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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
一章 鏖殺人と普通の研修生
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六話

 ……昼に一度来たことがある場所でも、夜にまた来てみると、場の趣が大きく異なっていることがある。

 数時間ぶりに訪れた森の様子は、昼とは大きく異なる印象をライトに与えていた。


 ──何というか、少し幻想的だな。


 でこぼことした歩きにくい道だが、ただ鬱陶しいだけだった昼の時とは違い、まるで木々が人を拒んでいるような印象すら受ける。

 さながら人間がこの世界からいなくなってしまい、土地の全てが緑に包まれて行っているような────。


 時刻は朝の三時。

 ライトは現実逃避も兼ねて、そんな馬鹿げた妄想に浸っていた。

 何せライトの目の前には、こうした逃避をしないと正視できないくらいに緊張感がある相手がいるのだ。


 いい加減に目をそらすことを止めて、ライトは先導する鏖殺人に目を向ける。

 右手にランタン、左手にハウを入れたケースを持って夜の森を器用に歩く彼の姿は、別段焦っているようには見えない。

 だが、宿で深く眠りについていたライトを叩き起こした際には、確かに緊急事態だと言っていた。


「もう一度現場に向かう。ついて来てくれ」


 それだけを伝えて、彼はライトと共にこの森に来たのだ。

 訳も分からぬまま、何とか走って付いていくこと三十分。

 何故こんな状況になったのかを説明して欲しいとは思ったが、その発端が分かっているだけに聞き辛かった。


 わざわざ鏖殺人が駆け付け、真夜中に再び現場に行こうとした切っ掛けは、恐らくライトが彼に送ったあの破片たちだろう。

 破片が持つ何らかの意味に気づいたからこそ、彼は早馬を使ってまでここに来たのだ。

 そうなると、自分は何か見落としをしていたのだろうか────こう考えたところで、鏖殺人が後ろを振り返らないまま話しかけてきた。


「最初に言っておくが、別に仕事中の間違いを叱責しに来た訳ではない。その点については安心していい」

「は……はい!」


 突然のことに驚きながらも、反射的に返事をしておく。

 二等職員の本能というのは、なかなか消えないらしい。


「あの破片に、何かあったんですか?」


 話しかけられたついでに、ライトは先ほどから気になっていたことをようやく言葉にする。

 この点が分からなければ、きっとその先も何も分からない。

 役に立てる立てないに関わらず、事情を聞きたかった。


「時間が無い。歩きながらの説明になるが良いか?」


 時間が無いと言いながらも、鏖殺人からは意外に落ち着いた言葉が返ってくる。

 歩くのを邪魔している枝を折りつつ頷くと、そのまま説明が始まった。


「まず君が送ってきてくれたあの破片だが、あれらは間違いなく異世界……地球由来の物質だ。ハウの鼻は今回も正しかったようだ」


 鏖殺人の第一声に、ライトは密かに胸を撫でおろす。

 どうやら、あの破片を遺留品として送ったこと自体は間違っていなかったようだ。


「君は報告書の中で『水晶のような』と書いていたが、正確には違う。あれは恐らくガラスの破片だろう。破片の一つに、異世界で使われているシール……車検シールの切れ端が付着していたからな。状況的に、自動車のフロントガラスの破片である可能性が高い」

「フロントガラス?自動車?」


 いきなり聞き覚えの無い言葉が現れ、ライトは鏖殺人に聞き返す。

 怒られるかとも思ったが、気にしてない様子で説明が続けられた。


「ガラスというのは、地球で透明な仕切りとして扱われている板のようなものだ。それが細かく砕けると、君の見た破片のようになる」

「なる、ほど……?」

「そして自動車というのは、異世界での交通手段の一つだ。様々なパーツから作られる工業製品で、ガラスも使われている。敢えてこの世界の物で例えるなら、鎧を付けた早馬ぐらいに考えてくれ」


 事前に言葉を練っていたのか、流暢な説明が行われる。

 ライトは話についていくのに精一杯だったが、ここが理解できないと後が困ることだけは明確に理解できたので、必死に透明な鎧を付けた早馬を想像した。


「それと一応、破片についていた汚れにも説明しておこう。君は分かっていなかったようだが……」


 そこで一度、鏖殺人は言葉を切って口をつぐむ。

 しかし、無音だったのは一瞬だった。

 すぐに彼は口を開く。


「……あれは血だ。かなり乾いていたが、俺が風野凛花を殺した時に飛び散った血だろう」


 続けられた言葉の意味が、ライトは一瞬分からなかった。

 だがその言葉を咀嚼した瞬間、背筋がスッと寒くなる。


 破片についていた汚れと、倉庫で見た学生証についていた汚れが同種のものであったことを思い出した。

 なるほど、同じになる訳だ。

 両方とも血だったのだから。


 殺された異世界転生者は、恐らく学生証を胸ポケットにでも入れていたのだろう。

 その状態で鏖殺人に殺害されたため、服に血が染み渡り、学生証も血だらけになった。

 中央警士局からの応援要請に急かされた鏖殺人は、それを拭くこともなく倉庫に保管していたのだ。


 ただの汚れとしか思っていなかった物が、極めて生々しい殺人の産物であったこと。

 それを初めて理解したライトは、ある種の恐怖を感じていた。


「飛び散った血が付着していたということは、あの破片は俺が異世界転生者を殺した時には既に地面に落ちていたことを意味する。異世界の産物であるガラスが、異世界転生者の来た場所に置き去りになっていた……つまりあのガラス片は、異世界転生者と共に<門>を潜ってこの世界に来たと推測される。ここまでは分かるか?」


