二話
カケルとその両親は五年前まで、ファストという町に住んでいた。
変に都会過ぎず、しかし王都にもそこそこ近い、住みやすい街だったと思う。
少なくとも現在住んでいる村のように、伝書カラスを飛ばしても三割近い確率で鷹に捕食されてしまうような場所ではなかった。
両親はその頃、ファストで服屋を営んでいた。
何でも父親は親の無理解から高等学校に進むことが出来ず、服屋を継がされてしまったらしい。
だからなのか彼はカケルを猫可愛がりし、大抵のワガママは聞いてもらえた記憶がある。
カケルを可愛がるという点では、母親も負けてはいなかった。
カケルの父親と同様、いつもカケルの前では笑顔でいた。
カケルの人生の黄金期は、おそらくこの時期だったのだろう。
転機となったのは、カケルが五歳の時だ。
この時期、一家に新たな子どもが生まれた。
カケルの妹が生まれたのだ。
両親はカケルと同様に、妹のことも猫可愛がりした。
カケルにとっても、妹は可愛らしい存在だった。
以前聞いた話によれば、上の子どもと言うのは、下に弟や妹ができると拗ねてしまって、親の気を引こうと赤ちゃん返りすることがあるらしい。
しかしカケルには、そんな時期はなかった。
両親と一緒に、ただただ妹を可愛がっていた。
夜は泣くし、カケルが抱っこすると暴れるし、結構なしんどさを感じたのは事実だ。
それでも、当時から家族としての愛情は確かに感じていた。
あの日までは、そう言い切れる。
……発覚の切っ掛けは、些細なことだった。
丁度、カケルが基礎教導院に通い始めた頃の話である。
何度目かの算学の授業で、カケルは学校から色石──名前の通り、子どもの玩具によく使われる色付きの石──を持ち帰った。
算学の時間に、「ここに色石が三個あります。二個、捨てちゃいました。さて皆さん、残ったのはいくつ?」なんて使われ方をした色石があったので、どうせだからと家まで持って帰ったのだ。
算学の宿題があったので、その計算をするのに使おうと思ったのである。
だけど当時のカケルは、算学が苦手だった。
だから色石を使っても、ずっと悩んでいたのだと思う。
そして、妹は────星野ランは、カケルの隣を走り回っていたのだろう。
彼女が二歳になるかならないか、くらいの時期だ。
走り回るのが楽しくて仕方がない様子だった。
当然、縦横無尽に走り回るランは、カケルのすぐ傍も通る。
カケルがプリントと色石を片手にうんうん唸っている様子を、走りながらつぶらな瞳で見つめていた。
彼女の動きを横目で見ながら、計算を続けていたと思う。
カケルは、「5+3=?」という簡単な設問に答えようとしていた。
色石をまず五つ集め、次に三つ集める。
最後に全てを一纏めにして、数えようとして────。
「はちー」
カケルのすぐ隣で、ランの声が響いた。
多分、すぐに振り返ったのだろう。
隣でランはニコニコとしていたはずだ。
カケルの驚いた様子がおかしかったのか、くすくすと笑い声を漏らした後、彼女はもう一度「はちー」と言った。
仮にこの出来事が、その日よりも二、三日前に起きていたのならば、カケルはそれを偶然の一言で済ましただろう。
だが、カケルはその時点で知ってしまっていたのだ……再誕型異世界転生者の情報を。
実はこれの数か月前、ファストの近くで再誕型異世界転生者が転生局に捕縛、処理されるという事件が起こっていた。
それだけなら、ありふれた話ではあるのだが────この時殺された異世界転生者は、少し珍しい特徴を備えていた。
と言うのもこの異世界転生者、年齢が四十過ぎだったのである。
再誕型の異世界転生者の年齢は、そっくりそのまま、鏖殺人から逃亡し続けてきた年数を意味する。
つまりこの人物は、異世界転生してから四十年以上もの間、転生局の目をかいくぐってこの世界で生きてきたのだ。
多くの再誕型異世界転生者が幼少期に発見、殺害されていることを考えれば、これは驚くべき結果だった。
四十年以上も異世界転生者を見過ごしてしまったことは、転生局からすれば不祥事である。
故にこの事件を受けて、転生局は異世界転生者の早期発見のため、各自治体に情報提供を呼び掛けた。
異世界転生者の特徴を再度伝えて、怪しい人物がいたら気を付けろ、と周知したのである。
再誕型異世界転生者は、異世界ではそれなりの年月を生きているため、幼い頃から大人並みの知性を示す場合があること。
文字の読み書きなど、教えられなくてもある程度のことはこなす場合が多いこと。
しかしこの世界の状況を察知し、子どもの演技を行うこともあり、発見は難しいこと────そんな情報が、基礎教導院に通い始めたばかりのカケルにも知らされていた。
だからこそ、カケルは二歳にして計算問題を解いた妹の姿を見て、「まさか」と思ったのである。
しかしどうしても信じられず、カケルは震える手で何度か同じようなことを行った。
乳幼児が答えられるはずがない問題を、何個か妹に見せたのだ。
……そしてランは、カケルの出した問題の殆どに正解した。
色石を一つだけ渡してやれば「いちー!」と叫び、さらにしばらく黙っていると、不思議そうに「いろいし?」と聞いてきた。
明らかにこの年代の子どもにはそぐわない、理性的な判断を行っていた。
しばらくの間、カケルはそのことを誰にも言わなかった。
