四話
ファストの街にいたころ、カケルは夜に出歩くのが怖かった。
街灯に照らされている場所はまだ良い。
しかし、光の届かない場所は驚くほど多く、そのすべてが恐怖の対象だった。
あの場所には、人間を食おうとする鬼が潜んでいるんだよ。
いつもは優しい父も、怪談話をするときは別だった。
くだらない話を思いついては、カケルを怖がらせて楽しむ。
頼むからやめてくれ、と何度思ったかわからない。
だが、今思えばファストの街は夜になってもまだまだ明るかった。
夜遅くまで開いている店もぽつぽつとだが存在していたし、何より街灯が一定間隔で設置されている。
今いる村──エドルの村に比べたら雲泥の差である。
まず、ここの住民は基本的に夜遅くまで起きている、ということがない。
殆どの村人が農業に従事しており、朝早くから農作業を行うように習慣づけられているため、夕方を過ぎると驚くほど早く寝る。
また、この村のほとんどの場所には街灯が設置されていない。
基礎教導院や役場の近くにはさすがに置いてあるが、目印程度のものであり、道を照らすことはない。
そのため、夜になるとこの村は完全な闇に包まれる。
頼りになるのは星明りだけ、というのは、本などでよく見かける表現だが、この村は比喩でもなんでもなく、それを実行している。
夜道を歩こうとすれば、ランタンを持っていくしかない。
だが、ランタンの乏しい明りでは足元を照らすことしかできず、何らかのアクシデントでその火が消えてしまえばアウトである。
実際、昔は夜中に出ていったきり戻ってこない行方不明者もよく出ていたらしい。
そして今、カケルはその暗い夜道を歩いていた。
──しかし、今まで住んだ場所の中でも、ここは格別に田舎だなあ。
この村に来て以来、何度も抱いてきた感想が脳裏をよぎる。
基本的に、カケルの一家が引っ越しをするというのは、ランの存在が発覚して人目を避けなくてはならなくなった時である。
このため、カケルの住む場所は、引っ越しを繰り返すたびに人口の少ない田舎に変化していく。
それに伴い、カケルとランが住む家も、古く、みすぼらしいものに変化していった。
だが、この村と家は、今までの経歴の中でも、田舎っぽさという点では頭一つ抜けている。
──まあ、おかげで呼び止められるようなことがないんだけど。
ほとんど視界が利かない中、カケルはそんなことをぼんやりと思った。
時刻は現在、二十三時。
とても十二歳の子供が、ランタン片手に外を出歩くような時間ではない。
その道が、街灯一つない闇の道であるというのならなおさらだ。
しかし、今、カケルは夜の散歩に励んでいた。
何しろ──カケルにとって、一日の楽しみなどこれしかないのだ。
夕食の支度をしていた時、突然伝書カラスが届けてきた、父親からの手紙。
その内容は、大体はカケルの予想していた通りのものだった。
免罪符の購入資金を貯めるため、しばらく帰れそうにはないこと。
生活資金はまた送るから、上手くやりくりしてほしいこと。
何があっても、ランの世話だけは忘れないこと。
ここまでは、今まで何度も言われてきた内容であり、慣れている。
しかしながら、最後に記されていた内容には、慣れていなかった。
「『言いにくいんだが、発展教導院は諦めてほしい』、か……」
足元を見つめながら、カケルはぽつりとつぶやく。
基本的には、基礎教導院と発展教導院に通うことは子供の義務だと定められており、これを妨げる人物には罰則規定も存在する。
しかし、厳密には罰則規定が存在するのは、子どもを基礎教導院に通わせない親に対してであり、発展教導院に関しては事情が異なる。
発展教導院に頼らず、独学で勉学を極めようとする者。
家が貧乏で、学校に通わず就職を望む者。
後は、帝王学とやらを学ぶらしい、一部の特等職員の家系。
こういった事例では、特例で発展教導院に通う義務が免除される。
だが、カケルの父が言ってきたことは、もちろんそんな和やかな話ではない。
要するに、進学を諦めて一日中ランの世話をしてほしい、ということである。
そのことが、カケルには分かっていた。
カケルの両親は常々、カケルが学校にいる間、ランが一人で家にいることを問題視していた。
その間に誰かが訪ねてきたり、ランが外に出ていったりしたら困る、という話である。
それ自体は納得のいく話なのだが、基礎教導院は義務教育である。
カケルにはどうしようもない話だった。
だが、基礎教導院さえ卒業してしまえば、特例が使える。
両親としては渡りに船だろう。
実を言うと、母親も出稼ぎに赴くようになったころから、薄々予想していた話ではあった。