 未だにショックは残っていたが、辛うじてライトは頷く。

 自分の気分程度で仕事の邪魔はできない。

 それを見て、鏖殺人は流れるように推測を語った。




「ここで問題になるのが、あのガラスがなぜ風野凛花と共に<門>を潜るころになったのかという点だ。異世界転生者が死に瀕しない限り開かれない<門>を、何故ガラス片が通ってくるのか」


「勿論、たまたま<門>が出現したところにガラスの破片が大量に落ちていて、そのまま<門>に吸い込まれたという可能性もある……かなり確率は低いがな」


「仮にそうだったなら、<門>を通った後に破片たちは現場の至るところにばらまかれるはずだ。<門>を通る時、転生者には結構な衝撃がかかるらしいからな。君が見たように、多量の破片が一か所にまとまって落ちているような状況にはならない」


「では、どうやれば一ヶ所に破片がまとまって留置されることになるのか?……これが有り得るパターンは、恐らく一つだけだ」


「基礎知識を教えるが……加えられる衝撃の強さにもよるんだが、自動車のガラスというのは頑丈にできている。一度衝撃が加わったくらいでは、ヒビが入る程度で壊れはせず、何度も衝撃が加えられることで初めて砕け散る仕組みだ」


「そして遺留品などから考察すると、異世界転生者である風野凛花が瀕死になった理由は、どうも交通事故にあるらしい」


「つまり風野凛花が自動車に関係する事故に遭遇し、死に瀕した時……車の方ではフロントガラスにヒビが入り、その状態のまま<門>を潜り抜けて、この世界の地面に落下。そして落下と同時に限界を迎えて、砕け散ったんだ。これなら、一ヶ所に破片が固まることも有り得る」


「まあ、ガラスがどうやって砕け散ったかは本質的にはどうでもいい。重要なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ」


「まだ風野凛花は若く、地球の法律で車の運転はできない。風野凛花が法律を守らない輩で、勝手に車を乗り回していた可能性もあるが、流石に現実味がないだろう。向こうの日本という国はかなり治安が良い場所で、法律を破る人間はごく少数らしいからな」


「このことから、風野凛花をフロントガラスと共に異世界転生させた状況は二つ考えられる」


「一つは、彼女が誰かに車を運転してもらっていて、自分はその車に乗せてもらっている最中に事故にあった」


「もう一つは、彼女自身は普通に歩いていたが、突っ込んできた他人の車に轢かれた……このどちらかだろう」


「そうじゃない限り、車のフロントガラスと共に異世界転生してくることはない。車同士の衝突事故というのもなくはないが、その場合ならもっと大量の破片が<門>を通ることになる。俺自身の経験から言っても、車は一台だろう」


「つまり前者の場合は、車の運転者や風野凛花以外の同乗者。後者の場合は、轢いた車の運転手とその同乗者……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「最初の通報によれば、今回の<門>の発生に伴う発光現象──空間のエネルギーが漏れたために生じる雷の一種──は十秒程度続いていたらしい。アレルで観測される中でも、かなり大きな<門>ということになる。だからこそ、風野凛花以外にもう一人、別の人間がその<門>を通ってきた可能性は十分にある」


