九話
そうやってライトが悩んでいる内に、猟師の死体の下からは異世界転生者の服が出てきた。
鏖殺人が言うには、地球の運送会社の制服らしい。
緑色と肌色が彩っていたはずの服は、確認のために何度か洗っても、土のせいで依然茶色いままだった。
何となく、その汚れが異世界転生者の味わった苦痛を表現しているように感じられ、ライトの気分がさらに重くなる。
猟師と争った際に破れたであろう部分を除けば、際立った特徴のない服。
それを観察した鏖殺人は、破れた痕の一つに注目した。
「記録を頼む。僅かながら血液が付着しているようだ。ただし、付着している血液の量は極めて少量。部位は脚部。つまり、異世界転生者は足に怪我を負っている可能性が高い。出血量から言って軽傷だろうがな。続いて……」
相変わらず冷静な鏖殺人の報告が、朝日の差し込む森の中に響き渡る。
本来なら彼の話を聞いて内容を正確に把握しておかなくてはならないのだが、今のライトには中々それが出来なかった。
少しでも間が開けば、想像してしまう。
自分を殺そうとした男の服を身に纏い、怪我をした足を引きずって、森の中を逃げる池内大我の姿を。
彼が浮かべているであろう苦悶の表情を。
仮にも転生局の研修生であるのなら、異世界転生者に同情するんど許されることではない。
そう頭では理解しながらも、ライトの想像が止むことはなかった。
ただ────────。
ライトはぐるりと周囲を見渡し、捜査している地方警士たちの表情を観察した。
先程から気が付いていたのだが、結構な数の地方警士たちが顔色を悪くしている。
吐き気をこらえているような顔になっているものもいた。
いくらここが地方であり、殺人事件の件数も王都よりは少ないとはいえ、警士たちとて死体を見たことがない訳ではないだろう。
それにも関わらず彼らの表情が暗いのは、ライトと同じく異世界転生者の身に襲った理不尽に思いを馳せているから、というのもあるようだった。
彼らの中には、猟師の死体をまるでゴミでも見るような目で睨んでいる者もいる。
「……四宮君?」
「は、はい!?」
突然鏖殺人に話しかけられ、上の空だったライトは初めて報告が終わったのだと気づいた。
慌てて、視線を異世界転生者の衣服から鏖殺人に戻す。
「ここでの捜査は大体終わった。だから、最後にバイツの方で一仕事してほしい。恐らくだが、それで全て終わる」
全て、の部分に力が込められた言葉だった。
──バイツの街に、池内大我の潜伏先があるってことか。
ライトはそう考えた後、無言で頷いた。
そして、一時間後。
……想像していたよりも綺麗なバイツの街並みの中を、ライトはゆっくりと歩く。
可能な限り歩幅は短く、手の振りも小さく。
しかし、足音だけは迷惑にならない程度に大きくした。
できるだけ、異世界転生者が見つからないように。
仮に見つかっても、相手が逃げ出せるように。
もし見つけられなかったとしても、今なら「四宮ライトは研修生だから仕方がない」で済ませられる。
見つけた後に逃げられたとしても、研修生のミスだったと言い訳出来るだろう。
だが仮に相手を見つけて、しかも捕縛に成功してしまったなら。
自分は鏖殺人の元にまで、彼を連行しなくてはならなくなる。
研修生として。
転生局の人間として。
鏖殺人の仮説が正しければ、異世界転生者を見つけた時には、ライトでも簡単に捕縛できてしまうだろう。
例の森の中で行われた、最後の説明を思い出す。
鏖殺人は最初、地方警士たちの半分に死体の搬送や森の中での痕跡捜査の続行、そしてハウの回収を命令した。
それから残った地方警士とライトに、バイツにおける病院や診療所での捜索を命じた。
何故と聞いてみると、相変わらず感情を感じられない声で返答される。
「病院を優先して捜索するのは、異世界転生者が負傷している恐れが高いからだ。君たちも知っていると思うが、処置されていない傷口からは細菌などが侵入することがある。そもそも傷口自体、手当てが全くされていない時は徐々に腐って壊死していく」
「彼の負った傷はおそらく小さい。普通の人間なら、怪我とも呼べないような傷だろう。だが傷を負ったのが異世界転生者となると、事情は変わってくる」
「毒性のある細菌が体内に多少侵入しても病気にならないのは、免疫があるからだ。そして免疫というのは大雑把に言えば、体が記憶している病原体に対しては対応が素早く、強い」
