十三話
────省庁の執務室は、行く先々で大きく雰囲気が異なる。
例えば農務省。
ここで研修していた時は、とても明るい雰囲気だった。
ライトが研修していた時期は丁度夏の収穫が終わった頃で、自然と仕事が少なかったのもあるが、職員が和気藹々としていて明るい場所だった記憶がある。
一方、転生局は緊張感がある空間だ。
ただし緊張感に満ちているのは、鏖殺人が居るときに限られる。
それ以外の時間は、動物たちが飼育室でガサゴソ動き回るだけの地味な場所に見えた。
そして、現在のライトが来ている中央警士局は────静粛な場所、と呼ぶのが一番正しいだろうか。
まるで会話が禁止されているかのように、職員たちは誰も喋っていない。
必要な会話は、相手の耳元で小声で行っている。
中央警士は重要な機密情報も扱うのだから、正しい対応と言えば正しい対応である。
しかしそれが行き過ぎていて、どことなく人形が働いているような、転生局とは別の意味で緊張感がある場所となっている。
しかしそれを見ているライトは、沈黙を続ける中央警士たちの振る舞いに作為的なものも感じていた。
職員として働く内に自然にこんな空気が作られたのではなく、まるでライトに見せつけるために敢えてこうして働いているように見えたのだ。
誇り高き中央警士局が余所者に弱味など見せるものか、という強い意思を感じる。
──これが噂に聞くところの、中央警士局の誇り高さか。
ここまでやりきるならある意味立派だと少し感心しながら、中央警士局の真ん前で立ち続ける。
やがて、奥から女性の声が響いた。
「すいません、お待たせしました」
来たか、と思いながらライトは奥の方を見てみる。
すると、ライトの求めた資料を抱えた女性職員の姿が近づいてきたのが分かった。
「ええと……四宮さんを連れて、そちらの局長室に向かえば良いんですね?」
「そうです。そこで鏖殺人が……じゃなくて、局長が待っています」
いつものノリで、ライトは思わず「鏖殺人」と発言してしまった。
不味い、と反射的に思う。
鏖殺人というのはあくまで俗称であり、公的な場で用いるべき言葉ではない。
──これ、中央警士から批判が来るか?
中央警士局はその誇り高さからか、他の部署に対して厳しい対応をすることで有名である。
仕事の関係で中央警士局に出向いた他部署の職員が泣かされた、というのは良く聞く話だ。
鏖殺人の使いであるライトが不適切な発言をしたというのは、始末書を書く程ではないが、結構な嫌みを言われそうな事例である。
そんな想像をしたライトは、相当顔色を悪くしていたのだろう。
女性職員はライトの様子を見て苦笑し、小声で話しかけた。
「その程度なら大丈夫ですよ。うちでも皆、鏖殺人って呼んでますから」
明らかにライトに配慮した発言に、ライトは赤面しつつ礼をするしかなかった。
ライトがこうして中央警士局に立ち寄っているのには、訳がある。
動物たちの餌やり中、鏖殺人から連続殺人事件の捜査に参加するよう言われたものの、よく考えてみればライトはその連続殺人事件について何も知らない。
ここのところ以前の研修先で仕事が忙しかったこともあって、新聞も読んでいなかったのだ。
流石にこれでは、捜査に参加は無理だろう。
鏖殺人にその事を言ったところ、事件を振り返りがてら中央警士局の資料を君に見せるから、それを取ってこいと言われた。
だからこうして、急いで資料を取りに行ったのである。
ただしまだ研修生であるライトは、中央警士局の書類を転生局に運び込むことが規則上出来ない。
その辺りをクリアするために、中央警士局の職員と共に局長室に向かうことになったのだ。
相変わらず長い廊下を歩き、つらつらと回想しながらライトは横目で女性職員を見た。
二等職員の制服を着たその女性は、隣に来て分かったがかなり長身だった。
転生局への道を迷わずにスタスタ歩いているところを見ると、転生局には何度か来たことがあるのだろう。
転生局と中央警士局の間で、連絡員のようなこともしているのかもしれない。
──だとすると、この人は「イチゴ」かな?
