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零-3 乾弐班

 瑠璃治安維持部隊は壱班から肆班まで。

 それぞれ、乾・艮・巽・坤の四区と、それから中央区に存在する。

 乾弐班の屯所は、住宅地から少し離れた場所にある。ぐるりと塀に囲まれた、瓦葺の平屋造りだ。

 両脇に並んだ松が影を落とす門戸をくぐる。

 西日に長く伸びた石灯籠の影の先、黒猫が丸まって眠っていた。まだ幼さの残る彼の名前は、黒豆と言った。

 屯所には特に扁額などは掛けられていない。一見、広い敷地を持った一軒屋に見える。しかし足を踏み入れてみれば、一般の家屋とは異なった部分が見えてくる。

 まず、屯所の向こう側には道場が有る。

 そしてその道場の裏手には、殉死者の碑が立っている。腰ほどの高さの、閃緑岩で出来た碑だ。

 以前一度だけ目にした事があるが、それ以来紗雪はそこに近づいていない。碑に刻まれた者の名を確認する事を、忌避しているからだ。

 そこに刻まれた名前の数は、この世界にはもう存在していない者の数だ。それだけの人間が確実にこの世界に在って、そして、消えていったのだと思うと、どうにも胸がぽっかりとして、寂しいような苦しいような心地になる。

 自身と面識は無いが、自分が親しくしている弐班の者達と面識は有っただろう。そして彼らは、彼らを送ってきたのだろう。そう思うと、おこがましいのかもしれないが、寂しくなってしまう。

 自分は弐班の者では無い。しかしいつか自分も、彼らを送る日が訪れるのだろうかと思うと、碑に刻まれた彼らの名を見る日が訪れるのだろうかと思うと、胸が詰まって息苦しくなる。

 なあう、と甘えた鳴き声に紗雪ははっとした。

 黒豆が足元にじゃれついてくる。首につけた鈴が、りん、と軽やかな音を立てた。

 一撫ですると、彼は満足したのか素っ気無く紗雪のもとを離れていった。しなやかに身を翻し、縁側から中へと入る。

 影虎に続いて、紗雪は玉砂利の敷かれた庭の、玄関に続く飛び石を踏んで歩いた。

 門扉を開くと、門に取り付けられた鈴が、からからと音を立てた。

「たーだいまー」

「おじゃま、しますー……」

 久しぶりに屯所に立ち入った。何となく緊張を感じた。会う相手はいつもの相手だし、別段緊張する理由も無いのだが。久々だ、という事が紗雪を緊張させた。何となく気まずいような、面映いような、そんな心地だ。

 応接間には誰もいない。大きな座卓の置かれた食堂兼会議室にも誰の姿も見えない。

 各自の私室の方へと向かう。一室の襖を開くと同時、影虎はがくりと肩を落とした。

 覗き込んだ紗雪も、一瞬後には、同じように肩を落としてしまった。

 寝乱れた布団。

 寝乱れた少年。

 少年に馬乗りになる少女。

 影虎は足音荒く部屋に踏み入り、高い位置で一つに結われた少女の髪を、ぐいっと引っ張った。

「ぉぎゃっ」

「何してんだ須桜(すおう)

