十九話
何か反応を返してくれるかと期待したのだが、鏖殺人はピクリとも動かなかった。
もっとも、仮面越しではどんな動揺も読み取れないだろうが。
敢えて反応は気にしないことにして、ライトは話を続ける。
「……警備が始まって以来、ずっと気になっていたことがありました。何故中央警士局と局長は、この店の営業を停止させないのかという疑問です」
犯罪が行われそうな場所があるのならば、普通はそこにいる人間を避難させるのが第一のはずだ。
しかし鏖殺人はオーナーに嘘を教えて、営業を続けさせている。
鏖殺人が毎日通いつめるという、一般人の目から見ても異常な光景を続けさせてまで。
「この店の営業を続けさせていることは、犯人をおびき寄せる罠だと考えればまだ説明はつきます。しかしそう考えると、今度は中央警士局の人間の対応がおかしい。店の外にしか中央警士がいないなんて、普通はあり得ません」
何度目かの説明になるが、中央警士局の人間はプライドが高い。
今回転生局が巻き込まれた原因も、結局のところそこに帰結する。
そんな彼らが店の中の警備を転生局に任せ、自分達は外で警備しているなど考えられない。
万が一にも店の人間や客が殺人犯に殺されたらどうするのだ、という話だ。
とても言い訳はできないだろう。
そもそも、転生局の人間が不本意な形で警備していることなど彼らも分かっているはず。
嫌っている人間たちに避難させていないオーナーや客の警備を任せるなど、常識的に考えても有り得ない。
「しかし、これが有り得る状況がひとつだけあります。先程言ったように、全ての真相が分かっている時……オーナーや客に被害が出ることなど有り得ない、と既に判明している場合です」
合理的に考えればこれしかない、とライトは推測した。
犯人がもう分かっていて、店内に来ないことも証明されている。
だから中央警士は店の外で固まって、本来殺人犯の確保が職務ではない鏖殺人やライトは店内にいるのだ。
「察するに……もう犯人は分かっていて、しかし証拠が無いためにわざと泳がしているような段階なんですよね?地道に証拠集めをする一方で、現行犯で逮捕する道も諦めていないから、こんなことをしている」
「……しかし、泳がせているにしてもやり方が雑じゃないか?君の言うとおり、オーナーを避難させずに転生局の人間が毎日レストランに居座るのは余りにも異常な状態だ。これでは、俺たちの姿を見て犯人が犯行を諦める可能性がある。そうなれば犯人が現れることはなくなり、泳がした意味がない」
鏖殺人からライトの推理の粗が指摘される。
しかし、ライトとしては予想される範囲内の質問だった。
「今回の犯人は一件目と二件目を起こした殺人犯と、三件目を起こした模倣犯の二人が存在します。この内、模倣犯の方は仮にこの現場に来なくても問題はありません。中央警士とて馬鹿ではないから、三件目の事件で残された物からでも犯人を捕まえられるだけの証拠は集まるでしょう」
いくら支部の警備が仕事をしていなかったしても、あの三人の死体の状況から、犯人のことはおおよそ分かるはずだ。
説明の際に鏖殺人が少し言っていたが、内密に捜査していた事件の模倣が可能だったことからして、模倣犯の正体は中央警士の関係者である可能性が高い。
以前の事件の情報が集められる立場にないと、模倣が出来ないからだ。
また現場が中央警士局支部の敷地近くだったことを考えると、関係者どころか中央警士その人が犯人である可能性も出てくる。
被害者たちを特定の場所に──しかも、連続殺人が起こると噂される月末に──あの場所に呼び出すことは、本来なら難しい。
それにも関わらず彼らが呼び出されたということは、彼らが呼び出し主をよく知っていて、信頼していたからに他ならないからだ。
友人、同僚、上司……そういった線を洗っていくことで、中央警士局本部は犯人と思われる人物に目星をつけたのだろう。
当然、その人物は現在でもボロを出すまで監視されているはずだ。
確実に次の事件を防げるように。
「一方で困るのは、一、二件目を起こした犯人の方です。未だに中央警士局はその正体に迫れていない。しかし、その人物は先月活動していないので……恐らく犯人にとっての目的が完全に果たされ、殺人を行う気が既に無いのでしょう。その人物が殺したかったのは、最初の三人だけなのでしょう」
その場合、もうここで犯行が行われることはない。
だからこそ、中央警士は店内にいない。
いる意味が無いからだ。
「仮にそうだとすると、俺たちがここにいる意味が────わざわざこの店で罠を張ってる意味がなくなる。一、二件目を起こした犯人はもう現れず、模倣犯の方はもう分かってるんだろう?ならば、ここでのんびりする意味はなんだ?」
鏖殺人から再び疑問が飛んできた。
だが、これも想定内。
ライトは、先程のオーナーの言葉を思い出しつつ口を開く。
「先程も少し言いましたが、中央警士局としては証拠集めを一つ一つやっていくよりも、ここにノコノコやって来た犯人を殺人未遂で逮捕する方がやり易いからですからね。そのために念のために警備しているのもあるんでしょう。ですが、ティタン局長と一部の中央警士にはもう一つの目的があります」
そこで、ライトはすうっと息を吸った。
「わざわざ不可解で穴だらけな警備が行われた理由は……研修生へのテストですね?俺だけじゃなく、中央警士局にも入ってきたであろう新人たちのために、敢えて変な捜査をして違和感を抱けるかテストした。そうじゃないですか?」
