十一話
「ま、待ってください!」
鏖殺人が口を閉じた瞬間、カケルは飛び込むようにして次の言葉を制止する。
これ以上言葉が続けられる前に、言いたいことがあったのだ。
数回、焦り気味ではあるが呼吸を繰り返し、何とか息を整えて声を発する。
「……その推理では、ランが起こしたことについて説明ができません」
「そうか?」
鏖殺人は気分を害した様子もなく、言葉少なに応じる。
心なしか、楽しそうだ。
「父親か母親がその場にいたのは確かでしょう。ですが、俺がやっていた計算の問題が見えるほど近くにいたのなら、俺は傍に両親がいたことを、さすがに覚えているはずです。しかし、実際には近くでランが走り回っていたことしか覚えてない。つまり、親は俺たちよりも少し離れた、視界に映らないような場所にいたことになります」
何度も思い返した光景だ。その場の様子に関しての記憶は、間違っていないと思う。
「宿題の紙なんて小さなものです。よく近づかないと問題なんて見えません。……局長さんが言うようなやり方で、親が答えを呟くのは不可能です。ランから見える位置にいないと、それはできないんですから」
「そうでもない。君は確か、その時色石を使っていたんだろう?計算のために」
「それが、なん……」
言い募ろうとして、カケルは、はたと気づく。
色石の数は多い。カケルはあの時、それらを床に置いて使っていたはずだ。
加えて、結果が分からなくなることがないよう、それらは宿題の紙とは少し離れた場所で使っていたのだろう。答えが分かっても、紙に書く際にいちいち石をどかすのでは非効率だ。
そして色石には、名前の通り色がついている。
「多少離れていても、色石が何個置いてあるくらいは見えるだろう。あれの色は目立つからな。それに、その人物は走り回っている君の妹がこけたら大変だから、そこまで離れてはいなかったはずだ。君たちの様子を見守りながら、料理なり洗濯なりをしていたんじゃないか?……足し算をしていたということは、その石はまず二グループに分けられ、最後に一緒にして数を数えるだけ。見ているだけでも解ける」
補足される鏖殺人の説明に、カケルは思わず頷いてしまう。
だが、カケルにはまだ反論できるだけの材料があった。
「……そうだとしても、おかしいことがあります。その光景を見てからしばらくは、俺は両親に話さなかったんです。バレたらまずい、と思って。だけど、三日経ってからこらえきれずに話して、大騒ぎになりました。両親のうち片方でもあの光景を見ていたというのなら、三日たってから大騒ぎするのはおかしいんじゃないですか?その場で何か言うはずでしょう?」
「それはおかしくも何ともないな。幼い日の君と同様、まだ若かった君の親も、しばらくは現実を受け入れられなかっただけだろう」
先ほどまでと変わらない調子で、鏖殺人がさらりと告げる。
絶句するカケルを横目に、彼は淡々と言葉を紡ぐ。
「自分の子どもが異世界転生者かもしれないと思いつつも、どうしても認められない。より詳しく調べたらはっきりするかもしれないが、恐怖心からそれもできない。異世界転生者だと分かってしまえば、その子供を殺しに行くか、逃げ続けることにするか、決断しなくてはならなくなるからな。……よくある話だよ。珍しくもない」
「そう、ですか……」
「一応言っておくが、『傍に親がいたというのに、三日経ってから親に言ったのはおかしい。当時の自分は、その場にいた親がそのことを知っていると認識できていたはずだから、わざわざ言いに行かなかっただろう』とかいう反論も受け付けないからな。実際、君は何度も思い返していながら、その場に親がいたことを、俺に聞かれるまで思い出していない。妹が異世界転生者かもしれないという疑惑で、近くに親がいたということを忘れてしまったんだろう。まだ小さかっただろうしな」
何の感情も見せずに、鏖殺人はこちらの意見を叩き切っていった。
「……だけど、その後も、ランは計算をしたんですよ。両親の目の前で」
「それについては、原因に君も含まれるだろうな。君がその光景を覚えているということは、三人で見守っている中で、彼女の計算能力を試したということだ。色石を目の前に差し出されたあの子は、君たちの真似をしたんだろう」
「俺たち、の?」
訳が分からず、首をかしげる。