心の中で密かに推論を立てる。
イチゴというのは、正確には「一・五等職員」の略である。
もっともこれは鏖殺人と同様に俗称であり、グリス王国において正式に定められた役職名ではないが……平たく言えば、二等職員と一等職員の間に位置する職員である。
一等職員の定員が限られている以上、グリス王国の二等職員の中には、かなりの能力がありながらも二等職員の立場に甘んじている者たちが一定数存在する。
一等国家試験に何度挑戦しても合格できなかった者、家庭の事情や年齢面から一等職員になることを諦めた者……理由は様々だ。
簡単に言えば、仕事が凄く出来るのに地位が無い人たちである。
彼らを二等職員として腐らしてしまうのは、少し勿体ない。
故に一等職員たちはしばしば彼らを秘書にしたり、二等職員たちのリーダーのような立場にしたりして、彼らの権限を少し増やすように働きかけることがある。
別に階級が変わる訳ではないが、非公式に特別扱いするのだ。
こうして見出だされた人物のことを、一等職員と二等職員の間の立場ということで、「一・五等職員」だとか「イチゴ」だとか呼ぶのだ。
イチゴたちが特に目立つのは、まさに今回の件のように。複数の部署が連携して事に当たるような場合だ……。
「局長、鐘原です。資料をお持ちしました」
「……どうぞ」
……気が付いた時には、ライトたちはとうに転生局に辿り着いていた。
しかも、自分が連れてきた相手にノックまでやらせている。
はっと意識を取り戻してから、慌ててライトは前を向いた。
──ダメだな、どうも仕事に集中力が無い。
心中で自分を叱責しつつ、ライトは鐘原という女性職員に続いて局長室に入る。
入るのは二回目だが、椅子に平然と座っている鏖殺人が目に入ると、やはりどうしても緊張した。
一方で鐘原は、手慣れた様子で机にまで向かうと、すぐに鏖殺人の前で資料を並び始める。
「ティタン局長も事件を振り返りたい、とのことなので、私から説明してもいいですか?」
資料を並べ終えた鐘原からの提言に、鏖殺人がゆっくりと頷く。
度胸のある人だと思いながら、ライトも面接の時と同じ椅子に着席した。
それを受け、鐘原が説明を開始する。
「最初の事件は、一月の終わりに起こりました。一月三十一日、王都で雪掻きをしていた八百屋の主人が死体を見つけたことで、この事件は発覚します……」
最初の事件が発覚したのは、一月末。
雪掻きをしている最中に、市民が雪の中から死体を発見した。
いつからそんな物が雪の中にあったかは、現状では不明である。
今年の冬は大雪で、前年の十一月の末から積雪がみられるほどだった。
そのために八百屋の主人も慣れない雪に対処が遅れ、雪掻きをするのは久しぶりだったらしい。
少なくとも、一月になってからは一度もやっていなかったとの話である。
このために、最近になって何者かが雪の中に死体を埋めたのか、それとももっと以前から死体はあったが積雪によって埋もれてしまったのかは分からないのだ。
ただし、見つかった死体の死因が決して事故ではないことは、誰の目にも明らかだった。
何しろ、その死体は丸焦げになった焼死体だったのだから。
「……雪の中から焼死体が見つかるって、それだけでも結構奇妙な感じですね」
話の腰を折るのは良くないとは分かっているのだが、思わずライトの口から感想が飛び出る。
鐘原はコクリと頷き、律儀に返事をしてくれた。
「そうですよね。実際に初めて死体を見た八百屋のご主人は、最初はそれが死体だとは思えなかったようです。被害者は完全に炭化しており、誰かが炭を捨てたのだと勘違いしたのだとか。より掘り進めていってようやく燃え残った骨が出てきてから、慌てて中央警士局に連絡をいれたそうです」
駆けつけた中央警士たちは一通りの捜査を終えた後、犯人確保に動き出す────とは、いかなかった。
そもそも、被害者の身元すら中々判明しなかったのだ。
死体はほぼ炭化しており、人相は分からず、指紋も検出できなかった。
持ち物も無く、歯形すら骨が脆くなって砕けていたために分からない。
これに加えて、先述の通り死体がいつ現場に置かれたのかすら不明だったため、お手上げだったというのが正直なところである。
ただ、この事件が極めて凶悪な殺人事件であることだけは確定していた。
雪の中から掘り出された死体は、手足がバラバラになり、既に人の形をしていなかったからである。
いくら炭化した死体が脆くなっていたとしても、誰も手を入れていなかった雪の中でここまで形が崩れるはずがない。
犯人がわざわざバラバラにしたのは確実だった。
何らかの形で焼き殺した後にバラバラにしたのか、被害者の手足を切り落としてから死体を焼いたのか……どちらにせよ、陰惨な犯行が予想された。
死体が炭化していたこと自体、犯人の異常さを示していた。
生きている人間の服に火をつけたとしても、その人間は炭になるほど燃えはしない。
温度が低い上に、燃料が少なすぎるのだ。
この被害者のような状態にしようと思えば、火をつけた上で何度も油をかける必要がある。
つまり犯人は、わざわざそんなことをした挙句に死体を雪の中に捨てたのだ。
それが、中央警士たちの結論だった。
誇り高き中央警士が守る王都で、こんな犯罪を許すわけにはいかない。
中央警士局は全力で捜査を行った。
しかし、結局のところ犯人の候補すら挙がらないまま……一ヶ月が経過。
何の成果のないままに迎えた二月末……唐突に二件目の事件が起こり、中央警士局は戦慄することになる。




