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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
一章 鏖殺人と普通の研修生
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五話

「…………はあ」


 予想外の無茶苦茶な指令を聞いた瞬間。

 ライトの口から飛び出したのは、怒りでも困惑でもなく、ただの生返事だった。


「助手と機材は用意しておくから、事務室で宮野君から受け取ってくれ。転生局のバッジも忘れないように。詳しいことはファストにまで行けば、地方警士が教えてくれる」


 余程急いでいたのか、鏖殺人は早口でそんなことを告げると、さっさと倉庫から出ていってしまう。

 そのため、ライトは「流石に知識無しで初仕事は無理があるだろう」という本音は言えずじまいに終わった。


 結果としてライトは、呆然としたまま荷物を受け取り、呆然としたまま早馬に乗り、そして呆然としたままファストの現場に到着する。

 事務室で多少の説明を受けたが、それ以外の講習は無いまま────もうなるようになれ、とだけ思いながら初仕事を始めたのだった。

 鏖殺人の指令を受けてから、僅か二時間後のことである。




 ────雑草が繁茂する中、人が踏み固めてようやく作られたような道を歩いていくと、ロープで区切られた一角に辿り着いた。

 立ち入り禁止を示す看板を見てそこが目的地であると察したライトは、ため息を吐きながらそこに座り込む。

 ついでにおぼつかない手で鞄を漁り、水筒の水を口に含んだ。


 ファスト外縁に広がるこの森は、手入れする人間がいないのか、酷く歩き辛い場所だった。

 体力にはそこそこの自信があったライトも、三十分森の中を歩いただけで疲労困憊する有様である。


 疲れた理由はそれだけではない。

 速度の代償として乗り心地を考慮してない早馬に長時間騎乗したことも、疲労の理由には含まれる。

 だがそれ以上にライトを疲労させたのは、今も右手に持つ「助手」の存在だった。


 ──頼むから、もう少し大人しくしていてくれよ……。


 言っても聞かないことはもう分かり切っていたため、心中でのみ愚痴をこぼす。

 愚痴の対象は、今も移動用ケースの中でガサゴソと外に出ようと暴れていた。

 開けたらそのまま逃げるんじゃないだろうな、と警戒していると────突然、がさがさと森の中から誰かが歩いてきた。


「おい、そこで何をしている!」


 姿を見る前から何となく察していたが、ライトの目の前に現れたのは現場を警備している地方警士だった。

 猟師以外近づかないようなこの森の深部に、いきなり人が現れたことを不審に思ったのだろう。

 警棒を手に持ちつつ、鋭い声を発してくる。


「ここは転生局の命により立ち入り禁止で……」

「あー、すいません。自分、その転生局の者です」


 職務熱心だなあと思いつつ、事務室で渡されたバッジを警士に示す。

 研修生の身であるため、鏖殺人たちのバッジとは色違いになっているが、身分証明にはなった。


 バッジを見せた効果は大きかった。

 警戒に染まっていた地方警士の目は見開かれ、ライトの格好を何度か見直した後、慌てた様子で敬礼をする。


「失礼しました!自分は現場保存を仰せつかった、野々宮マコトです!」

「あー、お疲れ様です。遺留品の回収を行うので、入ってい……」

「もちろん!」


 食い気味に言葉を返すと、野々宮という男は腰に携えた短刀で現場を封鎖しているロープを切り刻みにかかる。

 ロープは木に結んであるのだから、わざわざ切らなくとも解けば良いのではないかとライトは思ったが、野々宮の様子があまりにも必死だったので制止はしなかった。

