星域環境(結 後半)
日常に戻る繋ぎ部分となります。
浄化戦は、混沌側の特性が影響して、シリアスになりがちです。
日常は軽めの百合と、団欒が入る、明るめの内容にしていきます。
今回は、まだシリアス要素が多いですが、次の投稿からは、日常編となり
家族の団らんと、軽めの百合がメインとなります。
※9月2日 パルムの発言、仲間の数を訂正、合わせて死束の渦人栄の星編での
スフカーナの最大乗員を訂正。
航宙歴五百十七年四月十日 午前五時五十一分
スターフラワーの居住区画にある公園、その中を私は走っていた。
星野家から星域病院を通過して、住宅街を経由、今は大木の前に近付いている。
今日は早起きじゃな――疲れは残ってないか?
うん――フレリの本体魔力には慣れたから――後は――瀬名里達がフレリの分身体魔力に慣れるのを待つだけ。
大福の念話に、私は肉体と精神の慣れを伝えた。
念話は口を使わない為、息が乱れた状態でも、普通に話せる。
人間で送受信出来るのは、私だけという制限があるが、魔力順応力と星の信任を持つ星野家の家族は受信のみが可能だし、不便は無い。
魔力と念話は、星からの借り物。
しかし、自分の力だと勘違いする悪い癖が人間にはある。
だから私達は、これが借り物だと、何度も自分に心の中で言い聞かせていた。
「あっ! 穂華です。急降下です!」
声と共に私の頭上が暗くなり、頭から肉体に衝撃が伝わる。
衝撃が治まると、私の頭に白色の胴体と灰色の翼が乗っていた。
「イルム。星野家以外の人に急降下は禁止。今の衝撃だと普通の人間は死ぬから」
体重二十キロの仲間が、秒速二十八メートル(時速約百一キロ)の速度で落ちてきた。
目線だけで頭上を見ると、大木の一番上に枝が編まれて、立方体の住居が出来ている。
「はい! 区別が付くまでは穂華だけにやるです」
「姉がすみません。穂華と出会えた事や、新天地の心地良さに浮かれているんです」
イルムの元気な声に、アルナの明るい声が続いた。
私の左前に降り立ったアルナは、親愛の眼差しを私に向けている。
「か……環境に慣れたら、遺伝子を貰いに行きます…………子孫繁栄……」
ゆっくり降りてくるパルムからは、冷静で大胆な言葉が出ていた。
スターフラワーに新しく加わった仲間には、人間と異なる特徴がある。
長命、外見、身体能力、生活の仕方、そして雌雄同体だ。
彼女達は体内で卵子と精子を作り、そこに他種族の遺伝子を加える事が出来る。
そうする事で肉体の劣化や退化を避けているらしい。
「パルフェとフィミの住居は分かる?」
「私達の住居の裏側です。枝が球形に編まれてるのがパルフェ達の家です」
アルナが指差す先に視線を移すと、大木の裏側に球体の住居があった。
イルム達の住居より五メートルほど下に作られていて、大木の枝と葉に隠れるように構えている。
「種族が違うと住居の構え方も違うんだね。仲間はスフカーナにどのくらい居るの?」
「約……四百体…………植物が減って、私達やパルフェ達の種族も減っていた…………だから植物の提供があって……感謝してると思う」
私の右前に着地したパルムが、小声で返答してきた。
視線は私を捉え、潤んだ目が恋心を主張している。
「私達はこれからご飯を食べに行くです」
食欲を宣言したイルムが私の頭を離れた。
アルナとパルムの間に着地して、視線を私に固定する。
「そう、私も帰ってからご飯だから、病院や住宅街に迷惑掛けないようにね。公園の森と池は自由に使って良いから」
知的生命体が料理をすると思うのは、人だけの価値観で、生で食べる種族の方が宇宙には多い。
イルムとパルフェの種族は草食が基本で、時々小動物を食べる種族だった。
昨日、サポート区画で住民達が用意してくれた野菜鍋に、彼女達は驚いている。
スフカーナから出た事の無い彼女達は、人間の食事を目にした事が無かったらしい。
あの船で人間の船員を見掛けなかったのが気になっていたが、ネフィア艦長は長命な種族と人間で、船を別々にしていたようだ。
