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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
二章 鏖殺人と兄妹の免罪符
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八話

「転生局の業務の一環として──少々屋内を捜索させていただきたい」


 最初に鏖殺人が行ったことは、予想通りと言えば予想通りのことだった。

 すなわち、胸元につけた転生局への所属を示すバッジを外し、右手に持ってカケルの方に見せつける。


 その上での、捜査の提案。

 やろうと思えばそんなことはせずとも、いくらでも事後承諾で屋内に入っていけるはずだが、なぜか彼はそれをしなかった。


 それは余裕の表れか。

 あるいは、単に揉め事を増やしたくないのか。


「す、少し、待っててくださ、い……」

「何故です?」


 反射的に口をついた言葉には、間髪入れず疑問の声が返ってくる。

 その言い方一つにも、何やら異様な雰囲気が漂っていた。

 嘘は何一つ許さない、とでも告げているような鋭さが内包されており、子ども相手にもやけに丁寧な口調と合わせて、カケルの恐怖心は増幅させられる。


 だが、昨日の白縫が訪問した時と異なり、カケルは恐怖を感じながらもなんとか言葉を返すことが出来た。

 それはやはり、母親が手に入れた「あれ」の存在が大きかったのだろう。


「お母さんを、呼んでくるので……」

「ほう?確か、別の場所で働いていると聞きましたが?」

「昨日、帰ってきたんです……」


 一応、事実を言っている。

 本音としては、このまま鏖殺人が家に入り、寝起きの母親に会ってしまうと、寝ぼけた母親が何か不都合なことを口走ってしまうかもしれないので、準備時間が欲しかっただけなのだが。