「一方で初めて侵入してきた病原体に対しては、対応が後手に回り、病気は重症化することになる。子供の病気が重症化しやすいのはこのためだ」
「そして異世界転生者というのは、当たり前だが地球における病原体への免疫しか持っていない。そしてこの世界では、その免疫の殆どは役に立たない」
「人間が存在するという点ではアレルと地球は同一だが、それ以外の動物の数や植物の種類は大きく異なるからな。農作物に関しては共通している物も多いんだが……特に微生物の世界においては、地球とは全く異なった生態系を形成している」
「つまり異世界転生者がこの世界で病気になると、免疫が役に立たないために重症化しやすいんだ。特に、傷口のような病原体の侵入経路が出来た時はな」
「逃亡中の池内大我が、どのぐらい自身の傷口を適切に処置できたかは怪しい。だから池内大我は現在、何らかの病を発症して身動きが取れない状態にある可能性が高い訳だ」
「病気になればさして移動もできなかっただろうから、どこかで倒れて近場の医療機関……バイツ内のどこかの病院に運び込まれているんじゃないだろうか」
「何故、医療機関に運び込まれていると思うのかって?」
「そういえば言ってなかったか?移動型の異世界転生者は生活の手段がないから、転生後はゴミ捨て場を漁ったり、どこかから食料を盗んだりして食事を手に入れる者が多い」
「だから週に一度は、各地方警士局支部には盗難の件数が異常に増えていないか報告させているんだが……ここに来る前に一応目を通してきた限りでは、バイツやファストの報告に異常はなかった」
「猟師から奪った非常食が、そう何日も持つとは思えない。本来なら、盗難の件数が増えてきてもいいころだ。それでも異世界転生者の影がないということは、どこかに運び込まれて食事を得ていると考えるのが自然だろう?」
「現在の池内大我は、服装だけならただの猟師だ。意識が朦朧として話すことが出来ないのであれば、医療関係者に異世界転生者だと判明していないこともあり得る。病気で倒れて、異世界転生者とバレないまま入院生活を送っている、ということだ」
「何だ? だったらもう病気で死んでいるのではないかって?」
「確かにそれも有り得るが、転生後一週間程度なら、まだ生きていると思う。異世界転生者の持つ魔力は、肉体が最適化されていない間でも、ある程度異世界転生者の生存のために使われるようだからな」
「だから移動型異世界転生者が結構な重病になっても、案外長い間生き続けたなんて事例もある。回復させるほどの力はないらしいが、ギリギリ死なない程度には魔力で肉体を維持するんだ」
「そもそも、もしも異世界転生者が病気で勝手に死んでくれるほど弱い存在なんだったら、転生局は必要ないだろう。免疫がない病原体相手にも、魔力のお陰で何とか生きていける程度の頑強さがあるからこそ、彼らは転生局の敵なんだ」
「もっとも仮に既に死んでいたとしても、回収はする必要がある。先程細菌の話をしたが……移動型の異世界転生者は、彼らの体内に潜む細菌を転生した時にこちらの世界へ持ち込んでしまっている。そんな外来微生物がこちらの世界で広まると、話がややこしくなるから」
「ただ、これはあまり心配しなくていい。細菌の類は、体が小さすぎて<門>から魔力を受け取れないために生物として弱く、この世界に元々いる細菌に食物連鎖の中で駆逐されてしまう。だから異世界由来の病気がこちらで大流行、などということは有史以来起こっていない。よっぽど異世界転生者と接触していれば、話は別だろうが……とにかく、あくまで念のために死体を処理するということだ」
「何にせよ、まずは大病院の捜索。次に個人経営の診療所だ。ついでに親切な一般人が拾って看病している可能性もあるから、最近旅人を家に泊めてる民家があったらそこも調べてくれ。後で俺も行く」
いないでくれ、というライトの密かな願いが叶ったわけでも無いだろうが、バイツの大きな病院に猟師の格好をした男性はいなかった。
だからこそ今は、警士とライトで担当を決めて、病院で教えられた診療所に向かっている途中である。
皆、足取りは重かった。
──なんでこんな国に来ちゃったんだろうな、池内大我。