結局彼女達は野菜鍋を食べずに、サポート区画側の出口である大木を気に入り、その周辺で草や葉を啄んでいた。
「分かりました。姉が暴走しないように、しっかり付いて行きます」
三女のアルナが私の言葉に返答して、次女のパルムが私にお願いをしてくる。
「ふ……不出来な姉ですが……よろしくです」
「パルム、アルナ、行くですよ。穂華、私達はこれで失礼するです」
楽観思考、マイペースなイルムが森の中へ飛んでいく。
「あっ! 待って。もうぅぅ、心を許した相手だとすぐに我が道を行くんだから……姉に悪気は無いので許して下さい」
そんなイルムを、三女のアルナは庇っていた。
私は笑顔で、ここでの基本を教える。
「心が素直で純真なら大丈夫だよ。過ちは素直に認めれば良い、他者の感情や行動は束縛しない、他者を見下さない、誹謗中傷は厳禁。これを守ってれば良いから」
悪口や怒りを相手にぶつけるのは楽な方法だ。
しかし、負の感情は混沌の力を増加させる。
親切とお節介が違うように、悪口と注意は異なるものだ。
注意とは、相手に過ちが起きた原因が自分にあると自覚させ、同じミスをしない為の改善策を出させる事にある。
その改善策が良いなら実行に移させ、悪いなら注意する側が正しい改善策を伝える。
そうしてミスを無くしていくのが、注意というものだ。
西暦時代にも、ただ怒るだけの教師や上司が居たらしい。
その結果生まれていたのが、連帯感や結束力に欠けた学級や会社だ。
自分に厳しく、他者に優しくという言葉には、自分が楽な方法を選ばないという意味も含まれている。
「分かりました。ちゃんと伝えておきます」
返事をしたアルナが翼を動かし始めた。
パルムも翼を動かして、私に挨拶をする。
「また……会いましょう穂華。恋気より……食い気です」
呟くような音量の声が、彼女達の本質を語った。
体格や思考に対する価値観は、種族によって異なる。
それを見聞きして見下す者は、自分に甘い、混沌だ。
宇宙や星にとっては、警戒対象であり、最悪の場合は浄化対象になる。
「うん。またね」
私は笑顔で、イルムを追いかける二体を見送った。
森の中へ消えて行く彼女達を確認してから、走りを再開する。
大福――星野家では誰か起きてる?
まだのようじゃな――――全員寝息を立てておる。
それじゃあ――私が朝ご飯を作らないとね――。
念話で確認をした私は、走るペースを上げた。
魔力無しの疾走が、心拍数を上げ、体温を上昇させる。
公園を出ると、白銀色に輝く屋根が見えてきた。
よし――ラストスパート。
アルミ屋根が目印の星野家に向けて、私の足が加速する。
適度な運動と湿度に、私の心は晴れやかな気分となった。
航宙歴五百十七年四月十日 午前八時〇九分
キッチンで湯気が昇り、良い香りが居間へ広がった。
茶色のカレーが煮立ち、野菜と魚がおたまの動きに合わせ、カレーの中を泳いでいる。
「もうそろそろかな」
一升炊きの炊飯器が三つ、湯気と音を出していた。
米と麦を混ぜた麦ご飯が、炊き上がろうとしている。
「本当は肉が良いのだけど……贅沢になるしね」
パルナ鳥は毎日食べられるほど多くは無い、豚や牛はスターマインドと共に消え、地球産と言えるのは、米や麦、魚や植物の種と少なくなっていた。
「宇宙産の食材が既存の料理と合うか調べないと」
サポート区画の水耕栽培施設と畑作施設では、米と麦、野菜の栽培が始まっている。
短期間で生長出来るように改良されてきた植物達だが、それでも収穫には一ヶ月が掛かる為、宇宙産の食材が三週間ほど主食となるだろう。
カレーの横では、お味噌汁が煮立ち、湯気を上げていた。
キッチンにある五つの換気扇が、キッチンから立ち上る湯気を吸い込んでいく。
「おはよう。今日は朝からカレーか、身代わりのアイデアを出したのは穂華か?」
パジャマから着替えた学生服姿の瀬名里が、居間へ入室してきた。
私は有樹達の発言を思い出しながら、キッチン越しに瀬名里を見る。
