第十九話 奇策は放物線と共に
もうどれくらい走ったか。体感では三十分は逃げ続けてるつもりなのだが、実際は五分と経っていないだろう。
鈍重だからなんとかなる、と思っていたのだが――否、実際今の所お陰で無事なのだが、想像とは大違いで余裕などまるで無い。動きはたしかに遅いのだが、でかい分歩幅は大きいし、腕も長く棍棒も巨大なのでリーチはかなり広大だ。
翻弄してやる、なんて思っていたが、とてもとても。逆にこちらが翻弄されっぱなしだ。
これ、長くはもたねえぞ……! 長期戦なんかやってらんねえよ……!
ローブ装備で比較的身軽な俺ですらそうなのだ、鎧を身に纏った雫には尚のこと無理だろう。一刻も早くこいつを倒す方法を見つけなければならない。
って言うか、早く戻って来てくれ雫! 俺死ぬ!
と、心中で悲鳴をあげたそばから、俺は枯れ草に足を取られて盛大にすっ転ぶ。
全力疾走していたせいで、そりゃもう派手に転げ回り、身体中擦りむいてようやく止まる。
「っだぁ! いっつぅ――ひぃっ!?」
見上げれば、月明かりを背に棍棒を振り上げる巨大な化け物が。
これ、逃げ――死ぬ――!
回避が間に合うはずもない。俺を肉塊に変えるべく、丸太の如き木の塊が振り下ろされる。
鈍い金属音と、重い地割れのような音。そして大量の石つぶてが頰をうつ。
な、生きて、る……?
ダメージはつぶてで頰を切ったぐらい。何事かと目を開ければ、そこには鎧を来た小さな背中が、真上に盾を構えて立っていた。
「ウィンっ! 三十秒だけ稼いで!」
「任せるべ! おらぁうすのろ! こっちだべ!」
雫の背中の向こう、重装ゴブリンの兜に熟れたトマトが命中する。
「ぐ、がぁぁあああああああぁあっ!」
激怒の咆哮をあげて、重装ゴブリンは踵を返す。その先ではウィンが畑を疾走している。
「ふぅ、間に合って良かった……大丈夫? 今のうちに、休息薬と魔力回復薬飲んじゃって」
「あ、あぁ、助かったよ。でも、なんでウィンが――」
「囮役を買って出てくれたの。危険だけど、きっとウィンならできる。ほら、時間は無いよ」
「ん」
そうだ。今はその是非について言い合いする暇は無い。雫の判断を信じて、俺は急いで二種のポーションを取り出す。まずは休息薬、次に魔力回復薬。それらを飲み干すと、ある程度は力が戻ってくるのを感じる。
短く一息。俺は空き瓶を袋に戻して立ち上がる。
「ふぅ。お前は大丈夫か? さっきの一撃で腕とか折れてねえか?」
「なんとか横に受け流せたから平気。でも、多分真正面から受けたら、腕が折れるか盾が吹っ飛ぶね」
「だろうな。なんか作戦は?」
「まだ無い。今の所は、三人でヘイト分散させながら弱点を探す、それだけだよ!」
雫はそう叫んで走り出す。俺も改めて魔法書を開き、その後に続く。
重装ゴブリンとは距離十五メートル、奴はウィンとの追いかけっこ中だ。ウィンの奴は走って跳ねて転がって、それこそ身軽に相手を翻弄していた。
流石こんなとこで育った野生児だ。だが、任せっぱなしにゃしてられねえ!
ある程度距離を詰めたところで急ブレーキ、先程そうしたように魔力塊をぶっ放す。
「刺され、鋭き欠片よ!」
そして今度の狙いはヘッドショットだ。的が小さい分狙いづらいが、偏差射撃によってどうにかこめかみ辺りに掠らせる。
っち、うまく当たらなかったか……!
しかし、注意を引くことはできた。重装ゴブリンは再び雄叫びをあげて、こちらに猛然と突っ込んでくる。
「相手は、私だよ!」
そしてその突進を横から阻止する雫の一撃。真横からその脇腹に、渾身のメイスをお見舞いする。
銅鑼をぶっ叩いたような轟音が響く。メイスはたしかにクリーンヒットしたようだが、鎧を少し凹ませただけ、内部まではさほどダメージは通っていないだろう。
この一撃で重装ゴブリンの照準は雫に移る。このように順々に囮役を回していきながら勝ちの目を見つけるしか無いのだ。
雫はゴブリンの横薙ぎは大きく回避し、縦振りは上手く盾に角度を付けて受け流す、という方法で対処する。今の所はほぼ無傷だが、スタミナを考えればそう長く持つ戦法ではない。
「く、ウィン! 気を引いてくれ!」
「了解だべ! こっちこい! こっちにこい木偶の坊!」
またもトマト投げでゴブリンを振り向かせるウィン。大した命中精度だ。
今の所都合良くヘイト管理できてるけど、誰かに集中したり、誰かを無視したりしだしたら危険だな……特にウィンは実質攻撃力零だ、それに気付かれて無視されたら俺達二人で回す羽目になる。
雫に目をやると、あの一度の攻防で肩で息をしていて、早速唯一の休息薬を飲んでいる。どんなに頑張っても、雫が相手にできるのはあと二回が限度だろう。
どうする、どうする――焦る俺に、雫が声を飛ばす。
「鋼! 顎の下だ!」
「あ、顎!? なんだって!?」
「あいつの兜、顎の下から首に掛けて空いてるんだ! 真下で攻撃を受け流したときにはっきり見えた! あそこに魔法を打ち込めば、きっと倒せる!」
「つったって、お前……!」
顎の下。そこを狙うということはつまり、奴の真下まで潜り込む必要があるということだ。
玉砕覚悟で無理矢理間合いを詰めるか――否、仮に運良く真下まで行けたとしても、魔法を放つまでの時間がある。その間に攻撃を受けるか、そうじゃなくても躱されてしまう。
なにか、なにか方法は――
と。
思考に意識を集中しすぎていたのがいけなかった。俺は空中から予想外の攻撃を受ける。
べちゃん、とそれは側頭部に着弾し、俺の視界を赤く染める。
「んぎゃ!? な、なん――!?」
「あぁっ! ごめんだべ鋼さん!」
ゴブリン越しにウィンの謝罪が届く。どうやら、彼女のトマト爆撃の流れ弾を食らったらしい。
い、意外に痛いし不快だ……! これは無視できねえな……
よく考えれば、熟れたトマトって中が半分液体だから重いのだ。全力で投げれば結構な攻撃力になるだろう。
しかしそれは人間相手ならば、だ。重装ゴブリン相手には――ん?
「……いや、いけるか?」
視界を拭いつつ、足りない頭をフル回転させる。
「鋼! そろそろ代わるよ! ウィンが危ない! 作戦考えるのは後に――」
「思い付いたぞ、雫! これでいける! 少し時間を稼げ!」
「っ、わ、分かった! 信じる!」
説明する暇も、必要も無い。雫はなにも聞かずに、ゴブリンへと突撃していく。
よし、後は――
「ウィン! こっちに来い!」
「分かったべ!」
もう相当走り回っただろうに、ウィンはほとんど疲れも見せずに駆け寄ってくる。
「よし、ウィン、お前にやってもらうことがある。この作戦は半分お前頼みだ、やれるな?」
「なんだってやるべ!」
「その意気だ。頼りにしてるぜ」
俺は無理矢理勝気な笑みを浮かべ、トマトの実を一つ毟るのだった。




