八話
「転生局の業務の一環として……少々屋内を捜索させていただきたい」
最初に鏖殺人が行ったのは、胸元につけた転生局への所属を示すバッジを外し、捜査の提案をすることだった。
やろうと思えば強制的に屋内に入っても良いはずだが、なぜか彼はそれをしない。
それは余裕の表れか。
或いは、単に揉め事を増やしたくないのか。
「す、少し、待っててくださ、い……」
「何故です?」
反射的に口をついた言葉には、間髪入れず疑問の声が返ってくる。
言い方一つにも、何やら異様な雰囲気が漂っていた。
やけに丁寧な口調と合わせて、カケルの恐怖心は増幅させられる。
「お母さんを、呼んでくるので……」
「ほう?確か、別の場所で働いていると聞きましたが?」
「昨日、帰ってきたんです……」
一応、事実を言っている。
嘘を言っている訳ではないことが後押しとなり、カケルは割合に落ち着いた様子で鏖殺人を見返すことが出来た。
だからなのか、彼はそこで手を下ろし、ぼそりと呟く。
「では、起こしてきてください……できるだけ早く」
言われなくともそのつもりだった。
玄関で立っていたカケルはすぐに振り返って、母親の元に向かおうとする。
しかし振り返った瞬間、カケルは思わず叫びそうになった。
「……にーちゃ、外、出て良いの?」
全く気が付かなかった。
カケルのすぐ背後には────いつの間にか、ランがいたのである。
カケルよりも先に、鏖殺人がそれを見咎めた。
「妹さんですか?可愛らしい声がしますけれど」
ごく当たり前の態度で、鏖殺人は疑問を投げかける。
ここまで「両親は出稼ぎに行っていて、この家には子どもが一人で住んでいる」との話だったのに、別の子どもの影があることを不審に思ったのだろう。
その質問を受けてか、ランは叱られているような表情を浮かべながら、子どもらしい弁明を述べる。
「にーちゃ、外に一緒に出ようって言ったから……出てもいいのかなって。ダメ、だった?」
「……ええっと、ね」
良くはない。
白縫に「カケルは一人暮らしをしている」と言ってしまった以上、ランの存在はカケルが転生局の職員相手に偽証した証拠のようなものである。
これだけでも。何らかの罰が与えられる可能性はある。
今では「あれ」があるとはいえ────ランと鏖殺人が会話するのは、避けなくてはならない。
そこまで考えたところで、ふっと逆の意見も心に浮かんだ。
──いや、でも……「あれ」のことを思えば、そう大したことでもないのかな?
カケルが妹と暮らしていることは、鏖殺人が屋内を捜索すればいつかは判明したことである。
どうせ見つかってしまうのならば、今分かったところで、と考えることも可能だ。
最終的には、「あれ」があるのだから。
そう考えたからこそ、カケルは敢えてどうでもいいような口ぶりで返事をした。
鏖殺人に、背を向けたままで。
「そうですよ。俺、妹がいるんです……それが何か?」
泣きそうな顔をしているランの手を引いて、カケルは客間に向かう。
鏖殺人がその言葉をどう聞いているかは、流石に確認できなかった。
「お忙しい転生局の局長様が、ウチに何の用ですか?」
叩き起こした母親を玄関に呼んですぐ、カケルは「態度悪すぎ……」と密かに顔をしかめた。
鏖殺人に向かい合った母親の口調は敵意にあふれており、腰には手を当て、二つの瞳は憎々しげに鏖殺人を睨んでいる。
とてもじゃないが、一般家庭の人物が客人を迎えるそれではなかった。
いくら疲れているところを叩き起こされたとはいえ、鏖殺人相手にその態度はないだろう。
一家の────特に、ランの命運を握っている相手なのだから。
「何しに来たか知りませんけど、うちは異世界転生者とは関係ありませんよ。ええ、何も」
──自分から言うなよ……。
ここで自分たちから異世界転生者について触れてしまえば、言質を与えるようなものだ。
カケルはランと手をつないだまま、母親の態度にかなり呆れる。
──そりゃあ、今まで苦しめられていた相手ではあるけど……。
昨日になって「あれ」が手に入った途端に、転生局の職員に対して強気になる母親の態度は、正直言ってかなり変ではあった。
ちょっと前までは、こんな風では無かったはずなのだが。
──お母さん、鏖殺人が怖くないのかな?