「おはよう瀬名里。有樹と栗夢のアイデアだよ。寝ぼけて集まるのなら、等身大の人形に私のパジャマを着せて誤魔化せるだろうって。ごめんね、今日は早朝からランニングしたいと考えていたから」
私の発言に瀬名里は優しい笑みを見せた。
居間のソファーに座ると、オープンキッチンで作業する私に理解を示す。
「ランニング後の料理だろ? なら誰も不満は言わないよ。早朝から動きたいのを私達が束縛したら支配欲になるからな。ただ毎日は勘弁して欲しい、穂華成分が足りなくなる」
明るくしようとジェスチャー付きで話す瀬名里に、私の杞憂が吹き飛ぶ。
「分かった。私も、家族成分が欲しいから、ランニングは週三にしとく」
「おはよう、朝から明るい空気ね。入りやすくて良い」
「おはよう穂華、瀬名里、今日はカレーなのね」
明るくなった居間に、栗夢と有樹が入って来た。
黒色のシングルスーツとスラックスを穿いた栗夢が瀬名里の隣に座り、有樹はキッチンへ入って来る。
焦茶色で膝丈(ミディ丈)のラッフルスカートが揺れながら近付き、黒色の長袖Tシャツと、シャツの上に着た焦茶色のキャミソールが、上下に動いていた。
「今日はみんな着替えて来るんですね」
「ここに来て初めての登校日だからじゃない? 疲れはまだ残っているけど、目が覚めちゃったし、全員八時半までには起きて来ると思うわよ」
私の言葉に、隣に来た有樹が答えた。
浄化戦の影響で十時三十分からの授業開始となり、登校前の朝食がもうすぐ完成する。
「だったら丁度良いかな。カレーも味噌汁も出来上がるし、有樹は炊飯器の方をお願い。炊き上がると思うから」
私が発言を終えると、電子音が鳴った。
三つの炊飯器が、炊き上がりを告げる電子音を順番に出す。
「穂華の時計は正確ね。穂華はすぐに食べる?」
「全員揃ってからにするから、先に食べてて」
私は、杓文字と丼鉢を準備する有樹に、食事を促した。
五十畳の居間は広いが、放送設備や家電家具に占領されて、自由に歩けるのは二十畳ほどになる。
その二十畳も密集しておらず、通路のような動線としてある為、多人数が同時に動くのは厳しい状態だ。
「分かった。栗夢、瀬名里、先に食べるわよ。その後は片付けね」
「えぇ、それで良いわ。早く食べましょう」
「片付けの後は、廊下の掃除だな。埃が出て来てる」
有樹の提案に、二人の同意が続いた。
私はお椀に、おたまでお味噌汁を装い、有樹が持って来たご飯大盛りの丼鉢にカレーを装う。
有樹が一セットずつテーブルへ運び、私が盛り付ける役割分担が生まれていた。
三セットを運んだ有樹は、最後に水入りのコップを三つ運んでイスに座る。
「いただきます」
重なった三人の声が居間に広がり、丼鉢とスプーンの接触音が後に続いた。
航宙歴五百十七年四月十日 午前九時四十二分
「行って来ます」
無人となる星野家に、私は鍵を掛ける。
同居者である星の意識体達は、物質を透過して星野家に入れる為、気兼ね無く施錠が出来た。
灰色の長袖Yシャツに、乙女色の長袖ブレザーを着た私は、灰色のショート丈プリーツスカートを揺らしながら、歩き始める。
スカートからは白緑色のフリルが見え隠れして、白色のリボンタイがYシャツの襟から出て自己主張をしていた。
数歩先で待っていた家族と合流すると、全員の顔を見る。
「みんな疲れは取れたみたいだね。顔色も良いし」
昨日は十一時から寝ていた。
私以外は、約九時間の睡眠をしていた計算になる。
「浄化戦って想像以上に疲れるんですね。サポート区画で野菜鍋を食べた後の記憶がありません」
「モミヤマが、運搬の魔力で運んだからね」
陽葵の感想に、私は昨日の帰りを思い出す。
陽葵と美優、琥珀と手鞠、そして音穏がサポート区画で眠りに落ちていた。
「モミヤマには感謝です。チーターは元気ですか?」
「うん。ただ今後の動きを話し合っているから、今は念話での会話は無理かな」
笑顔を見せる陽葵は、白いラウンドカラーの水色長袖ワンピースに水色長袖ブレザーを着ている。
