植木さんと喫茶店2
一花は叔母の営む喫茶店でアルバイトをしている。
高校入学当初からだからもう5年近くになる。
大学では部活動もサークルも参加していないから、ほぼ毎日喫茶風花にいる。
喫茶風花にはオーナーである叔母風間菜乃花、菜乃花のパートナーである橘の他、パート・アルバイト数人が働いている。
一花の担当は午後から夜にかけてである。
閉店時間は午後9時。
もっともそれも菜乃花や橘の気分次第だ。
個人営業のよいところはこういうところだ、と菜乃花は言って憚らない。
この仕事は多分わたしに向いている、一花はそう思っている。
それも菜乃花が作り上げた店の空間あってこそ、恵まれた客層あってこそだ。
そろそろ閉店かなと思っている頃、カランと扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
おそらく今日最後の客となるであろうその人は、常連の男性客だった。
入口に1番近いカウンター席に座り、一花にブレンドをオーダーする。
常連客だが、特に会話をしたことはない。
2年前から来るようになった客の名前は植木ということを一花は知っているけれど、一花の名前を彼が知っているかは知らない。
最初は月に一、二度。最近は週に一度は来店するようになった。
平日の夜、おそらくは仕事帰りに一杯のコーヒーを飲んでいく。
一花が名前を知ってるのは初めて植木が来たときに一緒だったのが友人だからだ。
友人自体は海外留学しているので店に来ることはなくなったが、その代わり植木が来るようになった。
いつもより疲れていそうだな
コーヒーを出したとき、一花はそう思った。
しばらくして閉店の札を出す。
他の客が帰り、一花が片付けを終えても、珍しく植木は気が付いていないようだった。
「すみません、」
最初に掛けた声は聞こえていないようだった。
「すみません、植木さん、もう閉店なので…」
そこで初めて、植木は気付いたようだ。
慌てて立ち上がり会計をすませる。
少し顔色が良くなったように見えて、一花は安心する。
けれど、店内を見回して、一花を見つめた植木は訝しげに眉をひそめた。
「立ち入ったことをお伺いして申し訳ないのですが、一花さんはこちらにお住まいなのではないのですか」
あれ、名前を知られていた。
「いいえ。近所ですけど別のところに住んでます。ここは叔母の家なので」
植木は覿面に動揺を見せる。
「そんな、こんな時間まで」
「大学生に9時半は遅くないです」
笑いかけても植木の動揺は収まらなかった。
「厚かましいお願いだとは思いますが、 ご自宅まで送らせてはいただけませんか?」
「厚かましいとは思いませんけど、いつも一人で帰ってますし、5分ぐらいですし、大丈夫です」
「いえ、しかし、知ってしまった以上、お一人で帰らせるわけにはいきません」
社会人の説得に対抗できるほど、一花は議論が強くない。
友人の知り合いであればこそ、警戒を抱く必要も感じていなかった。
実際のところ、その必要はなかった。
その次の日、珍しく連続して来店した植木から、各種防犯グッズを一花はプレゼントされることとなる。
そして、それ以降、来店頻度の増した植木に送られるのが常となっていくのだった。