 転生局の職員に、万が一にでも不興を買いたくないのだろう。


 ──俺も、二等職員のころは似たようなものだったな。上役の機嫌を損ねないことだけを気にしていて……。


 ある種の親しみを覚えつつ野々宮の様子を伺っていると、何とか眼前のロープを排除しきったのか、達成感にあふれる笑みで振り返ってくる。

 彼に会釈を返してから、ライトは相も変わらずケース内で暴れている「助手」を小脇に抱え、現場に入ることにした。


 そうしてライトが封鎖区画内に踏み入る間、野々宮警士は常に敬礼をしていた。

 彼の敬礼の半分は、恐らくは純粋な敬意から。

 そしてもう半分は……きっと恐怖心からなのだろう。


 ──転生局って、やっぱりこんな扱いだよなあ。


 呆れとも称賛ともつかない感想が浮かび、消えた。




 区画内をさらに奥まで進むと、少し開けた場所に出る。

 元々は森の一部だったのだろうが、主要な木を切り倒して草原のようになってしまっている場所だった。

 森というよりも原っぱに近い。


 そして原っぱの中央には、大きな石が置かれている。

 資料の内容を思い出しながら、ライトは石の傍にまで駆け寄った。


「ここが、例の異世界転生者が死んだところか……」


 観察してみると、石の周りには引っ搔いたような跡や、草を刃物で刈ったような跡が見てとれる。

 中央警士局からの連絡が来るまでは、鏖殺人自身が事後調査をしていたようだから、その時の痕跡だろう。

 何にせよここが現場で間違いないと判断したライトは、抱えていたケースを地面に降ろし、中を開放することにした。


「……出番だ、ハウ」


 待ちかねたかのようにケースから飛び出した小さな影は、弓矢を凌ぐ程の速度で走り出す。

 その影は最初に石の周りをぐるぐると周回し、鼻をふんふんと鳴らすと、キャンキャンと吠えながら石の上によじ登った。

 予想以上の元気の良さに圧倒されながら、ライトの口からは今度こそ愚痴が飛び出した。


「まさか、助手が犬とはな……」




 ……この「犬」と呼ばれる生き物は、元々は別の名前をしていたらしい。

 そんなことをライトに教えてくれたのは、以前にも転生局にまつわる話を提供してくれた噂好きの同僚である。

 別の名前とは何だと問うライトに、同僚はにやにやしながら説明してきた。


 何でもずっと昔は、「犬」という生物はもっと違う名前で……この世界の人間が名付けた名前で呼ばれていた。

 転機となったのは、かつて佐藤トシオが魔法戦争を起こして、世界の覇権を狙っていた頃。

 ある戦場で佐藤トシオがこの動物を見つけ、素っ頓狂な声を出したのだと言う。


「これ、犬じゃん」


 彼の話によれば、地球にもこの動物によく似た動物が存在しており、特に佐藤トシオの故郷である日本では、それらを犬と呼称しているらしい。

 だからこそ、彼はこの生き物も「犬」と呼んだ。

 この世界における元々の名前は、犬よりは長い名前だったそうなので、随分短縮されたことになる。


 結局、呼びやすいせいかこの動物を犬と呼ぶ人間が増え始め、佐藤トシオが死んでからもそれは続いた。

 終いには犬という名称は常識となり、元々の名前は歴史の動乱の中で消え去ってしまったのだ……。

 そこまで説明すると、同僚はぐいっと身を乗り出した。


「転生局って、異世界由来の技術や文化も取り締まってるだろ?そうなると犬って名前はさ、言ってみれば佐藤トシオの遺産なんだから、鏖殺人にとっては嫌な名前のはずなんだよ。その内、『犬のことはこれからは別の名前で呼ぶこと』なんてお触れが出るかもしれないぜ。お前も転生局で働いている間は、犬って言葉は口にしない方がいいんじゃないか?」




