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内務省所属平和庁直属特務機関「転生局」  作者: 塚山 凍
二章 鏖殺人と兄妹の免罪符
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七話

 その言葉に答えるために、どのくらいの時間を消費しただろうか。

 ようやっと絞り出した答えは、自分でも嫌になるくらい稚拙なものだった。


「うちの父親、古い家が好きなんで……。だから来たんです、多分」


 その答えを聞いて、白縫はフッ、と笑う。

 呆れられているんだろうな、と十分に感じられる、ひどい笑みだった。


 とても前を見ていられなくなり、カケルは顔を下に向けてしまう。

 どこのどいつが、異世界転生者がかつて住み、そして殺された場所に家族連れで住みたがるだろうか。

 常軌を逸している。


 少なくとも、異世界転生者の存在を徹底的に忌避しているグリス王国ではありえない行為だ。言い訳にもなりはしない。


 ──今ので、うちの一家が人には言えない理由でここに引っ越してきたことと、その真の理由を俺が知っていて、口止めされていることがばれた……!


 俯きながら、カケルは歯噛みする。

 今まで五年かけて守り抜いていた秘密の一端を、この数分の間に見破られてしまった。

 心臓が嫌な音を鳴らしながら拍動し、それに呼応して頭痛がさらにひどくなる。


 その次の言葉は、自分でも情けなくなるほどに震えていた。


「そ、れで、よ、用は済みました、か?」


 白縫は、依然として笑みを浮かべているのだろう。

 表情が見えないというのに、それだけはなんとなく分かった。


 これ以上、この男の疑いを深めないためにも、素知らぬ顔で会話を続ける。

 それが、今のカケルにできる精一杯のこと。

 それが分かっていても、カケルは前を向けなかった。


 だからこそ。

 白縫の次の一言が、カケルにはうまく呑み込めなかった。


「いえいえ、ご協力ありがとうございました、星野さ、ん。体調が早く良くなることを祈っていま、す」


 それだけを告げると。

 白縫は、踵を返してカケルの家から立ち去ったのである。


 声をかける暇もなかった。

 驚きすぎて、何も反応できない程だった。


 後にはただ、踏ん張りすぎて前につんのめりそうになったカケルと、いつも通りの廃墟だけが残されて。

 彼らに何もせず、転生局副局長は去っていった。



「にーちゃ、遊ぶ?」

「……ううん、遊ばない」

「じゃ、絵本読む?」

「……いや、無理」


 二日連続でカケルが昼間に家にいることが嬉しいのか、ランが何度も声をかけてくる。

 だが、今のカケルには、まともに相手をしてやれる余裕がない。


 半分上の空で答えていたのだが、その対応はランにとって不本意だったのだろう。

 五分もすると、むくれた顔をして自分の部屋に戻ってしまった。


 ──あの様子だと、しばらくはぬいぐるみで一人遊びをしてくれるな……。


 横目でランの行った方向に視線をやりつつ、そんな推測をする。

 正直、今のカケルにとっては、ランが拗ねたのはありがたかった。

 白縫との会話が頭の中をぐるぐると回り続けている現状では、とてもランに気を裂いている余裕はない。


 何を話してしまったか。

 自分のどんな様子が不審に映ったか。


 白縫はどこまでわかっているのか。

 実はほとんどわかっていなくて、カマをかけているのか。

 全てわかっていながら、じわじわといたぶっているのか。


 彼の言葉は、どこまでが本当か。

 そもそも、彼は転生局でどんな立場にあるのか。

 そして──なぜあのタイミングで去っていったのか。


 どれほど考えても足りないように思われた。

 自分たちにとって有利な推測は、ひどく嘘臭くて。

 自分たちにとって不利な推測は、考えるのも怖くて。

 結局、実の無い仮説が浮かんでは消えていく。


 だが、そういった推測は全て、ある一つの疑問に帰結する。


 ──なんで、あそこで帰ったんだろう?


 そのことは、数ある疑問の中でも突出して難解だった。


 仮に、彼が曰く付きの家に住むカケル一家に疑いをかけ、屋内に異世界転生者がいると、ほぼ確信してここに来たのだとしよう。

 その場合、カケルの拙い対応を見れば、疑いをさらに深め、ここに異世界転生者がいるのは間違いない、と思ったはずだ。


 自分で言うのもなんだが、廃墟寸前のこの家に一人で住まわされた基礎教導院の学生がいて、しかもその理由が「父親が廃墟マニアだから」というのは怪しすぎる。

 そうなれば、彼は転生局職員の強権を使って、屋内に乗り込んだだろう。

 彼の立場から言って、それをしない理由は何もない。


 だが、彼はそうしなかった。あからさまに疑わしいカケルを放置して、帰ってしまった。

 カケルの様子が怪しいことに、実は気づいていなかったのだろうか?