そこまで考えたところで、ふと母親の手の様子に気づき、カケルは目を見開く。
母親の手が、一目見てわかるほどに小刻みに震えていたのだ。
腰に手を当てることで何とか誤魔化しているが、その甲には静脈が浮かび上がり、肌の色も真っ青になっている。
──やっぱり怖いんだ、お母さんも……。
ランの手をギュッ、と握る。
そうしなければ、母親のように恐怖心を紛らわせるための虚勢を張ってしまいそうだったのだ。
一方、鏖殺人は親子の様子に対して気分を害した様子もなく、淡々と言葉を告げた。
「私がここに来たことには、理由が二つあります。一つは、白縫副局長がやり残したこの家のチェックを行うため。そしてもう一つが……」
こちらを焦らすように、言葉が途切れる。
数秒経って、ようやく続きは述べられた。
「つい先日、転生局に届いた通報……『この家に異世界転生者が潜伏している』という通報に関して、真偽を確かめるためです」
カケルとその母親が、同時に肩を跳ねさせた。
ランはその様子を、不思議そうに見上げていた。
しかし今は、二人ともその視線にかまってはいられない。
誰が、何時、どこで、どこから────?
どこから、バレたというのか────?
通報があったということは、何者かにランの存在がバレたということ。
しかし、どこのどいつが通報なんてしたのか。
カケルの脳内を、そんな疑問が埋め尽くしていく。
白縫は、「異世界転生者くらいしか住まない、かつて異世界転生者が潜伏していた場所になぜ住んでいるのか」と聞いてきた。
あくまで、曰く付きの家に好んで住んでいる者を怪しんでいるのだと。
だが、鏖殺人は確かに「通報があった」と口にした。
──まさか……あの時?
不意に、カケルは通報者に関するとある仮説を思いつく。
しかし、カケルはその存在を無視した。
今は犯人探しをしている場合じゃない。
……嫌な静寂が数秒続く。
それを打ち破ったのは、カケルの母親だった。
「誤報ですよ。誰かが悪意を持って、あるいはいたずらで、そんなことをやったのでしょう」
「ほう」
鏖殺人はどうでもよさそうに頷き、返す刀で疑問を呈した。
「悪意を持って。普通の人間を異世界転生者だと嘘の通報をすることは、ティタンの粛清劇以降、重罪になっています。そんな罪を犯してでも、あなた方を貶めたい何者かがいたと?」
「いるんじゃないんですか?実際にわざと嘘の通報をして、その重罪とやらに処せられる人って、現代でも少なくはないんでしょう?」
これは、カケルにとっては初耳の情報だった。
内心、そうなんだと驚く。
免罪符を手に入れるために、異世界転生者の情報を集める過程で母親が得た情報なのだろう。
「ええ、確かに。頻繁にとはいきませんが、決して珍しくはありません」
母親の言葉が事実だったらしく、鏖殺人はあっさりと追及をやめる。
だが息をつく暇もなく、鏖殺人は再び口を開いた。
「私も、最初はこの情報を相手にしていませんでした。胡散臭かったのでね。しかし……誤報の可能性もあるとはいえ、我々は一応、通報された人物について一通りは調べます。調べなければ、誤報かどうかもわかりませんからね。だからとりあえず、うちで事務をやっている人間があなた方の戸籍を調べることになりました」
戸籍と聞いて、カケルの心臓がドクンと音を立てる。
戸籍上では、ランは死亡届が出されており、もう死んだことになっている。
それを調べられたら、今の状況と矛盾が────。
ついさっき、鏖殺人相手にランの存在を肯定したことを後悔する。
しかし、この後悔は不要な物であったことは、すぐに判明した。
「幸い、あなた方の戸籍は全部そろっており、内容についても不審なものはありませんでした。一家四人で暮らしていると、ちゃんと書かれていましたから。少々引っ越しが多すぎる気もしますが……」
カケルが思わず母親の方を見ると、彼女が僅かに笑みを浮かべているのが確認できた。
どうやら、「あれ」が手に入った時期と前後して、偽造した戸籍を用意していたらしい。
星野ランはちゃんと生きていると、戸籍の方を再度改竄していたのだ────カケルは胸を撫でおろす。
しかし、安心できたのは一瞬だった。
「そう、内容はおかしくありませんでした。しかしそれを記載した用紙については、奇妙なことがありました。事務の人間が戸籍について軽く調べている時、面白いことに気が付いたんですよ。判子の形が、何となくおかしいというのです」
──判子の……形?
