十二話
「一般にはあまり知られていないが、医療機関で子どもが生まれた時には、医師はその子どもの様子を観察する義務がある」
つらつらと続けられていた話の風向きが少し変わり、カケルはいつの間にか下を向いていた顔を上げる。
鏖殺人の方に目をやると、彼はカケルの理解を待つようにしてゆっくりと話を続けた。
「考えてみてほしい。異世界転生者は、地球とかいう異世界では、普通に人間として暮らしていたんだ。それが、ある日突然見知らぬ場所で赤ん坊に生まれ変わっている。混乱しない方がおかしい。もちろん、最初は様子を見るだろう。現実を受け入れられないために、奇怪な行動をとりもするだろう。……しかし、そのうちに現状を理解しようと努めるはずだ。ここまでは、良いか?」
鏖殺人の問いかけに、カケルはしっかりと頷く。
ランが異世界転生者かもしれないと疑い、引っ越しを繰り返していた時の自分たちの心情を思い返せば、それを理解するのは簡単だった。
要するに、得体のしれない状況に追い込まれても、人は何とか生きようとあがく、というだけのことなのだから。
「だが、再誕型の場合、その肉体は赤ん坊のそれだ。当然、どれだけ隠そうと思っていても、異世界転生者の行動は普通の赤ん坊のそれとは異なってしまう」
「……例えば、空腹になっても泣かない。あるいは、お漏らしをした時に、泣くのではなく言葉でそれを伝えようとしてしまう。魂の年齢はそれなりの年齢に達していることが多いから、羞恥心の方が勝るんだろうな」
「そういった奇妙な行動をとる子供がいた場合、医師は転生局に通報する」
すらすらと述べる彼に、カケルは質問を挟む。
「……じゃあ、再誕型の異世界転生者の存在は、かなり早くに分かるんですか?」
「ああ。尤も、これはその子どもが医療機関で生まれた時の話。都市部以外では──それこそ、この村のような場所では、未だに産婆を呼んで、自宅で子どもを出産するような家が多いからな。その場合、そういったチェックがろくにされないことがある。故に、その存在が発覚した再誕型異世界転生者というのは、出身地が農村であることがほとんどなんだ」
「つまり……都市部の病院で生まれて、しかもおかしな行動をとったことがないのであれば、その子どもはまず間違いなく異世界転生者ではないっていうことですか?」
「そうなる。まあ、人間がやることだから取りこぼしはあるだろうが」
「……ランは、どうだったんです」
カケルの問う声は、少し震える。
しかしもちろん、鏖殺人の声は震えない。
「医師が当時取っていた記録─処分し忘れていた物が残っていた─も目を通したが、異常なし、だ。改竄に協力した医師の方も、なぜこんな普通の子どもを、両親が異世界転生者だと思い込んでいるのか不思議に思っていたほどだったらしい」
少し間を開けて、静かな音が響く。
「それを受けて、最終チェックとして行ったのが、先ほどの名前を聞くテストだ。異世界転生者は、異世界では別の名前で生きていたために、この世界での新しい名前になじんでいないことがある。特に、子ども──この世界で暮らした年数が短い者はな。だが、あの子の肌に触れて、脈拍を測りながら聞いてみたが、君の妹の話し方は普通だったよ。なじめない名前を口にしていれば、多少は表情や呼吸に変化がみられてもいいはずだというのに」
ここまでくれば、予想はできていた。
次に鏖殺人が、何を言うかを。
「転生局の局長として、ティタンとして保証しよう。星野ランは異世界転生者ではない。あの子は、ただの人間だよ」
意外にも、その言葉を告げられた時、カケルの身に襲い掛かったのは歓喜の感情ではなかった。
むしろ、それとは程遠い感情だった。
鏖殺人の話が、理解できなかったわけではない。
むしろ、その話は子どものカケルにも理解できる程度のことで。
もはやカケルから見ても、ランが異世界転生者だという認識は、不運から生まれた、ただの勘違いであることは明白で。
だからこそ────虚しかった。
後悔か。
悔恨か。
いつの間にか、カケルは愚痴をこぼす。
「だとしたら、俺たちはこの五年間、何のために……?こんな村まで来たことに、何の意味が……?」
