37「突入」
あたしはポケットから視力の入っていない眼鏡を取り出して掛けた。
「行くわよ、肖羽」
「はいっ」
チサトが立ちあがり、肩で押し扉を開いて侵入したのはほぼ同時だった。
そして部屋に一歩侵入した瞬間――
「肖羽ストップ!」
チサトの叫び声がまるで魔法のようにあたしの足を止めた。
でもおそらく彼女が沈黙していたところで取った行動は同じだっただろう。
扉に入って部屋の様子よりも先に処理しなければいけない情報に脳が意識を向けていた。
玄関に切っ先を向けた状態で宙に浮いている数十本のナイフに――――
――――くっ!
「フウッ、待ちくたびれたぜ。やっと来やがったか」
あたしたちが来るのを予測していた――というよりも待っていたかのような男の言葉。
いったい、どういうこと――――「あっ!」
犯人の顔を視認したあたしは思わず声を漏らしてしまった。
(肖羽、どうしたの?)
(あの男性……あたし知ってる)
(えっ!)
驚いたチサトが犯人に目を向ける。
骨格のがっしりした身体で、黒めの肌。
エラが張っているせいか、ぱっと見て怖そうに見える。
けれど、本当は見た目の印象よりもずっと繊細な性格だった。
恋人のことをいつまでも忘れられずに、その苦しさ故に街を飛び出してしまうほど。
そうだ、名前は確か猪熊吾郎。
「……あの人、地下通路でウニちゃんが捕まえた人だよ」
「えっ、まさか……でも」
その時犯人は人質を後ろから拘束し、その口を布で塞ごうとしていた。
位置は直線距離で約十メートル。
でも右手のテーブルの並んだエリアと玄関の通路の間に透明の仕切りがあるため、そこへたどり着くには一度正面のレジのある所まで迂回しなくてはいけない。
「ちっ、なんだよ。一人メンツが違うじゃねえか」
あたしたちの姿を見て眉間に皺を寄せる猪熊吾郎。
人質はドレス姿の金髪の女性だったが、後ろ手に縛られているのだろう、その場にへたり込んだままあたしたちに何かを訴えるように必死に身体をもごもごと動かしている。
「確かその人って病院に緊急搬送されたって聞いたけど」
「うん、そう。そのはずなんだけど」
もしかして大森さんの情報が間違っていたのだろうか。
男性はどこにも怪我をしている様子は見当たらず、ギプスや包帯もしていないようだ。
「おい、赤髪の娘、俺を痛め付けたクソガキはどこにいる?」




