七話
この質問に答えるためだけに、どのくらいの時間を消費しただろうか。
ようやっと絞り出した答えは、自分でも嫌になるくらい稚拙なものだった。
「うちの父親、古い家が好きなんで……だから来たんです、多分」
その答えを聞いて、白縫はフッと笑う。
呆れられているであろうことがすぐに伝わる、酷い笑みだった。
とても前を見ていられなくなり、カケルは顔を下に向けてしまう。
異世界転生者がかつて住んでいて、しかも殺された場所に家族連れで住みたがる奴なんて、グリス王国にいるはずもない。
常軌を逸している。
──駄目だ、今の一言だけで殆どのことがバレた……!
今まで五年かけて守り抜いてきた秘密の一端を、この数分の間に見破られてしまった。
心臓が嫌な音を鳴らしながら拍動し、頭痛がさらに悪化する。
次の言葉は、自分でも情けなくなる程に震えていた。
「そ、それで……よ、用は済みましたか?」
白縫はきっと、変わらず笑みを浮かべているのだろう。
俯いて表情が見えなくても、それだけはなんとなく分かった。
だからこそ────白縫の次の一言が、カケルには上手く呑み込めなかった。
「いえいえ、ご協力ありがとうございました、星野さ、ん。体調が早く良くなることを祈っていま、す」
それだけを告げると。
白縫は、踵を返してカケルの家から立ち去ったのである。
声をかける暇もなかった。
驚きすぎて、何も反応できない。
わざわざ訪ねてきたにも関わらず、ランに会うこともなく、転生局副局長は去っていった。
「にーちゃ、遊ぶ?」
「……ううん、遊ばない」
「じゃ、絵本読む?」
「……いや、無理」
カケルが昼間に家にいることが嬉しいのか、ランが何度も声をかけてくる。
しかし今のカケルには、まともに相手をしてやれる余裕がなかった。
半分上の空で答えていたのだが、その対応はランにとって不本意だったのだろう。
五分もすると、むくれた顔をして自分の部屋に戻ってしまった。
──あの様子だと、しばらくはぬいぐるみで一人遊びをしてくれるな……。
横目でランの行った方向に視線をやりつつ、そんな推測をする。
正直、ランが拗ねたのはありがたかった。
白縫との会話が頭の中をぐるぐると回り続けている現状では、とてもランに気を割いている余裕はない。
彼の言葉は、どこまでが本当か。
彼は果たして、何を考えているのか。
そして────何故、あの状況で去っていったのか。
考えても考えても、思考が足りないように思われた。
自分たちにとって有利な推測は、どうにも嘘臭くて。
自分たちにとって不利な推測は、考えるのも怖いから。
──でも、あそこで帰ったことが一番不思議なのは変わらないよな……。
ぐるぐる考えた末に、またその疑問に戻ってくる。
彼は転生局職員の強権を使って、いくらでも屋内に乗り込むことができたはずだ。
彼の立場で、それをしない理由は何もない。
しかし、彼はそうしなかった。
あからさまに疑わしいカケルを放置して、帰ってしまった。
カケルの様子が怪しいことに、実は気づいていなかったのだろうか?
いや、それはそれでおかしい。
カケルは、以前役人から聞いた話を思い出す。
「グリス王国の役職には決まりがあるんです。各省庁のトップは特等職員しかなれませんけど……同じような理屈で、副局長みたいな役職は一等職員しかなれないんだそうですよ。お飾りのトップを補佐するためでしょうね」
しばしば暴走して妄想を垂れ流す友人だが、その知識量は確かである。
恐らく、この情報も間違ってはいないだろう。
つまり転生局の副局長を務める白縫は、身分としては一等職員なのである。
そして一等職員と言えば──四宮ライトが、村の誇りとして扱われていることから分かるように──その職に就くだけで称賛される、エリートだ。
一等職員になれるだけの能力を持つ人間が、洞察力に秀でていないとは思えない。
「分からない……」
考えている内に頭痛が酷くなったカケルは、その場にゴロンと寝転がった。
白縫が去って、二時間ほど経つ。
どうやら、再訪の可能性は無いようだった。
────それからのカケルは、普段通りの日常を過ごした。
昼になったから、昼食を作って。
ぬいぐるみ遊びに飽きたランが、空腹になって出てきて。
一緒に食事をとって、腹ごなしに少し遊ぶ。
やがては、日も暮れてきて。
昼食の残りを使って、夕食を作った。
食べてからはランは疲れて寝たので、カケルも後に続く。
本当に、普段通りの一日だった。
しかし、後になって分かったことだけれど。
このような一日をカケルとランが送るのは、これが最後となった。
そして、翌朝。
「にーちゃ、にーちゃ、起きて!起きて!」
……ランが、何か騒いでいる。
夢現の状態だったカケルは、その言葉で目を開いた。
「な、に……?」
ランとの二人暮らしも、そろそろ三年目だ。
早起きの彼女に叩き起こされるのには慣れている。
何があったんだ、とすぐさま用向きを聞いた。
「お腹空いた?それとも、おっきな虫が出た?」
「ううん、違う」
「じゃあ、何?」
「……来てる、来てるの、お母さん!」
その情報は凄まじい速さで脳内を駆け巡り、気が付けばカケルは立ち上がっていた。
昨日、緊急用の伝書カラスで両親を呼び出したことを思い出す。
