五話
極端に緊張した人間の様子は、心臓の鼓動によって表現される。
バクバクと鼓動が聞こえるだとか。
不規則な鼓動が鳴りやまないだとか。
決して言葉の綾などではない。
実際に緊張した人間は、心臓の様子が気になるものだ。
しかし彼の第一声を聞いた瞬間のカケルは、逆に自分の心臓が止まったかのように感じた。
自分でも怖くなるほどに、心臓の音が聞こえない。
凍り付いてしまったのだろうか。
いや、心臓だけではない。
級友たちのざわめきも、廊下で遅刻者が走る音も、何もかもが聞こえない。
転生局の副局長だと名乗った、白縫の言葉だけが脳内で繰り返されていた。
「まあ自己紹介しておいてなんですが、皆さんに迷惑をかけるようなことはありませ、ん。めいめい、頑張ってくださ、い」
生徒たちのざわめきを無視したように言葉を続けると、白縫はするりと教壇から降りる。
担任は驚いたように声をあげて引き留めたが、それを気にする様子もなかった。
長い手足を器用に折り畳んで机と机の間を駆け抜けると、彼はそのまま出ていってしまう。
慌てて、担任が彼を追いかけて廊下に向かった。
その瞬間、教室内では爆発するかのような勢いで生徒たちが話し始めた。
「結局さー、何で来たんだと思う?あの人」
「目的が分からねえよなあ……」
「単純にさ、異世界転生者を探しに来たんじゃない?目撃情報があったとか」
「馬鹿、それだったらわざわざ学校で挨拶する必要なんかないだろ?そいつに逃げられるじゃん」
「第一、そっち系の話だったら鏖殺人の方が直に来るんじゃない?」
「あ、そっか」
「んー、カケルはどう思う?」
「あ、うん……」
突然話を振られ、カケルは曖昧な返答をする。
正直、全然話を聞いていなかった。
「何だカケル、聞いてなかったか?あの副局長って人が、何でこんなど田舎の、しかも教室の中に現れたのかって話!」
「ああ、うん。不思議だね、うん」
「そもそも、副局長って何やってんの?俺、転生局の人間って鏖殺人しか知らないんだけど」
「あ、それ俺も」
「俺も鏖殺人しか知らなかった。というか、いたんだな、他の職員」
「ああ、鏖殺人しかいない役所なんじゃないかと思ってた」
「確かあそこ、法律で働ける人数が決まってるらしいよ。例え希望者が多くても、少ない人数しか働くことができないって、親父から聞いたことがある」
興味深い雑学を披露したのは、キャベツと呼ばれている友人である。
名前通り、家はキャベツ農家だ。
「何かさ、理由があってわざと法律で人が少なくされてるとか何とか……えーと、どんな法律だったっけ?」
「転生者法ですよ。その施行細則です」
そこで突如、馬鹿丁寧な話し方で会話に割り込んでくる者があった
口を開いたのは、「役人」というあだ名の男子生徒だ。
親が役人であるせいか一等職員を目指しており、実際に結構な秀才なのだが、知識をひけらかす悪癖がある……そんな彼の知識が、今は役立とうしていた。
「転生者法で、転生局の人間は八名以下に留めなくてはならないと定められているのですよ。理由は諸説あるのですが……よく言われる理由は、かつては異世界転生者が憎いために、転生局への志願者が続出していたからです」
「へー、そんな時代があったんだね」
「何か、今の感じだといまいち想像つかねーなー」
「百年以上前のことですから。まあ、当時から局長が殆どの仕事を処理していたので、これ以上の人員は必要ないと判断して定められたのも大きいようですが」
そこで役人は言葉を切り、周囲を見渡して満足そうな表情を浮かべる。
そして、勿体ぶった仕草で問いかけた。
「ところで皆さん、どうしてこの教室に副局長が来たのか……その謎に対する仮説を一つ、私は持っています。聞きたいですか?」
「おお、そんなのあんの?」
「聞きたい聞きたい」
「あー、しかしなあ。どうしようかなあ」
役人は周囲を焦らしたいのか、中々話しださなかった。
カケルたちのイライラが頂点に達してから、ようやく語り始める。
「我らが基礎教導院には、偉大なる先輩がいますね?教師の方々が、お説教のたびにしばしば引き合いに出す人物が」
「ああ、四宮なんとかっていう人だろ。この村の出身者で、初めて一等職員になったとかいう」
「下の名前って何だったっけ?」
「ライトですよ。四宮ライト。そして、ここだけの話なのですが……四宮ライト氏は、かつて転生局で研修を行った時期があるそうなんです!」
「……マジで?」
「……四宮さんってそういう感じの人?」
「……イメージ変わるなあ」
「王都にいる文通相手が教えてくれました。確かな情報です」
そこから、役人による文通の素晴らしさに関する宣伝がしばらく続いた。
いつものことなので、級友たちはじっと話が本筋に戻るのを待ち続ける。