白色のリボンタイが陽葵の胸の上で揺れて、ワンピースの裾からは桃色のフリルが顔を覗かせていた。
陽葵が纏う中等部のワンピースは、スカート部分がフレアスカートの形状になる。
その下では、茶色のローファーとハイカットの丈を持つ灰色の靴下が、陽葵の足を包んでいた。
「新しい入居者は大木の上に居るのよね? 人間の言葉を何故話せるのかしら」
「話せてないよ。私達は星の魔力が自動的に翻訳したのを脳で理解しているだけ、住宅街の住民は、野菜鍋の不評を理解出来ていないと思う」
花菜の疑問に私が答えると、納得した表情を花菜が見せる。
「確かに、温かい草なんて食べられないです。って驚いていたのに、作った住民に不満や怒りが生まれて無かったわね」
「うん。フレリの記録には他文明の言語も入ってるから、覚えようと思えば発音出来るようになる言語もあるよ」
人間が出せる音域を外れた言語は無理だが、スフカーナの種族は、人間に近い発声音域を持っていた。
実際私はネフィア艦長と、相手側の言語で会話して来ている。
「なら後で勉強してみるのも、悪くないわね」
微笑む花菜は、深緑色の長袖Yシャツに白色の長袖ブレザーを重ね着していた。
花菜の動きに合わせて、白色のショート丈プリーツスカートと裏地の黒色フリルが揺れている。
白色のローファーを履き、膝上五センチまでを包む桜色の靴下を履いた花菜は、私に親愛の眼差しを向けていた。
「うん。大木は通学路で何度も通るから、イルム達と話してみると良いよ」
星野家から大木までは、徒歩五分の距離がある。
会話しながらの登校は、星野家の日課となりそうだ。
「穂華、疑問があるんですけど、転移魔力を浄化戦の時にスターフラワーや私達の移動に使えませんか? 超光速移動よりも利便性が高いと思うのですが」
花菜との会話が途切れると、琥珀が声を掛けて来た。
私は転移魔力の特性と危険性を伝える為に答える。
「転移魔力は、魔力や霊体のような存在でないと通過出来ないの。液体や固体だと転移魔力に触れた時に原子や分子に分解されてしまうし、転移空間の発生と消失には大量の魔力を使うから」
星の意識体達も光年単位の移動では、転移では無く超光速移動を選ぶ。
転移の方が魔力消費が激しく、効率が悪いからだ。
転移の利点は、発動者以外の意識体や霊体が転送出来る、発動者が意識体や霊体の場合は発動者の一部分を転送出来る、この二点にある。
「わ、私のイレイズマントは魔力砲が相手だったから……使えたという事ですか?」
私と琥珀の会話を聞いていた手鞠が、不安そうに質問をしてきた。
「うん。魔力と意識体、そして霊体は転移魔力を通過出来るから」
私の発言を聞いた手鞠が、安堵の表情を見せる。
「使う前で安心しました…………聞かなかったら、殺害や自殺を経験していたかも……」
手鞠の本音が漏れて、彼女の体から緊張が抜けていく。
仲間への使用を想像したのだろう。
手鞠の体が少し揺れて、私の左肩にもたれ掛かる状態になった。
家族の足が止まり、登校が一時停止する。
黒色の長袖Yシャツに、水色のショート丈ジャンパースカートを纏う手鞠が、私を見ながら体勢を直し始めた。
手鞠の黒色ローファーが地面を捉えて、ハイソックスの黒色靴下を履く足に力が戻る。
ジャンパースカートが軽く揺れて、裏地の白と青のストライプフリルが見えた。
「あっ、ボレロとリボンが曲がってる」
私は、手鞠の水色ボレロと灰色リボンタイに、両手を伸ばした。
姿勢を崩した時に乱れた彼女の制服を、丁寧に直していく。
「大丈夫? 背負って行こうか、手鞠」
顔が赤い手鞠に声を掛けると、彼女の顔が上気して大きな声が返って来る。
「だ! だいじょうぶ……です」
手鞠の右隣に移動した琥珀が、左手で手鞠の右手を掴んで、私に右手を伸ばした。
琥珀の右手と私の右手が握手する状態になると、琥珀は微笑みながら私に本心を伝えてくる。
