。
「地方警士局の警士が夜番から朝番に交代するのは、確か朝の六時だったな?」
「はい、そうですが……」
やや予想外の質問が投げかけられる。
返答しながらも、ライトは「それがどうしたんだ」と感じた。
だがそれを聞き返す前に、鏖殺人から新たな指示が飛んできた。
「すまないが、お使いを頼まれてくれないか。ここを突っ切っていけばファストの街の隣……バイツの街に出る。そこで地方警士に今までの経緯とこの場所の情報を伝えて、この現場十人程応援を連れてきてくれ。結構大規模な捜索になるかもしれない……夜番では手が足りないだろうから、朝晩に切り替わるのを待ってからやってくれ。それとここ一週間で、誰かしら行方不明者が出ていないかも聞いてきて欲しい。疲れているだろうが、できるか?」
勿論、ライトは指示に従った。
ライトが森に入った時刻は、午前三時過ぎ。
鏖殺人との捜査で結構な時間を使っていたらしく、バイツの地方警士局支部に到着した時には午前五時半を過ぎていた。
お陰で大して待たされることもなく、受付に話を通す。
ライトが十二名の地方警士を引き連れて元の地点に戻ってきた時には、空が随分と明るくなっていた。
「……ありがとう。おかげでやりやすくなった」
現場に着くや否や、例の土しかない領域を掘り起こしている地方警士たちを尻目に、鏖殺人から礼を言われる。
慌てて受け答えをしていると、ライトは不意に鏖殺人が何かを手にしていることに気づいた。
「ああ、これか?これは、今掘らせている場所の近くに埋められていたものだ。恐らく、異世界転生者の所有物だろう。偶々浅いところにあったから、先に回収させてもらった……因みに君は、これが何か分かるか?」
「……財布、ですか?」
即答できたのは、転生局の倉庫に置かれていた風野凛花の財布のことを覚えていたからだ。
色も形も違うが、カードや貨幣を入れておくための物だろうと推測できる。
この解答は正解だったらしく、ライトの返事を聞いた鏖殺人は一つ頷く。
そして、財布に付着している土をパンッと払った。
彼の様子からは、ある種の余裕が滲み出ている。
それを見て、ライトは鏖殺人がもう一人の異世界転生者について何か掴んだことを直感した。
二人で折れた木の枝を漁っていた時とは違い、鏖殺人からは急いでいるような様子が感じられない。
ライトが警士を呼びに行っている間に、何らかの解答を得たのだろう。
「……教えてください、もう一人の異世界転生者は、財布を土の中に埋めてどこに行ったんです?そして、今掘らせているアレは何なんです?」
気が付けば、質問が口をついていた。
バイツに行っている間もずっと考えていたのだが、ライトでは答えに至らなかったのだ。
時間がある今の内に、真相を知りたかった。
「警士たちも時間がかかりそうだな……良いだろう、説明しよう。座ったらどうだ」
そう言いながら、鏖殺人は近くの石にひょいっと座る。
彼に促されるまま。ライトも正面にある石に腰を下ろした。
解答が口にされたのは、それからすぐのことだ。
「……少し長い話になるが、混乱せずに聞いてくれ。最初に途中で話した、風野凛花がもう一人の異世界転生者と共に門を潜った状況について言っておこう」
「俺は二つの可能性を挙げたが、この証拠集めを通してどちらなのかは確定した。まず間違いなく、後者────彼女は車に轢かれたんだ」
「考えてみれば簡単なことだ。風野凛花が自動車に乗せてもらっていたのなら、運転手は普通、風野凛花の知り合いということになる。そして彼らが知り合い同士なら、いくら転生直後で混乱していたとはいえ、その人物が風野凛花を見捨ててどこかに行ってしまったのは不自然だ」
「仮に一度混乱してその場を立ち去ってしまっても、不安に思って元の場所に戻ってくるのが普通だろう?頼れる相手は、自分と同じ転生者しかいないんだからな」
「しかしカギの木からの痕跡を見る限り、枝が折れた痕は一直線に並ぶ形で存在していた。もしも逃げた異世界転生者が引き返そうとしたり、迷ったりしたのならば、もっと広範囲で枝の折れた痕が見つかるはず」