 しかし、言い訳としては不自然ではないだろう。

 そう分かっていたために、カケルは割合に落ち着いた様子で鏖殺人を見返すことが出来た。


 鏖殺人はそこでバッジを掲げていた手を下ろし、ぼそり、と呟く。


「では、起こしてきてください。……できるだけ早く」


 言われなくとも、そのつもりだった。

 玄関で立っていたカケルはすぐに振り返って、客間に向かおうとする。


 だが、振り返ったその瞬間、カケルは思わず叫びそうになった。





「にーちゃ、外、出て良いの?」


 カケルのすぐ背後には──いつの間にかランがいたのである。

 カケルよりも先に、鏖殺人がそれを見咎めた。


「妹さんですか?可愛らしい声がしますけれど」


 外から、鏖殺人が疑問を投げかけている。

 部下に当たる白縫から「両親は出稼ぎに行っていて、この家には子供が一人で住んでいる」と報告されたというのに、別の子供の影があることを不審に思ったのだろう。

 その言葉を聞いて、カケルは気が付けば冷や汗を垂らしていた。


 カケルの様子は、下から見上げる形となるランの眼にははっきりと深刻そうに映っていたのだろう。

 ランは、まるで叱られているような表情を浮かべながら、子どもらしい弁明を述べる。


「にーちゃ、外に一緒に出ようって言ったから……。出てもいいのかなって。ダメ、だった?」


 良くはない。

 白縫に対して、カケルはここで一人暮らしをしていると言ってしまった以上、ランの存在はカケルが転生局の職員相手に偽証した証拠のようなものである。

 それだけでも何らかの罰が与えられる可能性はある。


 第一、「あれ」があるとはいえ、ランがぼろを出すかもしれない以上、ランと鏖殺人が会話するのは避けなくてはならない。


 ──いや、でも……。


 よくよく考えれば、カケルが妹と暮らしていることは、鏖殺人が屋内を捜索すればいつかは判明したことである。

 切り札となる「あれ」を提示するためにも、むしろ見つかっておかなくてはならなかったともいえる。

 そう考えれば、今までの癖で危機だと感じはしたが、大したことではない気もする。


 故に、カケルはあえてどうでもいいような口ぶりで告げた。

 鏖殺人に、背を向けたままで。


「そうですよ、何か?」


 そのまま、泣きそうな顔をしているランの手を引いて、カケルは客間に向かった。

 鏖殺人がその言葉をどう聞いているかは、さすがに確認できなかった。



「お忙しい転生局の局長様が、いったいうちに何の用ですか?」


 態度悪すぎ、と密かにカケルは顔をしかめる。

 口調は文字だけでは表現しきれない程敵意にあふれており、腰には手を当て、二つの瞳は憎々しげに鏖殺人を睨んでいる。

 とてもじゃないが、母親のこの態度は、一般家庭の人物が客人を迎えるそれではない。


 いくら疲れているところを叩き起こされたとはいえ、鏖殺人相手にその態度はないだろう。

 一家の──特にランの命運を握っている相手なのだから。


 客間から玄関にまで連れてきた母親の、第一声を聞いたカケルの感想はこんなものだった。


 ──もともと口は悪かったけど、ここまでとげとげしい喋り方をしてたっけ?


 そんなカケルの思いも知らず、母親は言葉を続ける。


「何しに来たか知りませんけど、うちは関係ありませんよ。ええ、何も」


 ──自分から言うなよ……。


 ここで自分たちから異世界転生者について触れてしまえば、言質を与えるようなものだ。

 鏖殺人が玄関口にいるという異様な光景すら一瞬忘れ、カケルはランと手をつないだまま、母親の態度にかなり呆れる。


 ──そりゃあ、今まで苦しめられていた相手ではあるけど……。


 例のものが手に入った途端に、転生局の職員に対して強気になる母親の態度は、正直言ってひどく情けなく映っていた。


 ──お母さん、鏖殺人が怖くないのかな?


 そこまで考えたところで、ふと母親の手の様子に気づき、カケルは目を見開く。

 母親の手は、一目見てわかるほどに小刻みに震えていた。

 腰に手を持って行っていることで何とか誤魔化しているが、その甲には静脈が浮かび上がり、肌の色も真っ青になっている。


 ──やっぱり怖いんだ、お母さんも……。


 カケルはランの手をギュッ、と握る。

 そうしなければ、母親のように恐怖心を紛らわせるための虚勢を張ってしまいそうだったのだ。


 一方、鏖殺人は親子の様子に対して気分を害した様子もなく、淡々と言葉を告げた。


「私がここに来たことには、理由が二つあります。一つは、白縫副局長がやり残したこの家のチェックを行うため。そしてもう一つが──」


 そこで鏖殺人は一度息を吸い込み、全く感情をこめないまま言葉を繋げた。


「つい先日、転生局に届いた通報、すなわち、この家に異世界転生者が潜伏しているという通報に関して、真偽を確かめるためです」


 カケルとその母親が、同時に肩を跳ねさせた。

 ランはその様子を、不思議そうに見上げていた。


 だが、今は二人ともその視線にかまってはいられない。

 誰が、何時、どこで、どこから──。

 どこから、バレたというのか──?


 カケルの脳内をそんな疑問が埋め尽くしていく。


 白縫は、「異世界転生者くらいしか住まない、かつて異世界転生者が潜伏していた場所になぜ住んでいるのか」と聞いてきた。

 そのために、カケルは白縫や鏖殺人がこの家に訪れた理由は、それに関してのものだろう思っていた。

 こんな廃墟寸前の、曰く付きの場所に好んで住みたがる者は怪しい、と思われたからだと。


 だが、今鏖殺人は確かに「通報があった」と口にした。

 これが嘘ではないのなら、何者かに、ランの存在と正体がばれていることになる。

 これでは、たとえこの場を「あれ」によって乗り切っても──。


 この時、カケルの母親はほぼカケルと同一のことを考えていた。

 だが、正確に言えば、一つ足りなかった。


 実はカケルにのみ、この時点で通報者に対してある仮説が浮かんでいた。

 しかし、カケルはその存在を無視した。


 カケルとその母親が思考の海に身を浸している間、鏖殺人は一言も発しなかった。

 それは自分の言葉に対する反応を観察しているようにも見えたし、全くカケルたちに興味がないため、話しかけてこないかのようにも見えた。

 どちらにせよ、これ以上告げる理由がないのは確かなようだった。


 嫌な静寂が数秒続く。

 それを打ち破ったのは、カケルの母親だった。


「誤報ですよ。誰かが悪意を持って、あるいはいたずらで、そんなことをやったのでしょう」

「ほう」


 鏖殺人はどうでもよさそうに頷き、返す刀で疑問を呈した。


「悪意を持って普通の人間を異世界転生者だとして通報することは、ティタンの粛清劇以降、重罪になっています。そんな罪を犯してでも、あなた方を貶めたい何者かがいたと?」