だが、実際に言われると、それはやはり衝撃的な言葉だった。
「俺の最終学歴は、基礎卒ってことになるのか……」
闇の中で、カケルはひっそりと呟く。
基礎卒、というのは言葉通り基礎教導院は卒業したが、発展教導院は卒業できなかった者のことであり、ある種の蔑称である。
いくら特例が存在すると言っても、それは適用例が少ないからこそ「特例」と言うのであり、普通の人間は、ほぼ全て発展教導院に進学する。
だというのに、基礎卒で、しかも家事手伝いしかしていない一般人となると、立場は限られてくる。
独学で一等職員を目指したが、結局一等国家試験にどうしても受からず、夢に破れることになったすねかじり。
あまりにも素行が悪く、学校を追い出された者。
引きこもりだったり、性格に難があったりして、そもそも学校に十分に通っていない者。
基礎卒という言葉から人々が思い描くイメージは、こんなところだ。
端的に言えば、社会の落後者に貼るレッテルのようなものである。
現在、カケルは基礎教導院の最終学年生。
一年後には、カケルもその「基礎卒」の仲間入りをすることになる。
「また書類とか偽造するのかなー……」
我知らず、言葉が口から洩れていく。
自分でも意外なほど、発展教導院に行けない、というのはショックだった。
今まで、幾度となく転校し、友達との別れなど数えきれない程経験してきたが、ここまで辛くは感じなかった。
──まあ、だから散歩したくなったんだろうけど。
遅すぎる自分の意思の確認に、カケルはその年齢にそぐわない、自嘲的な笑みを浮かべる。
カケルが夜の散歩を始めたのがいつだったのかは、自分でもよく覚えていない。
ただ、今日と同じく、何か衝撃的な出来事があった日であることは、まず間違いない。
襲い掛かる理不尽に、泣きたくなった時。
一人でいることに耐えきれなくなった時。
両親を恋しく思った時。
カケルはランを寝かし受けた後、密かに家を出て、夜道を散歩する。
両親がこのことを知ったら、烈火のごとく怒るだろう。
ランを一人で家に置いておくとは何事だ、と。
村人の目に入り、「あそこの家はどうなっているんだ」と興味を持たれたらどうするのだ、と。
ひどくカケルを叱るに違いない。
だから、カケルはこの夜の散歩のことは両親には知らせていない。
両親のどちらかでも家に戻ってきている間は、この遊びは封印する。
もちろん、ランもこのことは知らない。
夜の闇のおかげで、村人も、カケルの友達も、このことは知らない。
自分しか知らないこの趣味を続けることこそが、カケルにとって唯一の趣味であり、憂さ晴らしだった。
ランの存在が発覚するかもしれない遊びをわざとやることで、ささやかな意趣返しをしているのかもしれない。
少し前から、カケルは自分をそう分析するようになった。
──もし、こうやっている間にランが見つかったら、どうなるんだろう?
絶え間なく足を進めながら、カケルは思考を巡らせる。
夜の散歩をする時には、いつも考えることだった。
──まず、転生局が来て……まあ、ランは殺されちゃうよね。
殺される、という言葉に、たいして心が揺れないのも、いつものことだった。
所詮は仮定の話だからか。
それとも、本当に何も感じていないのか。
自分でもよく分からない。
──ランが殺されたら、父さんも母さんも、捕まるだろうな。
転生者法違反の罰則がどのくらい重いのかはよく知らないが、異世界転生者を匿うことで、転生局の業務を妨害しているのだから、無罪とはいかないだろう。
死罪にはならないと思うが、結構長い間拘留されるかもしれない。
──だけど、俺は多分……。
グリス王国では、原則として十五歳以下の年齢のものは罰されない(異世界転生者を除く)。
どんな犯罪を行ったとしても、だ。
まだ子どもであり、正常な判断を行えていないという扱いになるのだ。
もちろん、更生施設に入れられるらしいが……。
──もしそうなったら……。
きっと苦しいだろうし、辛いだろうけど。
もしかすると、本当にもしかすると、今よりもずっと────。
そこでカケルは頭を左右に強く振り、仮定の話を頭から追い出した。
その先を考えてしまえば、きっと。
ランの世話はもうできない。
ここで思考停止するのもまた、いつものことだった。
夜の散歩でいつもやっていることが終わり、一息つく。
カケルはそこで立ち止まって、一度深呼吸をした。
幸い、春先とは言えまだ肥やしは撒いておらず、臭いはきつくない。
安心して、大きく息を吸い込んだ、その時である。
「ん?」
