第三十二話 ボス戦 それで済むなら、安いもの
――失策にいち早く気付いたのは、他ならぬ提案者である雫だった。
若干煙が薄くなり始めたか、と感じた直後、雫の鋭い声が飛ぶ。
「っ、鋼、ウィン! 奴を引き止めて!」
「え――?」
そうは言ってもまだ霧は濃い。まだ焦るようなタイミングではないんじゃ――
が、しかし。
俺達のそんな予想とは裏腹に、蛍光オレンジの光は迷い無く走り出す。狙いは言うまでもなく、吹き飛ばした大斧である。
「なっ、なんでだ!? くそ――刺され、鋭き欠片よ!」
光を頼りに魔力塊を放つが、まだ濃く残った霧のせいで当たらない。二発、三発、四発と連射し、辛うじて掠らせることに成功しても、『竜巣の処刑人』はこちらを見向きもしない。
なんで奴はこの状況で走れる!? こっちはまだ視界がほとんど無いってのに!
こっちは下手に走れば柱にぶち当たりかねないくらいで、俺の場合は誤射の危険もある。これ以上がむしゃらに連射することはできない。
と、不意にオレンジの光が見えなくなる。柱に遮られたのか、と思えばそれは違う。ウィンがその光を頼りに突っ込んだのだ。
無茶だ、と俺が叫ぶより先に、鈍く重い打撃音と、人体が叩きつけられる衝突音、それからウィンのくぐもった悲鳴が連続する。
「ウィン! 大丈夫か!?」
「ぐ、うぅ……」
おそらくあの剛腕で薙ぎ払われたのだろう、返ってくるのは声にならない唸りだけだ。下手すれば骨の何本か折られてるかもしれない。
くそ、畜生が!
危険など言っていられない。俺は何度も柱にぶつかりながら、声を頼りにウィンの元へと走る。
「ウィン! ウインター!」
「こ、こっちだべ……」
そこかっ!
駆け寄った先には、柱の根本で蹲るウィンの姿があった。手足は無事なようだが、苦しげに左脇腹を押さえていて、口からは僅かに血が漏れている。
「くそ、大丈夫か!? 血を吐け! んでこれを飲め!」
「かはっ、ごほ……んぐ……」
血を吐き出させ、持ってきた中で一番良い回復薬を飲ませる。そしてそれと同時に、簡易治療の魔法書に持ち替え、ウィンの脇腹に治療魔法を掛ける。
「ゆっくり息をしろ。どこが痛い? 内蔵までやられてるか?」
「ふぅ……だいぶ、楽になったべ。多分、肋が何本かやられただけ。血は口の中切っただけだべ。まだ、平気……!」
「平気なわけあるか! くそ、俺の魔法じゃ手に負えねえぞ!」
俺ができるのは精々止血と鎮痛程度。骨折レベルになるとお手上げだ。
ウィンをどうにかして安全な場所に――いや、そんなの無理だ。この空間に逃げ場は無い。
ならば俺と雫でなんとか奴の相手をするしかない、と立ち上がって、俺はようやく気付く。
そうか、そういうことか……!
しゃがんで立って、その視界の差に驚く。煙幕は上から徐々に消えていく、となれば体長三メートルはあろうかという『竜巣の処刑人』の方が早く視界を取り戻すのは当然のことだった。
そして、今あの化け物は。
「冗談じゃ、ねえぞ……」
どこにいる、と振り向けば、あと一息の距離まで迫り来る『竜巣の処刑人』の姿が映る。その手には巨大な大斧が、そしてそれを大上段に構え、こちらを両断せんとしているのだ。
否、狙いは俺じゃない。奴の目は真っ直ぐウィンを捉えている。
――どうする。
ウィンは自分では動けず、そして奴の一撃を受ければ間違いなく真っ二つだ。
ならば。
逡巡の猶予は無い。思考の余地も無い。
――左手は勝手に動いた。
手加減する余裕など微塵も無く、ほとんど殴りつけるような勢いで俺はウィンを突き飛ばした。
突然の衝撃に、ウィンは受身もとれず派手に転がっていく。その様がスローモーションで見える。まるで走馬灯のようだ。
――ああ、よかった。ウィンはなんとか助かった。
スローモーションは続いている。視界の端では『竜巣の処刑人』が、その赤黒い斧をゆっくりと振り下ろしている。そこにはもうウィンの姿は無いというのに、間抜けなことだ。
――そこにはもう、俺の腕しか無いというのに。
■
その鮮血が、目の前の床を真っ赤に濡らした。
遅れて聞こえる重い落下音。それは、ウインターは今まで一度も聞いたことが無いような、重い重い音だった。
「へ――?」
なにが起きたのか分からない。突然突き飛ばされて、目の前に自分のものではない血が飛び散って、そしてとても重い音がして。
――まるで、おっきな肉を間違って落としちゃった、みたいな。
「は、鋼さ――」
「ウィン! 逃げるよッ!」
自分で起き上がるよりも早く、強引に身体を持ち上げられた。
雫だ。あの温和な雫が、今まで見たこともないくらい歯を食いしばり、自分を担ぎ上げたのだ。そして疑問を挟む暇も無く、その場から全力で離れる。
強引な運搬に折れた肋が痛む。
「し、雫さん、大丈夫だべ。自分で動けるべ!」
「はぁ、はっ! 駄目、もっと離れるの!」
雫はなおも走り続け、十メートルほど行ったところでようやくウィンターを下ろす。
「はぁ……大丈夫? ウィン」
「へ、平気だべ。それより、鋼さん、は――」
その姿はすぐに見つかった。正確に言うのなら、まず目に付いた『竜巣の処刑人』の足元に、彼はいたのだ。
あれ、と。
遠目に見ても、その後ろ姿に違和感がある。角度の問題か、と思ったが違う。当然目の錯覚でもなんでもなく――左腕が、無いのだ。
「え、は、はが、鋼さ――」
「腕一本なら、安いもの」
遮るように雫が言う。
背を向けた彼女の顔は見えない。ただ、震える声から押し殺した感情が伝わる。
「鋼なら、きっとそう言う。大丈夫だよ、あの人右腕なら斬られた経験があるから。ほら、うまく避けてる」
見れば、鋼は左腕を失った身体で、それでも必死に逃げのびている。転がり、飛び退き、魔法書まで投げ捨てて回避に専念していた。
「お、おらのせいで……? おらのせいで、鋼さん、腕」
「貴方のために、よ。私達が引き付けるからウィンは逃げて。今度は絶対よ? もし出てきたらビンタじゃ済まないから」
雫はそうとだけ言い残し、鋼の元へと走り出す。ウィンターはただ、その背中を見送ることしかできなかった。




