第二十五話 『活動家』
ゆらり、前方の曲がり角から現れたのは、宵闇のような襤褸布だ。
その声の主は長く細い手足をだらんと垂らし、伸びたい放題に伸びた髪はその顔を完全に隠してしまうほどで、陰鬱さと不気味さをこれ以上無いというほど全身から放出している。
まるで、死神だ。
そしてこの男を、俺は見たことがあった。
「ッ――!」
「え、ちょ!?」
「な、なんだべさ!?」
右手で雫を、左手でウィンを引っ掴み、無理矢理俺の後ろまで下がらせる。そして背に隠すようにハンドサインを出す。
『危険。静かに』
咄嗟のことだったが二人共確認できたのだろう、背後で息を飲む気配がする。
まずい。
なんでこいつが、ここにいる……!?
その顔を忘れるはずもない。目の前にいるのは、間違いなくアルフ達を殺した張本人である。
恐怖と焦燥で呼吸が乱れ浅くなる。しかしそれも押し殺し、俺ははっきり男を見据える。
「やあビリジアン。聞いてくれよ、今面白い冒険者さん達と出会ってさあ」
「冒険者? 人目に付かぬ場所、と指定したのは貴様のはずだろう」
青年――イエローに対し、ビリジアンと呼ばれたその男は僅かな苛立ち混じりの言葉を返す。
そしてビリジアンはこちらを見遣る。
前髪のカーテンの奥、心臓に冷たい吐息を吹き掛けるような視線だった。
「……成る程、此方の者と彼方の者の混成か。これは珍しい」
「でしょう? 素晴らしいことだよ。僕らの理想の第一歩だ! だからいつも言ってるじゃないか、殺すだけがやり方じゃないって」
「殺す……!?」
イエローの口から唐突に出た物騒な台詞に、俺は思わず声を漏らす。
脳裏に蘇るのは、アルフとウォールの無残な死体だ。
――どうする、どう動けばこの状況を切り抜けられる……!?
状況を把握する。ビリジアンまではまだ間合いがあり、イエローの弓は矢をつがえるまで時間がかかる。そして今荷物袋には、緊急脱出用の煙幕が入っている。
ハンドサインで『逃げろ』と命じ、〇.五秒で煙幕を叩きつけて逃げ出す――いや、これでは危険だ。この悪い足場で煙幕を使えば、自分達も逃げる際に転びかねない。なにより、そもそもこの二人にそんな小細工が通用するか甚だ疑問だ。
下手に逃げれば追われる。今ここは、動かないことこそ最善か。
重要なのは、ビリジアンに俺達があの日の目撃者だと気付かれていないということだ。あちらからすれば初対面、ましてやイエローの口振りから察するに俺達はなんらかの意味で価値をもっているらしい。こちらに危害を加える理由は無いはずだ。
楽観的なのは分かっている。しかし、その可能性に賭ける他無いのだ。
「純化作業は必要だ。これもその結果に過ぎない」
「んもう、頑固だなあ。可能性の芽を摘むのは冴えたやり方じゃないって言ってるのに。
でもま、なんにせよ――これで、五年の停滞も終わる。
長い長いプロローグは終わりだ。世界はようやく動き出す。実に素晴らしいじゃないか!」
イエローは高らかに声をあげ、大仰に両手を広げてみせる。まるで舞台役者もさながらだ。
「な、何を言ってんだ? さっきから、意味が分かんねえぞ」
「いずれ分かる。すぐに分かるとも! 君達は鍵になるんだ。世界を先に進める大切な大切な鍵だ。だから死んではいけないよ、その命は最早そこらの凡百とは違うのだから。そしてなにより、この世界を楽しむんだ。それこそが君達プレイヤーに与えられた、一番の使命なのだから!」
大仰、を通り越して、それは最早狂的であった。踊るように舞うように、心底から楽しげな笑顔で言い放つその姿は、どうみても狂人のそれだ。
なんだこいつは。
なんなんだ、こいつらは。
「もう良いだろうイエロー。今この場で、これ以上すべき事はない。あとはこいつら次第だ」
「ふふ、だね。じゃあ精々期待させてもらうよ。君達に期待に応えるだけの器があれば、また会うこともあるだろう。その日を楽しみにしているとも」
イエローはそう言って、ビリジアンのもとに歩み寄る。そして腰の荷物袋から巻物を取り出すと、それを勢いよく開いた。
「『脱出の巻物』、発動」
その声と同時に、二人の姿はその場から消える。
一瞬前の緊張が嘘のように掻き消えて、残ったのは拍子抜けするような静寂のみ。
ぱたん、と。
俺はその場に座り込んで、魂まで吐き出しそうなくらい長い溜息をもらした。
「はぁぁぁ……」
「は、鋼、大丈夫!?」
「あぁ、気が抜けただけだ。ふぅ……ほんと、死ぬかと思った」
「あ、あいつらなんだったんだべ。わけ分かんないことべらべらと」
「俺にも分からん。ただ一つ言えるのは、あの襤褸を纏った方、あいつは特にやばい。前に言った、俺達の友達を殺した野郎だ」
「っ、やっぱり……! あの声、聞いたことあると思ったら」
雫は声を震わせる。そうか、雫は姿は見てないから確信は持てなかったのか。今回に関しては、それで良かったと思うが。
ともあれ、なんとか切り抜けられた。それだけでも十分過ぎるほど僥倖だ。
「鋼、この後どうする?」
「一旦戻ろう。またダンジョン攻略を断念する羽目になるが、それも仕方ない。今はこのことをギルドに報告するのが先決だ」
二人もこの提案に頷く。単純に、もう誰もこの先に進むほどの気力も残っていないのもあるだろう。そのくらい消耗した数分間だった。
報告すべきことも多い。イエロー、ビリジアン、活動家、そして俺達を鍵と呼んだこと。俺達には分からないことでも、ギルドはなにか把握しているかもしれない。
なにか、得体の知れない流れに巻き込まれている――そんな言い様のない不安が、俺達の胸中に暗い影を落とすのだった。