気が付けば、声が漏れていた。
先ほどまではランタンが照らす、自分の足元しか見えていなかったのだが────。
いつの間にか、自分より前方の光景が、なぜかうっすら見えるようになっている。
今日は新月。普通ならありえない。
だが、その原因はすぐにわかった。
自分より、百メートルほど前方にある、とある民家。
その家には、多数の人間が集まっていた。
そこに、明かりが置いてあるのだ。
ふと辺りをランタンで照らせば、いつの間にかカケルは村の中の、住宅密集地のすぐ近くまで来ていた。
人目につかないよう、今までの夜の散歩はできるだけ家の近くで行っていたのだが、今夜ばかりは無心で歩いてきてしまったらしい。
帰らなきゃ、とまずは思った。
だが、その明かりから投げかけられた声が、カケルの思考をぶった切る。
「よーう!そこにいんのは、だれだー?」
見つかった、と自覚した。
だが、カケルはあまり焦らなかった。
何しろ、カケルに呼び掛けた声は、完全に酔っぱらった人間のそれだったのである。
理由は分からないが、あの場所では宴会の類が開かれているらしい。
──相手が酔っぱらっているのなら、まあ、いくらでも誤魔化せられるか……。
驚くほど冷静に、カケルは状況を理解する。
そしてそのまま、宴会を行っていると思しき場所に、思い切って足を進めた。
何分、小さな村である。
もしここでカケルが逃げ出して家に帰ってしまい、酔っ払いがそのことを誰かに話せば、犯人捜しのようなことが始まるかもしれない。
そうなったら、それこそランの存在が発覚する危険性がある。
ならば、敢えてあの宴会に参加し、適当な理由を付けておいた方がいい。
結論から言えば、カケルは特に言い訳を述べる必要はなかった。
カケルが宴会場に辿り着いた時点で、そこにいる人間が全て、ぐでんぐでんに酔っぱらっていたからである。
その場に辿り着いた瞬間、カケルは中年のおっさんに捕まり、なぜか宴会に参加させられていた。
「……それで、この宴会は、何で開かれているんですか?」
ほとんど叫ぶかのような音量で問いかけるが、目の前にいる酔っ払いたちは誰も答えようとしない。
カケルと肩を組んでいる親父は若いころの自慢話に夢中。
目の前にいるそこそこ若い男性は、誰も聞いていないのに好みの女性について話しだした。
全員、相当な量の酒を飲んでいるのだろう。
もはや意識がまともにあるのかすら怪しかった。
案外広かった民家の、軒先と庭で行われている、謎の宴会。
カケルが参加して三十分は立つが、誰一人として宴会の目的に答えようとしない。
まさか隠れて非合法な薬物でもやってるんじゃ、と一瞬考えたが、顔を赤と青に染め上げて、庭の隅でオエオエ言ってるおっさんの姿を見て、それはないか、と思い直す。
先ほども述べたが、農作業の都合上、ほとんどの村人は早寝早起きである。
ここまで遅くまで宴会を開いているというのは、それだけで珍しい。
というより、非常識の範疇に入る。
そのため、さすがにカケルもなぜ宴会を行っているのか気になっているのだが、どうやら答えを得ることはできなさそうだ。
──気になるけど、うまいこと逃げ出して帰るか……。
そう思った時である。
「ああん?何で宴会を、だってえ?」
背後から応答に近い内容の声が響き、カケルは即座に振り向く。
そこにいたのは、カケルを宴会に巻き込んだ、桃農家のおっさんだった。
顔色はカケルを呼び止めたときと同様に赤いが、目の焦点はあっている。
酒には強い性質らしい。
コップに新たな酒を注ぎながら、そのおっさんはようやくカケルの望む答えを返した。
「そらあ、おめえ。あれよ。あいつの新築祝いよ」
あいつ、の部分で、彼は無造作に庭の中心の方にいる男性を指さした。
カケルも先程から気になっていた、この宴会の中心人物である。
入れ替わり立ち代わり、酔っぱらったおっさんたちが彼を囲んで、何やら立ち話をしている。
そこまで来て、ようやくカケルは、この家が非常に新しくなっていることに気が付いた。
酒の匂いに混ざりながらも、確かに新しい木材の香りがする。
「あいつのところに、あたらしくこどもができるっつーんで、家が手狭になるとか何とか……。それで、思い切って家を新築したんだよ。んー?しらねえのかあ?」
知らなかった。
そもそも、こんな住宅地の方に来ること自体が少ない。
ただ、こんなに新築祝いに人が集まるのだから、あの人物はこの村では力を持っている人なのかな、と推測できた。
カケルの両親は常に出稼ぎに赴いているため、村の集まりなどに顔を出したことがない。
