三話
転生局が異世界転生者を危険視する理由は幾つかあるが────その一つに、「異世界由来の知識」の存在が挙げられる。
というのも、アレルから見て異世界となる「地球」は、技術面において大きく進歩している。
異世界転生者が、当たり前のように持ち込む機器──携帯電話に電池、ノートパソコンに望遠鏡──は、その一つ一つが、アレル側の技術を一気に、何百年も進化させるような品々なのだ。
必然的に、異世界転生者を野放しにすれば、その技術が世界に溢れることとなる。
そうなると、この世界にとっては不幸なこととなるだろう。
どう考えても、その技術を用いた競争が発生するからだ。
他者を押しのけ、不必要なまでに加熱した競争は、やがては国をも滅ぼしうる。
それを抜きにしても、拳銃や爆薬と言った、存在するだけで危険な武器の類も、異世界転生に乗じて持ち込まれることがあるのだ。
だからこそ鏖殺人は、異世界転生者がその知識を広めてしまう前に、彼らを殺し、他者がそのような技術を利用することを、不可能としなくてはならない。
……しかし、それだけが、鏖殺人の存在意義ではない。
彼のやるべきことはもう一つある。
それが、「魔法」による被害の阻止である。
魔法とは、端的に言えば、「異世界転生者のみ使用出来てしまう、特殊能力」となるだろうか。
奇跡や、法術、果ては神にでもなぞらえたのか権能と呼ぶものもいるが、多くの人間はそれを魔法と呼ぶ。
戦争終結から百五十年近く経っても未だに恐れられている、異世界転生者だけが使える異常な能力のことだ。
かつては人々に恩恵をもたらすとされ、恐れられつつも求められた能力。
そして、歴史上一番の使い手であるとされる、「最悪の異世界転生者」佐藤トシオの振る舞いから、存在すら許されないようになった能力である。
何故、そんな「魔法」と呼ばれるものが、異世界転生者のみ使えるのか。
それもまた、<門>のことを考えれば説明できる。
先程、異世界転生のことを、ライトは台風や地震といった自然災害に例えた。
その例にをもう一度使うならば────それらの災害と、異世界転生における<門>の発生との間には、ある共通点がある。
それは、どちらも、一度起こるたびに莫大なエネルギーを放出する、という点である。
例えば、大きな地震は、広範囲の大地を揺らし、家を壊し、山すら崩す。
場合によっては、地盤すら破壊してしまうだろう。
それほどの、人間が何百人と集まっても絞り出せない程のエネルギーを、自然災害というのは一瞬で放出するのだ。
同じ自然災害である以上、<門>の開放も、その例外ではない。
平行世界の接触が起こり、<門>が開くたびに、周囲には莫大なエネルギーが放出されているのだ。
そして、ここからが地震や台風とは違う点なのだが────<門>の場合、その莫大なエネルギーの一部は、<門>を通過した異世界転生者によって吸収されるのである。
異世界転生をした者は、例外なく、自然のエネルギーの一部を手に入れる、と言っても良い。
そのエネルギーが、「魔法」という超常的な力を、異世界転生者に与えるのだ。
どうして<門>の発生の時のみそんなことが起きるのか、その理由は誰も知らない。
……だがその脅威だけは、誰もが知っている。
……普通、転生直後の異世界転生者は、自分にそんな莫大なエネルギーが宿っていることには気づかない。
しかし、彼ら自身がそれに気が付かなくても、彼らの肉体は、その莫大なエネルギーを扱えるよう、肉体を最適化し続ける。
この場合の「最適化」というのは、人間が背負うには大きすぎるそのエネルギーの処理方法を、身体が構築することに他ならない。
本来人間が持つはずの無いそのエネルギーを処理するべく、生存本能に従い、体が無意識に努力するのだ
そして────完全に最適化が行われたその日、異世界転生者は突然自身に宿った力と、その使い方を理解することになる。
それは生きていくための本能行動のようなもので、外部から止めることはできない。
自発呼吸のやり方と同じ程度に、「生きるために行う当たり前のこと」として、魔法の使い方は脳に刻まれるのだ。
その、刻まれたやり方に従って、異世界転生者の意思の元、外部に放出されるエネルギー。
異世界転生者の意志の元、そのエネルギーが引き起こす現象こそが「魔法」である。
