六話
早すぎる。
カケルが最初に感じたことはそれだった。
カケルが学校から帰ってきて、まだ一時間も経っていない。
カケルの一家を疑っていなかった場合はもちろん、仮に疑っていたのだとしても、対応が迅速すぎる。
だが、そんなカケルの思いとは裏腹に、彼の言葉は続いた。
「申し訳ありませ、ん。星野さー、ん!」
少しばかり間延びした口調。
語尾を区切る、特徴的な話し方。
間違いなく、あの白縫という男の声だった。
「にーちゃ、出ない?」
頭が真っ白になる中、そんな様子など知る由もないランが、カケルの服の裾をちょいちょい、と引く。
話し方が相変わらずはっきりしないが、「お客さんが来ているのになぜ応対しないのか」と聞きたいのだろう。
反射的に、カケルはランの口を塞いだ。
正常な思考はまだ復活していなかったが、ランの声を聴かれたら終わりだ、ということだけは頭に残っていたのである。
突然に口をふさがれたランは数秒間はきょとん、としていたが、やがて遊びの一種だと解釈したのか、笑みを浮かべてカケルに密着してくる。
その温もりを感じて、ようやくカケルの意識は現実に戻った。
「ラン、大切なことだから、よく聞いて」
白縫の呼びかけを聞き流しつつ、小声でランの耳元に話しかける。
泣かれては困る。
故に、できるだけ優しい声色で。
しかし、緊急事態とは悟ってもらえる程度に低く。
その真剣さが伝わったのか、カケルの手の中でふもふもと声を漏らしつつ、ランがカケルの顔を見つめた。
「今から、お兄ちゃんはあのお客さんの相手をしてくる。だから、ランはランのお部屋にいてね。絶対に、部屋を出たらだめだよ。声も出したら駄目だ。全部終わったら、何かあげるから。……出来る?」
普通なら、子どもに向かって出すことなどありえない種類の命令。
だが、ランとて、カケルと共に何度も引っ越しを繰り返してきた猛者である。
またか、とでもいうような表情を浮かべ、こっくりと頷く。
その物分かりの良さは、屋内に閉じ込められているせいで、知能の発達が遅いからか。
それとも、異世界転生者だからか。
どっちなんだろうな、とカケルはぼんやりと思った。
カケルがパッ、と手を離すと、言われた通りにランは自分の部屋へと走っていった。
その後ろ姿を見ながら、カケルは覚悟を決める。
「君が、星野さ、ん?」
「はい、星野カケルです」
思っていた以上に、自分の口からはスムーズな自己紹介が飛び出る。
焦っている割には上出来だろう。
玄関で白縫に応対しながら、カケルは自分の口調をそう評価した。
「お父さんと、お母さんはいるか、な?」
「父も母も、出稼ぎに行っているので……。しばらくは戻らないかと」
ここは、真実を口にした。
実際に家の中に両親はいないわけだし、嘘を言ってもすぐにばれる。
「じゃあ、君はこの家に一人、で?」
「はい、そうですが……」
間違ってもランの存在を口走るわけにはいかない。
違和感を持たれるかもしれない、とは理解しながらも、カケルは肯定した。
傍から見れば、まだ十二歳の子供を一人廃墟のような家に住まわせ、出稼ぎに両親が赴いている、というのは相当異様な図である。
だが、ランが殺されることに比べたら、両親が育児放棄でしょっ引かれる方がまだマシだ。
「あの、何の用ですか?」
白縫の反応を待たず、今度はカケルの方から質問する。
不躾で、ストレートな質問。
しかし、家主が不審な訪問者に聞く分には、違和感は少ない。
それに、カケルが元々気になっていることでもある。
──何を言ってくるんだ?
