三話
「免罪符」について解説をしておこう。
大前提として、転生局の基本理念は「異世界転生者は全て殺す。しかし、普通の人間は間違っても殺さない」である。
そんな彼らの重要な仕事の一つに、「捜査の結果、異世界転生者ではないと判明した者への対処」がある。
考えてみてほしい。
ある人物が、異世界転生者ではないかと疑われたとする。
付近の住民は転生局に通報し、鏖殺人をはじめ、転生局の職員がその人物を調査する。
やがて、該当人物が本当に異世界転生者であったと判明したのなら、問題は起こらない。
鏖殺人が殺害して終わりである。
だが、実はその通報が事実誤認だった場合。
誤解から異世界転生者ではないかと疑われたが、実際は普通にアレルの在来人類であったことが転生局の調査によって判明したとなると────事態は面倒なことになる。
当然ながら、鏖殺人はその人物を殺しはしない。
普通の人間を殺害する必要などないのだから、何もせずに王都に帰ることになる。
問題はそこからだ。
果たしてその人物は、「こいつは異世界転生者だから殺してくれ!」と通報した住民と一緒に、これまで通りの日常生活を送り続けることが出来るのか?
ここが焦点となる。
仮にその通報が悪意によるものだった──本当は一般人だと分かっていたのに、嫌がらせで嘘の通報をしていた──なら、まだ何とかなる。
ティタンの粛清劇以降、悪意を持って普通の人間を異世界転生者だと嘘の通報した人間は、厳罰を受けることになっている。
故にこの場合は加害者側がその場から消えるため、大した問題は起こらない。
しかし悪意によるものではなく、純粋な思い込みによって嘘の通報がされる例もある。
ちょっとしたすれ違いや誤解から、「アイツって異世界転生者なんじゃ……」と言われる場合だ。
この場合は真実が判明した後、虚偽通報ではないので罰せられなかった当事者たちは、それはそれは気まずい思いをすることになる。
いくら法律に従ったのだとしても、相手が殺されることを承知の上で通報をしたのだ。
通報された側からすると、自分を誤解で死なせようとした人間が家の近くにいる形になる。
通報者が近しい人間だった場合、それまでと同様の関係を維持するのは不可能と言っていいだろう。
互いに水に流しましょう、と大人の対応をする人間は限られている。
転生者法が施行されて十年近くたった頃……何件かの誤報による転生局の出動が行われた後、これらのケースが明らかになり、社会問題となった。
例えば、ある婚約中の男女のケース。
彼らは結婚に先駆けて、同居を始めたらしい。
しかし女性の方が、恋人の様子や話し方を見て、異世界転生者ではないかと疑うようになった。
実際のところ、少々変わった性格をした人物だっただけで、その男性は一般人だったのだが────恐怖に駆られた女性は、転生局に通報。
当時の局長である、二代目ティタンが出動することになった。
当然ながら、調査の結果として普通の人間であると判明。
しかしティタンが帰った後、すぐに男性の方から婚約の解消を申し出たという。
誤解とは言え、転生局に自分を殺すように頼んだ女性を愛することは不可能だったのだ……「これからも何か誤解する度に、この女性は同じことをするかもしれない」と思ったのかもしれない。
或いは、ある青年のケース。
彼は発展教導院に通っていたころ、極めて成績優秀な人物だった。
近隣でも評判の天才少年だったのである。
しかし運の悪いことに、彼の担任教師は極めて猜疑心が強い人物だった。
彼の天才振りを見た教師は、あろうことか「こんなに成績が良い人物は、再誕型の異世界転生者に違いない。前世の知識があるから、こんなに賢いんだ」と決めつけて、転生局に通報。
これまた、二代目ティタンが出動した。
実際のところ、彼が成績優秀だったのは、単純に彼自身の才能と努力の成果であった。
異世界由来の知識など、何も関係がない。
ティタンの調査ですぐに誤報だと分かり、担任教師は責任を取って辞職した。
これだけでも酷い話だが、続きがある。
この青年の人生には、更なる試練が待ち構えていた。
風評被害である。
件の担任教師が辞職してからも、彼を異世界転生者ではないかと疑う人物が後を絶たなかったのである。
なまじ、彼が本当に天才だったことが悪影響だったのだろう。
また、転生局の人間が過去に彼の元を訪ねたという事実が、疑惑を強くしていた。
疑われたと言うことは、やはりそれなりの理由があるのではないか?
本当は異世界転生者なのに、魔法で転生局をだましたのではないか?
あの教師の言っていることこそ、本当は正しかったのではないか?