「今日は穂華成分が不足してるので、ここで補給です」
白いラウンドカラーの水色長袖ワンピースを纏う琥珀は、手鞠を私の方へ引き寄せながら、抱き付いて来た。
手鞠も、琥珀に続いて抱き付く格好となる。
「うん。しっかり補給して。ただし歩きながらね、授業の前には席決めや、設備案内とかあるから」
抱擁は良くても、長い束縛は支配欲独占欲に該当してしまう。
自分の欲よりも、他者への優しさと配慮を優先する事が、宇宙からの信任を維持する秘訣だ。
私の体から離れた琥珀と手鞠が、私の左右に並ぶ。
「でしたら、手を繋いで行きましょう」
「こ、これなら穂華と繋がりながら登校出来ます……」
琥珀の提案に、手鞠の思いが続いた。
私は琥珀の右手と、手鞠の左手を握って、二人の心に答える。
「よし、それじゃあ行こうか、みんな」
私の笑顔に、星野家のみんなが微笑み、止まっていた足が大木へと進み始めた。
航宙歴五百十七年四月十日 午後〇時三十七分
大木の地下にある新しい学園。
星域学園と名称を変えた学園を、私は巡回していた。
教室こそ違うが、男女が同じ場所に通うことになり、思春期特有の欲が生まれやすくなっている。
居住区画と同様に我々も警戒するが――男女が気兼ねなく接近出来る環境は――学校と職場くらいだ――――穂華は我々が見落としそうな場所を警戒してほしい。
分かった――居住区画の意識体には――持ち場の警戒を継続させて――学園の警戒は星野家と担当の無い意識体にお願いする。
キルトの念話に、私は方針を念話で伝えた。
警戒範囲が広くなるほど、見落としは生まれやすい。
適材適所で無理をさせない事が、警戒を高水準に保つ秘訣だと、私は考えている。
何事にも加減が必要不可欠なのが、宇宙の理と言えた。
体育館の前まで来ると、家族の気配が接近してくる。
「学園長。女子トイレに潜んでいた不届き者を捕らえました」
残像を生みながら、私の前で停止した音穏は、お昼休みが始まったばかりの学園で巡回をしていたようだ。
私は音穏に近付くと、彼女の口元に付いたご飯粒を取る。
「給食はもう食べたの? 早食いは体に悪いから気を付けてね」
私の行動と発言に、音穏の頬が赤くなった。
白いラウンドカラーの水色長袖ワンピースを着た音穏は、サポート区画と隣接した学園のトイレがある方向を、指で指し示す。
「はい、学園長。気を付けます。不届き者はトイレ前の廊下で脱力させてありますので、対応をお願いします」
公私混同を避ける音穏は、学園では極力真面目な態度で、私に接して来る。
音穏の可愛い顔の下では、水色の長袖ブレザーから出た、空色のリボンタイが揺れ、真面目な音穏に、乙女心を添えていた。
「それじゃあ案内して、ガルエノに引き渡すから」
ガルエノは、スターフラワーを警備する星の意識体だ。
彗星を本体とする彼らは、天体の公転軌道と違う動きをする事で、混沌の監視網に死角が生まれないように努めている。
死角を百パーセント無くす事は不可能だが、ガルエノが居るおかげで、宇宙に存在する死角が四パーセントにまで減っていた。
ガルエノが居なかった太古の宇宙では、二割の死角が存在していたらしい。
「了解しました。こちらです」
私は、音穏の歩みに随伴して、廊下を歩く。
音穏のスカートが足の動きに合わせて揺れ、白色フリルの裏地が一瞬見えた。
膝上までを包んだ茶色靴下と、黒色のローファーが、音穏の歩きに同調して動いている。
十五メートルごとにある隔壁扉を五枚通過すると、学園とサポート区画の共用部分にたどり着く、この先はスターフラワーの操縦区画へと繋がっているが、浄化と移動の目的以外では立ち入りが出来ないように、キルト達が鍵を掛けていた。
「川居さん、覗き、盗撮、痴漢は支配欲です。混沌になりたいのですか?」
私は、性欲に正直な天野 川居を見て、冷静に言葉を掛けた。
彼の未来を心配して、混沌の気配が無いか警戒をする。
軽蔑や嫌悪は、彼の心や体裁に対する支配欲となる為、彼の行動を批判する事は出来ない。
