第二十七話 出立
『古の竜巣』攻略、当日。
いつもより少し早めに起きて朝食を済ませた俺達は、そのままギルドの酒場で鉄心を待つ。奴は昨日も港町の方に出張していたので、ここで落ち合うことにしておいたのだ。
と、緊張で若干口数少なく待ちぼうけしていた俺達に、意外な人が声を掛けてくる。
「――おはようございます、皆さん」
「へ? あ、師匠。おはようございます、珍しいですねこんな朝っぱらから」
声に振り向けば、くたびれた白衣に眼鏡といういつもの研究者スタイルのアイザック師匠がそこにいた。夜型のこの人に午前中に遭遇するなんて、そうそう無い珍事である。
「今日は君達が竜巣に行くと聞いたのでね。一応師匠として、餞別でも渡しておこうと思いまして」
そう言いつつ欠伸を噛み殺す師匠。飄々とした顔はいつも通りだが、実は結構頑張って早起きしてくれたのかもしれない。
「え、なんかくれるんですか!」
「現金で良い反応です。といっても、そう大したものではありませんけどね。はいどうぞ」
そして師匠が取り出したのは、小瓶に入ったワインレッドのポーションだ。量は二十ミリリットル入ってるかどうか、というぐらいで、飲み薬というより目薬サイズである。
しかし、見たこと無い色だな。ポーションは大体色で効果の想像がつくのだが、この色にはまるで心当たりが無い。少なくとも気軽に市販されているような代物ではないらしい。
「えと、これは?」
「一種のドーピング剤です。効果は、体内の魔力制御機能の一時的な低下――簡単に言いますと、ストッパーを外す効果ですね。魔力の蛇口を全開にするイメージです」
「全開にって……それって、火力は上がりそうですけど」
「ええ、魔力切れにもなりやすいですし、細かい魔力制御を要する高位の魔法は使えなくなります。そもそもこれ、毒として作ったものですからね。
ただ、君の場合、今の所魔力放出の魔法しか使っていませんから、使い所さえ選べば火力強化になるはずですよ。客観的に見て君達のパーティーは決定力不足ですから、強敵相手にはこういう外法も必要でしょう」
「ですか。分かりました、ありがたくいただきます」
小瓶を受け取り、少し迷った末に取り出しやすいよう荷物袋ではなくローブのポケットに入れる。こういう使い所が難しいものは、即座に使えないと意味無いし。
しかし、いろんな意味でジョーカーじみた物を貰ってしまった……戦闘慣れしていない俺に、使いこなせるだろうか。
そんな不安が顔に出ていたのだろうか、師匠は軽く肩を竦めておどけるように言う。
「ま、そんなリスキーな物に頼らないで済むよう祈ってますよ。鉄心もいますし、まず大丈夫だと思いますが。
ああ、それと、前の戦法も使うつもりですか? 例の熱湯攻撃」
「はい、一応それ用の水を入れた瓶は幾つか用意してます」
重装ゴブリンを倒した攻撃のことだろう。今回は勿論トマトではない。
にしても、熱湯攻撃って……そう呼ぶと我がことながらだせえ。悪役プロレスラーの技みたいだ。
「良いですね、己の力を最大限利用してこそ魔法使いです。そしたら、その水の中に数滴自分の血を混ぜておくといいでしょう」
「血、ですか?」
「ええ。この世で最も魔力を込めやすいのは、自分の血液ですから。ほんの数滴でも、格段に沸騰させやすくなるはずですよ。
――と、アドバイスはこのくらいですかね。御武運を、土産話を楽しみにしてますよ」
師匠はそう言い残すと、もう用は無いとばかりにまっすぐギルドを出て行く。多分帰って二度寝するのだろう。
だけど、わざわざ師匠が来てくれるとはなあ……それだけ心配されているのか、あるいは――期待されているのか。
なんとなしに辺りを見回す。遠慮がちに、あるいは無遠慮に、こちらの様子をうかがっている者がちらほらと見受けられる。『活動家』の話も、俺達が『鍵』と呼ばれたことも既に噂になっているので、今日の俺達の成果に期待している者も中にはいるようだ。
ちっとばかしやりづらい雰囲気なんだよな……ウィンなんか、それで萎縮しちゃってるみたいだし。
道中緊張をほぐしてやれればいいのだが、なんて思っていると、見慣れた顔が酒場に入ってくる。
「――おう、待たせたな。外でアイザックと会ったんだけど、まさかあの野郎見送りでもしに来やがったのか?」
面頬をずり下ろして一息、いつもの口調で鉄心は現れた。
「うん、ポーションとアドバイスをくれたよ」
「はあん、あの薄情者がねえ。珍しいこともあるもんだ。逆に縁起悪ぃ気すらしてくるぜ」
酷い言われようである。
さて面子も揃ったことだし、と俺達は出発するつもりでいたのだが、鉄心は何故だか「ついてこい」と階段に向かう。
