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零-21 その後



 布団に潜ったまま、紗雪はぼんやりと天井を見つめる。

 もう昼にもなるというのに、我ながら自堕落だと思うが、何をするにも面倒臭くて動く気がしない。

 朝食を取って、またこうして二度寝に勤しんでいる。

 贅沢だと思う。だがこうしてもう一度布団に潜っても、眠る事はできないのだが。

 あれ以降、どうにも眠りが浅い。寝つきも悪いし夢見も悪い。夜中に何度も目を覚ましてしまう。


 あの後、官舎に詰めていたのであろう父が現場にやって来た。

 蹲る紗雪に何も言わず、ただ己の羽織を紗雪に着せかけた。

 頭を下げる紫呉に、父はそれよりも深く頭を下げていた。父が誰かに謙るところを見たのは初めてかもしれない。

 それを見て、やはり紫呉は尊い御方なのだと、改めて思った。

 それから周囲の惨状を目にして、血の気が引いた。

 高ぶっていた気持ちが落ち着くにつれ、自分が今いる場所の凄惨さが分かった。


 そして、暗転。


 気がつけば自分の部屋だった。

 母の泣き顔が目の前にあった。何も知らされていなかったのだろう。強く抱きすくめられ、胸が痛んだ。


 あれから、五日が経つ。

 紗雪は私塾にもいかず、毎日のらりくらりと過ごしていた。

 母にも文句は言われない。むしろ、どこかへ出かけようとすると、煩わしいほどに心配される。

 教本を開いてみても、内容は頭に入ってこない。

 出かけようにも母が心配する。

 毎日昼まで眠って、庭の散策やら菓子作りやらに時間を費やしていた。

 紗雪は布団から這い出て、うんと伸びをした。大きな欠伸が漏れた。

「あの……お嬢様……」

「はーいー?」

 女中の控えめな声に、欠伸をしながら返事をする。

 すらりと障子戸が開き、文を手にした女中が部屋に入ってくる。

「あの……先程、屋敷の前でこれをお嬢様に、と……」

「私に?」

「はい。他の誰にも言うな、と……。あの……赤い髪をした殿方で、眼鏡をしてらして、その、こう言っては申し訳ないのですが、目つきの悪い……」

「ああ……」

 納得した。だからこんなに女中は怯えているのか。

「大丈夫よ。別に喧嘩売られたりとかじゃないから。私の、……知り合いだから」

 この女中は最近屋敷に勤めにあがったばかりだ。雪斗の存在は知らない。古い者以外は雪斗の存在を知らない。

 礼を述べると、女中はほっと胸を撫で下ろして下がった。

 文を開く。

 そこには簡潔に、裏口の辺りで待ってる、と有った。

 紗雪は身なりを整え、玄関口へ向かった。母が慌ててやってくる。

「あー……っと……」

 私塾の先生に挨拶に、とでも言おうかと思ったが、嘘をついてもすぐにばれてしまうだろう。絶対確認をいれるに決まっている。

 だが雪斗に会う、と正直に言って良いものか。

 雪斗がこの家を出て以降、彼の名は暗黙で禁則となっている節がある。

「……乾弐班の屯所に、行くの」

 呼び止める母を半ば無視するような形で、強引に紗雪は玄関を抜けた。

 母は弐班の屯所の位置を知らない。確認する手段も無いだろう。それに早く帰ってきたらそれで安心するだろうから、まあ平気だろう。

 表口から出て、裏へと回る。

 そういえば、あれから彼の姿を見ていない。

 銀の髪と眼鏡が特徴的な下男の事だ。

 事件以降姿を見ていないという事は、やはり彼は護衛につけられていた、という事なのだろう。

 ……護衛の依頼元は、自分の想像と違っていたが。

 裏口からやや離れた、街路樹の下に雪斗の姿はあった。

 手を振って小走りに向かう。

 雪斗は眉根を寄せ、腕を組んで難しい顔をしていた。