噂は噂を呼び、彼はいつしか常に陰口をたたかれるようになった。
この噂は、就職の際に彼を傷つけることになる。
民間での就職を希望していた彼だが、彼を雇ってくれる民間商社はどこにもなかった。
彼の優秀な成績であれば採用されて当然だったはずなのに、採用されなかった。
民間商社の人事部が、彼は異世界転生者かもしれないという噂を鵜呑みにした結果だった。
仮に人事担当がその噂を信じていなかったとしても、彼を採用すれば、その商社には「異世界転生者を援助している」という別の噂話が生まれる可能性がある。
信用第一を掲げる商社にとって、いくら成績優秀であっても、彼は雇いたい人材ではなかったのだ。
結局として全ての商社の採用試験に落ちた彼は、やがていくつかの精神疾患を発症。
最後の採用試験が行われた三か月後に、森の中で首を吊っている状態で発見された。
遺書には、「僕は異世界転生者じゃない」とだけ書いてあったと記録されている。
この他にも、異世界転生者だと疑われた一般人がその恨みで通報者を殺害するなど、とても放置できないケースが頻発することになった。
結果、事態の放置は社会の混乱を招くと考えた二代目ティタンが、国王に嘆願書を提出。
それが受理されたことで生まれたのが、「当該人物における非異世界転生者証明に関する書類群」────通称「免罪符」である。
免罪符とは平たく言えば、異世界転生者だと疑われながら、実際には異世界転生者ではなかった人物たちに渡される書類一式。
同時に、転生局職員が去ってからの生活の保障となる証明書でもある。
転生局はこの時期から、「誤解から異世界転生者だと疑われた一般市民」に公的な支援を開始したのだ。
疑いが晴れた後に、その人物が地元で住みにくくなったのであれば、国が引っ越し費用を捻出。
職業面でも、転職や再就職などの面倒を見てもらえる。
加えて免罪符所有者に差別的な扱いを行った者は、所有者が訴え出れば罰が与えられることとなった。
この他にも、転生局が該当人物を疑ったことで生じる不利益を極力排除するべく、免罪符所有者には様々な権利が与えられる。
それでも人の意識はなかなか変えられないらしく、免罪符発行後も、所有者たちは心無い人間たちの風評被害に悩まされることになるのだが……。
しかしここで重要となるのは、転生者法が抱える問題点についてではない。
免罪符というものが、「転生局による、所有者が異世界転生者ではないことの証明書」であることが重要なのだ。
要するに、何とかして転生局を騙して、本当の異世界転生者が免罪符を手に入れてしまった場合────その人物は、二度と転生局から疑われることはなくなるのだ。
何せ、異世界転生者を殺すはずの転生局の方から、その人は一般人なので殺さないと宣言したのだから。
これに成功すれば、もう彼らに恐れるものはない。
逃げ隠れする必要もなくなり、外を大っぴらに歩くこともできる。
就職も、住居も、申し込めば国が斡旋してくれる。
仮にどこかでぼろを出しても、免罪符さえ提示すれば何とかなる。
本来なら転生局から逃げ回るしかない異世界転生者たちが、唯一助かす手段……それが、免罪符の入手なのである。
故にグリス王国に潜伏している異世界転生者やその家族は、何とかして免罪符を手に入れようと努力することになった。
異世界転生者ではなかった人間たちの権利を守るはずの免罪符は、図らずも真の異世界転生者たちの希望となったのである。
しかし、正規の手段を介して免罪符を手に入れる────敢えて通報されて転生局の職員を呼び、彼らを騙して免罪符を誤発行させるのは、極めて困難な道だった。
歴代の転生局局長はその全員が洞察力が高く、異世界由来の物についてもよく知っていた。
半端な偽装では、本当の異世界転生者であるとバレてしまい、その場で殺されるだけである。
それでも一縷の望みをかけたのか、局長が代替わりする時期には、この方法で免罪符を手に入れようとする人物が急増したという。
今度のティタンはもしかすると無能かもしれない、という期待があったのだろう。
それでも彼らの期待も空しく、これらの行為はただ単に、転生局の業務をやりやすくするだけだった。
転生局の目を欺けた者は、誰もいなかったのだ。
全員、偽装を見抜かれて即座に殺された。
ティタンを騙して免罪符を不正発行させるのは、流石に無理があった。
このことが周知されてから活発になったのが、非正規の方法で手に入れるやり方である。
例えば、既に免罪符を手に入れている者からそれを盗み、名義を書き換える。
もっと単純に、書類一式を偽造する。
もしくは転生局の倉庫から職員の振りをして盗む、転生局の職員を買収する……。
どれも困難な道だが、潜伏している異世界転生者は諦めなかった。
裏の世界では精巧に偽造された免罪符や、既に亡くなった人物の免罪符が高額で出回るようになり、どんな宝石よりも価値があると囁かれるほどになる。
カケルの両親もまた、出稼ぎで手に入れた資金を元に、裏の世界で免罪符の偽造品を手に入れることを目標としていた。
それをランに渡せば、星野ランの身は保証されると信じて。
「……にーちゃ?」
黄色い声が耳朶を打ち、カケルはフッと現実に意識を戻した。
真下を見れば、出迎えたときと同様に、ランがカケルの腰にしがみついている。
ついでに言うと、眼前には火にかけた鍋があった。
──……料理してたんだったな。
夕方に食事を始めるには、基礎教導院から帰ったカケルはすぐに料理を始めなければならない。
ランの世話をしながら夕食を作っていたのだが、鍋を沸かしている間に、ついつい昔のことを思い出していたようだ。
上の空になっていた自分を自覚して、カケルは頬をパン、パン、と張る。
──最近緩んでるな、気を引き締めないと。
カケルの油断はランの死に直結する。
ランの傍にいる間、気を緩めて良い時間など一秒とて無いのだ────。
そこまで考えたところで、ランが再び「にーちゃ……」と声を発した。
反射的にそちらを見ると、何故かランは台所の壁にある窓を指さしている。
そこに何かがあるかのように。
「ラン、どうしたの?」
質問してみるが、ランはその仕草をやめなかった。
何だろうと思っていると、やがてカケルの耳にも、「あほー」という鳴き声が聞こえてくる。
「……伝書カラス?」
慌てて振り返ってみれば、丁度カラスが窓枠に降り立とうとしているところだった。
どうやら、ランにはこのカラスのことが見えていたらしい。
──ランが何を言いたかったのかは分かったけど……嫌な予感がするな。
この家に伝書カラスを飛ばすのは、両親しか考えられない。
そしてここのところ、両親からの手紙が良い知らせだったためしがない。
重い気分になりながら、カケルは窓へと歩み寄った。