もし、彼がカケルの一家に疑いの目線を向けているおり、調査としてここに赴いたのであれば、はぐらかすだろう。
逆に、何か彼には別の用があり、実はランの存在に気が付いていないのならば、本当のことを話してくれるかもしれない。
全く予想がつかず、カケルは唇を噛み締める。
短い時間に頭を使いすぎて、吐きそうだったのだ。
そんなカケルとは対照的に、白縫は微笑をたたえたまま返答した。
「何、早退した子供がいるというから、心配になって、ね。様子を見に見たんだ、よ」
嘘だ、と直感した。
今日初めて学校に現れた転生局の職員が、たまたま早退した生徒の見舞いに駆け付けるなど、非現実的にもほどがある。
これなら、まだ役人の与太話の方が真実味があるだろう。
この時点で、カケルは白縫が自分のことを全く警戒していない──いくらでも疑ってくれ、とその態度から言ってきていることに気が付いた。
そもそも、隠す気がないのだ、彼は。
まず、間違いない。
理由は不明だが、彼はランの存在に気づいている。
そして、ランのことを知るカケルにあえて接触して、反応を見ているのだ。
ぼろが出た瞬間を見逃さないために。
そう思った瞬間だったために、カケルは白縫の次の一言に対して、言葉を漏らさなかった。
「嘘だよ、ごめん、ね。私は、別のことをしに来たん、だ」
あまりにも早すぎる、前言撤回。
返答するのもばからしい。
何も反応するな、とカケルは自分に言い聞かせる。
両親の話によれば、本来転生局の職員というのは、異世界転生者がいると思われる場所を、何の承諾もなしに捜査できるような権利があるらしい。
つまり、ここで白縫が「転生局の業務として、家の中を見せていただきたいんです、が」とでも言えば、カケルにはそれを妨げる手段はない。
もし彼が異世界転生者の存在を確信しているのであれば、そうやって来るはずなのだ。
今いるのは子供が一人だけ。
躊躇う理由は何もない。
見たところ、白縫は力が強いわけではなさそうだが、さすがに子供一人の抵抗が怖いわけではないだろう。
それにもかかわらず、わざわざカケル相手に揺さぶりをかけているということは、彼はまだこの家の中に異世界転生者がいると、はっきりと分かってはいないのだ。
無論、疑ってはいるだろう。
そうでなければこんなところに来ることはない。
しかし、まだ証拠がないのだ。
ここで何も漏らさなければ、切り抜けられるかもしれない。
カケルがじっと黙っているのを見て、白縫は諦めたような表情を浮かべた。
そして、少し愉快そうな目になったうえでこう続ける。
「私がここに来たのは、この家の様子を見るためだ、よ」
──家の様子?
声には出さなかったものの、心中では疑問を抱く。
カマをかけるために無茶苦茶な理由を言ってくることは予想していたのだが、家の様子というのは突飛すぎる。
この廃墟寸前の家が、どんなふうに転生局の業務と関係しているというのか。
そんな風に、興味を抱いてしまったのがいけなかった。
次の言葉に、カケルは声を漏らしてしまったのだ。
「もう十年以上前になるけど、この家には異世界転生者が住んでいたん、だ。だから、様子を見に来たんだ、よ」
「えっ……?」
初めて聞く話だった。
いけない、と分かっているのに、喉が震え、表情が疑問を浮かべる。
「興味あるか、い?」
気が付けば、白縫の表情はしてやったり、とでも言いだしそうなものに変わっていた。
「今度は嘘じゃない、よ。ここには、異世界転生者が住んでいたん、だ。ワクリの農家として、結構な期間、潜伏していたんだ、よ」
そこまで告げると、不意に白縫はカケルの背後、庭の方を指さした。
指の動きにつられ、カケルもそちらの方向を向く。
「あそこに大きなワクリの木がある、ね。あれは、その異世界転生者が育てていた木だ、よ。今でも残っているとは、思わなかったけ、ど」
この話は恐らく事実だ。
混乱しながらも、カケルはそう感じる。
彼の話はカケルが密かに抱いていた疑問への回答となっていた。
前々から疑問だったのだ。
なぜ、村の民家が集まっている場所とは離れたこんな場所に、家が建っているのか。
前の住民は、さぞ不便だっただろうに。
そしてその家が、なぜ腐りかけたような状態で放置されているのか。
これらは、家主が異世界転生者だというのなら合点がいく。
ちょうど、今のカケルたちと同じように、村人たちから隠れるようにして、異世界転生者がここに住んでいたのだろう。
いや、ワクリ農家と言っているから、作物を売る程度には交流があったのだ。
ただ、日常の仕草で正体がばれないように、気を使っていたのかもしれない。
そして──白縫が過去形で話している以上、彼は見つかって、殺されたのだろう。
だから、この家は取り壊されもせずに放置されている。
異世界転生者がいたという、曰く付きの物件であるために。
引っ越すたびに、疑問に思っていた。
両親は、どうやって住む場所を見つけているのだろう、と。
カケル一家の引っ越しはいつも急で、不規則だ。
それにもかかわらず、だんだん古くなっていくとは言え、いつも引っ越し先には家が用意されていた。
今まで気が付けなかった自分の間抜けさに腹が立つ。
簡単な話だ。
全て、まともな人間なら住むはずがない曰く付きの場所だったのだ。
そこまで考えて、カケルのは自分の推論の中に一つ、違和感を感じる。
だが、それの正体が分かる前に、白縫は言葉を続けた。
「異世界転生者が住んでいた場所は、普通だれも住みたがらな、い」
「だから、その家は取り壊されることが多いし、残っていても廃墟同然にな、る」
「だけど、注意しなくちゃならないのは、そういった建物は、異世界転生者が隠れるにはもってこいだというこ、と。普通のやり方では家を借りられないような人が多いから、ね。一度調べられた場所なら、二回目はしばらく来ないだろうっていう期待もあるのか、な」
「だから、転生局の人間は、定期的に異世界転生者がかつて住んでいた場所を調べなくちゃならな、い。今回も、そのために来たん、だ」
そこまで告げたところで白縫は一度口をつぐむ。
そして、改まった口調でこう問いかけた。
「それで、こんな場所に住んでいる君は、いったい何者なのか、な?星野く、ん?」