「……どうかしたの?」

「……オレって、そんなに近づき難い雰囲気かもしてんのか?」

 文を託した女中の事だろうか。

「あー……。元気出して!」

「否定しろよ。嘘でも良いから一応は否定しろよてめぇ」

「でもまあ事実は事実だし」

「優しい嘘ってのが時には必要なんだよこの野郎」

 ぐりぐりと肩口に拳を押し付けられる。紗雪は笑いながら拳を退かした。

「……元気そうだな」

 ふっと視線を和らげて雪斗が言う。

「まあ、ね……。一応は元気よ」

 歩き出した雪斗の背を追い、紗雪も歩き出す。隣に並んだ。

「傷は平気か?」

「それなりに」

 首の傷には軟膏を塗り、目立たぬように薄手の襟巻きを巻いている。

 紗雪は襟巻きを少しずらし、かさぶたの張った傷口を見せる。

 自分の怪我はともかくとして、人の傷やらを苦手とする雪斗は顔を顰め、ぐっと身を引いた。

「って、今回の事誰かから聞いたの?」

「あー……影虎から。ちょい前にもし紗雪が何か聞いてきても、俺らの事は何も言うなって言われて、それで。……で、終わったって聞いて、来てみた」

「そう……。じゃあ、雪斗は知ってたのね。弐班の事」

「まあ、な……」

「何で知ってたの?」

「偶然だよ。オレの日雇いの仕事先で紫呉も仕事で居て、着替えてるところに、こう、偶然」

 雪斗はその時の光景を思い描いているのか、うあーと唸りながらぶるぶると頭を振った。

「あー思い出したら腹立つ! つか気持ち悪ぃ! あいつの第一声『雪斗の助平』だぜ? オレだって見たくなかったっつの!」

 舌を打ち、雪斗は苦い顔をしている。

「そんで『言いますか?』ってよぉ……。普通に言うなって脅せよな、タチ悪ぃ。その笑顔が怖いんだっつーの」

 ぶつぶつと不平を零しながら、雪斗は口を尖らせる。

「二年半、くらい前かな? そう考えりゃ早ぇっつーか長ぇっつーかだなー」

 頭の後ろで手を組んで、雪斗は遠い目をした。

「で、なし崩しに影虎の事とか……あー……須桜の事とかも知って、現状に至る、と」

 そういう訳だ、と雪斗は手を解いた。

「何も、思わなかった……?」

「って何が」

「如月様なんだー……とか」

「ああ……。……思ったよ」

 雪斗は視線を落とし、小さく笑った。

「やっべぇ今まで普通に話してたよ! とかさ。……つかそれ以上に、やっぱ、傷にびっくりしたな。そんで、怖くなった」

「怖い?」

「紗雪は見たこと有るか?」

「うん、有るわよ」

「え」

 自分で聞いておきながら、雪斗はぎくりとした表情で体を強張らせた。

「な、何で、見た事とか……」

「……何考えてんのよ、おバカ。私も偶然。って言っても、その時は刺青包帯で隠してたから、傷だけね」

 今も鮮明に目に焼きついている。

 左の胸元から右の脇腹にかけて斜めに走る刀傷。

 紫呉だけじゃない。

 影虎や須桜も、いたるところに傷を残している。

「それ見てオレ、びびったよ。巻き込まれたくねえって思った。あんまし関りたくねえって思った」

「でも須桜は好きなのよね」

「す……っ! な、おま、ば……っ、べ、別に! 別にす、好きとかじゃねえし! そんなんじゃねえし!」

 見事に真っ赤な顔で、雪斗は思い切り手を振る。

「あー……はいはい」

「べ、別に、可愛いとか全然思ってねえし! 勘違いすんなよな!」

「あー……うん。はいはい」

 赤い顔で喚く雪斗を半眼で宥め、紗雪は適当な返事をしておいた。

 雪斗は髪を掻き乱しながら、何やら口中でぶつぶつと文句を垂れている。

「まあそれはそうとだなー……。うん、何だかんだで、オレらとは違う、遠いとこの人間なんだって思ったし。……いつか、遠いとこ行くんだろうな、とか、オレの手の届かねえ位置に行くんだろうな、とか、思ったよ」