 いや、それはそれでおかしい。


 カケルは、以前役人から聞いた話を思い出す。


「各省庁のトップは特等職員しかなれませんけど、同じような理屈で、副局長だとか、副長官だとかいう役職には、一等職員しかなれないんだそうですよ。お飾りのトップを補佐するためでしょうね」


 しばしば暴走して妄想を垂れ流す友人だが、その知識量は自慢してくるだけあって確かである。

 恐らく、この情報も間違ってはいないだろう。


 つまり、白衣姿で制服を着ていないために判断しにくいが、あの白縫という男は一等職員なのである。 彼が副局長であることが、それを証明している。


 一等職員と言えば、四宮ライトが村の誇りとして大人たちの説教の中でたびたび登場するように、その職に就くだけで称賛されるほどのエリートだ。

 そんな立場にある白縫が、洞察力に秀でていないとは思えない。


 では、実は何も疑っておらず、本当にこの家を定期チェックしに来ただけなのか?

 カケルとの会話は、暇つぶしの世間話だったのか?


 これまた怪しい説だ。もしそれが目的なら、朝にわざわざ基礎教導院まで来て挨拶をする必要はない。

 加えて、あのタイミングで話を打ち切る説明になっていない。

 結局のところ──。


「分からない……」


 それだけ言って、カケルはその場にゴロン、と寝転がった。

 白縫が去って、二時間ほど経つ。


 その間、彼が再訪するのではないかと、思考の影で密かに身構えていたのだが、一向に訪れる気配はない。

 どうやら、本当に帰ってしまったようだ。


「さっぱり、分からない……」


 また、カケルの口からぼやきがこぼれた。




 それからのカケルは、奇妙なほどに普段通りの日常を過ごした。


 昼になったから、昼食を作って。

 ぬいぐるみ遊びに飽きたランが、空腹になって出てきて。


 一緒に食事をとって。

 腹ごなしに少し遊んで。


 やがて、日も暮れてきて。

 昼食の残りを使って、夕食を作って。


 また食べて。

 明日は休日で、カケルが基礎教導院に行かなくてもいいから、夜も遊びたいと、ランがねだって。

 その言葉通りに少し遊んで。


 そのまま、ランは疲れて寝て。

 カケルは、少しだけ見回りをした後、床に就く。


 白縫が現れる様子はなかった。

 他の人間の姿も見られなかった。


 カケルが一人びくびくしているだけで、それは本当に普段通りの一日だった。

 少なくとも、ランにとっては。


 だが、このような一日をカケルとランが送るのは、結果から言えば、この日が最後となった。




「にーちゃ、にーちゃ、起きて!起きて!」


 腹の上に延々と石が落ちてくる夢を見ていたカケルは、その言葉で目を開く。


「な、に……?」


 寝ぼけ眼ながら、即座の返事が出来たのは、経験の賜物だろう。ランとの二人暮らしもそろそろ三年目だ。早めに起きた彼女に叩き起こされるのには慣れている。

 だが、ランがこの日、カケルを起こした理由は、普段のそれとは異なっていた。

 彼女はカケルの腹の上で飛び跳ねながら、こう言ったのだ。


「来てる、来てるの、お母さん──」


 耳で受け取った言葉が凄まじい速さで脳内を駆け巡り、気が付けばカケルは立ち上がっていた。

 何で、いや、いつの間に?