それを前にして、鏖殺人は分かりやすく「やれやれ」と言った雰囲気になった。
「その時も、彼女がやらされたのは足し算だったはずだ。君とその親が目撃した時と同じような条件から始めないと、検証にならないからな。そして、君にとってもそれは数日前に説いた計算の内容だ。さすがに答えは分かる」
「だけど、さすがに口には出しませんよ。それこそ検証にならないじゃないですか」
「そうかな?君たち一家にとってその詰問は、運命の分かれ道のように思えたはずだ。当然、気は焦るし、彼女がどう答えるか気になってしょうがない。しかし、これには時間がかかったはずだ。彼女が計算の答えを口にしなかったとしても、本気で分からないのか、どう答えるか迷っているのか分からないからな」
そこで鏖殺人は息継ぎをして、念を押すようにして言葉を発した。
「苛立った君たちは、こう聞いたんじゃないのか?『これの答えは一だと思う?二だと思う?』ってな」
その言葉を聞いた瞬間、霧が晴れたかのように、カケルの脳裏にある光景が浮かび上がった。
当時住んでいた、ファストでの家の中だ。まだ若い両親と、基礎教導院に上がったばかりの自分が、赤ん坊のようなランを取り囲んでいる。
場の全員がその手に色石を持ち、目は安定せずに揺れている。はっきり言って異常な光景だ。
そして、やおら父親が口を開く。
「ラン、ここに色石が三個、ある。お父さんが二個捨てよう。残るのは……い、一個か、二個か。どっちだ?」
一個、と口にした時、父親の表情は激しく揺れ動いている。
そう答えられてしまうと、わが子が異世界転生者である可能性が増してしまう。
答えてほしくない、という思いが、口調を変化させる。
だが、二個と言った時の口調は、普段通りのものだ。大した変化はない。
所詮誤答だと分かっているためか、声にも力が入っていない。
しかし、父親も、母親も、自分たちの口調の不自然さには気が付いていない。
ランが異世界転生者かもしれないという恐怖から、平常心を失ってしまっている。
そもそも、二択の形で聞いてしまえば、仮にランが適当に答えても正答率は五割となり、主観的には結構高くなってしまうはずだ。
しかし、意識が恐怖に持っていかれてしまっている彼らは、そのことにすら気が付かない。
一方、聞かれているランはそんな事情など分からない。ただ、その良い目で父親の顔だけを見ている。
「一個」と言った時には面白い表情を浮かべる、父親の顔を。
だから、彼女は答えてみる。悪戯も込めて。
「いっこー!」
両親の首が、がくり、と落ちる。
そして、落ち込んだ両親に変わって、次は自分が似たような問いかけを────。
「君の妹が異世界転生者ではないという証拠は、他にもある」
カケルが突如蘇った記憶を思い返している間も、鏖殺人の言葉は緩まなかった。もはやカケルの方には見向きもせず、結論を積み上げていく。
「さっきも言ったが、君の妹について怪しいと思ったのは戸籍がきっかけだ。それで、そもそもの戸籍はどのようなものだったのか、調べてみたんだよ。昨日のうちにな」
「再誕型異世界転生者の両親は、普通に出生届を出すことが多い。君のところもそうだった。そして、偽造戸籍の信頼性を上げるためにも、出生届は改竄されていないんじゃないかと思ったんだ」
「その手の書類には保存義務があるからな。倉庫を漁るだけで見つかったよ。案の定、手が加えられてはいなかった。そして、出生届にはその子供が取り上げられた場所を書く欄がある」
「書かれていた診療所に出向くと、言い含められてたせいか、医師は君の妹の存在を否定したよ。今思えば、免罪符の偽造品が手に入ったことを、君の両親はあの医師に伝えていなかったんだな」
「あの子は病気で、生まれて間もないころに死んだ、と狂った鳥みたいに言い続けていた。……尤も、中央警士が声を張り上げた途端、泣きそうな顔で黙ったが」
「あとは簡単だ。その医師を公文書偽造でしょっ引いて、色々と話を聞く。結構な間秘密を抱えてきたことで、精神的に参っていたのかもな。案外あっさりと喋ったよ」
「ただ、こちらとしてはどうやってその存在が隠されたのかは興味がなかった。むしろ大事なのは、君の妹が生まれた直後の様子についてだった。それを聞いて、俺はその子どもが異世界転生者ではないことを確信したんだ」