「いるんじゃないんですか?実際、わざと誤報を起こして、その重罪とやらに処せられる人って、現代でも少なくはないんでしょう?」


 これは、カケルにとっては初耳の情報だった。

 内心、そうなんだ、と驚く。

 恐らく、免罪符を手に入れるために、異世界転生者の情報を集める過程で入手した情報なのだろう。


「ええ、確かに。頻繁に、とはいきませんが、決して珍しくはありません」


 母親の言葉が事実だったらしく、鏖殺人はあっさりと追及をやめる。

 だが、息をつく暇もなく、鏖殺人は再び口を開いた。


「私も、最初は相手にしていませんでした。しかし、気になる点が一つ」


 鏖殺人は、その場で仮面を下に向け、カケルの隣、ランの方を見た。


「誤報の可能性もあるとはいえ、我々は一応、この手のやり方で通報された人物について調べます。調べなければ誤報かどうかもわかりませんからね。とりあえず、うちで事務をやっている人間があなた方の戸籍を調べることになりました」


 戸籍、と聞いてカケルの心臓がドクン、と音を立てる。

 戸籍上では、ランの死亡届が出されており、もう死んだことになっている。それを調べられたら──。


 だが、カケルの心配は杞憂だった。


「幸い、あなた方の戸籍は全部そろっており、内容についても不審なものはありませんでした。少々引っ越しが多すぎる気もしますが……」


 その言葉を聞いて、カケルが横目で母親の方を見ると、彼女がわずかに笑みを浮かべているのが確認できた。

 どうやら、「あれ」が手に入った時期と前後して、偽造した戸籍を用意していたらしい。

 カケルは密かに、胸をなでおろす。


 しかし、安心できたのは一瞬だった。


「そう、内容はおかしくありませんでした。しかし、それを記載した用紙は、少々奇妙でした」


 母親の笑みが凍り、カケルの息が止まる。

 それを気にせず、鏖殺人の言葉は続いた。


「事務の人間があなた方について軽く調べている時、面白いことに気が付きました。判子の形が、何となくおかしいというのです」


 ──判子の形?


 反射的に困惑した表情を浮かべていたのだろう。

 鏖殺人はカケルの方をちらりと見て、言い含めるようにして説明する。


「十年ほど前まで、公的な機関で作られる書類に判子を押す時には、必ず『イエルト』という民間商社が製造している朱肉が使われていました。しかし、あまり一般には知られていませんが、十年前にイエルトは倒産して、それまで作っていた朱肉の製造を中止。全く別の、新しい朱肉を製造している『ハグナ』という民間商社が市場を独占することになり、それまで使われていた朱肉は公的機関で全く使われなくなりました」


 そこで、カケルはまた不思議そうな顔をしたのだろう。

 鏖殺人は、今度ははっきりとカケルの顔を見つめる。


「『イエルト』が製造を中止したのは、当時の社長が死んだため──彼が異世界転生者だと判明し、私が殺害したためです」


 不意打ち気味に現れた衝撃的な言葉に、カケルは頭をぶん殴られたかのようなショックを受ける。

 だが、鏖殺人は特に気にしていないようだった。

 そのまま、淡々と説明を続ける。


「イエルト製の朱肉には、異世界由来の技術が使用されていました。どんな技術だったかは忘れましたけどね。……製造は中止され、そんな技術を用いていない、この世界独自の技術で作られた朱肉を製造する、ハグナが市場で頂点に立ったのです。しかし、ハグナ製の朱肉にはある問題がありました」