 そう思った次の一瞬に、昨日緊急用の伝書カラスで両親を呼び出したことを思い出す。

 出稼ぎに行った場所から考えて、もっとかかるだろうと思っていたのだが、どうやら頑張って今日の早朝(あるいは昨日の深夜)には帰ってきたらしい。


「ラン、母さんはどこ?」

「お客さんのへやー。でも、寝てる」


 すぐさま、カケルはランの手を引いて客間に向かった。




 カケルが客間に飛び込んでみると、まず部屋の中央で寝ている母親にぶち当たった。

 突然ブレーキをかけられた形になり、カケルはランともどもその場でこけそうになる。


 何とか姿勢を正して、背を伸ばす。

 そこまでして、ようやくカケルは数か月ぶりに、母親の姿を見ることが出来た。


「やせてるー。びょーきみたい」


 どこで覚えたのか、的確かつ残酷な表現をランが口にする。

 母親に久しぶりにあった娘の第一声としては、寂しすぎる言葉。

 だが、カケルにとっても、それは納得のいく言葉だった。


 寝ているから、というのもあるのだろうが、髪はぼさぼさで化粧の一つもしていない。母親はまだ三十代なのだが、その容貌は既に五十代のそれだった。

 さらに、ランが声に出すのもやむなしと思うほどに痩せている──というより、全身の肉が削がれている。


 顔は頬骨が露骨に突き出て、腕は血管が青黒く浮かび上がり、足は棒でももうちょっと太い、と思うほどに細くなっていた。

 もしここが屋内ではなく、路上であったならば、通行人は彼女を死んだ浮浪者だと思うだろう。


 ──こんなになるまで、働いて……。


 自分の知っている姿よりもさらに数段階やつれた母親の姿に、カケルはしばらく声が出せなかった。

 本当は、すぐに報告しなければならないと思っていた。


 恐らくは、白縫に疑いをかけられているらしきことを。

 また引っ越さなくてはならないかもしれないことを。


 だが、言えなかった。

 声をかけるのもためらわれるほど、その姿は痛々しかった。


「にーちゃ、これー」


 カケルがしばらく呆けていると、ランがカケルと繋いでいない方の手でつかんでいたものを差し出した。


「お母さんの、ところにあったのー」


 カケルは無言でそれを受け取り、目の前に広げる。

 それは、何枚かの紙を束ねたものだった。

 そして、一番上の紙は母親からの手紙だった。彼女が、ここについてから眠りにつく前に書いたのだろう。





 それを読み終わった時。

 カケルは、全ての問題が解決したことを悟った。






「にーちゃ、どうしたの?」

「んー?どうしたって、何が?」

「……なんか、変」

「……いや、何も変じゃないよ。今までがおかしかったんだ。これが、俺の普通だよ」


 そう告げても、ランは疑わしそうな視線をやめない。


 ──そんなに俺がニコニコしてるのはおかしいかな?


 カケルはこっそり苦笑いを浮かべる。

 母親を起こしたがるランを、疲れてるだろうからそっとしておこうと言い含めたのが三十分前。

 それから朝食の準備の間、常に笑顔でい続けているカケルの姿は、極めて奇妙な光景としてランに認識されているようだ。


「……そうだ、ラン。ちょっと、外に出ようか?伝書カラスに餌をやらないと」

「ん。いってらっしゃーい」


 何度も言い聞かされてきたからか、駄々をこねることなくランが手を振る。

 自分が外に出ることはあり得ないと、理解しているのだ。

 その様子を見てカケルはもう一つ苦笑し、言葉を続ける。


「俺だけじゃないよ。ランも来るんだ」


 最初、ランはその意味が分からなかったようだ。

 口を半開きにして、不思議そうに首をかしげる。


「カラス、お外でしょ?」

「そうだね」

「わたし、中じゃなきゃ、ダメでしょ?」

「いや、いいんだ」

「……?」

「手に入ったんだよ……『あれ』が!やっと!」


 最後の言葉は、ほとんど叫ぶような音量になってしまった。

 ランが体をビクン、と震わせ、少し怖そうにカケルを見つめる。

 怖がらせたカケルは、慌てて取り繕った。


 いや、正確に言おう。

 取り繕うと、した。





「ごめんくださーい」


 不意に厨房にまで響いた声が、カケルの行動を中断させる。

 カケルは反射的に身構えるが、すぐに肩の力を抜く。


 ──『あれ』が手に入った以上、怖がる必要なんかないか。


 ランをその場において、カケルは玄関に向かった。


 ──だけど、こんな朝から、誰だろう?


 先ほどの声は、白縫の声とは声色も話し方も違っていた。

 つまり、彼が再訪したわけではない。


 伝書カラスで呼び寄せた、母親よりもさらに遠い場所で働いている父親かと思ったが、彼ならこんな大声で呼びかけるはずがない。そもそも、さすがに声でわかる。

 一番あり得そうなのは、カケルが休んでいた間の配布物を届けに来た友人、という可能性だが、カケルは彼らに家の場所を教えてはいない。


 結局、カケルは何の確証を得ないまま、靴を履いて外に出た。


「はーい、どなたですか?」


 門の方に視線を投げかけ。

 すぐにその表情は凍り付く。


 特注されたと思しき、黒い制服。

 腰から下げた長刀。


 この村では見たこともない、長いマント。

 口元を隠す革のマスク。

 そして、一番特徴的な、青い仮面。


 カケルは、彼の姿をこれまで見たことがなかった。

 両親から、友人から、教師から。

 何度も存在は聞かされていたが、直接見てはいなかった。


 だが、すぐにわかった。

 彼が────。


「鏖殺、人……」


 その言葉が、彼に聞こえたのだろうか。

 表情の読めない仮面が、カケルの方をしっかりと見つめる。


 思わず、カケルはヒッと声を漏らした。

 もう、恐れる必要がない存在だと分かっているのに。

 それでも、怖かったのだ。


「内務省所属平和庁直属特務機関、転生局局長のティタンです」


 おもむろに鏖殺人は声を発し、ずい、と身を乗り出す。


「お邪魔させていただいても、よろしいでしょうか?」


 なぜか、その仮面の奥で。

 鏖殺人が笑っているように、見えた。

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