自分の妹が……ランが再誕型異世界転生者であることは、間違いがないように思われたからだ。
異世界転生者であれば、鏖殺人に殺される。
泥棒をすれば警士に捕まることと同じぐらい、当たり前のこと。
幼いカケルですら、基礎教導院に入る前から知っていた常識である。
自分の可愛い妹が異世界転生者であることを漏らしてしまえば、殺されてしまう。
そう思えば、とても言い出せることではなかった。
だが、所詮は子どもの決意だ。
秘密を抱え続けるのには限度がある。
ランの異常な賢さを見て三日もしない内に、カケルはそのことを両親に打ち明けた。
わめきながら言い争う両親の姿を見たのは、その日が初めてである。
すぐに、家族の間で話し合った。
議題は、「どうすべきか」についてではない。
全員がその逆を……「どう隠すか」について話し合った。
我が子が異世界転生者らしいと分かっても、両親の愛情は揺るがなかった。
カケルも同じである。
ランの正体を転生局から隠し通すという点で、一家の意見は一致した。
まず行われたのが、ランへの事情聴取である。
ランが異世界転生者である以上、彼女(もしかすると前世の魂は男かもしれないが)は膨大な量の異世界由来の知識を持ち、魔法の行使など様々なことが出来るはず。
彼女の正体を隠すのであれば、まず彼女自身に自分について打ち明けてもらえなければ困る────そう思って、質問責めにした。
だが、結果は芳しくなかった。
どれほど問いただしても、彼女は笑ったり泣いたりしかせず、あくまで自分は幼い子供であるという態度を崩さなかった。
一家の真剣な顔を見ても、普通に子どもっぽい行動しかとらなかったのである。
この世界の家族のことを、未だに信じていないのか。
或いは地球でもそれなりに幼い時期(しかし、計算などは教わっている時期)に死んだなどの理由で、魂の年齢が未だに若く、状況を判断できていないのか。
ランからの協力は得られなかった。
次に行ったのは、引っ越しである。
異世界転生者の早期発見を目指すこの町に居続けることは、一家にとっては自殺行為である。
カケルの曽祖父の代から続く服屋はすぐに閉められ、近所の人たちへの挨拶もそこそこに別の街に引っ越した。
どんなコネを使ったのか分からないが、ランの死亡届を偽造したのもこの頃である。
カケルの両親は、ランをこの世界にいない存在として扱うことが、一番良い守り方だと考えたのだ。
かくして書類上の星野ランは乳児期に病死したことになり、社会的には居ないものとなった。
一家は決意していた。
この命続く限り、この子を守る。
そのために────この子の存在は、誰にも知られてはいけないと。
発覚の遠因となった、四十過ぎの再誕型異世界転生者の件もこの決意を加速させた。
この世界に四十年以上生き続けて、グリス王国の常識た生き方もわきまえていたであろうその人物すら、見つかった後はあっさりと殺されたのだ。
鏖殺人の手によって。
転生局は、異世界転生者を見分ける何らかの手段を有しているのかもしれない。
だとしたら、ランを少しでも外に出すことすら危険だ。
絶対に家から出さず、隠し通すのだ。
よってランはその日から、常に家の中にいることを厳命された。
他者の目につくのを避けるため。
ついでに、刺激の少ない日々を送ってもらうことで、地球の知識を忘れてもらうことも狙いとしてはあった。
人間、使わない知識というのは自然と忘れるようにできている。
異世界転生者もその例外ではないらしく、自宅に閉じ込められたランの行動は、段々と普通の子どもっぽいものになってくれた。
寧ろ刺激が少なすぎるのか、近頃では普通の子どもよりも知能の発達が遅れているように思える程である。
……それ以降も、慌ただしい日々の連続だった。
父親は生活費と非常用の資金調達のために漁村へと出稼ぎに出かけ、カケルは家の中に妹がいることを悟られないよう、できるだけ早く帰って母親と共にランの世話をする。
今でこそランも大分聞き分けが良くなって、家の中で留守番もこなせるようになったが、三、四年前までは夜泣きをしては近所に存在を知られ、引っ越しを余儀なくされたものだ。
引っ越しの回数は、十とはきかないだろう。
ある年などは、一年で三回引っ越したこともある。
引っ越しのために、資金は更に必要となり……当然、カケルの父親が出稼ぎに赴く期間も長くなっていった。
ランが五歳になり、カケルが基礎教導院に行っている間も一人で留守番が出来るようになってからは、母親も出稼ぎに参加した。
カケルとランの二人暮らしが始まったのは、その頃である。
カケルはもう、身の回りのことは何でも自分でできるようになっていた。
今の廃墟めいた家での暮らしすら、カケルとしては慣れた物だ。
再誕型異世界転生者らしい妹を隠すために、カケルの一家はずっとこんな暮らしをしてきたのである。
ただただ、転生局の目から逃れるために。
それでも────仮に、この日々の果てに何の報酬もなかったとしたら。
その場合は、とても五年間もこんな日常を送ることはできなかっただろう。
どこかで、先の見えない逃亡生活に嫌気がさしていたかもしれない。
しかしそれでも、カケルの一家は情熱を絶やしていなかった。
明確な目標があったからだ。
「免罪符」を手に入れる────そうすれば、この日々は終わるのだから。