道の端をぼんやりと歩きながら、愚痴が心中に浮かぶ。
現実逃避ではない。
一応、そう考えるだけの理由はあった。
異世界転生者に対する扱いは、「異世界転生者は危険だから排除する」という点ではぶれないものの、実のところ国によってその手法は異なっている。
アレルを形作る唯一大陸パンゲアには、小さな国を除けば「グリス王国」「アカーシャ国」「ナイト連邦」の三つの主要な大国が存在するが、異世界転生者にはそれぞれ違うやり方で対処しているのだ。
グリス王国は「殺害」だが、例えば隣国のアカーシャ国では「隔離」にとどまり、異世界転生者は命までは奪われない。
異世界転生者専用の収監施設があるらしく、そこで他の異世界転生者と共に暮らすようになっているのだ。
またナイト連邦は、グリス王国と同じく異世界転生者を殺害することを法で定めているものの、国自体が未だに魔法大戦の被害から復興できておらず、様々な武装勢力が争い合う内戦状態にある。
このために転生局に当たる機関も全く機能しておらず、実際のところ異世界転生者は野放しに近いらしい。
つまりこの世界に現れた異世界転生者は、三分の二の確率で即死は免れるのだ。
転生現場が三分の一を引いた時……グリス王国に現れた時のみ、鏖殺人に殺されることになる。
グリス王国のこの手法は、苛烈ながら実益があると評価されてきた。
異世界転生者を殺害し続けて動乱を鎮めることで、佐藤トシオが引き起こした戦争からの復興をいち早く成し遂げ、治安も他の国と比べて抜きんでて良いのは間違いない。
しかしそれでも、異世界転生者からすればこんな法律はたまったものではない、ということぐらいはライトにも想像できた。
大戦から百年以上が経過したからか、グリス王国内でも「転生者を無駄に殺して彼らの恨みを買うぐらいなら、アカーシャ国のように隔離で済ましてもいいのでは」とする声は一応ある。
だが、圧倒的に少数派なのが実情だった。
──結局、皆よく知らない転生者の幸せよりも、自分の幸せが大事なんだろうな。
皮肉めいた言葉が、ライトの頭の中にふっと浮かんだ。
……しかしこの言葉は、即座に考案者であるライト自身をも断罪する。
もしも本当に異世界転生者に同情しているのならば、誰よりも早くに彼を見つけて、鏖殺人に見つかる前に他国へ逃がしてやればいい。
自身の立場を使えば、不可能でもないだろう。
この行為に後ろめたさを感じているらしい地方警士たちを抱き込めば、成功確率も上がる。
しかし……本当にそんなことをして鏖殺人に露見すれば、当然ただでは済まない。
異世界転生者は殺され、ライトたちにも転生者法に基づく処分が待っている。
良くて左遷、悪ければ訴えられて囚人になるだろう。
どう穏便に済んだとしても、今から異世界転生者を積極的に助けたならば、ライトの一級職員としてのキャリアはそこで終わる。
必然的に、「国の運営に関わる」などという夢は儚い幻と化す。
だからライトは、愚痴を言いながらも異世界転生者を追うのを止めていないのだ。
結局ライトの中にある異世界転生者への同情は、自分の良心に折り合いをつけるための偽善でしかなく────自分の幸せを放棄してまで異世界転生者を助けようとする勇気は、ライトにはない。
そのことが自覚できるからこそ、自分で自分に腹が立つ。
自覚したところで、自分で自分を罰する程にはライトは自分に厳しくない。
代わりにこの国や体制を恨み、心の中でこっそりと批判した。
自分が異世界転生者を見つけないように、他の誰かがやってくれることを願って、ただひたすらにゆっくり歩きながら。
──最低だな、俺……。
多分、他の警士たちもそうなのだろう。
自己嫌悪と自己愛の間で揺れ動きつつ、ただただゆっくりと歩くのだ。
……向かうべき診療所が見えてきたのは、五分後のことだった。
そして診療所の入口で、ライトは今最も見たくない光景を目にした。
視界に入ったのは、診療所の前で言い争う二人の男女。
外見からして、女性は看護師のようだ。
男性の方は、包帯が巻かれていることから考えて患者だろう。
男性の包帯が巻かれている部位は、足だった。
彼の顔は、熱があるかのように赤い。
そして何より……彼の服装は間違いなく猟師のそれだった。
だから、分かった。
分かってしまった。
──……彼だ。




