二話
何とも言えない言葉をかけられて、ライトはしばらく絶句する。
何も言葉が出てこない。
すると、鏖殺人はその混乱を察したように、言葉を続けた。
「……冗談だ。まあ、座りなさい」
そう言って、彼は指で手近な椅子を示す。
それに従う形で、緊張と驚愕が交差し、頭がほとんど機能していない中、ライトは何とか椅子に座る。
これができたのは、二等職員としての経験の賜物だろう。
一等職員と特等職員の言うことには、とりあえず従っておくべし、という二等職員の鉄則が役に立った。
ライトが座ったのに合わせて、鏖殺人もゆらり、と立ち上がって、ライトの正面の椅子のところにまで歩いて来る。
彼がそこに座って初めて、ライトは鏖殺人の容姿を落ち着いて観察することが出来た。
失礼な行為かもしれないが、相対するのは初めて、ということもあり、ジロジロと見てしまう。
まず意外だったことは、鏖殺人の背丈がそこまで大きくなかったことだ。
数字で表すなら、百七十センチ前後だろうか。
何となく大男のようなイメージがあったのだが、大きく見積もりすぎていたらしい。
また、制服のせいで分かりにくいが、体つきもそこまでがっしりしたものではない。
むしろ、男性としてはかなり細身の方だと言えるくらいに痩せている。
本当にこんな細腕で、あの愛刀を振るえるのか心配になってくるほどだ。
年齢は、確か二十代後半だったはずだが、肌の感じは、もう少し若い。
仮面のために顔の全体が見えず、正確な判断ができないが、額のあたりの肌は少年のように若々しかった。
──近くで見ると、意外と若いお兄さん、という感じに見えるな……。
そんな感想が、ライトの心中を占めていく。
すると、鏖殺人がまた口を開いた。
「最初に、軽く面接をさせてもらおうか」
不意打ち気味に、鏖殺人から言葉が投げかけられる。
それを聞いたライトは、ついに来たか、とだけ感じた。
今から始まることは、予想がつく。
グリス王国の役所では習慣化されている、ある種の抜き打ち面接を行うつもりだろう。
どこの部署でも、配属されてすぐのころに、この手の面接が行われた。
内容はただ単に新人の知識確認のようなものから、ひたすら新人に分かるはずもない事柄を聞き続ける嫌がらせじみたものまで、多岐にわたる。
これをどう乗り切るかが、指導員の心象、評価にかなり大きく関わるという噂であり、配属初日の一つの山と言える。
鏖殺人もどうやら、それを行うつもりのようだった────。
「……まず、転生局設置の根拠となる法律名を答えよ」
面接官の口調となった鏖殺人から、最初に、基礎知識の確認が行われる。
さすがにこれは子供でも知っている内容であるため、ライトも落ち着いて答えることが出来た。
「グリス王国法典第一特別法の、『転生者法』です」
「正解。では、その条文は?」
これはやや踏み込んだ質問だったが、幸いにして国家試験の頻出分野であり、まだ覚えていた。
ライトは一度目を閉じ、何度も目にした条文を読み上げる。
確か、こんな感じだったはずだ。
「大いなる建国者たちは、永遠なる平和を未来に約束するため、次の四項目を制定する。
一、国民の利益のために、異世界転生者は国家が排除する。
二、国家による排除は、グリス王国国家理事会内務省所属平和庁直属特務機関『転生局』が行う。
三、異世界転生者は、再誕型、移動型を問わず、グリス王国内であらゆる権利を持たない。
四、上記三項目に反しない限り、転生局職員は異世界転生者の生命を自由に管理する権利を持つ」
所々つっかえたが、何とか完璧に言い切ることが出来た。
安心して、ライトは一人胸をなでおろす。
さすがにこれを間違ってしまっては、転生局では働けない。
「正解。じゃあ、さらに基本的なことを聞こう。そもそも、異世界転生者とは何か?先ほどの条文に明記された再誕型、移動型も併せて答えよ」
問いかけられた瞬間、来た、と思った。
三日前、転生局配置が決まってから必死に読み返した内容を思い出す。
「……広義としては、地球とかいう、我々とは違う世界に住む人間たちの総称です。狭義としては、それらの人間たちの内、偶発的に<門>を超えて、こちらの世界にやってきた者たち、と定義されます」
そう前置いてから、ライトは説明を続けた。
……まず、「異世界」という概念の大前提となる考えだが────人間の住む「世界」という物は、決して一つではない。
この空間には、人間が観測できないだけで、数えきれない程の無数の世界が存在している。
それぞれの世界にはそれぞれの宇宙があり、生命が存在している宇宙もあれば、存在していない宇宙もある。
その世界同士は、本来決して交わることはない。
どれほど遠くにまで人間が向かい、世界の果てにまで到達したとしても、そこを超えて別の宇宙に辿り着くことは、人間には出来ない。
そもそもにして、存在している座標が違うのだ。
故に、古来から人々は、この交わらない世界たちのことを「平行世界」と呼んでいた。
平行線のように、どこまでも隣接し、出会うことの無い世界なのだと。
────しかしながら。
実を言うと、平行世界間を移動することは、不可能ではない。
何かの拍子に、ある平行世界と、それとはまた別の平行世界の座標が、突然近づくことがある。
さらにその時、世界と世界の間には、両者をつなぐための通路のような物が────<門>と呼ばれる通り孔が出現することもあるのだ。
その<門>を、人間が通れば、どうなるか?