「愛してるのよ」

「上手い事言ったつもりかよ。おら、降りろ」

 だって、と少女は唇を尖らし、組み敷いた少年を指差す。

「据え膳」

「……だから?」

「喰わないなんて無理」

「黙れ。とりあえずは降りろ」

 影虎のけち、とぼやきながら少女は少年から降りた。

 そしてこちらに気付き、ぱっと顔を輝かせた。

「紗雪! 久しぶり! 元気してた?」

「うん、まあ……。あんたはまあ、聞かなくてもアレよね、元気すぎる程ね……」

 抱きついてくる少女の背を、呆れ顔で軽く叩く。

「元気よー。影虎がいない間に色々補給したもの」

「おいこら、ちょっと待て。お前こいつに何したんだ」

「影虎が考えてる程の事はしてないわよ」

 影虎は明らかに疑っている顔だ。未だ眠っている少年を心配げに見やっている。

「相変わらずね、須桜……」

 少女の体を引き剥がし、紗雪は苦笑した。

 彼女の名は須桜美香と言う。紗雪と同じ十七歳だ。

 十七歳にしては小柄の為、もう一つ二つ年下に見えるものの、相当の美少女である。

 長い睫毛に縁取られた、くっきりとした二重の大きな瞳は明るい飴色。

 高い位置で一つに結わえられた、僅かに灰色がかった薄茶の長い髪が、まるで馬の尾のように細い背に揺れる。

 膝丈の袷は明るい藤色。帯は鬱金。飾りに巻かれた薄紅の兵児帯。それがまるで、彼女の背に大きな蝶がとまった様である。

 華奢な手首には紫水晶の数珠が光る。淡く明るい色を纏う事の多い彼女の中で、それは唯一の深く濃い色だった。

「……っつーか須桜、怪我人相手に何やってんだ。こんな時くらい自重しろって」

「してるわよぅ。だから剥くくらいに留めたんじゃないの」

 姿も声も、まるで砂糖菓子を思わせるような愛らしさだ。須桜を見た八割九割の人間は彼女を『愛らしい』と感じるだろう。

 そして、接した人間の八割九割は『騙された』と感じるだろう。かく言う紗雪もその一人だ。ここまで見事に『黙っていれば可愛いのに』を体現している人間には初めて会った。

「紗雪も相変わらずね」

「は? 何が……」

 もう一度須桜は紗雪に抱きつき、しみじみと言った。

「相変わらずおっぱい大きくて良いわねえ」

「……………………いやいや」

「あたしもこれくらい有ったら、あの子に色々してあげるのになあ」

 すんな、と厳しい影虎の突っ込みが入った。代弁ありがとう。

「でも良いの。あの子がもし女の子になったら絶対貧乳だものお揃いだもの。だから良いの」

 まずしねえよ、とまたも影虎から突っ込みが入る。代弁以下略。

「とりあえず、気持ち悪いので離れなさい変態」

「変態じゃないわよー」

 ああ、怒った顔も愛らしい。しかし言っている事との落差が激しすぎる。

「ああもう、ほんと相変わらずおバカね……」

 べりっと引き剥がし、肩を落とす。何やら先程まで緊張していたのが馬鹿らしい。久しぶりに会ってもやはり、相変わらずの友人に脱力しつつ苦笑する。

 そして、あ、と声を上げた。須桜の言う『あの子』がもぞりと動いたからだ。

 彼は布団の上、もそもそと緩慢な動作で身を起こした。駆け寄ってきた黒豆を抱き上げ、唇を寄せる。

 突っ立っていた影虎が、彼の側に腰を下ろす。脱ぎ散らかしたままの白の袴と黒の袷を、丁寧に畳みながら言った。

「はよ、紫呉しぐれ。それからただいま」

「……ぉはよう、ございます。お帰りなさい……。何か……、貧乳とか、聞こえたんですが……」

「気のせいだ気にすんな」

「はあ……」

 膝上に丸まる黒豆を片手で撫ぜ、片手で目元を擦りながら、紫呉は大きな欠伸をした。隣で「あの口の中に指を突っ込んでやりたい」とか、頬を染めて言っている須桜は無視する事にした。

 紫呉は眠たげに何度も瞬いた後、ぼんやりとした顔でこちらを見た。

「……おや、紗雪……。お久しぶりです……」

 まだ寝ぼけているのか、紫呉は深々とお辞儀をした。普段の彼なら、そんな事はまずしない。片手を上げて挨拶するくらいだ。

 身を起こすと同時、紫呉は「げしっ」と一発、妙なくしゃみをした。既に衣服として用を成していない夜着を見おろし、嘆息する。犯人は分かっているのか、何も言わない。言っても無駄だと知っているのだろう。