 そこで鏖殺人は言葉を切ると、服のポケットから小さな紙を取り出した。


「これを見てください。説明用に持ってきたものです」


 つられて視線をやると、その小さな紙には、同じ判子を二つ並べて押してあった。

 カケルの目にも、その判子の違いはあっさりと分かった。


 カケルから見て右に押されてある判子は、綺麗な赤色をしていて、印字された文字もはっきりと見える。

 しかし、左にある判子はもう少し黒っぽい色をしていて、線も太くなっている。

 押された文字が読めなくなりそうな程だ。しかも、少し滲んでいる。


「もうお分かりと思いますが、やはりどうしてもこちらの世界の技術は異世界に比べて遅れているのか、ハグナ製の朱肉は質が悪いんです。押した直後はまだいいんですがね。だんだんと滲みが広がってしまう。しかし、転生者法なんてものを持っている国が、大事な判子を押すのに、異世界由来の物を使うのはどうなんだ、という意見は根強い。結果として、職員は使いにくい朱肉を使い続けている、というわけです」


 そこまで言うと、鏖殺人は紙を仕舞った。

 そして、何でもないことのように、と決定的な言葉を告げた。


「戸籍もまた、判子が押される公的な書類です。当然、これの例外ではありません。十年以上前に書かれた戸籍にはイエルト製の朱肉で判が押され、それ以降のものはハグナ製の朱肉が使われています。当然、ここ十年に生まれた子供たちの戸籍に押されている判子は、絶対に滲んでしまっている、ということです」


 カケルの隣で、母親が息を呑んだのが分かった。

 そしてここからは、鏖殺人の独断場となった。





「面白い話があります。生産中止となったイエルト製の朱肉は、今もなお民間では使われている、ということです。大量生産品でしたし、一般家庭ではそう頻繁に使わない場合も多いですからね。保存さえ間違えなければ、今だって使えます」


「そして、これは書類の類を偽造する犯罪者がしばしば犯す間違いなのですが、ここ最近発行された書類を偽造するにあたって、イエルト製の朱肉を使ってしまう場合があります。イエルトは倒産の理由を明確には説明しませんでしたし、朱肉の製造元を気にしている人はほとんどいないんでしょうね。まあ、プロは気が付いているんでしょうけれど。ハグナ製のものを使ってもすぐには滲みませんし、一般人では気づけという方が無理かもしれません」


「ただ、警士や私たちにとって、このことはいい捜査材料になりました。ここ十年で作られた公的な書類で、イエルト製の朱肉が使われているものは、みんな偽造だと分かるんですから。これほど楽な話もありません。滲んでいるかどうか、ただ見るだけでいい」


「彼女が気づいたのはまさにその点でした。通報で異世界転生者だと名指しされている少女、星野ランは戸籍通りなら現在七歳。当然、戸籍に判を押すとき、ハグナ製の朱肉が使われて、その印は滲んでいるはずです。……しかし、実際のそれは綺麗なものでした」


「その情報をもとに、精密な調査をその紙に対して行いました。つい半日前ですが、確認されましたよ。星野ラン氏の戸籍謄本は、偽造されたものだと」


「さて、偽造の理由は、何なんでしょうね?」




 鏖殺人が、突如としてカケルの母親に向かって手を伸ばしたのは、その時だった。

 青ざめた母親は反応すらできず、何もしないまま、ポケットに入れていた書類を奪われる。


 カケルもまた、声を出せないでいた。

 母親がポケットに折りたたんで入れていたもの、それは────。


()()()が……」


 やっと出た声は、かすれていた。

 母親が、苦労の末に高額で入手した、「あれ」。

 今朝になって存在を知らされ、カケルを大きく安心させた、「あれ」。


 先ほどの話を聞くまでは、心の支えとなっていた────免罪符。

 だが、今となっては。


「よくできている模造品ですね」


 鏖殺人は低い声で、カケルたちの期待を裏切った。


「本当によく似ている……。しかし、星野ランが生まれたのは七年前。当然、仮に彼女に対して免罪符が発行されたとすれば、それ以降であり、表紙に押されている判は、ハグナ製の朱肉が使われていなくてはおかしい。まあ、紙質や気候によっても状態は変化しますが、経験から言わせていただくと、この手の書類には安い紙を使いますから、必ずといっていいほど滲みますよ。ですが……」


 そこで鏖殺人は、免罪符の表紙をカケルたちに見せた。

 そこには、全く文字がつぶれていない、綺麗な朱印があった。


「なにそれー?」


 ランが、無邪気に聞いた。

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