「意味は無かったな。君の妹が計算が出来るだのなんだの言いだした時に、転生局に来てくれさえすればいいものを。そうすれば、五年前の時点で、俺はその書類を渡すことが出来ていた」
鏖殺人の返答は、容赦というものを知らなかった。
カケルたちが必死の思いで過ごした五年間を、無意味の一言で切って捨てる。
だが、カケルはその一言に納得もしていた。
鏖殺人の立場からすれば、転生者法を守ることを嫌がった家族が、普通の人間である娘の存在をひた隠し、しなくてもいい苦労を自ら引き受けたように見えているのだろう。
カケルはようやく、なぜ鏖殺人が、朝来た時からどこか疲れているような──もっと言ってしまえば、面倒くさがっているような様子でいたのか分かった。
本当に、彼にとって、この件はどうでもいい仕事だったのだ。
ただひたすらに、異世界転生者に対する理解を欠いた家族が、娘が異世界転生者ではないかと騒いでいただけの案件。
「……こういう例、結構あるんですか?」
哀願するようにして、カケルは問いかける。
自分たちの行動が、そこまで間抜けなものだと思いたくなくて。
「……しょっちゅうだよ。というより、転生局の仕事の半分ほどは、今回のような誤報の対処だ」
その言葉は、どうやら本当らしかった。口調が、カケルを慰めるために嘘を言っているようなものではない。
しかしやはり、その答えを聞いても、カケル心は晴れなかった。
どう考えたところで──。
「うちの一家は、勘違いでずっと逃げ回っていたんですね……」
この事実は、消えない。
それからしばらく、沈黙が続く。
カケルの様子は、鏖殺人の目にもひどく落ち込んでいるように映っていたのだろう。
さすがに気になったようで、声をかけてきた。
「俺が言うのもなんだが、喜ばないんだな。今までその手の書類を渡した家族は、概して歓喜したものだが。まあ、複雑そうではあったが……。君ほどの落ち込み様は見たことがない」
カケルが何も言わないでいると、鏖殺人の言葉はさらに続く。
「いや、むしろ君は──妹が本当に異世界転生者で、そして俺に殺されることを望んでいたのか?」
バッ、とカケルは一瞬で顔を上げる。
鏖殺人はいつの間にか、手荷物─何を入れているのか知らないが、米俵くらいの大きさがある─から一枚の紙を取り出して、カケルの方に見せていた。
子どもが書いたと一目でわかる、汚い字で書かれた手紙。
紙は、この村にある雑貨屋で買えるもの。
インクは、基礎教導院の学生がよく使う青いインク。
そしてその字を紡ぐ筆跡は、間違いなくカケル自身のものだった。
──やっぱり、出していたんだな。
ここまで来ると、カケルはその事実を落ち着いて受け止めることが出来た。
手紙の内容にも、動揺することなく目を通す。
教科書の例そのままの時候の挨拶から始まり、次の行にはカケルたちの家の住所が書かれている。
さらに、異世界転生者と思われる少女の外見や、彼女が起こした不思議な出来事──先ほど鏖殺人によってただの模倣と片付けられた、足し算に関する話──についても書いてある。
書いた者の名前は、さすがに無い。
しかし、カケルしか知らない話で、その手紙は書かれている。
「もう一度聞こう。この手紙を出して、俺や白縫君をこの村に呼んだのは、君だね?」
「……はい」
今度こそ、はっきりとした返事を返すことが出来た。
「俺の立場としては、君の行動は賞賛すべきものだ。異世界転生者だと疑われている者の存在を、教えてくれたんだからな。たとえそれが誤報だったとしても」
「……はい。そう、でしょうね」
「だが、一応聞いておこうと思う。なぜ、今まであの子の存在を隠すことに尽力していながら、こんな行動を起こした?」
「……それ、答えなきゃ、ダメですか?」
「いや、これは俺の個人的な興味だ。義務はない。しかし──」
そこで鏖殺人は首を回し、カケルを正面から見据える。
「話したいんじゃないか?君の方も。だから俺を呼び止めたんだろう?」
その言葉は、カケルの心に結構な影響を及ぼした。
だから、カケルは口を開いた。
あの日の、酔っぱらって手紙を伝書カラスに括り付けた日のことを。
そして、それ以前から、ランに抱いていた感情のことを。