「まとめると、俺が到着した時には偶々風野凛花しかいなかっただけで、見えないところにもう一人異世界転生者がいた可能性が高いんだ」


「だからこうして急いでいる訳だ。あの現場にある証拠が確認できる間に、もう一度現場を見ておかなければ……みすみす異世界転生者を取り逃がしてしまう」




 一息に説明をすると、鏖殺人は話は終わりだと言わんばかりに急に黙った。

 同時に彼は移動速度を上げて、殆ど走っているような勢いで森の中を駆け抜ける。

 ライトはそれについていきながら、脳内にある種の興奮が満たされていくのを自覚した。


 鏖殺人の話には、理解できない点が多かった。

 これは仕方がない。

 ライトにはまだ、異世界転生者に関する知識などほとんどないのだ。


 だがそれでも、鏖殺人が僅かな手がかりから複数の可能性を吟味し、ここに来たことは理解できた。

 異世界転生者が一人ではないという事実を、ライトの拙い報告書だけで彼は見抜いたのだ。


 決して十分ではない証拠から、真相を推理する洞察力。

 異世界の生活を知り尽くす、底の見えない知識量。

 緊急事態だと感じれば、即断即決で動くこの行動力。


 ──これが、鏖殺人……。


 崇拝ではない。

 憧憬でもない。

 ただひたすらに、自分とはかけ離れた人間に出会った衝撃とでもいおうか。


 そんな存在を知りえたことへに……興奮する。

 ライトはもう、眠気など全く感じない。

 この時ばかりは、先に感じた恐怖も消え去っていた。




 ……急ぎ足で向かったせいか、すぐに現場が見えてきた。

 風野凛花が殺された一画は相変わらずロープで封鎖されており、夜番の地方警士の姿が見える。


 流石に鏖殺人の姿は有名だからか、今度は呼び止められなかった。

 すぐにこちらの素性を悟った地方警士が慌てて頭を下げ、ロープを解きにかかる。

 ライトがそれを見守っていると、意外にも鏖殺人が彼に話しかけた。


「この一週間で、何か不審なことはなかったか?人の姿を見たとか、何か不審な音を聞いたとか……噂話程度でも良い」


 話しかけられた地方警士は、緊張のせいかしばらく目を白黒させていた。

 やがて手を止めて考えだした彼は、ポツリと証言を零す。


「五日前に夜番をしていた同僚が、『警備中に何かに見つめられているような気がする』と溢しているのを宿舎で聞きました。怖がりな同僚の取るに足らない不安だと思い、特に上には報告していなかったのですが……」


 隣にいる鏖殺人の気配がさっと変化したことを、ライトは敏感に感じ取った。

 ライトもまた、この証言が持つ意味を考える。

 先程聞いた話を踏まえれば、容易にそれは分かった。


 ──鏖殺人の手を逃れたもう一人の異世界転生者は、やっぱりこの現場の近くにいて……現場を警備する地方警士を観察していたってことか。


 なかなかぞっとする話だな、とライトはその地方警士に同情する。

 そうこうしていると封鎖が説かれ、鏖殺人は現場の奥へ向かっていった。

 敬礼する地方警士を尻目に、ライトも慌ててついていく。


 数分も経たないうちに、大きな石が置かれている場所────鏖殺人が風野凛花を殺害した現場にまでたどり着いた。

 寝起きで走らされたこともあり、いつの間にかライトの息は完全にあがっていた。


 故に一度立ち止まり、深呼吸をして息を整える。

 ちらりと鏖殺人の方を見てみると、連れてきていたハルを解放した上で、木々の様子を観察しているようだった。


 ──早速、証拠集めか……。


 疲れ知らずの行動力に、殆ど呆れてしまう。

 一応、彼の行動原理は理解できたのだが。


 先程の話からすると、「もう一人の異世界転生者」は、何らかの理由で風野凛花を置いて一人で行動したものと考えられる。

 しかしこの森はライトも体験した通り、草木が茂りすぎて非常に歩きにくい。

 木の枝を折り、草をかき分けていかないととても歩けない。


 つまり森の中の様子を詳しく観察すれば、異世界転生者が去っていった時の痕跡は必ず見つかるはずなのだ。

 歩くだけで木の枝は折れ、草が踏み潰されるのだから。

 だからこうして熱心に観察しているのか────そう考えたところで、鏖殺人の呟きが聞こえてきた。


「……あった」


 つられて鏖殺人の方を見ると、彼はライトたちが来た方向とは反対……この森を抜けてファストの隣街へ向かう際に通ることとなる、木々に囲まれた小道に佇んでいた。

 急いで駆けつけると、鏖殺人が無言でとある枝を指さす。


 指さされたその枝は、明らかに枝の真ん中の辺りで折れていた。

 皮一枚で繋がっているのか、幹から垂れ下がるようになっているのが痛々しい。


 更に奥に目をやると、別の木でも似たような枝が存在しているようだった。

 一本だけこんな枝があるというのならまだ説明もつくが、二本連続となると、人間や大きな動物が森の中を通ったと考える方が自然である。


「最初に来た時に地元の人間に尋ねたんだが、この森にいる動物はキツネやウサギ、タヌキ程度。そんなに大きな動物はいないそうだ。ついでに言うと最近は天気も良かったから、風や雨で枝が折れたとは考えられない」


 ライトが熟考していることに気づいたのか、鏖殺人からヒントとなる言葉が加えられる。

 枝の高さを確認すると、ライトの目より少し低いくらいの高さにあった。

 とても、キツネやタヌキが歩く時に邪魔になる枝とは思えない。


 総じて、人間が通った痕跡である可能性が高くなる。

 ここから逃げる際、目に入って鬱陶しかった異世界転生者が折ったのだろう。

 そこまで考えたところでふと鏖殺人に視線を戻すと、彼は独り言を口にしていた。


「間違いない、異世界転生者だ……手間をかけさせてくれる」


 その姿は、どことなく楽しそうだった。

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