「……まあ、何にせよ、四宮氏とあの白縫氏には、面識があるはずなんです」
「研修中の上司と部下ってことだもんな」
「そうなるな」
「そして、ここからが私の仮説なのですが……おそらく四宮氏は、白縫氏との会話の中でこう言ったのではないでしょうか。一度は故郷に帰り、後輩たちに顔を見せたいと。時刻は十五時、天候は雨、転生局の一般的な昼下がりです」
「まるで見てきたように話すな……」
「何で天気まで分かるんだ?」
「まあ、拗ねるとまずい。話させておこう」
自分の世界に入り込む役人とは対照的に、周囲の空気は冷めていく。
終いには役人を無視して、密かに話し出した。
役人の扱いは、普段からこんなものである。
「一度は故郷に帰りたい四宮氏。しかし、一等職員の仕事は激務。とてもじゃないが帰る暇はない。涙を呑む四宮氏。優秀であっても、新人である彼の仕事はまだ書類に判を押すだけのこと。加えて最近の判子は滲みやすいせいか、故郷に思いをはせている間にまた判子を読めなくさせてしまい、鏖殺人に叱責されてしまう……」
「とうとう先輩のミスまで偽造し始めたぞ、こいつ」
「けど、本当に最近の判子って滲みやすいらしいぜ。この前、先生の仕事を手伝わされた時も、少し前の書類は判子が読めなくて大変だったってこぼしてた」
「そうなんだ。何でだろ?」
「なんか、作ってる民間商社が変わったとか言ってたような……」
やがて、話題の中心から役人は離れていく。
しかし、役人はまだ諦めない。
「ここからが重要です。この場面で、上司である白縫氏が一肌脱いだのです。『分かったよ、四宮く、ん。私が代わりに行っといてやろ、う』という風に。そこで雨は上がり、窓では小鳥が歌いました」
「だから、何で天気が分かるんだ?」
「地味に口調を再現しているのが腹立つな……」
「というか、部下の故郷に上司が行っても意味ないんじゃない?」
仮説ではなく妄想を展開する役人には、鋭いツッコミが浴びせられ。
勿論、彼は気にしない。
「そして今日、ついに彼は来たのです!部下の代わりに、私たちに対して講演をしてくれるために!そして、講演中彼は気づくのです。生徒の中に才気溢れる少年がいることに!そして彼は決めます、この僕を一等職員にすることを!」
「ついに本音が出たぞ」
「今日の妄想は長かったなー」
「自信ありげに語りだすから、ついつい聞いちゃうんだよな、こいつの話」
「全部、最後はこいつが一等職員になるからな」
「どの話題でもそこに持っていけるのは、ある種の才能だよな……あれ、カケル、どうした?」
──聞くほどの価値はなかったけど、馬鹿馬鹿しすぎて逆に落ち着いたな。
密かに役人に感謝しつつ、カケルは荷物を抱えて立ち上がる。
白縫が出ていって十五分。
彼は依然として帰ってこない。
理由は分からないが、もう戻る気はないのかもしれない。
だとしたら、帰るタイミングとしては好都合だ。
「ごめん、俺、早退する」
「え、何で?」
「まさか、役人の話を聞くのに耐え切れなくて……?」
「違うって。まだ風邪が治ってないから、気分悪くなっちゃったんだよ。先生にはそう言っておいて」
それだけ告げると、カケルは唖然とする友人たちを置いて廊下へと飛び出した。
「とりあえずはこれで良し、と」
家に帰ったカケルは、すぐさま三羽の伝書カラスを空に放ち、ようやく一息つく。
力が抜けてその場にうずくまると、ランが興味深そうにトテトテと歩いてきて、「にーちゃ、つかれたー?」と聞いてきた。
「……疲れてないよ、安心しただけ」
空に羽ばたく伝書カラスを見つめながら、カケルはそう呟く。
今放った伝書カラスは、カケルが両親から緊急用にと渡されたカラスたちである。
他の鳥による捕食の危険性も考えて、複数放つことにした。
緊急用の伝書カラスは、普通の伝書カラスよりも速く飛べるが、高価かつ特殊な餌しか食べないという曲者たちだ。
これの世話も、カケルの仕事だった。
両親からは、緊急時しか使うなと念押しされていたのだが────。
「学校に転生局の職員が来るっていうのは、まあ、緊急だろう」
抱っこをせがむランを適当にあしらいつつ、そうぼやく。
一応、まだバレたと決まったわけではない。
役人の話ではないが、本当にただ講演に来ただけの可能性もあるだろう。
──だけど、何もしないわけにはいかない。
これでもしもランに何かがあったら、一生後悔する。
緊急用の伝書カラスを飛ばした以上、明日には両親が帰ってくるはずだ。
彼らと一緒に善後策を練っていかないといけない────そう考えた時だった。
「ごめんくださー、い」
玄関から、覚えのある声が響く。
その瞬間、カケルは再び心臓を凍らせた。