魔法で出来ることというのは、大抵何でもありで、手から火を出したり、何も無い場所から金属を生み出したり、果ては引力を操作するような例すらあるが────得てして危険である、ということで知られる。
何せ、歴代でも最大のエネルギー──魔法の元となる力であるため、普通魔力と呼ぶ──を扱えた異世界転生者、佐藤トシオに至っては、自由に隕石を降らすことすら可能だったのだから。
移動型であれば半年に一度、再誕型の場合は数えられない程の数の異世界転生者が。
これだけの力を行使できる者が、定期的にこの世界に現れるのだ。
だからこそ────。
「……だからこそ、転生局は異世界転生者を殺さなくてはならない。彼らが肉体を最適化させ、魔法を使えるようになる前に。戦争の原因にも、強力な兵器にもなりうる存在が、その力に慣れてしまう前に」
再び始まった演説の最後の一文は、ライトではなく、鏖殺人の方から発された。
さすがに長すぎたか、とライトの心臓が不安から嫌な鼓動を刻む。
「……内容は完璧だ。しかし、よく覚えているな。異世界転生者関連の事項は、知るだけで脳が汚れるとして、学生には教えない学校すらあると聞いたことがあるが……」
「大学校の教師が、この手のことに詳しかったので……」
三日前にテキストを貸してくれた恩師の顔を思い出し、ライトは心の中で繰り返し感謝の弁を述べる。
ついでに、一夜漬けの知識をまるで既知の知識のように述べる自身の演技力に少し呆れる。
そこまできて、鏖殺人は彼の机から持ってきた氷水を少し口にした。
同時に、今まで部屋の中に満ちてきた、ピリピリと張り詰めた雰囲気が霧散する。
──山は越えたか。
いつの間にか、額には汗が伝っていた。
袖でその汗を拭いながら、ライトは現状を確認する。
そんなライトの様子をちらり、と見た鏖殺人は、グラスを机に置くと、再び言葉を紡いだ。
その口調に、先ほどまでの真剣味はない。
おまけの質問を少しくらいはしておこう、といった心境なのだろうか。
「……佐藤トシオとは、どんな人物だ?簡単にで良い」
「約百五十年前に現れた異世界転生者です。極めて強力な魔法の使い手であり、世界中の国に対して宣戦布告を行って、魔法戦争を引き起こしたことで知られています」
こちらも、基礎知識だ。
特に気負うことなく、すらすらと詳細を述べる。
「彼自体は、グリス王国の建国者たちに討たれました。しかし、彼が扱った天変地異を操作するほどの魔法は、各国に大きな爪痕を残し、一時は殆どの人間が原始人のような暮らしを余儀なくされました。彼の存在により、この世界の発展は千年遅れたとすら言われます。結果、彼の行動を受けて、転生者は見つけ次第殺すのが、この世界の常識となりました」
言い終わると、鏖殺人が静かに頷く。
同時に、次の質問が飛んできた。
「……結構。では、次の質問。異世界転生者が、魔法の扱い方を自覚するまでにかかる時間は、どのくらいだ?」
「移動型なら一か月から三か月。再誕型であれば生後三から十年です。ただし、極めて個人差が大きいことも考慮に入れておく必要があります」
「よし、では、これで最後だ。……今まで異世界転生者を、俺や、先代の転生局局長が殺す場面を見たことはあるか?」
「……はい、あります」
最後は小問集合。
それも、内容は二等国家試験に出る程度のもの。
おかげでスラスラと答えられたが────最後の質問だけは、答えるのが遅くなってしまった。
だが、鏖殺人の方はさして気にしなかったようで、ライトの返答を受けてすぐにゆっくりと立ち上がった。
「そのぐらい知っているのなら、俺から教えることはないな。三ヶ月くらいなら、何とかなるだろう」
鏖殺人は、そのまま彼のデスクにまで戻り、引き出しから何かを取り出した。
単純に興味を惹かれ、そちらに目を向ける。
そこにあったのは、何の変哲もない呼び鈴だった。
一瞬、ライトの頭を疑問符が占めたが、それを咀嚼する暇もなく、鏖殺人が鈴を鳴らす。
「はーい!」
間髪入れず、壁越しに女性のはっきりとした声が響く。
途端に、面接終了によってようやく落ち着いてきた心臓が、嫌な跳ね方をした。
──この声、さっきの子の声か。
脳裏に、転生局の入口で会った、車椅子の少女の姿が浮かび上がる。