「あんれ? 鉄心さん、どこ行くんだべ?」
「挨拶だよ。一応な」
「挨拶って、誰にするの鉄心君」
「ここで一番偉いおっさん」
そうとだけ言うと、鉄心はずんずん階段をのぼっていく。俺達も慌ててそれに続いた。
――プレイヤーズギルド本館の建物は地下二階、地上四階建てだ。
地下二階は倉庫、地下一階は錬金術と魔法の簡易研究所となっていて、普通の冒険者はまず立ち入らない。
一階は酒場兼クエストカウンター、二階は宿泊施設兼総合受付で、最も人がいるのはこの二階層だろう。
三階はギルド内各部署の事務所、そして四階は各種会議室とギルド長室となっている。この辺りはギルド構成員の中でも、特にギルドの職員として働く者以外には無縁な場所だ。
で。
鉄心について来てみれば、気付けば四階ギルド長室前に。その精緻な意匠のドアノブから、否、絵画や花瓶が配置された廊下からして、階下の粗野な雰囲気とは大違いな空間だった。
な、なんかこの階だけ大企業の最上階みたいな……
「連れてきたぜ、旦那」
「ご苦労。入りたまえ」
ノックを二つ、中からはやたら渋い声が返ってくる。鉄心がドアを開けると、そこにはイメージ通りの光景が広がっていた。
質の良い最低限の家具で揃えられた、応接間も兼ねた一室。そしてその奥には、総髪オールバックに高級感溢れるスーツという出で立ちの壮年の男が立っていたのだ。
しゃ、社長だー!?
このファンタジー世界にあって、この一室だけは完全に社長室である。剣と魔法の匂いがまるでしない。
「――君達が、噂のパーティーか。先日は大変だったね」
「は、はい!」
緊張で若干声が上擦るのを感じる。他の二人なんかは完全に硬直してるし。
「はは、そう身構えなくても良い。ただ、この短期間で色々な事件に巻き込まれているようだし――なにより、うちのエースである鉄心のお気に入りだ、一度顔を見ておきたくてね」
呼び付けてすまないね、と社長は穏やかに微笑む。一挙手一投足に大物然としたオーラを感じる。
「かはは、大袈裟なこった。オレはただの走狗だよ。んでもってこいつらも、まだただのひよっこだ」
「まだ、ねえ」
「その真価は今日分かるさ。『活動家』とやらの言葉が嘘か真かもな。ま、そんなに期待し過ぎずに待っててくれよ――あんたは五年も待ったんだ、このくらいわけないだろう?」
鉄心の言葉に、社長は苦笑して肩を竦める。
「ああ、そうだとも。今まで通り、私はただ大人しくここで待つよ。それしか能の無い男さ。
――若者達よ、行きなさい。そして必ず生きて帰りなさい。結果がどうあれ、それが一番大切なことなのだから」
社長の微笑みには、限りない優しさと、穏やかな諦観が同居していた。
――この人は、どれだけの冒険者をこうして見送ってきたのだろう。
そしてそのうち、どれだけが無事に帰って来たのか。五年の停滞の中、緩やかに磨耗していった果てが、今のこの男の姿なのだろう。
ならば、返す言葉は一つだけ。
「――はい、必ず」
この一言で、十二分だろう。
「だ、そうだ。オレも最善を尽くす、心配には及ばねえよ。それじゃあ行ってくる」
鉄心はそう言って後手に手を振り、部屋を出て行く。俺達も一礼だけ残し、それに続いた。
階段を降りる道すがら、鉄心は肩を竦めて言う。
「ギルド上層部は、あの『活動家』共の言葉をかなり真に受けてるようでな、今回のお前らの探索にゃ相当期待してやがんだよ」
「それで、社長自ら?」
「ぶっ! 社長ってなんだよ、社長って……! あ、ああ、そういうこった。連中も焦れ過ぎてちょいと頭のネジが飛んでるのさ。護衛役だって、直前でもっと優秀な奴に変えようって話まであったんだぜ?」
なんとか却下したけど、と忌々しげに言う鉄心。
「鉄心さんより優秀って、どんな化けもんなんだべ……」
「あぁ? 別にオレは最優秀ってわけじゃねえぞ? 単純な戦闘能力で言えば、多少見栄張って上の下ってところだ」
「そうなの? でも鉄心君、いろんな所に引っ張りだこじゃない」
「そりゃ別に戦闘能力買われてるわけじゃねえよ。オレの唯一誰にも負けない点は、パーティーの生存率を底上げできるって所だからな。要は、臆病なくらい早い撤退判断と、いざっつうときの囮としての性能。だから、探索中はオレの判断には従えよ? 死にたくなけりゃな」
「分かってるって。頼りにしてるよ」
これは本当に。期待されている所悪いが、俺達は無理するつもりなど毛頭無いのだ。
必ず生きて帰る。そうすればまた行くこともできるのだから。
このチキン共が、と満足げに笑う鉄心と共に、ようやく俺達は出発するのだった。