「それなのに一直線に痕跡が並んでいるということは、もう一人の異世界転生者はひたすら直進して移動した訳だ。もしこの異世界転生者が風野凛花の知り合いであるならば、転生してから俺が来るまでの短時間であっさりと彼女を見捨て、未練もなしに逃げていったということになる。正直、これは考えにくい」
「もっとも、地球にはバスだとかタクシーだとか言った、見知らぬ他人に乗せてもらう交通手段があるらしいから、断定はできないがな。それでも今は話を考えやすくするために、もう一人の異世界転生者は彼女の知り合いではなかったと考えよう」
「もう一人の異世界転生者が、風野凛花から見て全くの他人だというのなら────その人物の正体は、彼女を轢いた車の運転手ないしその同乗者ということになる。彼女を車で轢いてしまった時、一緒にこの世界に来たんだ」
「だがこの説も一つ、不思議なところがある」
「普通、見知らぬ他人とは言え、よく分からない森で並んで寝転ぶ状況になったのなら……その相手を起こして事情を聞くだろう?事故の後という、命に係わる事情があったなら猶更だ。
「もう一人の異世界転生者は、なぜそうしなかったのか?風野凛花を起こさず、どうして一人で逃げたのか?」
「恐らくだが……この異世界転生者は車の同乗者どころではなく、風野凛花を轢いた車の運転手なのだろう。そして運転手にとっては異世界転生したことよりも、風野凛花の方が怖かったからなんじゃないかと思う。これなら、話が繋がる」
「意味が分からない?まあ、聞け。運転手の立場になってみたらいい。自分が人を轢いてしまった……そう思った次の瞬間に、よく分からない森の中に移動した。しかも目の前には、自分が轢いたはずの少女が無傷で転がっているんだ」
「自分が相手を死なせる寸前だったと自覚しているだけに、無傷の相手が不気味に見えてきたんじゃないだろうか。普通なら有り得ないからな。だからこそ、その人物はあの現場から即座に逃げ出した。枝を叩き折り、振り返ることもせずに」
「そしてここまで走ってきた時点で……ある出来事に遭遇したんだろう」
そこまで話すと、鏖殺人は一度口を閉じた。。
腰にぶら下げた水筒を手に取って、水を口に含む。
ライトの方も何とかついていった話に一段落付き、知らないうちに体に入っていた力を抜いた。
「それで……遭遇した出来事、というのは何なんですか?」
鏖殺人が水を飲み終わるのを待って、ライトは続きを促す。
恐らくその出来事というのが、今土を掘り返していることの理由なのだろう。
ここまで来たら、早く続きを聞きたかった。
「その前に聞いておきたい。君には、バイツで行方不明者がいないか聞いておくように頼んでいたはずだ。あれはどうなった?」
問いかけられて、初めて鏖殺人にそのことを言っていないと気が付いた。
慌てて内容を思い出して、報告する。
「行方不明というほどではないんですが、近いのが一つ」
「どんな話だ?」
「バイツにいる猟師が一人、少し前から姿を見せていないそうです。まあ元々がいい加減な人物で、二、三日姿を見せなくなること自体はたまにある人だそうなんですが……酷い時には、一ヶ月近く音信不通だったこともあるとか」
「ほう」
「ただ以前姿が見えなくなっても放置していたら、酒場で喧嘩して捕まっていたことがあり……似たようなことをしでかしていないか、娘さんが不安になって地方警士局に確認しに来たそうです。だから記録に残っていたようで」
「そうか。じゃあ今掘り返しているところには、その人物の死体が埋まっているんだろうな」
何気ないように告げられた言葉は、あまりに物騒な内容だった。
絶句するライトを無感動に見つめつつ、鏖殺人の説明は続く。
「さっきの続きだ。異世界転生者がここで遭遇した出来事について教えてあげよう」
「推測だが……その猟師と出会ったんだろう」
「近くに封鎖されている異世界転生の現場があるなら、その付近には近寄らないのが原則だ。だが、法を気にしない人間はいつの世にも常に存在する」
「その猟師は多分、まともな同業者が近づかないのをいいことに、この森で狩りをしていたんだろう。そして、必死に逃げていた異世界転生者に出会ったんだ」




