二十三話
再誕型異世界転生者であるオーナーの息子──名前を鷹野リョウといった──の確保は、その日の夜に行われることになった。
彼を連行するだけなら、今の状態でも十分可能なのだが、鏖殺人は敢えて夜まで待つことを宣言した。
理由は二つ。
一つは、他にもレストラン内には異世界由来の武器などあるかもしれないと懸念したから。
地球で生きていた時の知識を利用して、地球で使われている武器などをアレルで再製造する再誕型異世界転生者はしばしばいるらしく、鷹野リョウがその類であることを危惧したのだ。
昼間から拘束しようとすると、相手がそれらの物品を利用して反撃してくる恐れがある。
しかし閉店すれば、この店ではオーナーが先に帰り、鷹野リョウが最後の片付けをして店の鍵を閉めることになっていた。
当然ながら何が潜んでいるか分からない店内よりも、外で声を掛ける方が遥かに安全であるため、鏖殺人としては彼が仕事を終えて外に出るまで待ちたいとの話だった。
そして、店内で真っ昼間から拘束しないもう一つの理由が────。
「魔法、か」
知らず、ライトの口から言葉が漏れだした。
同時に、自重するように口元を押さえる。
現在、時刻は二十三時四十二分。
ライトは物陰に隠れ、レストランの入口を見張っている最中だった。
オーナーは一時間ほど前に自宅に帰っているので、現在の店内には鷹野リョウしかいない……昼頃言われた、鏖殺人の命令が心中に浮かぶ。
「君の仕事はただ一つ。彼が店から出て来た時に声かけをして、既に用意してある馬車に乗せることだ。それだけで良い。俺が最初に話しかけると、見た目からして警戒されるからな」
同時に、こんなことも言われた。
「くれぐれも、相手を不用意に刺激しないようにしてくれ。もしも相手が怒り出したら、すぐに逃げろ……良いか?その時はすぐに逃げるんだ」
鏖殺人がしつこく逃げるように命令してくるのは、やはり魔法の存在を念頭に置いているからだろう。
ライトは、レストランの入口を見つめながらそんなことを考えた。
鏖殺人が言っていたことが、次々と脳裏に甦る。
「鷹野リョウは、二十年間この世界で生きてきたんだ。当然、肉体の魔力に対する最適化は既に完了していて、何らかの魔法が使えるようになっているはず。油断はできない」
「ただ……過大評価するのも考えものだ。筋肉が使わなければ衰えていくように、魔法も鍛えなければ十分に使いこなすことはできない。親にさえ正体を打ち明けられていない彼が、十分に魔法の鍛練を行うことが出来たとは考えにくい」
「要するに、何らかの魔法は使えるものの、かなり規模が小さくて威力の低い魔法である可能性が高い訳だ」
「そもそも、仮に彼がかつての佐藤トシオのような強力な魔法を身に着けていたならば、俺がここに姿を見せた時にそれを使っているだろう。精神操作で俺の思考を操ったり、雷を俺に落として殺したりと、やり方はいくらでもある。それをしていないと言うことはつまり、大した魔法を覚えていないということだ」
「それでも、『大規模な魔法ではないが、目の前の人間を殺すことぐらいは可能な魔法』を身に着けている可能性はあるからな。昼間に彼を取り押さえにかかって、向こうが自棄になって魔法を乱発したら……店内の一般人に余計な被害が出る可能性がある。だから、人がいなくなる夜まで待つ必要がある」
「いいか、異世界転生者は全て殺す。しかし、人間は誰一人として殺さない。これが俺の掲げる信条だ。転生局で研修している間は、このルールに従ってほしい。俺も、君とは別の場所で見張っておく」
──多分……鏖殺人は、俺が異世界転生者に同情していることを見抜いているんだろうな。
変化のないレストランの扉を見つめながら、そんなことを考えた。
ややしつこく忠告してきたあの態度から、それは察しがつく。
鏖殺人がこちらの勤務態度を疑っているらしいことは、雰囲気で感じ取れた。
……事実、鏖殺人の推測は正しい。
池内大我の件から芽生えた感情は、ライトの中で消えてはいなかった。
今も尚、ライトは鷹野リョウに同情している。
いっそのこと、鷹野リョウが物凄い悪人なら良かった。
それならば、自分も粛々と鏖殺人の命令に従うことが出来る。
悪人なんだから殺すのも仕方ない、と言い訳出来る。