 それに、と雪斗は大きく息を吐いた。

「……あんだけ傷ばっかでさ。……いつか、死んじまうんじゃねえか、とかさ」

 その怖さは紗雪も感じた。

 彼らの傷を見て、屯所の殉死者の碑を見て。戦う紫呉を見て。

 左手の指先から滴る赤い雫。痛みに歪めた顔。殴られ、地面に倒れ伏した彼。

 怖いと、そう思った。

「だからオレは、お前にあんましあいつらと仲良くしてほしくねえって思う」

 痛みを耐えるような雪斗の声に、紗雪ははっと顔を上げた。

「オレは、あいつらが班の人間を失った時の、あいつらを見た事が有るよ。……だからオレは怖い。あいつらが死んだらって思うとすげえ怖い。あん時のあいつらみたいな気持ち味わうのは嫌だ。だからお前にも、あんまし親しくなってほしくない」

 眼鏡の奥の雪斗の目が不安に揺れている。

 紗雪は親しい人間を失った経験が無い。

 幼い頃に祖母を送った事が有るが、祖母との思い出はほとんど無かったし、悲しみは感じなかった。

 母と長兄は泣いていた。父は目を瞑って、何かに耐えるような顔をしていた。

 それを見て、不安になって、泣き出したのは覚えている。泣き出した紗雪につられて、雪斗もまた泣いていた。

 紫呉が少女を刺すところを見た。

 あの場では殺していなかったらしいが、不安に駆られた。

 それは、自分も殺されてしまうのではないか、という不安だ。

 自分を護ってくれていたであろう少女を死なせてしまった、という罪悪感だ。悲しみよりも、それらが勝った。

 見た事の無い破天の人間が、紫呉に斬られるところを見た。生死は知れない。

 怖かった。

 自分も殺されてしまう、と思った。その時はまだ、紫呉たちを破天だと勘違いしていたから。

 その怖さは自分に向けられた物だった。

 斬られた人間を案じての物ではない。大切な人を失ってしまう怖さ、恐怖では無かった。

「だからオレは若干距離置いてんのにさあ。あいつらガンガンオレん家来るし。何の意味もありゃしねえ。……ほんと、マジ困る」

 雪斗は苦笑した。

 だが彼らとの関わりがいっさい無くなったら、きっと雪斗は哀しむだろう。

 そう自分で分かっているから、文句を漏らしつつも彼らを拒否しない。

 雪斗はがしがしと髪を乱し、その所為でずれた眼鏡をかけ直した。

「悪ぃな、急に呼び出して。寝てたんだろ?」

「……別に、そんな事無いわよ」

「ウソつけ。髪にクセついてんぞ」

「嘘?」

「ウソだよ。んじゃな、オレこれから日雇いの仕事なんだ」

 慌てて髪を撫でる紗雪の頭を軽く叩き、雪斗はひらりと手を振る。

「あ、うん。いってらっしゃい」

 遠ざかる彼の背を見送る。

 雪斗とすれ違った少女二人が、びくりと身を竦め彼から少し距離を置いた。

 不憫な、と苦笑しながら紗雪は髪を撫でる。どこも跳ねていない。

「もう……馬鹿にして」

 さて、これからどうしようか。

 久しぶりの外出だ。

 庭には時折出ていたが、陽を浴びるのも風に吹かれるのも久しぶりで、何だか新鮮だ。このままただ帰るだけではもったいない。

(……ほんとに、弐班に行こうかしら)

 雪斗と彼らの話をした途端、彼らに会いたくなった。顔が見たくなった。

 咄嗟についた嘘だったが、それを本当にしたくなった。

『会いたいと思った時に会っておかなくてはね』

 いつだか、紫呉もそう言っていた事だ。紗雪は屯所へと足を向けた。


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