 乱れた夜着の下、包帯が巻かれていた。左肩から右の胸元にかけて斜めに巻かれている。左の二の腕にも、ぐるりと巻かれていた。先日の事件の折の物だろうか。

「……包帯、替えてくれるのは、ありがたいんですがね……」

 脱がしたなら着せておいて下さいと、紫呉は苦々しく息を吐いた。

「嫌よ、もったいない。堪能したいじゃない」

「……左様で……」

 呆れた声で返事をして、紫呉は衣服を整える。布団の上で胡坐をかき、もう一度大きな欠伸をした。

 滲んだ涙を手の甲でぬぐって、姿勢を正す。

「おや、紗雪。お久しぶりです。こんな格好で申し訳ない」

 紫呉は片手を上げて言った。今度は寝ぼけ声ではない。ようやく目が覚めたようだ。視線がしっかりしている。

「久しぶり。……怪我は平気?」

「平気ですよ。背中の傷なので治りが悪いだけで。傷そのものは浅いです。ご心配頂き、ありがとうございます」

「どういたしまして、……って言うのも変だけど。それ聞いて安心したわ」

 影虎が勧めてくれた座布団に、紗雪は腰を下ろした。紫呉は立ち上がり、布団を折りたたんだ。それを影虎が制する。

「や、お前はやんなくて良いって。俺がするから怪我人は大人しくしとけ」

「そんなにひどい怪我でもないんですから、平気ですよ」

「紫呉、良いから紗雪とお話しててよ。ていうか、紫呉が今まで寝ていた布団に触りたいというのがあたしの本音であります」

「須桜、お前はこっち来んな」

「何でよー」

 布団を挟んで何やら言い争う二人を尻目に、紫呉は紗雪の前に腰を落ち着けた。

 彼は紫呉翔太と言う。

 まるで闇を溶かし込んだような漆黒の瞳。鋭く切れ上がった一重瞼のそれは、詩的に言えば氷柱のようなだとか、刃物を思わせるだとかそういう類だ。まあ、言ってみれば目つきが悪い。

 だが目元の鋭さとは裏腹に、頬の線は柔らかく、十五歳という年齢に見合った幼さを残している。

 癖の無い髪は黒。一見、ただの黒髪であるが、日に透けると墨色にも濃紫にも、藍にも濃紺にも群青にも見える。黒髪、というよりも夜色の髪、と言う方が正しいかもしれない。珍妙な色だが、それも紫呉の上にあるものと思えば、不思議と違和感は無かった。

 紫呉は寝乱れた髪を手櫛で整えた。手櫛で整えるだけで元通りになる、彼の髪質を羨ましく思う。紗雪の朝の苦労を見せてやりたい。丸っとした彼の頭部を、紗雪はじっとりと羨望の目で見つめた。

 紫呉の左手首にはめられた、水晶の数珠が光を反射する。腕を上げた拍子に打撲痕が見えた。

「……その傷も、こないだの事件で?」

「ああ、はい。本当にさほどひどくは無いんですよ。生活に何ら支障は有りません」

 紫呉は軽く背を叩いて見せた。僅かに眉を顰めた所を見ると、全面的にその言葉を信用して良いのか迷うところだ。

「あんたがそう言うなら、それで良いんだけどね」

 少しだけ棘を含めて言うと、紫呉は苦笑を浮かべた。

 初めて会った時、彼の視線の鋭さや声音の硬質さに少し身構えたのも懐かしい。酷薄で冷徹な印象を受ける彼だが、視線の鋭さは生来の物であり、声音には感情が滲みにくいだけだと今は知っている。

 以来、身構える事も無く彼とは良い友好関係が続いている。何だか弟ができたような気分だ。兄が二人、末っ子の紗雪にとって、年下の少年と話すのは新鮮で楽しい。

「それはそうと紗雪、何かあったんですか?」

「え、何で?」

 首を傾げると、紫呉は微苦笑を浮かべて、自分の眉間を指差した。

「皺。何だか機嫌が悪そうです」

「ああ、うん……そうよ。あったのよ!」

 茶屋での一件が蘇る。紗雪は拳を握って声を荒げた。

 紗雪の勢いに、紫呉は僅かに体を引いた。

「さっきね、告白されたの。私塾が一緒の男なんだけどね、悠々館でお茶でもしようって。それで……あー、もう! 思い出したらまた腹立ってきた!」

「あー……落ち着いて。聞かなかった方が良かったですか?」

「ううん、聞いてちょうだい! 吐き出したい!」

 どうぞ、と促がされ、紗雪は息巻いた。

「ずっと前から君の事気になってたんだ、良かったら俺と付き合ってほしいって言われて」

「それはそれは。良い事じゃないですか」

「格好良かったらね。好みじゃなかったから断ったの」

「ひどい女ですね、あなたは……」

「別に顔だけで判断したわけじゃないわよ。中身も嫌だったの」

「や、そっちの方がより一層ひどい気がしますが」

「まあとにかく。とにかくお断りしたのよ。そしたらいきなりそいつキレちゃってね。机バンって叩いて」

「ほう」

「調子に乗るなよって。今日告白してやったのはお前が青官長の娘なんだからな、って。……あーもう! 調子に乗ってんのはどっちよ! 私があんたなんかについて来てやったのは、悠々館でお茶できるからって思っただけなんだから! おバカ!」