当然ながら、その人間は繋がっている先の別世界へ行くことが出来る。
この、平行世界間の移動こそが、俗に言う「異世界転生」である。
ここで重要となるのは、この<門>という物は、平行世界が存在する限り必ず出現する物であり、その出現を止めるのは不可能、ということである。
概念としては、地震や、台風のような自然災害が一番近い。
この<門>という物は、平衡世界を股にかけた、自然災害なのだ。
例えば、星を覆うプレートが移動する限り、必ず地震は起きるように。
或いは、空気や水があれば、勝手に風や雲が生まれ、嵐や台風に繋がるように。
<門>というのは、出現を止めようがない、絶対に存在する代物なのだ。
従って、その<門>を越えて来てしまった者────異世界転生者の発生を止めることもまた、不可能である。
どれほど対策を立てても、自然災害に遭遇する人間をゼロにすることが、不可能であることと同様に。
平行世界がある限り、絶対にその世界に生きる誰かは、異世界転生者になるのだ。
つまり極端な話、異世界転生者のいない世界、というのは存在しない。
平行世界が存在するのならば、必ずどこかのタイミングで、その世界には異世界転生者がやってくる。
あるいは、その世界に住む人間が、別の世界へと旅立ってしまう。
そしてこの時、大きな問題となるのは、<門>の発生頻度が、同じ自然災害でも、地震や台風を遥かに凌ぐ、という点である。
何しろこの世界────アレルの場合は、一日に一度、世界のどこかで必ず<門>が開く、とすら言われているのだ。
つまるところ、毎日異世界転生者が現れても、おかしくはないのである。
……尤も、現実的にはそんなことはあり得ないが。
何故そう言い切れるかと言えば、その理由は、<門>の大きさが説明してくれる。
自然発生するだけあって、<門>の大きさは、常にランダムなのだ。
しかも、大きい<門>は、そう何度も発生しにくい。
少なくとも、アレルで観測される<門>のうち、人一人が通れるほどの大きさのどれが出現するのは、せいぜい半年に一度。
発生する<門>の大半は、砂一粒が辛うじて潜り抜けられるかどうか、というくらいの大きさしかない。
また、<門>が出現しても、必ずそれを通るものが現れるとは限らない。
何せ、<門>の存在時間は、長くてもせいぜい十秒程度、短ければ一秒の百分の一。
そんな短い時間に、都合よく<門>を通ってくる存在が居るとは限らない。
言ってみれば。異世界転生者というのは、物凄く低い確率を潜り抜けて、異世界に来ているのだ。
こういった事情から、異世界転生者の数というのは、実際のところかなり少ない。
一番異世界転生者が居た時期でも、アレルの総人口の一パーセントも無かったはずだ。
しかし────彼らの数が、どれほど少なくても。
彼らの存在は、この世界にとって危険な物である、される。
これは、転生者法に記された通り、転生の方法に再誕型と移動型があるからだ。
移動型というのは、異世界転生者がその肉体を保持したまま、<門>を超えてくるタイプの転生である。
先述した、偶々大きな<門>に出会い、その中を超えてきた者たち。
場合によっては、異世界転移者、とも言われる。
彼らの大きな特徴を挙げるなら──これは再誕型にも共通するが──彼らは元の世界で死にかけた人物である、という点だろうか。
事故、自殺、殺人。
理由は様々だが、何故か<門>は、死に瀕した人物のすぐそばに出現しやすい、という特徴があるのである。
さらに──これまた理由は不明だが──<門>は、異世界の地球における、「日本」という国で出現しやすいという性質も持っている。