困惑した表情を浮かべていたのだろう。
鏖殺人はカケルの方をちらりと見て、言い含めるようにして説明する。
自然、鏖殺人とカケルが対話するような形になった。
「約十年前まで、公的な書類の判子には、必ず『イエルト』という民間商社が製造している朱肉が使われていました。質が良かったのでね」
「はあ……そんな決まりがあったんですね」
「ええ。しかし、一般には余り知られていませんが、十年前にイエルトは倒産したんです。故にそれからは、『ハグナ』という別の民間商社が市場を独占することになりました。現在では、ハグナ製の朱肉だけが使われています」
そこで、カケルはまた不思議そうな顔をしたのだろう。
質が良い朱肉を作っていた会社が、どうして倒産したのかと。
鏖殺人は、今度ははっきりとカケルの顔を見つめる。
「『イエルト』が製造を中止したのは、当時の社長が死んだため……彼が異世界転生者だと判明し、私が殺害したためです」
物騒な発言に、カケルは思わず絶句する。
だが、鏖殺人は特に気にしていないようだった。
「イエルト製の朱肉には、異世界由来の技術が使用されていました。だからこそ、そんな物をこの世界で製造するのは中止され……この世界独自の技術で作られたハグナ製の朱肉が、市場で頂点に立ったのです。しかし、ハグナ製の朱肉にはある問題がありました」
そこで鏖殺人は言葉を切ると、「これを見てください」と言いながら、服のポケットから小さな紙を取り出した。
白紙に二つの判子が押されているだけの、簡素な紙切れ。
それを見たカケルには、二つの判子の違いはあっさりと分かった。
右に押されてある判子は綺麗な赤色をしていて、印字された文字もはっきりと見える。
しかし左の判子はもう少し黒っぽい色をしていて、線も太くなっている。
滲んでしまって、文字が読みにくいくらいだ。
「アレルの技術は、異世界……『地球』に比べて遅れていますからね。ハグナ製の朱肉は、どうしても質が悪いんです。判子を押すと、段々と滲みが広がってしまう。しかし、異世界転生者の作ったイエルト製を使い続ける訳にもいきませんから。仕方なく、職員はハグナ製で我慢しているんです」
そこまで言うと、鏖殺人は紙をしまって。
何でもないことのように、決定的な言葉を告げた。
「戸籍もまた、判子が押される公的な書類です。当然、これの例外ではありません。十年以上前に書かれた戸籍にはイエルト製の朱肉で判が押され、それ以降のものはハグナ製の朱肉が使われています。つまり、ここ十年に生まれた子供たちの戸籍に押されている判子は、絶対に滲んでしまっているはずなんです」
カケルの隣で、母親が息を呑んだのが分かった。
声を出さない。
だからそこからは、鏖殺人がひたすら捲し立てる時間になった。
「実は、これに関係して面白い話があります。生産中止となったイエルト製の朱肉が、現在でも民間で使われているらしいことです。大量生産品でしたから、一斉に捨てられることは無かった。保存さえ間違えなければ、今だって使えます」
「そして……書類などを偽造する犯罪者がしばしば犯す間違いなのですが、近年の書類を偽造するにあたって、イエルト製の朱肉を使ってしまう場合があるようです。最近の書類なのだから、ハグナ製でなければおかしいのに。ハグナ製の朱肉を使った判子は次第に滲んでくるのですが、押した直後は綺麗ですから、きっと気づかないのでしょう」
「警士や私たちにとって、これはいい捜査材料になりました。本物かどうか疑わしい書類があったとして、『発行日が十年以内にも関わらず、イエルト製の朱肉が使われているもの』は、全て偽造だと分かるんですから。判子の文字が滲んでいない公的書類は、ほぼ全てが偽造品である訳です」
「事務の人間が気づいたのは、まさにその点でした。通報で異世界転生者だと名指しされている少女……星野ランは、戸籍通りなら現在七歳。当然、戸籍に押された判子にはハグナ製の朱肉が使われて、その印は滲んでいるはずです……しかし、実際のそれは綺麗なものでした」
「その情報をもとに、精密な調査をその紙に対して行いました。つい半日前ですが、確認されましたよ。星野ラン氏の戸籍謄本は、偽造されたものだと。役所ではない場所で作られた偽造戸籍だからこそ、イエルト製の朱肉を使ってしまっているのだと」
鏖殺人がカケルの母親に向かって手を伸ばしたのは、その時だった。
青ざめた母親は反応すらできず、無抵抗でポケットに入れていた書類を奪われる。
母親がポケットに折りたたんで入れていたそれは────。
「免罪符が……」
カケルがやっと絞り出した声は、かすれていた。
母親が、苦労の末に高額で入手した「あれ」。
今朝になって存在を知らされ、カケルを大きく安心させた────偽造免罪符。
これで幸せになれると、そう信じていた貴重品は────。
「よくできている模造品ですね」
鏖殺人は低い声で、カケルたちの期待を裏切った。
「本当によく似ている……しかし、星野ランが生まれたのは七年前。当然、彼女に対して免罪符が発行されたとすれば、表紙に押されている判はハグナ製の朱肉が使われていなくてはおかしい。紙質や気候によっても状態は変化しますが、経験から言わせていただくと必ず滲みます。ですが……」
鏖殺人は、免罪符の表紙をわざわざカケルたちに見せる。
そこには、全く文字が潰れていない綺麗な朱印があった。
「なにそれー?」
ランが無邪気に聞いた。
他の人間は、何も聞けなかった。