 紗雪は息荒く肩を上下させた。ばたりと横倒しにになる。

「あー……もう……。何か不思議と私いっつも、微妙に変な奴に告白とかされるのよねー……」

「告白されるだけ良いじゃないですか。僕そんなの、一回もありませんよ」

「どっかに良い男落ちてないかしらねぇ」

「無視ですか」

 畳にぐりぐりと額を押し付ける。大きく息を吐いて、目を伏せた。

 無視された事に対してか、紫呉は拗ねた表情で黒豆を撫でている。その指先、人差指の爪が欠けていた。会う時はいつも、彼はどこかしらに傷を作っている気がする。

 差雪はちらりと紫呉の横顔を窺った。頬にも小さな傷が散っている。

 紫呉の事は嫌いではない。まあ、好みの顔ではないし、自分より年下だし、自分とさして身長も変わらないし、恋愛対象にはならないのだが。

 それに、この傷の多さが何だか怖い。

 いきなり自分の目の前から消えてしまうのではないかと、怖くなる。

 紗雪はのそりと身を起こした。それと同時、視界の隅で今までじっと体を丸めていた、白い大きな鳥がばさりと大きく羽を広げた。鷺に似た、長い尾羽を持った鳥である。そして一声、けぇんと高く鳴く。

 紫呉は立ち上がり、その鳥を腕に乗せた。

 鳥の目が開かれる。紅玉を思わせる深い色をしていた。

「どなたです?」

「やあ、その声は紫呉だね。元気にしているかい?」

「ええ、まあ……」

 紫呉は軽く紗雪に会釈をして、鳥を腕に乗せたまま、部屋の外へ向かった。後ろ手に襖を閉める。

 あの鳥を伝鳥と言う。離れた所にいる相手と、伝鳥を介して会話ができる、という代物だ。普段は眠ってばかりいる鳥だが、通信の際には高い声で鳴いて知らせる。甲高い鳴声は少しばかり耳に痛い。

 伝鳥は、瑠璃七官の一つ、器具や武具の管理を司る黒官の発明品である。

 その発明品の事を、黒器(こっき)と呼んだ。

 布団を挟んで何やら悶着していた二人が、伝鳥の鳴声にぴたりと動きを止めた。

 須桜は枕を抱え込んだまま、視線だけを襖の向こうに送り、影虎も同様、須桜の頬を抓っていた手を離し、襖の向こうに意識を向ける。

 廊下からは、ぼそぼそと何かを喋る声が聞こえる。話の内容までは聞こえないが。

 影虎と須桜は、目を伏せ、じっと息を潜めている。

 自分には聞こえないが、彼らには襖の向こうの会話が聞こえているのだろう。声をかけられる雰囲気では無かった。

 気詰まりな沈黙は、数分後に破られた。勢いよく、襖が開かれる。

「指令です」

「了解」

「おー」

 須桜は敬礼の姿勢を取り、影虎は紫呉の腕から伝鳥を引き取る。

「詳しい事は、また後ほど伝えます」

 伝鳥は通信の報酬をねだって、影虎の腕をしきりに突いている。影虎は器から瑠璃を一粒取り出して、差し出した。それを啄ばむと、伝鳥は満足したのか、体を丸めてまた眠りについた。

「はいよ。ま、とりあえず俺は晩飯でも作るとしますかね」

 影虎は伸びをしながら、殊更に明るい声で言った。

「それじゃあ、あたしはお風呂でも沸かそっかな。ね、紗雪。今日は一緒にお風呂入ろうね!」

「え、あ、うん。良いわよ」

 やった、と須桜は諸手をあげる。

「なー何か晩飯食いたいもんあるかー? ちなみに紫呉とか言うのは却下な」

「じゃあ紫呉が入った後の風呂の残り湯で炊いた米とか」

「とりあえず裏から適当に野菜採ってきてー、卵焼いてー昨日の残ったやつ炊いてー、それからどうすっかな。卵甘いのと辛いのどっちにすっかな」

「あれ、無視? 聞いておいて無視?」

 影虎の声が遠ざかっていく。バカ虎、と須桜が唇を尖らせた。

 先ほどまでの緊迫した雰囲気など、微塵も感じさせない二人だ。さっき目にした厳しい表情は、紗雪の気のせいではなかったのかと思う程である。

 しかし、気のせいでは無い。それは紫呉の表情から見て取れた。

 紫呉は腕を組んで、口を真一文字に引き結んで佇んでいる。伏せられた目線の先には、伝鳥がいた。


 真黒な瞳は闇を溶かしたというよりも、まるで黒い炎のようだと、紗雪は思った。



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