悪人でなくとも、強力な魔法の使い手であって欲しかった。
その時は、他の人間の安全を確保するために必要だった、と言い張れる。
しかし現実には、ライトが今から殺そうとしている人物はそうではない。
不自由な生活の中で、魔法は碌に使えていないはず。
尚且つ、オーナーが客に向かってわざわざ思い出話をするくらいなのだから、普通に親に愛情を注がれている好人物なのだろう。
結局のところ……ライトはまた「仕方ない」と言いながら、彼らの抹殺に加担する。
彼らは、この世界で何も悪事をしていないと言うのに。
偶々、自然災害である<門>に巻き込まれてこの世界に来た、被害者だと言うのに。
以前、鏖殺人が馬車の中で言っていた。
人類の起源は異世界────地球にあると。
自分たちは皆、異世界転生者の子孫なのだと。
あの時は乗り物酔いのせいか、それについて深く考えなかった。
だが今なら、何故鏖殺人があんな話をしてくえたかも分かる気がする。
馬車酔いした部下との話題に困っただけではなく、ちゃんと意味があったのだろう。
要するに、人類の起源が地球にある以上、異世界転生者とアレルの在来人類は全く同じ存在だ────そういうことを語ってくれていたのだ。
ただ、魔法が使えるという点で異なるだけ。
鏖殺人によれば、魔力は代を重ねるごとに消えていく──だからこそ子孫である自分たちは魔法が使えない──ので、こちらでは魔法が使えない人間ばかりになった、というだけなのだろう。
何なら魔法が使える異世界転生者だって、大多数はそんなに危険な人物ではないのかもしれない。
現に鷹野リョウは、恐らくは再誕型異世界転生者として魔法を扱えるはずだが、普通にレストランで働いていたくらいなのだから。
魔法を使った危険行為なんてせずに、普通に勤務していたのだから。
──昔の佐藤トシオだけが規格外で、他の異世界転生者って、正直殆ど一般人なんじゃないかな……。
転生局では口が裂けても言えないようなことを、心の中で呟く。
異世界転生者と同じ祖先を有していて、同じ言葉を使い、文化についても共通している人たち。
そんな人たちを、転生局は殺し続ける。
自分たちと同じ人間だという事実から目を背けて。
……この思考は、きっと粗の多いものだろう。
未熟な考えであることも分かっている。
しかしそれでも、ライトは自分たちの行動にさしたる意味が無いように思われた。
──俺、なにやってんだろう?
そこまで考えたところで、不意に何かが動く音がして、反射的にライトは顔をあげる。
前方では、鷹野リョウがレストランから出てくるところだった。
ライトから十メートル程度離れたところで、鍵を閉めているように見える。
見たところ、彼は手に何も持っていなかった。
とりあえず、転生局を警戒して手持ちの武器を持ち出したとか、そういうことはないらしい。
──全く危険そうには見えない……でも、鏖殺人もどこかでこれを見ている。
だからこそ、ライトが職務を放棄することは許されない。
池内大我を追って病院を回っていたときと同じ心境だった。
もう逃げられないと思いながら、ライトは足を踏み出す────。
丁度、その瞬間だった。
グリス王国王都を中心とした地震が発生したのは。
────突然、ライトの足がぐらぐらと揺れ、目に映る世界が一気にぶれ始める。
踏み出した足はまともに地面につけることも叶わず、妙な捻り方をしたままガタガタと震えた。
ライトは一瞬、ひどい立ちくらみでも起こしたのかと思った。
緊張と罪悪感のあまり、ふらついてしまったのかと。
そうではなく、地面そのものが揺れているのだと分かったのは、もう数秒後の話だった。
ライトとしては後から知った話だが、これは地震のせいだった。
大地震と呼ぶ程のそれではないが、震源近くでは立っていられないほどの強い揺れがある地震が、偶然にもこの日のグリス王国を襲ったのである。
揺れが酷いところでは、建物にヒビが入る、上から物が落ちてくるなどの被害があり、怪我人も出たらしい。
更に、被害はこれだけに留まらなかった。
実はこの時、ライトからそう離れていない場所で────中央警士たちは、とある殺人鬼を尾行していた。
しかし地震の混乱から、彼らは騒いで尾行対象に見つかってしまい、そのまま殺人鬼に逃げられるという懲戒免職もののミスを犯していたのである。