つまり、地球の日本という国で死に瀕した者の近くに、偶然大きな<門>が出現し、なおかつ死ぬ前にそれを通った者が、移動型異世界転生者としてアレルに辿り着くことになるのだ。
そして、移動型異世界転生者というのは、異世界転生の中では扱いやすい部類に入る。
移動方法の都合上、「空がぴかっと光って、変な人影が見えた」といった通報を受けて現場に行けば、確実に困惑している異世界転生者か、餓死した異世界転生者の死体に行きつくくらいだ。
服装があまりにも奇妙──肉体を保持したままであるため、当然服装は異世界のそれだ──なので、現地の人間に紛れ込みにくい、という点も、このやりやすさに拍車をかけている。
そういう点では、寧ろ、難しいのは再誕型異世界転生者である。
こちらも移動型と同じく、死に瀕した人間に<門>が出現し、転生してきた人間たちだ。
移動型と異なるのは、転生者がその肉体を保持せず、その精神の塊────魂とでも言うべきもののみが<門>を越える、という点である。
要するに、地球で死んだ人間が、こちらの世界で赤ん坊から生まれ直すのだ。
そういう意味では、こちらの方こそ、真の異世界「転生」者と言える。
こちらの場合、<門>が多少小さくても、問題なく転生する。
魂というのは非常に不定形なものなので、小さな<門>でも通り抜けられるのだ。
加えて、当然の話だが魂は目に見えないため、転生してすぐに発覚する、ということはまず無い。
そして、首尾よく転生した魂は、異世界の人間──多くは、自我が不安定な赤ん坊──に憑依し、その肉体を乗っ取ることで、文字通り生まれ変わることになる。
結果として、赤ん坊なのに異様に知識を持っている、天才児という形でこの世界で生きることになる。
彼らの面倒な点は、異世界転生の発覚までに、非常に時間がかかることだ。
何せ、彼らはちゃんとした判断力を持ったまま、赤ん坊としてしばらくこの世界で生きることになる。
つまり、異世界転生者側が「この国では異世界転生者だと分かると殺されてしまうようだ」と理解して、何も言わずにこの世界に潜伏してしまう場合が存在するのである。
移動型の異世界転生者であれば、さっきまで地球で生きていた状態のままこの世界に来るので、アレルの人間であれば当然知っているはずの風習や知識について、よく知らない。
このことから、彼らと直に話せば、どれほど言いつくろうともぼろが出るので、相手が異世界転生者だとすぐに分かる。
一方、再誕型の場合は、まずは普通の子供として成長するために、成長の過程でアレルの常識も身に着けてしまい、質問攻め程度では異世界出身かどうか、分からないことが多い。
加えて、再誕型の場合、親の方が育てているうちに愛着が湧いてしまい、転生の事実を察しても、異世界転生者を庇って、密かに育ててしまうこともある。
これらの点から、再誕型異世界転生者は厄介なのだ────。
……記憶を頼りに、つらつらと、かつて暗記した内容を読み上げていく。
すると、思った以上の大演説となってしまった。
長すぎたか、と思ったライトは、そこで口を閉じる。
すると間髪入れずに、新たな質問が投げかけられた。
「結構。よく勉強している。では、次に行こう。そうだな……さらに根本的なところを訪ねよう。……何故、我々は異世界転生者を隔離や投獄で済まさず、殺さなくてはならないのかを答えよ」
──何故、殺さなくてはならないのか……つまり、どうして異世界転生者の殺害を決めた転生者法なんて物が、制定されたのか、ということか。
いよいよ、面接も佳境に入る。
ライトは一度、気合を入れなおした。