四夜 椿に濡れた月
「おきなんし、つきみ」
優しい声が耳に入ってきて、肩を揺らされた。外は明るく、小鳥がチュンチュンと鳴き、人の話し声も聞こえてきた。
疲れはとれたらしく、体が軽い。
「お風呂に入ろ、さあ行くよ」
灯鈴様は二人分の手ぬぐいを数枚入れた桶を抱き、わっちの手を握った。階段を降りて、階段の横を通る廊下を五歩ほど歩くと、灯鈴様は引き戸をガラリと開けた。中はそこそこ広い。壁に沿って棚が設けられており、そこに着物や手ぬぐいが置いてあった。他の人も入っているようだ。空いているところの前に立って、寝間着を脱ぎ、棚においた。
横に並んだ灯鈴様も、脱いだ。透明感のある白い肌が露わになる。
灯鈴様は手ぬぐいを手にすると浴室の中に入っていった。わっちも後を追って中に入る。湯気がむわっと顔に顔を横に振った。
中央に広い浴槽が有り、まわりでは他の女郎や禿が髪や体を洗っている。
灯鈴様のそばに座ると、灯鈴様は、桶にお湯をくんで、いきなりわっちの頭にぶっかけた。一度ならず何度も。
お湯が頭皮から顔を伝って、床に落ちる。
何か言おうにも言葉が出てこなかった。
「目、つぶりなんし」
言われたとおり目を瞑る。いい匂いがした。髪を優しい手付きで洗われる。髪を洗うというよりは頭皮を指の腹で揉んでいるようだ。灯鈴様は、ふんふふんと鼻歌を歌っている。
指が頭から離れ、桶にお湯を汲む音がして、息を思いっきり吸い込んで止めた。
肩にお湯をかけられてから、手櫛で髪を梳くようにしてお湯をかけていく。
頭から流れたお湯が、肌を伝った時、少々ぬるっとした。一体、何を使ったのだろう。
「おわりんした」
ふーっと息を吐き出す。髪に触れると、以前より髪の毛がやわらかく、さらさらしていた。
灯鈴様も髪を洗うらしく、腰を丸めて、髪を前に垂らした。髪の隙間をお湯が通って、濡らす。十分に濡らすと、足元に置いていた小さな桶に手を伸ばした。桶には赤黒いドロッとした液が入っている。
「灯鈴様、その赤いのはなんでありんすか?」
「椿の油粕をお湯で溶いたものざんす」
それをすくい上げて、髪に刷り込むように洗った。
周りの人を見ると、髪は皆櫛で梳かして洗っていた。しかし、灯鈴様は手だ。不思議だと思った。
そうこうしている間に、髪を洗い終わったようだ。体も洗い終わり、湯船に浸かった。入浴を終え、一度部屋に戻ると、昨日と同じように着替えさせてもらった。髪も結ってもらった。
「夜櫻屋は、どこの妓楼よりも掟とかゆるいのさ。休みも年二回じゃないし、うちらのことをよく考えてくれているよ」
嬉しそうに口にしながら、灯鈴様も着替えを済ませた。
「朝ごはんたべて、昼見世ざんすよ」
「ひるみせ?」
「昼八つから昼七つまでで、好きなことをする時間じゃ」
「そうざんすか」
「ほう、つきみもちぃーとここに馴染んできいんしたね」
灯鈴様が微かに白い歯を見せて笑った。わっちも同じように笑みを浮かべた。