このミスが引き起こしたことについては、ライトは人に聞かされるまでもなく、自ら体験することになる。
「いったあ……」
長く続いた揺れが収まった時、ライトは地面に蹲っていた。
揺れのせいでとても立ってはいられず、四つん這いのままじっと耐えていたのだ。
幸いにして地震の影響は膝を少し擦りむいた程度で、大した怪我はしていない。
それに安心したライトは、おもむろに立ち上がり────すぐさま、その表情を凍らせる。
理由は単純。
ライトから三メートルも離れていないところに、異世界転生者が……鷹野リョウが立っていたからだった。
どうやら彼も、地震の揺れのせいでここまで転がってしまったらしい。
結果として、立ち上がった両者はバッチリと目を見合わせた。
鷹野リョウが一瞬、見慣れない人影に驚いたような様子を見せる。
しかし街灯に照らされたライトの顔を見て、彼は目の前の相手が、ここ一週間通いつめている転生局の人間であることに気がついたらしい。
厨房からでも、密かにライトたちを観察していたのだろう。
みるみる内に彼の顔に警戒色が浮かび、眉間に皺が入る。
不味い、とライトは反射的に身構える。
異世界転生者に見つかってしまった……非常事態と考えて逃げた方が良いのか、それとも何とか誤魔化した方が良いのか。
突然の出来事に思考が追い付かず、頭の中が混乱に包まれる。
だが────その混乱は、不意に打ち切られることとなった。
ライトから見て右手……レストランの近くにある民家から、突然鈍い音が響く。
ドサッとか、ドスッとかいった、何か重い物を地面に落としたような音だった。
張り詰めた意識のせいかそれに敏感に反応したライトは、思わず音がした方向に首を向ける。
そこは街灯の光が余り届いていない場所で、ライトにはよく見えなかった。
しかし数秒もしないうちに目が慣れてきて、僅かに届く光を元に状況を観察出来るようになる。
そして音の正体が分かった時、ライトの頭は、鷹野リョウと目を会わせてしまった時以上の混乱に包まれた。
何せ、ライトが目にしたのは────外壁に寄りかかるようにして、中央警士の死体が転がっている光景だったのだから。
中央警士は手がだらんと投げ出され、首と足は有り得ない方法に曲がっている。
どこかを切りつけられたのか、足下には既に血溜まりができていた。
遠目でも、手遅れであることは明らかだった。
──な、何でこんなものがここに?……さっきまで無かったぞ?
ふと横を見ると、鷹野リョウも目を見張ってその死体を見つめていた。
どうやら、あの死体は彼に関係がある物ではないらしい。
本当に何なんだ、あれは────そう思ったところで、更に状況が変化する。
「……あーら、可愛い子がいるわねぇ」
突然、野太い声がライトの上から降ってきた。
死体を見つけた時と同様に、反射的にライトは首を回す。
その声の主は、外壁の上にいた。
小さなランタンを足元に置いて、悠々と立っている。
顔はよく見えなかったが、かなり大柄な男性だった。
身長は二メートル以上あるだろう。
腰には大きなナイフをぶら下げていて……その刃には、血が付いている。
ナイフの時点で異様だったが、何よりもライトの注目を引いたのは、その人物が中央警士の制服を着ていることだった。
所々破れた跡があり、腕にも血がベットリと付いていたが、間違いない。
中央警士の制服を来た男性が、血まみれのままそこに立っている────。
「ああ、良かったわ。後三人ってしんどいと思ってたんだけど、ここに二人いるのね。嬉しい!楽になるわあ……」
再び、野太い声が夜の道に響く。
風貌からして男性であることは間違いないと思われたが、若い女性のような話し方をする人物だった。
とりあえず、今分かっていることは……。
──こいつが、下にいる中央警士を殺したんだ。そして、死体を壁に投げ捨てた。
今まで見聞きした様々なことが、順番に心の中に浮かんでくる。
四件目の事件では四人の死体が出るかもしれないと危惧していた、鐘原の話。
三件目を起こした模倣犯を「下っ端の中央警士」と評した、鏖殺人の推理。
そして今目の前の人物が言った、「後三人」という言葉。
いつの間にか、ライトは叫んでいた。
「来たのか…………模倣犯!」