 ──あの言葉、どこまで本当なのやら。こうして転生局で普通に犬を使っていることからすると、丸っきり大嘘だったのかもしれないけど。


 少なくとも事務室にいたユキは、普通に「犬」と発音していたなと思いつつ、ライトは転生局で飼われている犬……ハウの様子を眺める。

 耳がピンと立っていて、黒く短い体毛で体を包んでいるその姿は、犬の中でもメジャーなラクツ種の特徴である。

 走力や持久力では競争犬として用いられるコウ種に劣るが、嗅覚と聴覚では負けていない。


 ──しかし、転生局まで犬を使っているとは……嗅覚が人間以上だから、捜査のために使っているんだろうけど。


 警士庁が犯人の捕縛や追跡のために用いている犬たち……いわゆる「警士犬」のことは、ライトも常識として知っていた。

 しかし流石に、「転生犬」の存在は想定外である。

 一等国家試験にも出たことがない。


 だから、事務室でユキから「仕事中はこの子を助手にしてください」とハウの入ったケースを手渡された時には、呆気にとられた。

 挙げ句、仕事は全部ハウに任せろとまで言われたものだから、もう何が何やら……。


 ……そんなことを考えていると、突然ハウがけたたましく吠えだす。

 慌ててそちらに顔を向けると、石から降りて様々な場所の地面の臭いを嗅いでいたハウが、ある一点に立ってしきりに吠えているのが分かった。

 吠える様子から、何となくハウが自分に対して苛立っているようにも感じられて、ライトは急いでハウの元に向かう。


「どうしたんだ、ハウ?」


 声を掛けてみると、賢いハウは立っている場所をずらして、自分の背後に落ちているものをライトにも見えるようにした。

 お陰で、何か光っている物がライトの目に映る。


「水晶……?」


 長さが一センチもない、小さな水晶の破片のような物。

 ハウが示した地面には、そんな破片が大量に落ちていた。

 不思議に思ったライトは、手袋をした上で破片の一つを摘まみとってみる。


 何となく光に透かしてみたが、特に変化は起こさない。

 ただの透明な石のようにも見えたが……他の地面には黒や茶色の石しか落ちていないのに、ここにだけ透明な石が固まって落ちているというのは奇妙だった。

 そもそも、風野凛花の遺留品のにおいを覚えさせているハウがこれに反応したということは、この破片から風野凛花の所持品と同じにおいがしたことを意味する。


 ──たまたま落ちていた透明な石の上に異世界転生者が座り込んで、においが移ってしまったとか?それで石を踏みつぶして破片になったとか……。


 そんな推測を浮かべていると、ふと新たな発見をする。

 自分が摘まんだ破片に、土とはまた違う、赤みがかった汚れが付着していることに気づいたのだ。


 ──この汚れ、どこかで見たな……。


 何だろう、と考え込んだ次の瞬間に、その正体を思い出す。

 転生局の倉庫で見た、遺留品の汚れがこんな色をしていた。

 あの遺留品にも、このような赤い汚れが付着していたのだ。


 しかし、分かったのはそれまで。

 生憎と警士庁で研修したこともないライトには、それ以上のことは分からなかった。

 とりあえず、落ちてあった破片は全て回収して袋に入れ、保存しておくことにした。




 ……その後も、ライトはハウを使って現場検証を続けた。

 だが回収した破片以外にハウが反応を示すことはなく、次第に日も落ちてくる。

 ライトも現場を歩き回って、何か変わったものがないか探してみたものの、ハウに気づけないことにライトが気づけるはずもない。


 結局、夕方になるのを待ってその日の捜査は打ち切ることにした。

 ハウを再びケースに入れ、もう二日間の警備を地方警士に頼んでおき、来た時とは逆に森を進んで地方警士局ファスト支部にまで戻る。

 彼らにハウと早馬の世話を頼んでから、回収した破片と今日の分の報告書を用意して、伝書カラスで鏖殺人に伝えてもらうことにした。


 全てを終えてから宿で夕食を取ると、もうすっかり夜である。

 波乱の一日を終えて心身共に疲労していたこともあり、少し早めではあるが、ライトはベッドに潜り込むことにした。


 ──どこまで調査すれば終わりと言えるのかわからないけど、とりあえずは後二日、ハウに探させたら良いのかな……。


 仕事内容は本当にこれでいいのか。

 そんな不安にある程度折り合いをつけて、目を閉じる。

 ライトが夢の世界に旅立つまで、一分とかからなかった。




 しかし彼の夢は、比較的すぐに打ち切られることになる。

 ライトの報告書を呼んだ鏖殺人が、早馬でファストの街に駆け付け、真夜中にライトを叩き起こしたからだ。

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