──新人っていうのは一旦試さないと伸びないもんで
オーナーはそう言っていた。
そして中央警士局や転生局は、推理力や洞察力を必要とする部署だ。
当然、入ってきた新人たちにもその能力が求められる。
今は四月。
転生局にライトがいるように、中央警士局にも一等職員や二等職員の新人が入ってきているはずだ。
つまり彼らの能力を伸ばすために、鏖殺人たちは一芝居打ち、この妙な警備を行ったのではないか────どこかでおかしいと気づき、推理させるために。
「あなたが毎日ここに来たのも、いつ俺がこの仕組みに気がつくか分からなかったからだと考えれば合点がいきます。こうやって自分の推理を話に来ることも含めて、テストの一部。そうじゃないんですか、局長?」
一年目の研修でも、色んな部署で能力を試される機会があった。
殆ど騙し討ちのような形で試されることも多かった記憶がある。
一日目の面接が良い例だ。
これもその一種だと考えたとき、ライトはようやくこの状況に納得できたのだ。
さあどうだ、という気分でライトは鏖殺人を見つめる。
気づくのに一週間かかったことが評価にどう影響するかはわからないが、内容はそう大きく外していないはずだ。
さて、鏖殺人の評価は────────。
「……惜しいな」
ポツリ、と鏖殺人が呟く。
反射的にライトは聞き返した。
「惜しい……?」
「ああ、惜しい」
そう言いながら、鏖殺人はかなり氷が溶けた氷水を飲む。
その様子は評価を告げようとしているのではなく、ただ純粋に困っているように見えた。
「俺や中央警士局が、今回の真相を掴んでいるのは事実だ。それと、犯人が分かりきっているからこの店の人間に被害が出ることは有り得ないと予測しているという部分も合ってる……ただ、最後のテスト云々はまるっきり間違っているな」
細部が間違っていることはあってもテストの部分だけは合っているだろうと思っていたライトは、彼の言葉に目を見開いた。
信じることができず、鏖殺人を見返す。
「自分が研修生であることに君は注目しすぎたな。言っては悪いが、ちゃんと所属してくれるかどうかわからない新人相手にそこまで労力を使う気はないよ。ただでさえ人員が少ない上に、ここに来ているせいで他の仕事が手につかない状態なのだから」
鏖殺人から、もっともと言えばもっともな指摘が入る。
それだけで、ライトの推理への確信はガラガラと崩れていった。
「え、じゃあ……ここには何の目的で?」
「勿論、異世界転生者絡みだ。俺が動く理由など、それ以外に無い」
そこで鏖殺人は、いきなり手に持ったコップをライトにも見えるように掲げる。
自然と見つめてしまったそのコップは、ライトの持つ物と同じように見えた。
異なる点と言えば、件の店長の息子が書いたという落書きの文字が別の物になっているくらいか。
こちらのコップに書いてある文字は────。
──書き損じた小文字のLか?
一見、筆記体で「l」を書いているように見える。
だが、文字の最後の部分が下に折れ曲がっていて、ライトには別の文字のように見えた。
そうして戸惑っている間に、鏖殺人はさらっと答えを口にする。
「これは、小文字のbを筆記体にした物だ。君には見慣れない文字だろうがな」
「えっ……?」
ライトは鏖殺人の言葉に思わず声を漏らす。
「でも『b』って筆記体で書いても、丁寧に書いても、形はほぼ同じなはずでは……?」
「この世界では、な。地球では、その辺りもう少しややこしいんだよ」
そう言いながら、鏖殺人はコップを机上に戻す。
そして、肘を机についたまま手を組んだ。
「流石に動物の世話しかやることがないのは辛いだろうから、ここに連れてきたんだが……それはそれで暇になるんだな。変な推理に現を抜かすくらいには。それに気がつけなかったことは俺のミスだ。謝ろう、すまない」
突然謝罪が降ってきて、ライトは今日何度目かの驚きに包まれる。
さらに、ライトの返答も待たずに鏖殺人は言葉を繋げた。
「いろいろ説明しておかないと後々面倒なことになりそうだから、ここで全部説明しておこう。事件だとか俺の目的だとか、全て。良いか」
慌ててライトは頷く。
先程の推理が間違いだとすると、この事件がどういう様相を呈しているのかすらわからない。
説明してもらえるのは有り難かった。
「まず、君の推理の間違いから解説しておく……先程の君は、一件目と二件目の元凶について犯人という言い方をした。申し訳ないが、あれは間違いだ。これらの件については犯人はいない」
「犯人が、いない……?」
「そうだ。一件目と二件目は、別に殺人事件じゃないからな。これは……事故だ」
「事故!?」
大声をあげてしまい、店中から視線が集まる。
慌ててライトは周囲の客に頭を下げた。
彼らの視線が外れたのを確認してから、少し小声で質問する。
「……でも、焼死体が雪の中に埋まる事故なんて聞いたことがありません。本当に事故なんですか?」
「事故で間違いない。何せ一件目の被害者と二件目の被害者は、異世界転生者なのだから」
今度は、驚くことも出来なかった。
声も出せないまま、ライトは口を半開きにする。
「前に君は、この事件に俺が関わるようになったことを陰謀と言ったが……あれは正確な表現ではないな。この事件は、確かに俺たちが解決しなくてはならない案件だった。中央警士局の判断は正しかった訳だ」
そこで、鏖殺人は氷水をもう一口。
それから、池内大我の件について推理した時と同様に真実を語り始めた。
「さて────」




