39「螺旋」
チサトが拳を振り上げ、猪熊の顔面に叩きつける。そんな未来を予測した数秒前、不意を突かれて焦っていたはずの猪熊が笑みを浮かべた。
ひょっとして――――罠?
「……ダメッ、チサト退がって!」
あたしは叫んだが、間に合わなかった。
「【ユキコ】―――――“螺旋”」
「え?」
その時、猪熊の言葉に反応したかのように人質の女性の身体がビクッと跳ね上がった。痛みが走ったように苦悶に満ちた表情を浮かべ、そして予想もしないことが起こった。
「ンンンッ!」
一瞬の出来事だった。女性の声が漏れたかと思いきや、ドレス姿の腹部が大きく膨らみ、衣服を突き破って大量の糸が飛び出したのだ。
――これ……トゥキープオーダーと同じ力?
血に染まったように赤い数千本の糸が触手のように伸び、恐るべきスピードでチサトに襲いかかる。
「なっ!」
全身に絡みついてくる糸を必死に引き離そうとするチサト。どうして? 防御フィールドは発動中だったはずなのに……
「へへへ、占い師の言った通りだったな。【ユキコ】の力はお前たちディペンダーにも通用する」
チサトはものの数秒で赤い糸に全身を拘束されてしまった。
肉体全てが糸と化した人質の女性は全て消滅し、後にはドレスが脱ぎ捨てられたかのように残されていた。
「全身に錠をハメられる気分はどうだ?」
猪熊は唾を吐き、チサトの顔を爪先で小突いた。
「がっ!」
「くっ、あなた……」
「肖羽! 動いちゃ駄目!」
近寄ろうとするあたしを止めるチサト。どうしてよ、あなたがそんなことになったのに、私黙って見ているだけなんてできない。
――――『十、でコラして(・・・・・・・)』
チサトはそう言ったけれど、どうしよう。
『肖羽、コラースレッドは中止』
その時、チルルがイヤホンから通信してきたのだけれど。
しかし、そのチルルの声がなぜかレストラン内のスピーカーからも聞こえてきた。
この通信は今チサトとあたしにしか繋がっていないはずなのに。
『えっ、どういうこと? この通信、店内に流れてるの?』
続いてウニちゃんの声がした時、猪熊がニヤリと笑った。
「……この声、忘れもしねえぜ。クソガキが」
『……フン。あの時縛られて踏みつけられたのがそんなに気持ちよかったのかしら?』
「ヒヒッ、相変わらずのムカつく喋り口で安心したぜ」
『何よ、身体だけじゃなくて言葉責めも感じるの? キモいわね』
「……てめえこっち来いよ。そしたらこの女は助けてやるよ」
憎悪に満ちた目。
この人、ウニちゃんのことを恨んでるんだ。
『分かったわ』
『ウニ……それ命令無視』
『離してチルルッ!』
『わっ、』
バタッと人が倒れる音がした。
『……クソ中年変態ジジイ、よく聞きなさい。私があなたを満足させてあげるからそれまでアヘ顔で待ってろ。その替わり、これ以上ウチの仲間に指一本触れるな。もし触れたら……殺すわよ』
「河原さん、来ちゃダメッ!」