別れたのはせいぜい十分前のはずだが、緊張しすぎたのかやけに前に感じた。
そんなことを考えていると、すぐに車輪の回る音が聞こえてきて、ほどなく局長室の扉がコンコン、と鳴った。
「失礼します」
鏖殺人の返事を待たず、器用に扉を開けて少女が入ってくる。
手慣れたその姿を見て、ライトはこの少女が鏖殺人とある程度は長い付き合いであることを察した。
十分ぶりの彼女の姿は、相変わらず可愛らしく映る。
先程との違いといえば、彼女の膝の上に、結構な量の書類が乗っていることぐらいだろうか。
「例の事件の資料と、一週間前の方の報告書。必要かと思って持ってきました」
「ありがとう。まさに、それを頼もうと思っていたところだ」
少女の言葉を聞きながら、鏖殺人は再び立ち上がる。
そして、少女から書類を受け取った。
その隙に、ライトは目の保養代わりに、少女のことを凝視した。
美少女というのは、目の前に居るとどうしても見てしまう。
しかし、流石にあからさま過ぎたのだろうか。
あっさりと、少女には気づかれてしまった。
「……あの、どうされました?」
やや高めの声がライトの耳を震わせ、一気に思考が現実の地平へ戻ってくる。
気が付けば、反射的に言い訳を口にした。
「あ、あの、自己紹介、してなかったなって」
とっさの言い訳のわりに、説得力はあったらしい。
少女はそういえば、とでも言うような表情を浮かべ、車椅子をライトの座っている方向に向ける。
そして、丁寧なお辞儀をした。
「転生局秘書官、一等職員の宮野ユキです。見ての通り足が不自由なので、ご迷惑をかけることもあると思いますが、よろしくお願いします」
「あ、えー、研修生の四宮ライトです。えー、何分初めてすることばかりなので、迷惑しかかけないと思いますが、どうか見捨てずによろしくお願いします」
脂汗を垂らしながらひねり出した冗談は、それなりに場を和ませたらしい。
ユキという少女がくすり、と笑う。
それだけでも、部屋の空気が柔らかくなった。
「……あのー、不躾を承知で尋ねるんですが、宮野さんはおいくつでいらっしゃるのですか?」
自己紹介のついでに、先ほどから気になっていたことを尋ねてみる。
実を言うと、彼女の若さは、先程から疑問に思っていたのだ。
グリス王国に生まれた六歳までの子供は、幼少期は村や町の保育所に預けられ、そこからは基礎教導院に六年、発展教導院に六年と、計十二年の義務教育がある。
その先は各自の選択で道が分かれ、就職したり、大学校でもう四年勉強したりする。
さらに、一等国家試験は大学校での知識がないと太刀打ちできないこと、一等職員の研修期間が二年間であることも考えると────一等職員である目の前の少女は、どれだけ若くても二十五歳以上のはずなのだ。
だが、ライトにはどうしても彼女が十代にしか見えなかった。
それ故の、疑問である。
どんな答えが来るか、と思って、ライトは宮野ユキを見つめる。
しかし、疑問を解消してくれたのは、意外にも鏖殺人の方だった。
「彼女は成績優秀者、ということで発展教導院を三年で卒業して、そのまま大学校に行かずに独学で一等国家試験に合格したからな。今は十八歳だ。……若くて、驚いたか?」
──飛び級、か。本物の天才だったのか……。
話を聞いて、ライトはかなり驚いた。
飛び級、というのは確かに制度としては存在するが、使う人間はそう居ない。
そのくらい、高い壁なのだ。
経歴を明かされたことが恥ずかしいのか、ユキの方は少し顔を赤らめている。
尊敬の念も相まって、ライトにはその様子すら輝いて見えた。
「……いい加減、研修内容に移っていいか?」
話を本題に戻したのは鏖殺人の呆れ声だった。
いつの間にか鏖殺人は、ライトの正面の椅子に戻っている。
慌てて彼の方向に向き直り、差し伸べてきた書類を受け取った。
「現在転生局がかかりきりになっている事案が、二件ある。まずはその内容から知ってもらおう」
「二つ、あるんですか?」
「ああ。一つは、中央警士局からの依頼で、最近連続して王都で起こっている殺人事件に対する調査。もう一つが、一週間前に俺が殺した、風野凛花という移動型異世界転生者に対する追加調査だ。君には、この追加調査の方に関わり、仕事を覚えてほしい」
──初仕事、か。
手渡された書類が、ライトには異様に重く感じられた。