自分に厳しい者は星に留まり、自分に甘い者は混沌に染まる。
立場と未来を決めるのは、己の心の選択なのだ。
「俺は自分の心を否定したくはありません。心に正直に生きます」
彼の真っ直ぐな目が私を捉える。
西暦時代であれば、欲への純粋さは美徳とされる事もあっただろう。
しかし、混沌が関わってくる現在では、支配と独占が生み出す負の感情は禁忌となる。
「分かりました。欲に正直な貴方には三つの選択があります。星域義勇軍へ行く、混沌に染まる、隔離空間へ行く、どれを選びますか?」
だから私は、彼に人生の選択肢を伝えた。
彼を見下さずに、彼自身の心に未来を決めて貰う。
「星域義勇軍は、まだ近くに居るんですか?」
「はい、船体修理の為に惑星ジキバから四万キロの位置に停船しています」
星域義勇軍の情報は、サポート区画で野菜鍋を食べた時に、住民に伝えてある。
人間の生存に最初こそ喜んでいたが、支配と独占の感情に囚われている事を伝えると、落胆の感情を見せていた。
混沌に太陽系を消されても、混沌に力を与える要因を消せていない同族に、悲しみを覚えたのだろう。
しかし、その感情も一瞬で、住民はすぐに気持ちを切り替えていた。
悲しみの先には、憎しみという支配欲、喪失感を補填する為の独占欲が、潜んでいる事を知っているからだ。
「なら、義勇軍に行きます。俺は自分の欲に正直に生きたい。自分に厳しくの人生には耐えられません」
彼の選択を聞いた私は、ガルエノを念話で呼び出す。
ほどなくして、体長百七十センチ、体高百三十センチほどの軟体が現れた。
スライムのように艶があり、色は灰色に輝いている。
無数の目が軟体の中から私を見て、念話で挨拶をしてきた。
宇宙心――おはようございます――彼が義勇軍への乗船希望者ですか?
はい――キルト達の許可は得ています――――彼が宇宙を生きて渡れるように手配して下さい。
私の幽体に同居するキルト達は、私と心を同調させるようになった。
感覚共有をする事で、念話無しでもキルト達との意思疎通が出来る。
私が、フレリの魔力に完全順応した事で、可能になったらしい。
「義勇軍までは、星の意識体が案内します。空中に体が浮きますが、乗り物のように身を委ねて貰えれば、星域義勇軍へ行けます」
私の発言が終わると同時に、彼の体が浮く。
ガルエノが運搬の魔力で彼を持ち上げて、軟体の上に浮かせていた。
「おぉ……すげぇぇぇ、これが魔力なんだな……」
直接魔力に触れた事が無かった彼が、正直な感情を漏らす。
自分の欲望のままに魔力を使ってみたいという支配欲が、彼から溢れていた。
この感情は危険ですね――――義勇軍への移民を急ぎます。
お願いね――プロテクションを忘れずに。
分かりました――宇宙心。
私との念話を終えたガルエノが、大木の出口へと移動を始める。
プロテクションは、彼自身の魔力順応力を一時的に低下させる魔力だ。
百年ほどしか持続しないが、彼の欲望を束縛せずに、混沌に狙われる危険性を減らす事が出来る。
星域義勇軍に行った彼が、混沌に体を奪われないようにする為の特例措置だ。
義勇軍が浄化対象になるきっかけを、私達自身が作る訳にはいかない。
自分に厳しく、他者に優しくの星側の姿勢は、ここにも現れている。
「学園長。そろそろ教室に戻ります」
「ありがとう音穏。この後の休み時間も警備をよろしくね」
「はい」
短く返答した音穏が、徒歩で教室へと戻る。
ガルエノに運搬される川居は、脱力の魔力が解除された事で、元気に騒いでいた。
彼はイルム達が来た時とは逆の手順で、義勇軍へと向かう。
ガルエノが空気を囲み、防衛魔力を展開しながら、彼を義勇軍へと運ぶのだ。
義勇軍が彼にとって安寧の地でありますように――。
私は、彼の幸せを願いながら、警備を再開する。
学園内には授業開始の鐘が鳴り響き、教室から響いていた喧騒が消えていた。
次回から、天地反転ぶっ!! 編となります。
反転風呂をメインとした日常編です。