そのためか、カケルは同級生以外の村人の顔をほとんど知らない。村長ならおぼろげにわかるかな、というくらいだ。
尤も、村の大人たちも、カケルを一人村に置いて(ランの存在は当然知られていないため、村人からすればカケル一人がここに住んでいる認識になる)、外で働く両親のことをあまり良く思っていないらしいので、おあいこである。
「いや、それにしてもあいつも大変なんだよおー。とくにさぁ、子育てがよお」
突然、桃農家のおっさんの口調が粘っこいものになり、目の焦点が合わなくなる。
酔いが回ったようだ。
「あいつの上の子供はよお、なーんか成長が遅い子でなあ。歩くのも話すのも、村で一番遅かった。同じくらいの年の子が全員出来るようになってから、ようやっと様子を伺うみてーにして、できるようになる。あいつの女房は心配性だから、いつも気にして……。もう基礎に通ってんだけど、成績はいつもビリ!だけど、そんなんだから逆に猫かわいがりで……」
自分の家の事情に四苦八苦している現在、他人の家の事情にかまっている暇はない。
何とか管をまくおっさんから逃れ、カケルは帰ろうとする。
気になっていた宴会の目的も分かり、ここにはもう用はない。
参加者の様子からすると、カケルが子供であることに気が付いた様子もなく、記憶すら怪しいレベルである。
これなら、今帰っても怪しまれないし、カケルの夜の散歩もばれないだろう。
明日の学校のためにも、今は早く帰りたい。
だが、肩を組んでいる親父が、それを許さなかった。
「ああん、お前、ほとんど飲んじゃいねえな?ほれ、飲め」
抵抗する暇もなかった。
口元に突然、酒をなみなみ注いだ木のコップが現れ、カケルの喉に液体を流し込む。
苦い、と思った次の瞬間には、喉の奥がカッ、と熱くなった。
まずい、これはお酒だ────。
そう考えてからの記憶がない。
そこから、何がどうなったのか、カケルは知らない。
だが、何とか家に戻ってきたのは、まず間違いない。
数日たってから、カケルはそのことの意味に気が付くこととなる。
「よう、カケル!久しぶり!」
「……うん」
「元気ねーなあ。まだ風邪が治ってないんじゃないのか?」
「いや、治ってるよ、うん」
問題は、一日休んでもなお残る、頭痛の方である。
宴会に強制参加させられた次の日、カケルは学校を休んだ。
二日酔いで、学校どころではなかったからである。
一日中兄と遊べることに、ランは喜んでいた。
実際には、頭痛で遊ぶどころではなかったが……。
その痛みを乗り越え、何とか今日は学校に来たのである。
今はちょうど、後五分で朝の授業が始まるというところ。
同級生と共に机に座り、担任教師を待っている最中だ。
「けど、なんか今日は先生おせーよな?」
「あ、それ俺も思った」
「普段なら、もう来てるよな?」
「……うん、そうだね」
級友が次々と口にするどうでもいい話題に、何とか相槌を打つ。
──早く治んないかな、これ……。
初めて気が付いたが、自分はかなり酒に弱いらしい。
それから、もう三分経って。
ようやく、担任教師は姿を見せた。
子どもたちは一斉に、やっと来た、と笑みを浮かべ。
次に、怪訝な顔をする。
それは、担任に続いて現れた、白衣の男に向けられていた。
──誰?
カケルも、頭を抱えながら疑問符を抱く。
少なくとも、学校では見たことがない男だった。
身長はかなり高い。百八十センチ以上あるだろう。
しかし、体格に優れているわけではなく、痩せていて細長い。鉄柱のようなシルエットをしている。
その細長い体は、これまた細長い白衣で包まれている。
特徴といえば、眼鏡をかけていることと、少し病的なほどに色白であることだろうか。
特に手などは、どこまでが白衣で、どこまでが地肌なのか分かりにくい。
顔の方も、やはり色白だが、正直あまり特徴がない。
眼鏡以外の印象は薄かった。
薄く笑みを浮かべて子どもたちを見渡す姿は、何かの研究者のようである。
カケルが白衣の男を観察している間に、担任とその男は教壇に立っていた。
担任は、子どもたちの説明を求める視線に負けたのか、率直に話を切り出す。
「皆さん、驚かないで聞いてください。……今日、この学級室に、転生局からのお客さんが来ました」
教室から、物音が消失した。
その意味が分かっているのか、いないのか。
白衣の男は、間髪入れずに自己紹介をした。
言葉の末尾を区切る、奇妙な話し方で。
「どうも皆さ、ん。こんにち、は。内務省所属平和庁直属特務機関、転生局副局長の、白縫キョウヤで、す。よろしくお願いしま、す」
カケルの頭痛が、一層ひどくなった。