出稼ぎに行った場所から考えて、もっとかかるだろうと思っていたのだが、どうやら頑張って早めに帰ってきていたらしい。
「ラン、母さんはどこ?」
「となりのへやー。でも、寝てる」
すぐさま、カケルはランの手を引いて隣室に向かった。
扉を蹴破るようにして飛び込んでみると、部屋の中央で寝ている母親にぶち当たる。
突然ブレーキをかけられた形になり、カケルはランと一緒にその場でこけそうになった。
何とか姿勢を正して、背を伸ばす。
そこまでしてようやく、カケルは数か月振りに母親の姿を見ることが出来た。
「……やせてるー。びょーきみたい」
どこで覚えたのか、的確かつ残酷な表現をランが口にする。
母親と久しぶりに会った娘の第一声としては、寂しすぎる言葉。
だがカケルにとっても、それは納得のいく言葉だった。
肌は乾いていて、爪はボロボロ。
髪はぼさぼさで、着ている服も生地の色が分からないくらいに汚れている。
母親はまだ三十代なのだが、その容貌は既に老人のそれだった。
痩せているとか、小汚いとか、そんな表現でもまだ足りない。
もしも彼女が寝ているのが路上であったならば、通行人は彼女を死んだ浮浪者だと勘違いすることだろう。
──こんなになるまで、働いて……。
自分の知っている姿よりもさらに数段階やつれた母親の姿に、カケルはしばらく声が出せなかった。
本当は、白縫と会ったことなどを報告しないといけないのに。
それを忘れて声をかけにくくなるくらい、彼女の姿は痛々しかった。
「にーちゃ、これー」
カケルが呆ける一方で、ランは自由に動く。
カケルと繋いでいない方の手で、何かを差し出した。
「お母さんのところに、落ちてたのー」
カケルは無言でそれを受け取り、目の前に広げる。
それは、何枚かの紙を束ねたものだった。
一番上の紙は、母親からの手紙になっている……彼女が、ここに着いてから眠る前に書いたのだろう。
そして、母親からの手紙を読み終わった時。
カケルは、全ての問題が解決したことを悟った。
────三十分後。
「にーちゃ、どうしたの?」
「んー?どうしたって、何が?」
「……なんか、変。ずっとにこにこしてる」
「……いや、何も変じゃないよ。今までがおかしかったんだ。これが、俺の普通だよ」
そう告げても、ランは疑わしそうな視線を止めない。
本当に不思議がっているようだった。
──俺がニコニコしているのは、そんなにおかしいかな?
カケルはこっそり苦笑いを浮かべる。
母親を起こしたがるランに対して、疲れてるだろうからそっとしておこうと言い含めたのが三十分前。
やがて、笑顔で朝食の準備をするようになったカケルの姿は、極めて奇妙な光景としてランに認識されているようだ。
「……そうだ、ラン。伝書カラスに餌をやろうかな。忘れてたけど……」
「ん。いってらっしゃーい」
何度も言い聞かされてきたからか、駄々をこねることなくランが手を振る。
自分が外に出てはいけないのだと、理解しているのだ……実際にこれまで、外で飼われている伝書カラスたちには、カケルだけが餌をやっていた。。
しかし今日は、カケルはこう言葉を続ける。
「俺だけじゃないよ……ランも来るんだ」
最初、ランはその意味が分からなかったようだ。
口を半開きにして、不思議そうに首をかしげる。
「カラス、お外でしょ?」
「そうだね」
「わたし、中じゃなきゃ、ダメでしょ?」
「いや、いいんだ」
「……?」
「手に入ったんだよ……『あれ』が!やっと!」
最後の言葉は、ほとんど叫ぶような音量になってしまった。
ランは体をビクンと震わせ、少し怖そうにカケルを見つめる。
そして丁度、時を同じくして────。
「ごめんくださーい」
カケルの家に、聞き覚えのない声が響く。
何だと思って、カケルはランの相手をするのを中断した。
反射的に身構えもするが、すぐに肩の力を抜く。
──『あれ』が手に入った以上、怖がる必要なんかないか。誰が来たかは知らないけれど……。
不思議に思いながら、カケルはとりあえず玄関に向かう。
今の声は、白縫の声とは声色も話し方も違っていた。
つまり、彼が再訪した訳ではない。
母親に続いて父親が戻ったのかとも思ったが、彼が帰ったなら、大声で呼ばずに普通に家に入ってくるだろう。
そもそも、父親の声は流石に分かる。
結局、カケルは何の確証を得ないまま、靴を履いて外に出た。
「はーい、どなたですか?」
門の方に視線を投げかけて────その直後、カケルの表情は凍り付く。
直に見たことはない、しかしよく聞いたことがある姿が、目に入ったために。
特注された黒い制服と、腰から下げた長刀。
この村では見たこともない長いマントに、口元を隠す革のマスク。
そして、一番特徴的な青い仮面。
「鏖殺、人……?」
その言葉が、彼に届いたのだろうか。
表情の読めない仮面が、カケルの方をしっかりと見つめる。
思わず、カケルはヒッと声を漏らした。
もう恐れる必要は無いと分かっているのに。
それでも、怖かったのだ。
「内務省所属平和庁直属特務機関『転生局』局長のティタンです。お邪魔させていただいても、よろしいでしょうか?」
淡々とした様子で、鏖殺人は丁寧に名乗る。
彼の様子には、何の感情も滲んではいない。
しかしカケルには、仮面の奥で彼が笑っているように見えた。




